第138ターン目 治癒術士は ぬいぐるみ化した
大きなフロアを進むボク達は、何度か魔物と戦闘しながらようやく終わりを迎えようとしていた。
「連絡通路でしょうか?」
大フロアの終わり、両開きの扉を潜り抜けると、吹き抜けの通路が現れた。
そろりそろりと、なにがあるか分からないので慎重に歩いて行くと、不意に下を見る。
真下はなにもない、ただ地上の岩石群が小さく見える。
「うぅ、落ちちゃったらひとたまりもないですね」
「それじゃあ落ちないように注意しましょう」
魔女さんの指摘のように、ボクも頷く。
高さに怯えながらも、ボクはなんとか連絡通路を渡り切ると、ホッと安堵する。
「やっぱり高いところって、怖いです」
「にゃー、主人ったら情けないこと言ってちゃ駄目にゃあ」
「怖いものは怖いよ、落ちたら死んじゃうんだよ?」
「もっと怖い目に散々あっているのに、どうしてだろー?」
うぅ、ボクが怯弱者と思われているだろうか。
ボクだって苦手は沢山ある、それでも前を見なければならないのだけれど。
「それで、次はなにかしら?」
錫杖を握り直し、正面を見る。
次は……え? なにこれ?
「ファンシーなお家?」
「だねー、すっごいピンクだー」
どちらかというと清潔な感じのした直前のエリアに比べて、通路の先にあったのは、内装をピンクで染めたちょっと目に痛い一軒家だった。
勇者さんを先頭に中に入ると、改めてその威容に驚かされる。
床もピンク、壁もピンク、机も棚も、壁さえも、とにかくピンクピンクピンク!
「ぬぅぅ、まやかしの類か、目が痛くなりそうだ」
「うー」
あまりにショッキングな光景にハンペイさんも頭を抱える。
カスミさんはそんな兄の心配をしていた。
一方勇者さんと魔女さんは早速周囲を調べ始めた。
「……奇妙ね、あまり趣味が良いとも言えないわ」
「俺は嫌いじゃないけど、でも住みにくそうー」
勇者さんは適当な机に手を置くと、ガタガタと揺らす。
取り立てて変な作りでもない、ピンク色に塗装した以外は普通の机だろうか。
魔女さんは棚の方に向かった。
適当に戸棚を開くと、中にあったのはやっぱりピンク色の食器達だ。
「うげ、食器までピンクじゃん、何考えているのよもう」
さしもの魔女さんでもなんでもピンクの空間にげんなりしている。
ボクも正直頭がおかしくなりそうだ。
「主人、二階に部屋があるにゃあ」
リビングから直通で階段がある。
勿論階段もピンクだ、もれなく視界を乱してくる。
これ、中に住んでた人、よく事故を起こさないな。
ボクうっかり階段を踏み外しちゃいそう。
「この家のデザイナーはクソね、使い勝手をまるで考慮していないわ、これじゃ思想強めのオナニーと同じじゃない」
「言い方が……まぁカムアジーフ殿の言い分も理解できますが」
歯に衣着せぬ物言いの魔女さんに、ハンペイさんも苦笑する。
ボクはクロの立つ部屋の前に行くと、また驚いた。
「うわぁ、人形がいっぱいだ」
「まるでドールハウスにゃあ」
子供部屋だろうか、可愛らしいシングルベッドに、所狭しと置かれた可愛らしい人形やぬいぐるみ達。
ボクは手近にあったテディベアのぬいぐるみを持ち上げる。
「懐かしいなぁ、孤児院にもひとつだけ、ぬいぐるみがあったっけ」
これと同じ、ただ色が継ぎ接ぎだらけのクマのぬいぐるみがあった。
子供時代は、そんなちょっとヘンテコなぬいぐるみを皆で取り合ったもんだ。
継ぎ接ぎだらけなのは、今思えば荒っぽい遊び方する子供達に壊され、それを院長先生が手縫いで修復したのだろう。
思わず童心に帰っちゃう気分だ。
「他の部屋はどうかな?」
ボクはぬいぐるみを元の場所に戻すと、部屋の外を振り返る。
クロはもういない、仲間もまだ一階のようだ。
ボクもそろそろ皆と合流しようと部屋を出る、その時。
カタカタカタ――。
「え?」
背後で動く音がした。
ボクは足を止めて振り返ると、とある人形が動いていた。
「ま、魔物!?」
ボクは錫杖を構える。
けれど油断していたのか、ボクの足元には先程のぬいぐるみが足にしがみついていた。
クマのぬいぐるみのつぶらな瞳がボクを見上げる、まるで行かないでと言っているように。
ボクは背筋が凍りついた、ここはやばい。
「皆さん気を付けて、魔物がい――」
次の瞬間、ボクの声は掻き消えた。
えっ、なんで? 戸惑うボクは周囲を見渡す……が、視界がおかしい。
「ぬい、ぬいぬー?」(ぼく、ちっちゃくなった?)
て、何この声!?
ボクは驚愕して、自分の手を見た。
そこにあったのは、丁寧に包装されたぬいぐるみの手。
ピンク色の手は指もなく、けれど動く。
がさごそ、ボクは音のする部屋の奥を見た。
そこには、先程動いた人形が、『何か』をぬいぐるみの中に押し込んでいた。
僅かに見えたのはボクの錫杖、つまり――。
「ぬ、ぬいぬいぬー!?」(な、なにをしているんですかー!?)
ぬいぐるみの中に仕舞われたのはボク!?
