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魔法のランプとたったひとつの願い

作者: 前野

 むかしむかしあるところに、イタズラ好きの精霊がおりました。

 精霊は毎日のようにほかの精霊や人間たちにちょっかいをかけ、父である神様によく怒られていました。

 そんなある日、精霊が起こしたひとつのイタズラが神様の逆鱗に触れ、罰として魔法のランプに閉じ込められてしまいました。


『お前をランプから目覚めさせた人間を主人とし、その者の願いを3つ叶えなさい。お前が自分の過ちを反省するまで、そのランプから出ることは許さない』


 神様はそう言って、精霊を閉じ込めたランプを迷宮の奥深くへやりました。迷宮を攻略できるほどの力と度胸のある者だけが、精霊のもとへ辿り着くように。


 ですが、そんなところにあるものだから、精霊を呼び覚ます者はめったに現れません。精霊は、暗いランプの中で長い時間をひとりで過ごしていました。精霊は精霊ですから、何も食わずとも飲まずとも死ぬことはありません。ただ、退屈だという感情だけはあります。話し相手もいない、遊ぶ玩具もない。何もすることのない精霊は、ランプの中でただただ眠り続けていました。

 だからといって、早く呼び覚まされたいとも思いませんでした。人間たちの願いはどれもこれも似たようなものばかりで、彼らの願いを叶えることにも飽き飽きしていたのです。

 やれ金がほしい、やれ権力がほしい。そうでなければ永遠のいのちが、美貌がほしい。誰にも負けない力が、老いない体が、美しく従順な女がほしい——

 そんな願いを聞くたびに、精霊は人間という生き物に呆れるばかりでした。意地汚く強欲な彼らの願いが、精霊には理解できませんでした。


「まったく父様は、どうして人間なんかを気に入っているんだろう。あんな願いを叶えていったい何になるというの? ボクには理解できないよ」


 たったひとりのランプの中で、精霊はそう呟きました。誰にもこたえてもらえない疑問を抱きながら、またひとり長い眠りにつくのでした。

 そうして何百、何千年の時を、精霊はランプの中で過ごしました。



 だけどそんな精霊の日常は、ある人間との出会いによって大きく変化することになります。


「——やあ、新しいご主人様! ボクを目覚めさせたのは貴方かな?」

「……はっ!? ら、ランプの中から子どもが出てきた……!?」


 今回迷宮を攻略し精霊を目覚めさせたのは、銀髪銀目の青年剣士でした。彼は魔法のランプのことを知らなかったのか、精霊を見て大層驚きました。十歳ほどの少女がランプから飛び出してきたのですから、当然といえば当然です。

 精霊はそんな彼の様子も気にせず、うしろに編んだ黒髪をくるりと翻して言いました。


「あれ、おじさん、もしかしてボクのことを知らないの? ボクはランプの精。ボクを目覚めさせた貴方の願いを、なんでも3つ叶えてあげる!」

「おじ……っ!? いや、このくらいの子どもから見たら俺ももうおじさんか……まあいい、君、どこから来たんだ? 名前は? 女の子がこんなところにいたら危ないだろう」

「どこって、ランプの中からだよ。精霊であるボクには名前はないし、それに子どもでもないよ。こう見えて、おじさんよりずーっと年上なんだからね!」

「はいはい。それで、家はどこだ? 送ってやるから教えなさい」

「だーかーらー!」


 魔法のランプを知らないせいか、会話がまったく噛み合いません。精霊は進まない会話に苛立ち言いました。


「だから、おじさんの願いを3つ叶えなきゃ帰れないの! 帰ってほしいなら願いを言ってよ。ボクの持つ奇跡の力で、どんな願いでも叶えてあげるよ!」


 まあ、本当はいくつかできないこともあるんだけど……と心の中だけで呟いて、精霊はにっこりと笑みを深めました。

 そんな精霊に対し、剣士は呆れたような表情を浮かべます。


「願い事、か……。それでは、この迷宮を封鎖してくれないか? ここからあぶれた魔物が近隣の町を襲っているんだ。俺は魔物の討伐依頼を受けてきたのだが、いくら減らしても迷宮がある限り魔物は生まれ続ける。お前の奇跡の力とやらでここを封鎖してくれたなら、もう二度と町が襲われることはないだろう?」


 まったく信じていない様子の剣士でしたが、精霊の押しに負けてどうにか願い事を絞り出しました。何の遊びか知らないが、これで気が済むのなら……剣士がそう思っていると、


「なぁんだ、そんなこと? それくらい、お茶の子さいさいさ!」


 精霊は花が咲くような笑顔を浮かべ、何か合図でも送るように右手をスイッと振り上げました。

 するとどうでしょう、突然大きな地響きがしたと思ったら、ふたりのいた迷宮の入り口があっという間に土砂で埋まりました。そして驚く間もなく、その上から魔封じの結界が張られます。魔法に明るくない剣士でも、張られた結界が高位の魔法であることはわかりました。


「な、な、な……!?」

「これで信じてくれた? ボクが奇跡の力を持つランプの精だって。さて、これで貴方の叶えられる願いは残り2つだ!」


 小さな少女が起こしたとは思えない現象を前に、剣士はやっと目の前の子どもが本当に精霊なのだということに気づきました。無邪気な笑みも頼りない細い体も、そこらにいる子どもたちとまったく違わないというのに——

