護衛の困惑
ある日、自分が仕える令嬢が補整下着を見せつけてきたらどうするか。テオドールは残念ながら答えを持たなかった。
「どうですかテオ?!」
「どう、とは」
「かわいいとかきれいとか、だっ、抱きたいとか、あるでしょう色々と!」
「貞操観念ってご存知ですか? その自己肯定感は大切にしていただきたいですが」
あられもない格好の少女と若い男がふたりきり。入室してきたメイド長のマリーも「まあ」と声をあげた。
「坊や、あなたついに……」
「一から十まで誤解だ。俺は呼ばれて来ただけで。レネット様のほうから、あー、見事なくびれを見せてくださっている?」
説明しながらテオドール自身も意味がわからなかった。どういうこと?
幸いにもメイド長は人生経験豊富だったので、騒ぎにされずには済んだ。「あら残念」とかなんとか聞こえたような気もするが、きっと空耳だろう。
「レネットお嬢様、あまりからかってはいけませんよ。この坊やはウブなんですから」
「誰がウブだ。あんた、俺を幾つだと思ってる」
「少なくとも私よりは年下です」
熟練のメイドに舌戦で勝てるはずもない。彼はすまし顔を睨むに留める。
「はいはい二人ともそこまでね。いいじゃない、女遊びが激しい人よりずっと素敵よ」
「俺はお嬢様に恩を返さなきゃならないんです。遊んでいる暇なんてありませんよ」
「もうっ、堅くるしいわね」
レネットはかわいらしく頬を膨らませたかと思うと、くるりとメイドを振り返った。
「それでマリー、何か用事があったのではないの?」
「はい。本日は夜会がございますのでそろそろご支度を」
「ああ……!」
形の良い唇から絶望の声が漏れる。少女の夜会やお茶会嫌いは、家の人間なら誰もが知るところだ。
「そんな憂鬱そうになさらずに。ああ、まずは服をきちんとお召しになって」
「だってマリー、あの人たちって他人の悪口と自慢しか話題がないのよ?! 家族のこととか身体的な特徴だとか、そういうのを影でわらうのは卑怯だわ」
「お嬢様がご自身に恥じない言動をされているのなら問題ありませんよ。さ、椅子におかけください」
「あ、でもこれも悪口になってしまうのかしら? それは嫌ね」
文句を言っても社交の場には招かれ続けているのだから、レネットも務めはしっかりと果たしている。メイドと使用人と護衛がそれぞれ数人、大きな家ではないが貴族と呼ばれる立場にあって、本音ばかりでは生きていけない。
礼儀作法に疎いテオドールも、場をわきまえる理性は身につけたつもりでいる。彼女が社交の場へ出かける時は傍にいるのが当たり前。それもこれも、他の者には任せられないからだ。
何しろ同僚は、腰に爆弾を抱えた老人や、たかが水汲みで筋肉痛になる庶務担当など。となれば必然、荒事に備えるのは彼の役割となった。
「テオ。いつも言っているけど、あなたは無理をしてついてこなくてもいいのよ? 今日の夜会は大した身分の人も来ないし……」
「そう仰って、この前みたいなことがあったらどうするんです」
「剣を抜いたのはよくなかったけれど」
「そのほうが手っ取り早いでしょう」
先日の夜会でのこと。元から不仲を囁かれていた男性貴族同士が、ちょっとした小競り合いを起こしたのだ。酒のせいもあり掴みかかるまでに発展したそれを、テオドールがずけずけと間に割り込んで力ずくで止めたのだった。
傍観する気だったが、グラスの破片がレネットの足元に飛んできたので。彼女に危害が及ぶなら、何をおいても片付けねばならない。衛兵からの事情聴取から解放された後、彼は真っ先に主へと、わずかな間でも傍を離れたことを詫びた。
「務めですから。お嬢様が俺をクビにしたいのなら別ですが」
「まさか!」
メイドの手で少女に化粧が施されていく。それをなるべく見ないようにしながら「では、俺はこれで」とテオドールは部屋を辞した。「坊やも着替えていらっしゃいな」と追いかけてきた声にはそっと顔をしかめる。
政治的な駆け引きはわからない。それを考えるのはレネットとその親の仕事だろう。ただ彼のやるべきことは、この少々おてんばなお嬢様を守ることだと、それだけは十年前から決めているのだ。