令嬢の誘惑
「マリー」
「はい」
「……わたし、また追ってた?」
「そうですね。それはもうガッツリと」
「ううっ」
「むしろ追いつめていたというほうが正しいかと」
「そんな!」
テオドールが退室した途端、レネットは悲痛な声をあげた。
「だって好きなんだもの! 仕方がないわよね?!」
何度目かわからない告白に、メイドの側もいつも通りのため息を返す。その間も作業の手は止めない。
「どうしてあれでイケると思われたんですか。未婚の女性が軽々しく肌を見せるものではありません」
「肌じゃない、コルセットよ」
「余計にダメです」
「だってえ……」
「目をこすらないでくださいまし。お化粧が崩れます」
「ううう」
令嬢の務めはうまくこなせるレネットだが、どうにも難航していることがひとつ。
「まずは意識されないとって言ってくれたのは、マリーじゃない」
「それはそうですが」
レネットはテオドールのことが好きだ。
気持ちを素直に伝えるのが大切だと娯楽小説には書いてあったから(身分差に負けてはいけない、とも!)よかれと思ってあらゆるテクニックを実践してきたのだ。
しかし半年ほど前、ある事件が起きた。
その日は確か、テオドールともうひとりの護衛と共に倉庫の整理をしていた。話の流れでなぜか恋の話題になったので、レネットは前のめりで訊いたのだ。「どんな女性に好かれたら嬉しい?」と。
すると返答に窮している彼の肩を抱き、同僚は明るい調子で言った。
「アハハ! お嬢様、男ってのは追われると逃げたくなるものなんですよ。ね?」
少女にとってそれはもう、天地がひっくり返ったような衝撃だった。
――そうなの?!
呆然とテオドールを見ると、いつにも増して渋い顔をしている。そもそも掃除を手伝うと申し出た時から、ずっと眉間にシワを寄せていたような気もしたが。
つまり、これまでの奮闘はむしろ縁を遠ざけていたのだ!
それで泣きついて以来、マリーは唯一の相談相手である。
「追わないなんて無理よ……出ちゃう……」
実際、数年に渡りぶつけ続けた好意は、周囲からすれば微笑ましい以上のものではなく。彼女の「好きよ、テオ」という言葉は「おはよう」と同じくらいの重さと化している。だが、本気さが裏目に出ている……という悲報をメイドが口にすることはない。
「大丈夫ですよ。あの男は不快な時は露骨に嫌な顔をしますからね。さっきのは単に困っていただけでしょう」
困らせてしまうのも本意ではないが。気遣いに、ひとまずレネットは胸を撫で下ろすのだった。恋ってとっても難しい。
***
夜会となれば、伴をする者たちもそれなりの衣装を身にまとう。
ダンスの時間が始まってもレネットはなかなか壁際から動こうとしなかった。厳密にはテオドールの傍から、だが。
「行かないんですか」
「いえ、そうね、もう少しだけ……」
着飾った彼の姿を見ていたかった。日に焼けた肌に灰色の髪が野性的で、衣装の下がたくましい体つきをしているのも知っている。何年も前に、着替え中の部屋にうっかり(を装って)入ったことがあるからだ。ちなみにそれは観劇から得た技術である。
あの時は初めて強い口調で叱られたものだから、びっくりして泣いてしまったほど。最終的には、泣いたレネットを前に彼のほうがしょんぼりとする始末だったため、二度としないと誓ったが。彼は床を見つめて「自制心自制心……」とかなんとか、ぶつぶつ呟いていたような気もする。
彼が平民上がりだということは、近しい人々はみな知っている。前回の騒動に加えて顔の傷痕が怖いとかで、遠巻きにされているのが常だった。
周りの令嬢たちは他領のきらびやかな騎士とダンスを。互いに一夜限りの戯れとわかってのこと。そんな遊びに、見るからに危険そうな男を選ぶはずもない。
「ねえ、テオ。わたしと一曲どうかしら?」
「護衛として来ていますから。それに俺は踊れませんよ」
予想できた返事だったが、レネットは思わず肩を落とした。テオドールは呻く。
「いや。恥をかかせてしまって、すみません」
「そんなことは! ないわ、大丈夫よ」
慌てて笑顔をつくり、行き場を失った手をひらひらと振ってみせる。このうえ、彼にダンスまで覚えてもらうのは負担が過ぎるだろう。
「お構いなく、ご友人のところへ行ってきてください。何かあれば遠くからでもわかります」
テオドールは優秀な護衛だ。時に騎士のように、時によき兄として、いつだっていかなる問題からもレネットを救ってくれた。ただひとつ、恋の悩みを除いては。