 驚き言葉を失う剣士に、精霊は言いました。


「さあご主人様、願い事をどうぞ!」





「なんでも願いを叶える『魔法のランプ』か……たしかに噂は聞いたことはある。が、ただの噂話、おとぎ話のようなものだと思っていた」


 剣士は精霊のいたランプをしげしげと見つめそう呟きました。精霊は、ランプのことも知らず迷宮にやってくるなんて奇特な人間だなあと思いつつ、


「知らなかったとはいえ、おじさんはこうしてボクを呼び覚ましたんだ。ラッキーだと思って願い事をすればいいよ」

「……そのおじさんと言うのをやめろ。お前は俺よりずっと年上なんじゃなかったのか」

「えー? じゃあご主人様?」

「それもダメだ。なんだかダメな気がする……」


 それならどう呼べばいいのだ、とむくれる精霊に、剣士はひとつため息をついて言いました。


「……ユキトだ。ユキトと呼んでくれ」

「ユキト、さん? さま?」

「さん」

「ユキトさん!」


 笑顔で繰り返す精霊に、ユキトはやっと満足したように頷きました。


「それで、その願い事の件なんだが——本当に何か願わなければお前は帰れないのか?」

「うん。だってボクはランプの精だもの。ボクを呼び覚ましたヒトの願いを3つ叶えること、それが父様がボクに与えた命令なの」


 精霊の説明にユキトは「なるほど」とつぶやき、腕を組んで悩み始めました。


「しかし、願い事と言われてもな……」

「なんでもいいよ! お金? 権力? 無敵のちから? 永遠のいのち——はさすがに叶えられないけど、似たようなことならできるよ!」

「いや、そのようなものはいらない」

「ええ? じゃあ何がほしいっていうのさ」

「何が、というか……あいにく俺には、奇跡の力を使ってまで叶えたい願いはないのだ」

「…………ええぇえぇええ!?」


 ユキトの言葉に、精霊は驚き叫びました。


「ないって、ないわけないでしょ! それじゃあ、食べきれないほどのご馳走は? 貴族のような豪邸は? 好みのタイプど真ん中の女性は?」

「そんなもの、あっても邪魔なだけだろう。奇跡の力で女性をどうこうするのも好かん」

「そ、それならこの世に二本とない魔剣はどう!? 単純に剣の腕を上げることだってできるよ!」

「魔剣……は心惹かれないでもないが、そういったものは己のちからで手に入れてこそだ。剣の腕に関してはなおさらだ」

「なにそれ……なんでそんなに無欲なの? ユキトさん、本当に人間?」


 精霊は信じられないものを見るような目で、ユキトをまじまじと見つめました。願い事をひとつもしない人間など、今まで出会ったことがなかったのです。


「でもそれじゃあ困るよ。ご主人様の願いを叶えなければ、ボクはランプの中に戻れない」

「ランプの中? お前の帰る場所というのは、このランプの中なのか?」

「うん、そうだよ。ボクは普段その中にいて、誰かに呼び出されない限り出てこられない。そして願いを叶え終わったらまたその中に戻って、迷宮の中でまた誰かがくるのを待つんだ」

「だが、この迷宮は封鎖されてしまったぞ? このままではランプの中に戻っても、誰も入って来られないのではないか?」

「あれ、ほんとだ!?」


 ユキトに言われて、精霊はやっとそのことに気づきました。このままでは、たとえ願いを叶えたとしても封鎖された迷宮の中にランプごと閉じ込められてしまいます。さすがの精霊も焦りました。


「ど、どうしようユキトさん。ねえ、さっきの願い事を取り消してもらうことって……」

「ここが解放されたらまた近隣の町に被害が出る。取り消すことはできない」

「だよねえ……。うう、どうしよう……」

「……」


 落ち込む精霊に、ユキトはしばし考えこんで言いました。


「——つかぬ事を聞くが、お前は自ら望んでランプの中にいたのか?」

「まさか、あんな何もないところ。父様に閉じ込められていただけだよ」

「それでは、こういうのはどうだろう。願い事のひとつを使って、お前をランプから解放するというのは」

「え……?」


 精霊は黙り込んでしまいました。そんなこと、考えたこともなかったのです。

可能か不可能かでいえば可能でしょう。精霊の持つ奇跡の力は、たいていのことなら叶えられるのです。ただ、ランプに繋がれてしまった状況では、主人の命でなければその力を振るえないというだけで。

 ですが、その奇跡の力もたった3つだけ。その貴重なチャンスを逃してまで精霊を解放しようとする者は、今までひとりもおりませんでした。とんでもなく無欲なこの男だからこそ思いついたことでしょう。


「もしそれを願ってくれるなら、とてもうれしいよ。だけど、いいの? そうしたらユキトさんの叶えられる願いは、たったひとつになってしまうよ?」

「そもそも俺には奇跡に頼りたいほどの願いなどない。この迷宮を封鎖させたのは俺だし、その迷惑料だとでも思ってくれ」

「ほんとに、ほんとにいいの……!?」

「ああ」


 小さく頷くユキトに、精霊は胸の内がぱあっと晴れるような思いがしました。

 もう帰らなくていいんだ、あの真っ暗で何もない空間に。ひとり眠りにつくことしかできない無為な時間に。


「それじゃあ、ボクはそのお礼に、ユキトさんのたったひとつの願いを全力で叶えるよ! ねえ、何がいい?」

「いや、だから俺には願いなどないと……」

「それなら、今から考えればいいよ! ユキトさん、旅人でしょう? その旅にボクも連れてってよ。旅の間に何か困ることがあったら、ボクの力に頼ればいい。そしてユキトさんのたったひとつの願いを叶えたら、その時はボクをランプから解放して頂戴。ね、いい考えでしょ?」

「た、たしかに旅の道中は困りごとが生まれやすいが——」

「だよね!? よし、じゃあ決まり! やったぁ、ボク、一度人間界を見てまわりたかったんだよね!」


 ハッと我に返った時にはもう時すでに遅し。精霊の押しに負け、ユキトは結局精霊と共に旅に出ることを了承してしまいました。満面の笑みを浮かべた少女の姿に、善良な剣士であるユキトはもう「否」とは言えなくなっていました。


「これからよろしくね、ユキトさん!」

「ああ、こちらこそ……」


 花ほころぶような笑顔の精霊と、はやくも後悔のにじむ表情の剣士。

これがふたりの冒険のはじまりとなりました。






◇◆◇






 精霊と剣士、変わり者ふたりの旅路は波乱万丈の連続でした。


 東から西へ、海から山へ、たくさんの国を訪れました。南の島にも極寒の地にも行きました。初めて海を見たときは、しばらく「この国から離れない」とごねて剣士を困らせました。

路銀稼ぎのために便利屋のようなこともしました。時には魔物の駆除を、時には街の清掃を。悪政を強いる貴族に灸をすえたことまでありました。依頼などなくても自らトラブルに首を突っ込むこともありました。ユキトは心根が優しく、困っている人がいると放っておけない質だったのです。

そんな彼を、精霊は理解できない気持ちで見ていました。なぜ赤の他人を無償で助けようと思うのか、彼の剣の腕ならこんな旅などしなくても楽に暮らせるはずなのに。そう思っていた精霊でしたが、ユキトの真似をして人助けをしてみると、助けた者から「ありがとう」と頭を撫でられるので、なるほどこれはたしかに悪くはないとも思いました。


 人間の世界は、精霊が思っていたよりもずっと広く、たくさんのものがありました。

 おいしいものをたくさん食べました。この世のものとは思えない味も経験しました。美しい景色を見ました。醜悪な場面にも出くわしました。猫を抱きました。雪だるまを作りました。柔らかいベッドで眠りました。危ない目にもたくさん遭いましたが、そのたびにユキトが守ってくれました。「ボクは精霊だから死んだりしないよ」と言っても、「俺が好きでやっていることだ」とユキトは譲りませんでした。海に日が落ちるのを見ました。朝焼けの中歌をうたいました。酒を飲むと、世界が何重にも見えるのだと知りました。二日酔いで立ち上がれない精霊を、心配そうに覗き込んでくる銀の瞳がきれいだと思いました。