人形はゆっくりこちらを振り返る。
「ククク、ようこそファンシーワールドへ」
「ぬいぬい?」(ファンシーワールド?)
「間抜けめぇ、お前はもう一生この家のぬいぐるみなんだよぉ、見な! こいつらを!」
人形――【ドールマスター】は両手を広げる。
夥しい数の人形やぬいぐるみ達は一斉にボクを見た。
つまり、それって……。
「ぬいぬー、ぬいぬい……!」(あぁ神様、これはつまり……!)
皆生きている――。
ここにいる人形やぬいぐるみ達は皆成れの果てだ。
そこに愛らしさなんて欠片もない、ただ吐き気だけを催す。
だが、ぬいぐるみに口なんてあるわけがない。
ボクは絶望に気持ちを持っていかれても、なにも吐けない。
ただ、ボクは恐怖に後ずさった。
直ぐに駆ける、だけどぬいぐるみの身体では上手く走れず直ぐに転んでしまう。
「ケヒャヒャ! もうおしまいだぁ! お前はもうぬいぐるみなんだぜぇ!」
「ぬいぬ、ぬいぬ、ぬいぬ!」(嘘だ、嘘だ、嘘だ!)
「キュイ?」
ボクは顔を上げると、カーバンクルがボクを見下ろしていた。
大きな瞳に、ボクの姿は惨めになるほど写っている。
あぁ、ボクもピンクの仲間入りをしたのか。
「ぬいぬ!」(カーバンクル!)
「キュイ」
ムギュ、ボクは無慈悲にカーバンクルに前足で頭を押し潰される。
中身が綿なのか、よく沈みカーバンクルのオモチャにされた。
「ぬ、ぬいぬ」(ちょ、やめて)
「キュイー」
「なーに遊んでいるにゃあカーバンクル」
今度はクロだ、ボクはクロに助けを求めた。
だけどクロは。
「気持ち悪いぬいぐるみにゃあね、捨てちゃいなさいにゃ!」
「キュイ、キュイー!」
カーバンクルはボクを咥えると走り出す。
ボクは手足をジタバタ振って暴れるが、今やカーバンクルにさえ力負けする始末。
そのままカーバンクルはボクを咥えたまま一階に降りてしまう。
「ぬぬぬいー……」(あぅぅ一体どうすれば……)
「あらカーバンクル、なにそのキモいぬいぐるみ」
「キューイ」
ボクは顔を上げる。
魔女さんの大きな胸が邪魔で顔は半分も見えない。
あぁカーバンクルの目線ってこんなに下からなんだ。
ここからならパンツも丸見え――。
(見るな! 破廉恥過ぎる!)
ボクは即座に俯向いた。
下から覗き込むのは、流石にやっちゃいけない。
魔女さんはカーバンクルからボクを奪うと、目を細めて注視する。
「うーん? なんかコイツ……妙ね」
「ぬいぬ?」(妙ですか?)
ボクの謎に変換されるぬいぐるみ語、それを聞いた魔女さんはビクンと背筋震わせ、ボクを投げ捨てた。
ボクは地面をバウンドしながら、転がると、やがて壁に当たって止まる。
痛くはない、けれど、ボクはフラフラになりながら立ち上がった。
「ぬいぬ、ぬいぬー」(あうあう、酷い目にあったー)
「こ、コイツ喋った!? なに魔物!?」
魔女さんは目を縦に細め、杖を構えた。
ボクはその意味を察する。
まずい、ボクは今魔物と思われている。
本当の魔物はドールマスター、おそらくあの一体のみなのに。
魔女さんの警戒に、勇者さんハンペイさんカスミさんが集まる。
ボクはどうすればいいか逡巡する。
今は迂闊な行動が死を意味する。
(考えろ、考えろボク、とにかく身体だ、身体を取り返さないと!)
そうなると二階だ、ドールマスターは二階にいる。
あそこで冒険者を人形の振りして待ち構えているんだ。
急がないと被害者は増えるだけ、だけどこの姿じゃそれを伝える手段がない!
「ぬ、ぬいぬ!」(と、兎に角逃げるぞ!)
ボクは一目散その場から逃げ出した。
後ろでは魔女さんが何か叫んでいる。
直後火炎弾がボクの後ろに着弾した。
ファイアーボール、まさかボクに向けられる殺意に心胆を冷やしながら、それでも活路を見出すしかない。
逃げ込んだ先はキッチンだ。
ボクは小さな身体を活かして、身を潜める。
開いた戸棚、中には調理器具が収納してある。
調理器具の間に隠れると、ボクは用心深く外の様子を観察する。
「ちょっとカム君炎はまずいってー!」
「どうせダンジョンの一部でしょ、多少燃えたって直ぐ鎮火すればすむでしょ」
「注意散漫危機一髪にゃあ」
「なによクロちゃん、それにアレは魔物よ、なにかされる前に仕留めなきゃ!」
ズカズカズカ、と魔女さんはキッチンに突入する。
後ろからクロ、勇者さんも入ってきた。
不味いぞ、見つかったら殺される。
今のボクじゃマールと証明出来ない。
「キッチンね、注意しなさい皆」
「それブーメランにゃ」
「ムカツクー」
喧嘩はよしましょうとは今は言えない。
ボクはこの身体が憎い、ぬいぐるみに恨みはないけれど、恐ろしい状態異常だ。
きっとドールマスターは、ボクを【ぬいぐるみ化】させる特殊な能力がある。
兎に角今は耐えぬけボク、冒険者は諦めが悪いんだっ。




