わたしは自然に生きることだけを望みます
親同士が姻戚関係にあることからか、わたしたちは幼い頃からよく一緒に遊ぶことが多かった。わたしは外を駆け回るのが好きで、アードは本を読むのが好き。対照的な二人ではあったけれど、不思議とぶつかることもなく、お互いの好きなものを尊重しながら楽しく交流ができていたと思う。わたしの鬼ごっこにアードを付き合わせたり、アードが好きだという読書にわたしが付き合ったりもした。わたしたちの関係を言葉で表現すると何が一番しっくりくるだろう?友だち。親友。どれも合っているようで合っていない。両親にも言えない秘密を共有できる、言わばそう、相方のような関係というのがしっくりくるのかもしれない。アードは公爵家で、わたしは伯爵家という、本来ならこんなふうに気安く関係を持つことができないわたしたちが仲良くなれたのは、ある意味神様が与えたもうた奇跡なのだと思う。わたしにとって、アードも、この不思議な関係も、それほどに大切なものになっていた。
この国では12歳を迎えると、貴族は王立学院に入学することになっている。なっている、というのは適切ではないかもしれない。貴族としてまともな教育を受けることが難しい子息令嬢が通うことを推奨されている、のほうが近いかもしれない。ふつう貴族とは、家に家庭教師を呼んで勉学をするものだ。それをわざわざ学院に通うということは、お金がなく家庭教師が雇えない、教育をまともに受けられない家だと言うのと同じである。見栄っ張りの貴族が多い今の世の中で、学院に通うということは悪い意味で希少であり、貴族社会でも笑い者にされることは必至である。それでも貧乏から抜け出すには、もっと言うと子をまともにするには、やはり教育を受けなくてはならない。これは親としての務めである。そういうわけでわたしは、他の貴族たちから何と言われようとも、両親のために学院に通うことを決意した。
そのことをアードに話すと彼は楽しそうに笑って、
「僕も行こう」
とただ一言そう言った。
「アードは、素晴らしい家庭教師の先生方がいるじゃない。今さら学院に行かなくても大丈夫でしょう?」
「カレンが行くなら、僕も行く」
「変なの」
学院に行くことがどういうことかアードなら理解しているはずなのに。不思議そうなわたしの顔を見て、アードは楽しそうに笑うだけだった。
学院に入学するやいなや、アードは学院中の注目の的となった。公爵家の子息が入学した、なんて学院の歴史上そうあることではない。アードの周りには、男子も、女子も、常に誰かが囲んでいるような状態になってしまった。そんな彼が少し誇らしいような、相方が取られて寂しいような複雑な心持ちがしたけれど、わたしは変に誰かに目を付けられたくはないと学院の中ではアードと距離を置くことにした。アードもなんとなく察してくれたのか、誰かがいるときはわたしに話しかけてくることはない。わたしたちは生まれて初めて、同じ空間にいるのに一緒にいない、という体験を味わっていた。
「アード様、また学年一位なのね」
学院に入学して仲良くなった男爵家の令嬢エウレカはそう言ってアードに視線をやる。彼女はアードに憧れているというよりも、いつも噂の的になっているアードを興味本位で観察しているようだった。今日も今日とて人だかりの中心でアードは静かに微笑んでいる。
「そう」
「カレンったら、興味がないの?」
「興味がないわけじゃないわ」
「ふーん?でもいつも素っ気ないわ」
エウレカの言葉にわたしは一瞬詰まった。
「素っ気ないのではなくて、他に考えないといけないことがあるからよ」
これは嘘ではない。貴族として生きていくために、わたしにはまだまだ知識も教養もマナーも足りていないのだから。
「そういえば、今度のダンスパーティー、どなたにエスコートしてもらうの?」
この学院には、夏と冬に大きなパーティーが開催される。入学して初となるパーティーに、わたしは参加することができなかった。パーティーにはドレスが必要になるのだけれど、わたしの家に新しいドレスを用意する余裕はない。それはわかっていたので構わなかったのに、両親がわたし以上にそのことを悲しみ、冬は必ず参加できるようにとドレスを用意してくれているらしい。両親ががんばっている様子を見ていると、とても「いらない」とは言いづらく、わたしも冬のパーティーには参加するつもりだ。そして当然貴族のパーティーなのだから、エスコートは必須なわけで。
「まだ決めていないの」
「あら、子爵家の方からお声がかかっていなかった?」
エウレカは驚いたように声を上げる。そうなのだ、以前課題で同じ班になった子爵家の子息にエスコートさせてほしいと言われていた。本来なら喜ばしいことで、すぐに快諾してもよかったのだけれど、どうしてもそうできない理由が、あった。
「冬のエスコートは僕にさせてくれるよね?」
週末の学院がお休みになる日には、わたしとアードは昔と変わりなくお互いの屋敷を行き来してそれぞれのやりたいことを一緒にやっていた。そのときだけは昔に戻ったようにわたしたちはかけがえのない相方だったので、学院の話をすることはなかったのである。学院の話をしてしまうと、完全にこの関係が変わってしまうと、なんとなくお互いに思っていたからかもしれない。
「え?」
だからこそ、アードのこの申し出は意外だった。
「夏は欠席だったけど、冬は参加するんだろう?」
「まあ……そうだけど」
「だったら僕がエスコートしてもいいよね?」
アードにしてはめずらしく、強い口調である。
「でもわたし、ディーンにも声をかけられていて」
「……あの子爵家の」
わたしはアードの顔を見ることができなかった。見てはいけない、と直感的に思ったからである。何もやましいことはしていないはずなのに、まるでアードを裏切っているようで、小さな罪悪感が胸の内側を針のようにちくちくと刺していた。