 ランプの中とは正反対のこの世界を、精霊はすっかり気に入ってしまいました。そして、こんな世界に自分を連れ出してくれたユキトのことも、いつしかだいすきになっていました。

 ユキトは精霊のことを『ラン』と呼ぶようになりました。ランプのランです。ランは、口では「安直だ」とからかいながらも、だいすきなユキトがつけてくれた名前がうれしくてうれしくて仕方ありませんでした。


「世界ってこんなに広いんだねえ。ボク、知らなかったよ!」

「こんなの、まだまだ序の口だ。知っているか? この世界には氷だけでできた国も、一日中太陽が沈まない国もあるんだぞ」

「わあ、その国にも行ってみたい!」

「旅を続けていたらいつか行く機会もあるさ」


 こともなげに言ってのけるユキトにランは少しむくれて、彼の小指を無理やり自分の小指に繋げて指切りをしました。


「いつかちゃんと連れてってくれるって、約束ね!」

「……ああ、約束だ。世界中を共に旅しよう」


 ランはいつしか、ユキトのたったひとつの願いを叶えランプから解放されるときが来ても、彼の旅についていきたいと思うようになりました。ユキトの剣と、精霊であるランの魔法が加われば、きっと今まで以上に楽しい旅ができると思いました。


 旅の間、ふたりはいろいろな話をしました。

 神様の話、今まで出会った主人たちの話、ランプの中がどれだけつまらない場所なのかという話。旅で行った町の話、子どもに読み聞かせるようなおとぎ話、今夜の晩御飯の話。おしゃべりなランは昼夜問わず話し続け、無口なユキトもそれにつられるようにいろいろな話をしてくれました。

 ある時、ユキトはランにふと疑問を投げかけました。


「そういえば、お前はどうしてランプの中なんかに閉じ込められたんだ?」

「えー? なんでだっけ、忘れちゃったよ。何かイタズラをして父様にすっごく怒られたことだけは覚えてるんだけど……」


 首を傾げるランに、ユキトは心から神に同情しました。


「仕方ないじゃない、もう何百? 何千? 年前の話なんだから」


 ですが、そのあとに続いた言葉に絶句しました。


「……そんなに長くランプの中にいて、さみしくなかったのか?」

「さみしい?」


 ユキトの言葉を受け、ランは何度か瞬きをしたあと、ぽつりと言いました。


「……そうか、あれが『さみしい』っていう感情なんだね」


 ふたりはたくさんの話をしました。話をするたびユキトのことを知れるようで、ランはユキトと話をするのがとてもすきでした。

 だけど、ユキトには唯一、絶対に語らないことがありました。旅に出る前の話です。

 どんな場所で生まれどんな環境で育ったのか。親はどんな人か、友人はいたのか、恋人は。何を見て何を考え、どう生きていたのか——そして、どうして旅を始めたのか。こればっかりは、どれだけ尋ねても誤魔化すばかりで教えてはくれませんでした。苦々しい笑みを浮かべるユキトに、ランもいつしか過去について尋ねることはなくなっていました。


 だけどランは、ユキトのことがだいすきでした。だから、どうしても彼の役に立ちたいと思いました。そして、ランプに繋がれたランにできることは、たったひとつしかありません。ランはついに、ユキトにこう尋ねました。


「ねえユキトさん、そろそろお願い事をしてくれてもいいんじゃないかな?」

「——すまないが、いまだに願い事は思いつかん」

「うん、そう言うと思ったよ。でも、それ、嘘だよね」


 まっすぐとした目で言うランに、ユキトは戸惑いました。「嘘なわけないだろう」答えるユキトに、ランは小さく首を振りました。


「ううん、嘘だよ。本当は願い事なんて、とっくの昔に決まってるんでしょう? 本当に欲がないのなら、何か他人のためになるようなことを適当に願えばいいだけだもの。最初に迷宮の封鎖を願ったようにさ。チャンスはいっぱいあったはずだよ、この旅の間、困ってる人なんてたくさんいたんだから。……だけどユキトさんは、それをしなかった。それは、本当はユキトさんに叶えたい願いがあるからでしょう? 奇跡の力に頼らなければ叶いそうもない願い事が。……ねえ、教えてよ、貴方の本当の願いを。ボクは、貴方の役に立ちたいんだ」


 真摯な瞳でそう言うランに、これ以上誤魔化せないと思ったユキトは、ひとつ大きく息を吐いたあと、ゆっくりと語りだしました。

 それは、悲しい懺悔の話でした。


 ユキトは、とある王国の小さな村に生まれました。穏やかで平和な村でしたが、魔物の森が近くにあり、たびたび魔物に襲われることだけが悩みでした。

 そんな村に生まれたものですから、ユキトは幼い頃から「将来は剣士になり、この村を守ろう」と決意していました。その強い意志と努力のおかげで、すぐに村一番の剣士になりました。

 しかし、十代も半ばに差し掛かった頃、村人たちから「王都の騎士学校へ行かないか」と提案がされました。ユキトは最初は断りましたが、「この村のために剣の腕を更に磨いてほしい」と説得され、しぶしぶ王都へと向かいました。

 勤勉なユキトは、騎士学校でもたいへん優秀な成績を修めました。村人たちはそのことを我がことのように喜び、ユキトもまた、村人たちの期待に応えようと更に鍛錬に励みました。

 ですが、それがよくなかったのでしょう——卒業を控えたある日、ユキトはとある貴族の私設騎士団に勧誘されました。一介の平民が、貴族の誘いを断れるわけがありません。村人たちは「お前の剣はこの村で腐らせるよりも、貴族様や王族にこそ捧げるべきだ」と騎士団に入ることを勧めました。ユキトは、村人たちが最初から彼を村の外に出すつもりだったことを、このときはじめて知りました。

 ユキトは「村に何かあったときは必ず帰る」と約束し、騎士団へと入隊しました。ユキトは村人たちの言うとおり、貴族のため、領民のため、剣を振るい続けました。彼の活躍はすぐに広まり、遠い故郷まで届くほどでした。

 そんなある日のことでした。いつものように仕事に励むユキトのもとに、ひとつの報せが届きました。彼の生まれ故郷である村が、魔物の大群に襲われていると——

 ユキトはすぐに村へ向かおうとしました。ですが、彼の雇い主である貴族がそれを許しはしませんでした。


「お前は我が騎士団の中でもっとも剣の腕が立つ。そんな優秀な騎士が抜けて、私の身に何かあったらどうするんだ!」


 ユキトは絶望しました。雇い主である彼の言うことには逆らえません。ユキトに同情した騎士団長が貴族を宥めすかし、やっとのこと村へと辿り着いた頃には、故郷の村はすでに壊滅したあとでした。


