護衛の疑心
「あの態度はよくないわ」
「あんなひ弱な男にお嬢様を任せられませんよ」
テオドールは諌められていた。瓶の破片が刺さっていないかと心配されたあとで、だが。
むかし、当主の知人だとかいう謎の人物に剣術の手ほどきを受けていた時でさえ、ぼろぼろに叩きのめされた彼の元へ最初に駆け寄ってきたのはいつもレネットだった。彼女は使用人みなを家族のように扱う。であればそれ以上のものを返さない理由はない。
たかがガラス瓶にひびを入れてやったくらいだというのに、ロマーノという青年は慌てふためいて帰っていった。
「人には得手不得手があるの。料理ができるのだって素敵なことでしょ?」
「料理なんて使用人にやらせておけばいい」
「あなたねえ……」
べたつく片手を雑に拭きつつ、テオドールは鼻を鳴らす。甘い匂いがとれない。
「俺だってこんなこと言いたくありませんけどね、お嬢様。使用人もメイドもいくらでも雇えるんです。でも、夫っていうのはひとりだけだ」
だから、最も彼女を守ることができる人物でないといけない。自分に劣るようでは論外なのだ。
レネットは嘆息で議論を終わらせた。誰にも手をつけられることのなかった哀れなスコーンに手をのばす。
「あと、口に入れるものは選んでください」
「お父様みたいなことを言って……。わかってる、本当に食べるつもりはなかったもの」
いつの間にかマリーが紅茶を用意していた。当然テオドールの分はない。
拗ねた口調で、それでもお菓子をかじるのをやめない様子は、なんだかずいぶんとあどけなく見えた。間違っても口に出しはしないが。
「ひとりで嫁ぐわけでもないのだし。あなたもついてきてくれるんでしょう?」
「……そうですね」
テオドールはうなずいた。妻が家から従者を連れていくのは自然なことだ。護衛も例外ではないし、何もおかしなことはない。
***
収穫のない見合いが続き、およそ数ヶ月。
嘘がバレるまであまり時間は残されていない。訪問の日取りは決まっている。レネットは何としても、それまでに婚約者を見繕うつもりらしかった。
そんな努力の甲斐あってか、ようやくまともな男性が現れた。名をジェラルドという。テオドールは爵位を知らなかった(訂正、覚える気がなかった)が、そこそこの家柄で、そこそこの稼ぎもある役人様らしい。
彼は護衛とメイドの圧力にも動じない。それどころか、「大切にされているんですね。レネット嬢のお人柄がうかがえますし、良い部下をお持ちだ」などと言う。主が褒められるのはテオドールとしても満更ではないので、少しの不敬は見逃してやることにする。
何よりレネット本人が、彼と話していて楽しそうだったから。
これまでも悪気があったわけではない。ちょっと睨みをきかせてみたら、どの男も逃げ出してしまっただけだ。普段は口うるさいメイドも特に止めてはこなかったので、やりたいようにさせてもらった。
「レネット嬢は本当に博識ですね」
「ジェラルド様のお話がお上手なおかげです」
数回目のお茶会も盛り上がっている。
「まさか自ら馬のお世話をされた経験がおありだとは!」
「うちはあまり裕福ではないので……それに、おもしろそうなことは我慢できなくて。悪い癖なのですけど」
「これだけの敷地をお持ちで、ご謙遜を。しかしそういったご経験こそ貴重な宝物だと僕は思いますよ」
令嬢にあるまじきわんぱくなエピソードに対しても、ジェラルドは機嫌を損ねない。好奇に顔を輝かせ、積極的に話題を提供する。
大袈裟なほどに喜怒哀楽がはっきりした男だ、とテオドールは思う。だが、男女の機微がよくわからない彼の目にも、二人は気が合っているように見えた。
やがて、レネットは先方の屋敷に招かれる。やはり同行するのは護衛とメイドだ。
「くそ、動きにくい服だ」
見合いが始まるまでは、まだ時間がある。
ちょっと用を足しに、などと適当な理由をつけて待合室から抜け出したテオドールは、マリーに無理やり着せられた衣装に文句を呟きながら、ひとりで屋敷を散策していた。うろついてはいけないとは言われていない。
何かあれば報告するようにと、日に日に胃を痛めつつあるレネットの父は偵察を命じた。彼女に危害が及ばなければいいのだから、断る理由はない。
「どちらの騎士様?」「お声がけしようかしら」などとメイドたちのひそひそ声も耳に届いていたが、彼にとってはどうでもよいことなのでわざわざ足を止めたりはしない。
「――うん、すべて首尾よくいっている」
いくつか廊下を曲がったところでジェラルドの声が聞こえてくる。誰かと話しているらしい。反射的に物陰に身を隠す。
「ああ。こんなに上手くいくとは思わなかったよ」
ジェラルドは嬉しそうに笑った。
「バカな女で助かった!」