「カレンは、どうしたい?」
アードの声は、いつもの穏やかな声音に戻っていた。思わず顔を上げると、燃えるような緋色の瞳と目が合った。彼の瞳の中のわたしは、まるで燃え盛る炎に包まれているようで、少しだけ恐ろしい気持ちになる。
「わたし、は……どうしたいんだろう?」
本当にわからなくて、すがるように見つめると、アードは目を細めて楽しそうに声を上げた。
「どうしたらいいって、それ僕に聞くの?」
「えっそんなに笑うこと?」
「カレンは本当にカレンだなあ」
あまりにもアードが笑うので少し恥ずかしくなってわたしは地面を見つめる。わたしの影とアードの影が重なってどちらがどちらの影がわからないくらいだ。
「ディーンのエスコート、受けなよ」
「いいの?」
アードの意外な答えに今度はわたしが素っ頓狂な声を上げる。
「僕は、アリシア嬢をエスコートするよ」
「美男美女でお似合いね」
わたしは笑顔で、そう言うことしかできない自分を、ほんの少し呪った。
アードはアリシア様をエスコートする。それは学院中に瞬く間に広まった。そして美男美女の組み合わせに、誰もがうっとりとしていた。あんなに気の合う相方だったのに、今彼の隣にふさわしいのはわたしではない。その事実が鉛のように重かった。わたしは結局ディーンのエスコートを断ってしまった。ディーンとわたしは、きっと「お似合い」だ。そんなことはわかっている。結婚相手として考えるなら、わたしたちはきっとふさわしい。それでも、どうしても、ディーンのエスコートを受けるわけにはいかなかった。理由はわからない、考えたくもない。
両親ががんばってくれたおかげで、ドレスは最新の流行を取り入れたわたしにも似合う落ち着いたデザインのものだった。それを着て、一人でホールに入る。一瞬だけ人々の注目を集めたけれど、誰もわたしのことは気にも留めない。大した家柄でない一人の娘が、一人でホールに入ってきただけ。それだけなのだから。
ダンスも踊らず、少しだけ料理を食べて、わたしはずっと壁に少しの彩りを与える一輪の花のようにぼんやりとパーティーを見守っていた。みんな笑顔でダンスをしたり談笑したりしている。ディーンは他の女性を伴って楽しそうだったし、エウレカもダンスをたくさん申し込まれていた。アードもアリシア様ととてもお似合いだった。一瞬だけアードと目が合ったような気がしたけれど、ここは学院だから、わたしとアードは最後まで話すことはなかった。
「どうしてディーンのエスコートを受けなかったんだ」
次の休日、アードは会うなりめずらしく苛立ちを隠さずに言い放った。
「ディーンのエスコートを受けると思ったから、僕はアリシア嬢をエスコートしたのに。カレンが一人でいるなんて」
「別にいいじゃない」
「良くない!」
アードがこんなふうに怒るのは初めてのことかもしれない。わたしは言い返す言葉が見つからずに黙り込む。
「カレンをたった一人で……声もかけられなかった」
「わたしが一人でいたかっただけだし、それに、アードとアリシア様とってもお似合いだったわ」
これは本当のことだ。アードとアリシア様はとてもお似合いで、二人でいることがとても自然で当たり前のように思えた。それはわたしだけでなく、あの場にいた全員が思っていたに違いない。
「そんなの嬉しくないよ」
「アードってば欲張りなのね」
「そうだよ僕は欲張りだ」
緋色の瞳が燃えている。
「僕は、欲しいものは、すべて手に入れたい」
アードの手がわたしの手首をつかむ。冬のせいか、瞳と違って指先はこおりのように冷たい。
「君が好きだ」
親同士が姻戚関係にあることからか、わたしたちは幼い頃からよく一緒に遊ぶことが多かった。わたしは外を駆け回るのが好きで、アードは本を読むのが好き。対照的な二人ではあったけれど、不思議とぶつかることもなく、お互いの好きなものを尊重しながら楽しく交流ができていたと思う。わたしの鬼ごっこにアードを付き合わせたり、アードが好きだという読書にわたしが付き合ったりもした。わたしたちの関係を言葉で表現すると何が一番しっくりくるだろう?友だち。親友。どれも合っているようで合っていない。両親にも言えない秘密を共有できる、言わばそう、相方のような関係というのがしっくりくるのかもしれない。だからこそ、わたしはアードの気持ちには答えられない、答えてはいけないと思った。わたしとアードの気持ちがどうであれ、わたしたちは傍から見たら対照的で、一緒にいることが不自然な存在だ。そんなわたしたちが一緒にいられたのは、お互いの屋敷という狭い世界の中だったからだ。しかし、わたしたちは学院という外の世界を知ってしまった。知ってしまったら、もとには戻れない。
「わたしは、アードのことを、大切な幼なじみだと思ってるわ」
アードの瞳から炎が消えた気がした。
「……そうか。やっぱりカレンは、カレンだね」
次の春に、アードとアリシア様の婚約が決まった。アードの両親も、わたしの両親も喜んだ。わたしもとても誇らしかった。二人は本当にお似合いで、そうなることがとても自然だったのだから。わたしはやっぱり、アードの好きな本を理解できないし、勉強も教養もマナーもアードのように身につかないし、誰の目にも留まらない平凡で取るに足りない貴族の令嬢なのだ。だからわたしの気持ちなんてものはなかったことにして、そもそも存在しないものとして生きていかなくてはいけない。きっとわたしがどんなに努力をしても、自然には逆らえない。自然はそれ以上の力でわたしを飲み込んで、あるべき姿にしてしまう。
「アード幸せになってね」
大切な相方に向かって、わたしは今、自然に笑えているだろうか?