 村のために磨いた剣だったのに。自分のために尽くしてくれた村人たちに恩だって返せていないのに——

 ……ユキトは気づけば、ボロボロになった故郷から逃げるように知らない町へと足を向けていました。そしてそのまま騎士団へも戻らず、あてどない旅へと出ました。ただその行く先々で、誰か困っている者のため剣を振るい続けました。まるで贖罪のように、ただただひとり、旅をつづけました——


「——願い事なんて、3つもいらない。たったひとつだけでいい。あの村を、救いたい。あの時に戻って村人のために剣を振るいたい。彼らを助けたい。彼らのいのちを、取り戻したい……!」


 すべてを語り終わったユキトは、吐き出すように、言葉を嚙み潰すように、苦しげに言いました。

 泣いているのかと思いました。だけど涙は一粒もこぼれていませんでした。そのことがむしろ、ランには悲しくて悲しくて仕方ありませんでした。


「……奇跡の力にはいくつか制限がある。時間に関わることといのちに関わることは、いくらボクでも叶えられないんだ。それができるのは父様だけだよ。……ごめんね」

「……そうか。いや、薄々わかっていた。だから言い出せなかったんだ……すまない」

「どうして、ユキトさんが謝るの……!」


 申し訳なさそうに微笑うユキトに、ランは泣いてしまいたい気持ちになりました。何も悪くないのに、自分を責め続けるユキトが悲しくて仕方ありませんでした。そして同時に、ユキトの、だいすきな人のたったひとつの願いすら叶えられない自分が、悔しくて悔しくて仕方ありませんでした。

 悲しくて、悔しくて、ランはとうとう泣き出してしまいました。わんわん声を上げて泣きました。本当は泣きたいのはユキトのほうなのにと思うと、泣いている自分が情けなくて更に涙がこぼれました。戸惑うユキトに抱き着いてまた泣けば、ユキトは戸惑いながらもそっと抱き返して、頭を撫でてくれました。大きな手があたたかくて、優しくて……ランはその手がとてもとてもすきだと思いました。


 ——枯れるほど泣いて、やっと落ち着いた頃。ランはユキトの腕の中でぽつりと言いました。「ユキトさんの故郷に行こう」

 突然の誘いにユキトは驚き拒絶しましたが、ランはめげずに言い募りました。


「もうずっと戻っていないんでしょう? そのあと村がどうなったのか、ユキトさんだって気になるはずだよ。——失ったいのちや時間を取り戻すことはできない。だけど今、今だからこそ、村のためにできることだってあるはずだよ!」

「だが今更俺が戻ったところで、何ができるわけでも——」

「だからボクがいるんじゃない! ねえ、命令してよ。ボクなら貴方の願いを、どんなものでもたったひとつだけ叶えることができる。ボクは、貴方のためにこのちからを使いたい。貴方に、幸せになってほしいんだ!」

「ラン……」


 まっすぐなその瞳に、ユキトはもう逆らえませんでした。おずおずと、ユキトはランの小さな手をとりました。子どものような柔い手のひらが、今は何よりも大きく強く感じました。






◇◆◇






 ユキトの故郷へ辿り着くまで、半年の時間がかかりました。海を渡り、山を越えました。「こんなに遠くまで来ていたんだな」と呟くユキトに、ランは「それだけたくさんの場所で人を救ったんだね」と微笑みました。


 そうしてやっと辿り着いた故郷の村は——当たり前ですが何も残っていませんでした。壊れた家屋や荒らされた畑すらもう跡形もありません。

 変わり果てた故郷の姿に、ユキトは何も言いませんでした。何も言えなかったのかもしれません。悲しいとも悔しいともとれる複雑な横顔を、ランは黙って見守りました。


 少しひとりにしたほうがいいかな——そう考えたランは、そっとユキトから離れ、村の跡地を散策するように歩き出しました。ヒトの住まない数年の間に草木だけが成長したその場所は、まるで天然の迷路でした。ふらふらとあてどなく彷徨っていると、村のはずれでそれ(・・)を見つけました。


「——ユキトさん! ユキトさん、こっちに来て!」

「っ、ラン!?」


 突然叫ぶように名を呼ばれ、ユキトは焦ったようにランのもとへ向かいました。何かあったのかと心配するユキトとは裏腹に、ランは満面の笑みを浮かべています。


「なんだ、突然叫んで。あまり驚かせるな」

「いいからこっちこっち! ほら見て!」

「だからいったいなんだと——」


 ユキトは言葉を失いました。ランに腕を引かれ行った先には、ユキトの身長ほどの大きな石碑と、その周りを囲むような白い花畑があったのです。


「ね、見てみて、すっごくきれいな花畑でしょ?」

「これは——ドゥリスの花?」

「知ってるの?」

「ああ、俺の村でよく墓に供えられていた花だ。魔物除けの効果もあって、墓が魔物に荒らされないようにと……だがこんな花畑、以前はなかったはずだ。石碑だって——」


 信じられないとばかりに目を見開くユキトに、ランは「誰かが植えてくれたんだね」と微笑みました。


「この花も、石碑も——ユキトさん以外にも、この村のことを忘れないでいてくれた人がいたんだね」


 ユキトは、ランのその言葉に、喉を引きつらせ膝から崩れ落ちてしまいました。


「俺は……! 俺はなんて愚かだったんだろう……! 俺はただ、逃げていただけだ。贖罪の旅だなんてただの言い訳だった。ただ怖くて逃げただけだ。何もできなかった自分を受け入れられなくて、現実から目を背けただけだ。お前のせいだと、なぜもっと早く帰らなかったのだと、責められるのが恐ろしかった。たとえあの時村を救えなかったとしても、やれることはいくらでもあったはずなのに……墓を作ってやることも、花を手向けてやることも、俺はしなかった……っ!」


 空気を震わすような激しい慟哭でした。ユキトがこの数年間ずっと内に抱えていた感情なのでしょう。

 ランはしゃがみ込んだユキトに合わせて少し屈むと、俯いた頬に両の手を添え言いました。


「ねえユキトさん、もう自分を許してあげてよ。貴方を許していないのは、この世界で貴方だけだよ。村の人たちはユキトさんが村の外で生きるのを期待していたのでしょう? 過程はどうあれ、貴方はその剣を世界中の人のために振るったんだ。喜びこそすれ、責めるなんてするわけがないよ」

「人のためなど……あれはただの自己満足だ。自分が救われたいがために、他人を救っていただけだ」

「それの何がいけないの!? 自己満だろうがなんだろうが、ボクはユキトさんに救われたよ。その事実だけは、たとえ貴方にだって否定させない!」

「俺が、お前を、救った……?」

「そうだよ! 貴方がいなきゃ、ボクはまだランプの中にいたんだ。真っ暗な中ひとりでさみしくてさみしくて、その気持ちが『さみしい』だって気づかないまま、今でも眠っていたんだよ」


 ランはそう言いながら、自分の目からぽろぽろ涙がこぼれているのに気づきました。それを見上げるユキトの頬にも雫が落ちて、ユキトの方まで泣いているかのようでした。


「あの暗闇から、ボクを連れ出してくれてありがとう——ユキトさんがいなかったら、ボクはこんなにきれいな花畑を見ることもできなかった」


 ランはそう言って、呆然と自分を見つめるユキトの頭を抱きしめました。そしていつか彼がしてくれたように、銀の髪を優しく撫でました。

小さな手が自分の頭を撫でるのを、ユキトは不思議な気持ちで受け入れていました。そして、他人にこうされたのはいったいいつ以来だろうとぼんやりと考えました。

気づいたら、彼の頬を一筋の雫が流れていました。細く頼りない腕の中で、ユキトはやっと涙を流したのです。自分の目からあふれるあたたかい液体に、自分が泣くのはいったいいつ以来だろうと考えました。考え出したら嗚咽まであふれてきました。子どものようにしゃくりあげて泣くユキトを、ランはいつまでもその腕に抱き留めていました。





「——ねえユキトさん、願い事は決まった?」


 ふたり、泣くだけ泣いて、やっと落ち着いた頃。ランは改めてユキトにそう問いかけました。


「……いや、まだだ。何かこの村のためになることを、と思っていたが——奇跡の力に頼らずとも、できることをしている者たちがいると思うとな」


 ユキトは、目の前の花畑を見て言いました。その表情は先程までとは違い、どこか晴れ晴れとして見えました。

 そんなユキトを見て少し微笑んだランは、


「それなら、これからはユキトさんの願い事を見つけるための旅に出ようよ!」

「俺の、願い事?」

「うん! だって、贖罪の旅はもう終わりにするんでしょ? それなら、次の旅の目標が必要じゃない。せっかく奇跡の力を使う権利があるんだから、考えて考えて、とっておきの願いを叶えようよ! それに、言ったでしょ? ボクは貴方の願いを叶えたいんだって。叶えさせてよ!」


 打って変わって明るく言い放つランに、ユキトは面食らったようにぱちぱちと何度か瞬きをしました。そして、ふっと破顔して言いました。


「そうだな——お前と一緒なら、それも悪くない」


 今まで見たこともないような柔らかい笑みに、ランは胸がドキリと跳ねるような思いがしました。ユキトが笑ってくれてうれしいという感情とはまた別の、不思議な気持ちでした。


 初めての感覚に首を捻るランに、ユキトは「そろそろ街へ戻ろう」と声をかけました。それに返事をしようとした瞬間——

 ガサッと草を踏み潰すような音がして、ユキトはハッと剣を構えました。まさか魔物か——そう思い警戒していると、


「……なんだ? おまえら、見ない顔だな。こんなところで何してるんだ?」


 草むらから顔を出したのは、ランとそう年の変わらない少年でした。邪気のない乱入者にふたりは目を丸くしました。


「ボクたちはただの旅人だよ。君こそ誰? こんなところにひとりで、なんの用?」

「俺か? 俺は——」

「——こらっ、ルカ! 勝手に行っちゃダメでしょう!」

「あ、姉ちゃん!」


 その少年のうしろから、今度は若い女性が現れました。年の離れた姉弟なのでしょう、たしかにその容姿はよく似ていました。


「なんか変な奴らがいたんだよ。旅の人なんだって」

「旅? こんな何もない場所になんで旅の人が——」


 その女性は、弟の言葉にやっとランたちのほうを向きました。そうしてふたりの姿をその視界におさめると、


「あなた——————まさか、ユキト……?」

「…………サク?」


 亡霊でも見たような声で、ユキトの名を呼びました。ユキトもまた驚きに目を見開き、彼女のものであろう名前を呼びました。


 ふたりはそのまま、黙り込んで見つめあいました。ランは、何が起こっているかわからず、そんなふたりをただ見つめました。

 ふたりのことは何もわかりませんでしたが、胸のうちにもやもやとした何かが広がっていくのだけはわかりました。





「——突然こんなところに連れてきてしまってごめんなさいね。ええと、はじめまして、ランちゃん。私の名前はサク。こっちは弟のルカ。ユキトの幼馴染なの」

「はじめ、まして……」


 あのあと、「姉ちゃん、こいつ誰?」というルカの一言でやっと我に返ったサクは、「立ち話もなんだから」と言ってランとユキトを小さな集落に案内しました。

 そして、その集落に辿り着くと、ユキトは言葉を失いました。その集落には、ユキトの故郷の生き残りたちが住んでいたのです。

 魔物の襲撃の際、運よく逃げ切れた者、用事があって村を出ていた者など、生き残った村人がいたのです。サクやルカもそのうちのひとりでした。そしてそんな生き残りたちが集まり、以前の村からそう離れていないこの場所に、新しい集落を作り暮らしているのだといいます。


「以前の村はあれから魔物がよく出るようになって、住めたものじゃないの。ドゥリスの花畑を作ったり、対策はしたんだけどね」

「それで新しく集落を作ったのか? ここだって森から遠いわけじゃない、危険だってそう変わらないだろうに」

「ええ、だから街へ移り住んだ人ももちろんいるわよ。だけど……やっぱりみんな、故郷からは離れたくなかったのね。ここに残った人が大半だったわ」


 そう言ってサクは、呆れたように笑いました。へにょりと眉を下げたその表情は、とてもやさしいものでした。


 サクは、ふたりに集落を案内してくれました。よそ者に最初は警戒していた村人たちでしたが、ユキトだと知るとすぐに彼の周りに寄ってきました。

 「ユキト、お前無事だったのか!」「失踪なんてしやがって、どれだけ心配したと思っているんだ」「でっかくなったなあ」「というかお前、いつのまにこんな大きな子どもをこさえたんだ?」——

懐かしい顔、もう死んでしまったと思っていた顔に触れ、ユキトは喜びの涙を流しました。笑いながら泣くフォルトに、村人たちは「なんだ、ユキトもまだまだ子どもだなあ」とその銀髪をぐしゃぐしゃにかき混ぜました。


 その様子を見て、ランは自分の胸があたたかくなるような感覚がしました。いつだって冷静で無表情なユキトが、子どものように泣いて笑うのを優しい気持ちで見ていました。

 ——だから言ったじゃないか、誰も貴方を責めてなんていないって。

 自分が彼に言ったことがまるきり正解だったことを、誇らしくすら思いました。


「それじゃあ、この集落にいる間はこの家を自由に使って。ほかにも、何か不便があったらいつでも声をかけてね」

「ああ。何から何まですまないな」

「あとこれ、ランちゃんに。少しだけどおやつを用意したの。よかったらどうぞ」

「あ、ありがとう。サク……さん」

「ふふ、どういたしまして」


 サクはふたりのために豪勢な夕飯や、今夜の寝床として空き家まで用意してくれました。小さな弟がいるからか、ランに対する気遣いも忘れません。


「それじゃあ、おやすみなさい——」


 そう言って空き家を出ようとして……サクは立ち止まり言いました。


「……ねえユキト。今日は私が村のことを話したんだから、明日はあなたが旅のことを話して聞かせてよね」


 振り返った彼女の瞳には、うっすらと涙の膜が張っていました。震えた声でサクは続けます。


「本当に……本当に心配したんだから。あなたがあの時村に戻っていたって聞いて、あなたまで魔物に襲われてしまったんじゃないかって、ずっと不安だった。もう二度と……会えないかと思ってた」

「サク……」

「お願い。もう二度と、私に黙っていなくならないで。あなたがどこにいるのかもわからず待ち続けるのは……とても、とても怖かった……!」


 涙ながらに訴えるサクに、ユキトもまた瞳を揺らしました。「……すまなかった」やっとのことでそう絞り出し、彼女の涙をぬぐう様を、ランは静かに見上げていました。


「……約束する。もう二度と、お前に黙っていなくなったりしないと」

「本当?」

「ああ、本当だ——」


 月の光がふたりを照らしていました。その光景はまるで、ユキトがいつかしてくれたおとぎ話の王子様とお姫様のようでした。

 おとぎ話からはずれた場所で、ランは黙ってふたりを見ていました。喉の奥が熱くて、痛くて仕方ありませんでした。ユキトが幸せそうに笑うのを幸せな気持ちで見ていたはずなのに、いまだけは胸のうちがずっしり重く感じられました。おいしそうなおやつなのに、サクがもってきたそれを食べたいとは思えませんでした。





 「しばらくは村のために動きたい」とユキトが言ったため、それからふたりは集落に住み込み働き始めました。

 小さな集落です、人手は常に足りず、ユキトのような若い男はどこでも引っ張りだこでした。ランもまた、「宿と飯のぶんくらいは」と頼まれごとをよく引き受けました。だけどそれは力仕事を多く引き受けるユキトとは被らず、ふたりは離れて生活することが多くなりました。いつどこにいても一緒だった旅の間とは、正反対の生活でした。


 代わりに、ユキトの隣にはサクがいるのをよく見かけました。仕事を頼んだり頼まれたり、夕飯のお裾分けに来てくれたり、ただ雑談をしているだけのときもありました。まるで今までの埋め合わせをするように、サクはユキトに会いに来ました。ユキトの方も、そんなサクを迷惑がることなく、むしろ旧知の者と話せるのを喜んでいるようでした。

 その様子を、ランはおもしろくない気持ちで見ていました。もうしばらくの間、ランはユキトとまともに話をしていません。一緒にいる時間がないからです。自分がユキトと離れて仕事をしているときに、遠目にユキトとサクが話しているのを見ると、なんとも言えない感情で胸がいっぱいになりました。


 ユキトは、村のために尽くすこの時間を生き生きと過ごしました。旅の間は一度だって見せなかったそんな姿を見ていると、ランはだんだん苛立ってくるようになりました。そしてそんな自分に戸惑いました。

 ——どうして? ボクはユキトさんが幸せそうなのが、うれしかったはずなのに。

 もやもやとしたその感情は、ユキトの隣にサクがいるときに更に深まりました。時にはそのもやもやに任せて、ふたりが談笑しているところに首を突っ込んでは、ユキトにわがままを言ったりもしました。だけど長い旅の間にランのわがままに慣れていたユキトは、ハイハイとそれをいなすばかりです。サクもまた、まるで実の弟を嗜めるように優しくランを諭しました。聞き分けのない子どもに対するようなそれが、ランには余計腹立たしくてなりませんでした。


 そんなある日のことでした。


「おいお前! サク姉ちゃんとユキト兄ちゃんの仲を邪魔すんなよな!」


 ビシリと人差し指を突き出してそう言ったのは、サクの弟であるルカ少年でした。ランとルカは見た目の年齢が近いためか、よく一緒に手伝いを任されていました。この日も集落のほど近くで薬草集めをしてこいと、ふたりで言いつけられていたのでした。


「邪魔? 邪魔なんてしてないよ。ただふたりで話しているところに割って入ってるだけ」

「それが邪魔だって言ってんだよ! 姉ちゃんもユキト兄ちゃんも、ふたりで楽しそうに話してるだろ!? なんでわざわざ邪魔すんだよ!」

「そんなの、ボクだってユキトさんとお話したいのに、なんでボクだけ我慢しなきゃなんないのさ!」


 怒ったように言うルカに、ランも負けじと言い返しました。胸の奥がむかむかしました。どうしてそんなことを他人に言われなきゃいけないのか、理解できませんでした。


「あのなあ、お前はガキだからわかんねえのかもしれないけど、姉ちゃんと兄ちゃんは今イイカンジってやつなんだよ! お互いもう会えないと思っていた想い人と数年ぶりに再会したんだぞ!? 一分一秒一緒にいたいに決まってるじゃねえか」

「イイカンジ? オモイビト? なにそれ、どういう意味?」

「なんでわかんねえんだよ! だから、ふたりはもう結婚まで秒読みなんだから、邪魔すんなって言ってんの!」

「け、……っこん?」


 いくら人間の常識に疎いランでも、結婚くらいはわかります。おとぎ話のお姫様と王子様がしていたことです。それをしたふたりは、末永く幸せに暮らすのです。

 だけどそれをユキトがするなんて、ランは想像すらしていませんでした。今初めて想像して、腹の底がカッと熱くなるのを感じました。


「そんなことするわけないじゃない! ユキトさんは、ボクと世界中を旅するって約束してるんだ!」


 勢いのまま、ランはそう言いました。ルカは一瞬ビクリと怯えて、だけどすぐに言い返しました。


「それこそそんなわけねーよ! あのユキト兄ちゃんが、姉ちゃんを、この村を、二度も見捨てるもんか! お前みたいなガキ連れて、また旅なんてするわけない!」

「するよ! だって約束したんだもん! それに、ボクはガキじゃない! この村で一番年上なんだからね!」

「んなわけねーだろ! そういうところがガキだって言ってるんだよ!」


 ふたりは額を押し付け合って、キャンキャンと喧嘩し始めました。端から見たら子犬のじゃれ合いのようでしたが、ふたりにとっては何より重要な言い合いでした。


「だいたい、なんでケッコンなんかしなくちゃいけないのさ! 今までだってしなくても問題なかったんだから、これからだってしなくていいじゃない!」

「今までとこれからは違うだろ!? ふたりとももう大人になったんだから、結婚するのが普通なんだって!」

「フツウ? フツウって何さ!?」

「ふ、普通は普通だよ! 普通、大人になったら誰かと結婚して、子ども生んで、家族で幸せに暮らすんだ。それが普通で、当たり前で、一番幸せなことなんだって、母ちゃんが言ってた!」

「……そんなのなくたって、ボクはユキトさんといられたら幸せだもん!」

「あっ、おい!?」


 ランは、それ以上ルカに言い返す言葉が思い浮かばなくて、集落へと駆け戻っていきました。言い負かされたというよりも、理解できなかったのです。彼の言う『普通』というものが。それを理解できない彼女には、これ以上口論することすらできなかったのです。


 ランは、ただユキトに会いたくて走りました。理解できないはずのルカの言葉が、胸に重くのしかかっていました。誰かと結婚するのが、『当たり前』で『幸せ』なのだと、ルカは言いました。それなら、ユキトの願いを叶えて彼を『幸せ』にしたいと思っていた自分は、ユキトとサクの仲を取り持つべきなのでしょうか——?

 集落に辿り着いたランは、ユキトを探し回りました。目立つ銀髪が目に入って、ほっと息をつきます。


「ユキトさ——…」


 声をかけようとして、立ち止まりました。ユキトの周りには、たくさんの村人たちが集って談笑していました。ユキトも、周りの村人も、安心しきった幸せそうな笑みを浮かべています。男も女も、年寄りも子どももみんな。そして、ユキトの隣には、当たり前のようにサクがいました。


 ランは、胸の奥がじくりと痛むのを感じました。

 ——どうして、ボクはそこにいないのに、ユキトさんはあんなに幸せそうにしているんだろう。ボクは、ユキトさんがいなきゃ幸せって思えないのに。

 ほの暗い思いが頭を支配しました。喉がカラカラと乾いて痛いほどでした。ユキトの顔は、一緒に旅をしていたどんな時よりも、ずっと輝いて見えました。


 これが、ルカの言っていた『普通』なのでしょうか。それならば、人間にとっての『普通』とは、なんと痛く重く、苦しいものなのでしょうか。いっそあの場からユキトを連れ去ってしまいたいと思うのは、ランが人間ではなく精霊だからなのでしょうか——


「……ラン?」


 そこで、立ちすくむランを見つけたユキトが声をかけてくれました。村人たちの輪からはずれてこちらに来てくれるのを、ランはうれしいと感じました。


「ラン、どうした? 今日はルカと薬草摘みに行ったんじゃなかったのか?」

「——ねえ、ユキトさん」

「ん?」


 ユキトは、ランと視線を合わせるように、その長身を屈めてランの顔を覗き込みました。そしてその時やっと気づきました。ランが、今まで見たこともないほど青ざめた顔をしていたことに。


「ユキトさん、ボク、もうこの村を出たい。はやくまた旅に出ようよ。約束したじゃない、太陽の沈まない国を見ようって。世界中を旅しようって。ユキトさんの『たったひとつの願い』を見つけるために、旅に出ようって——!」

「それは……」


 切羽詰まったように言うランに、ユキトはあからさまに戸惑ったような顔をしました。そしてチラリと伺うように、村人たちのほうに視線をやりました。そちらまでは声が届いていなかったのでしょう、視線の合ったサクだけが、不思議そうに首を傾げました。

 ユキトはそれを視界に収めると、


「——すまない、ラン。お前ともう一度旅に出ることはできない」


 そうランに告げました。


「——なんで!? 約束したじゃない!」

「……ああ」

「約束を破るの!? 指切りをしたのに、約束だって、言ってくれたのに……!」

「ああ、すまない。——だけど、やっぱり俺は、この村のために尽くしたい。この村に残り、あの時できなかったことをしたいんだ。今度こそ、故郷のために剣を振るいたい」

「……っ!」


 申し訳なさそうに、だけどはっきりと言い切るユキトに、ランは絶句しました。


「——ユキトさんの嘘つき!」


 やっとそれだけ言い返すと、ランはユキトを振り切りひとり空き家へと戻りました。


 ——それからユキトとランは、ほとんど会話をしませんでした。ユキトのほうから声をかけても、ランは布団に籠って返事のひとつもしませんでした。

 ユキトは相変わらず、朝早く起きては夜遅くまで村のために尽くしていました。ランは空き家に籠るばかりで、たまにユキトが持ち帰る食べ物すら口にしませんでした。ランは精霊です。精霊は、食わずとも飲まずとも死なないのです。何もないランプの中で、長い間そうしてきたように。


「どうしてだろう。ここは外の世界なのに、ユキトさんもすぐそばにいるのに——まるでランプの中にいるときみたいだ。ランプの中にいるときみたいに、すごく、『さみしい』んだ……」






◇◆◇






 ランが引き籠るようになってから、しばらくが経ちました。

 ランはいつしか、はやくユキトの願いを叶えてランプから解放されたいと思うようになりました。そして、はやくこの村を出ていきたいと。

以前は、ランプから解放されてもユキトについていきたいと思っていました。だけど今は、ユキトがこの村に残り続けるのなら自分はそばにはいられないと思い始めていました。だってこの村にいるユキトを見ると、胸が苦しくなるのです。こんな苦しい思いを抱えたまま、ユキトのそばにいるなんて無理だとランは思いました。


「……ランプから解放されたら、どうしようかなあ。ひとりで旅をするのもつまらないし、父様もところにでも戻ろうか……」


 ひとりきりの家の中で、ランは誰に言うでもなく呟きました。ユキトは村の衆との会合に顔を出しているようで、お月様が空高く昇っても帰ってきませんでした。


「ああでも、ボクがちゃんと反省したんでなく奇跡の力を使って出てきたって知ったら、父様に怒られるかなあ……」


 自分の過ちを反省するまで、そのランプから出ることは許さない——ランをランプに閉じ込める際、神様はそう言いました。ユキトのことですから、ランが頼めば『たったひとつの願い』すら叶えずにランを解放してくれるでしょうが、また父に怒られるのは嫌だなあとランは思いました。


「そういえばなんであのとき、父様はあんなに怒ったんだろう」


 ランは、当時のことを思い出してふと疑問に思いました。ランは昔からイタズラが好きで、ランプに閉じ込められる以前もよく神様に怒られていたのです。だけど、罰を受けるほど怒られたのはあれが初めてでした。

 何がそんなに神様の逆鱗に触れたのでしょうか……そうだ、たしかあのときのイタズラの相手は、ひとりの人間だったのです。神様は人間という生き物が好きで、よく人間たちの生き様を観察してはランたち精霊に話して聞かせてくれたのでした。

 そう、たしかあのとき、神様には殊更お気に入りの人間がいて——


「——ラン? まだ起きていたのか?」


 うしろから声をかけられて、ランはハッとして振り返りました。ユキトでした。ランがあれこれ考えている間に帰ってきていたのでしょう。

 ばっちり合ってしまった目と目に、何も言わないのもおかしい気がして、ランは小さく「おかえり」と言いました。そんなランにユキトは少し驚いた顔をしたあと、困ったように笑って「ただいま」と言いました。言葉を交わしたのはずいぶん久しぶりな気がしました。


「……こんな時間まで起きていたら大きくなれないぞ」

「……ボクは精霊だから、成長なんて概念はないよ。ユキトさんこそ、毎日飲み歩いていたら肝臓悪くするよ」

「毎日ではない。今日だって、ただ話し合いをしていただけだ」

「どーだか」


 そうは言いましたが、ユキトから酒の匂いがしないことにはランも気づいていました。だけど久々に交わす言葉に、なんだか胸がこそばゆいような気持ちになって、それをごまかすようにわざと悪態をついたのです。

そんなランの内心になど気づかない様子で、ユキトはそっぽを向くランのそばに近づいて言いました。


「ラン、——もし俺が、願い事が決まったと言ったら、お前はどうする?」

「え——?」


 思いがけないその言葉に、ランは驚き固まりました。


「そ……んなの。喜んで叶えるよ。ずっとそう言ってるじゃない」

「……俺は変わらず、3つ目の願いにはお前のランプからの解放を願おうと思っている。ランプから解放されたあと、お前はどうするつもりだ?」

「……さあ、どうだろうね。いい加減人間界にも飽きたし、父様のところにでも戻ろうかな。……そうしたら、ユキトさんともお別れだね」

「……そうか」


 吐息まじりのその声が、やけに耳に残りました。音のよく響く夜の空気が、こんなにも気まずい気持ちにさせるなんて初めて知りました。


「——ラン、聞いてくれ。やっと、願い事が決まったよ」


 ずっと待ち望んでいたはずのその言葉は、今は何よりランの胸を切り裂くものでした。


「数年前の魔物の襲撃——その原因がわかったんだ。魔物の森のずっと奥に、ドラゴンが住み着いていたらしい」

「……なるほど。それで森にいた弱い魔物たちが逃げ出して、その大群が村を襲ったってわけだね」

「そうだ。今もまだ、村の跡地には頻繁に魔物がやってきているらしい。この集落の近くまで迷い込むこともあるそうだ。——俺は、この集落を危険から守りたい」

「うん、わかった……それで、ボクは何をすればいいの? そのドラゴンを封印する? この集落に結界を張る? ああ、それとも今度こそ、ユキトさんを世界最強の剣士にしてあげようか!」

「いや、そんなものはいらない」

「ええ、また!?」


 ズタズタな内心を誤魔化すように努めて明るくそう言うと、ユキトはいつかのようにそのすべてを拒否しました。


「たしかに、最初からすべてお前のちからに頼ったほうが確実なのだろう。だが、俺は俺のちからで村を救いたい。今度こそ、己の剣をこの村に捧げたいんだ。……しかし、やはり相手はドラゴンだ。俺のちからだけでは心許ない。だから、お前のちからを借りたい。——ラン、俺と一緒に戦ってくれないか」


 いましがたランを切り裂いたのと同じ声で、ユキトはランを心から喜ばせました。ただランを頼るのではなく、『一緒に』と言ってくれた——それは、旅の間中ずっと「ユキトの役に立ちたい」と考えていたランには、何よりもうれしい『お願い』でした。

 目の奥が熱くて、泣いてしまいそうでした。それが喜びの涙なのか、それとも哀しみの涙なのか、ランには判断がつきませんでした。


「——ユキトさんらしいね」


 ランは、震える声でそれだけ呟きました。最後まで、奇跡の力に頼るのをよしとしなかったひと。自分のちからで戦うことをあきらめなかったひと……。

 こんな人に最後に会えたのだから、自分のランプの精としての生活も、悪いものではなかったのかもしれないとランは思いました。

 そうして、瞼の裏まであふれかけていた涙をぐっと我慢して、大きく笑顔を作って言いました。


「——任せて、ユキトさん! ご主人様のその『お願い』、このボクが絶対に叶えてあげる!」





 ドラゴンに挑むその日、たくさんの村人が見送りにやってきました。たくさんの薬草や、水や食べ物をもらいました。ランも同行すると知った村人たちはそれはそれは焦りましたが、実はランは凄腕の魔術師だったのだと言ってどうにか収めました。

 その中でも、サクの取り乱し方は異常なほどで、自分にも同じ年ごろの弟がいるからでしょうか、最後までランの身を心配してくれました。——いえ、それだけではないのでしょう。ランを心配しているのも本当でしょうが、それ以上に彼女はユキトのことが心配なのです。ユキトが危険な目に遭うのが怖くて、また自分を置いて行ってしまうのではないかと怖くて、ユキトの補助をするのがこんな子どもだというのが不安で仕方ないのでしょう。……その気持ちは、ランにも痛いほどわかりました。


「ユキト、どうか無事で……絶対、ちゃんと帰ってきてね」

「ああ、当たり前だ。今度こそ、お前たちのことは俺が守る」


 ——ふたり見つめ合うのを見ると、やっぱり胸が痛みました。だけどもうそれを見るのが最後だとわかっているからか、いつもよりは平気な顔でいられました。


「おい、ラン」

「……ルカ、くん」


 そんなランに、ルカが話しかけてきました。そういえば、彼と顔を合わせるのはいつかの口喧嘩以来です。その時のことを気にしているのか、バツが悪そうに目線を逸らし、ルカは言いました。


「……あの時はごめん。お前の気持ち考えずに、俺、いろいろ言っちまった」


 ランはぽかんとしました。まさか謝られるとは思っていなかったのです。


「お前、ユキト兄ちゃんのことが好きだったんだな」

「すき? うん、だいすき、だよ?」


 続いた言葉に、ランはそう返しました。「すき」という言葉を発するのに、前より少しだけ勇気が必要でした。


「いや、そういう『すき』じゃなくて! っとにもー、なんでお前そんなにガキなんだよ……」


 首を傾げるランに、ルカは大きくため息をつきました。「ガキ」という言葉にランはムッとします。自分はここにいる誰より年上だと、前にも言ったはずです。膨れ面を見せるランに、ルカは呆れたように言いました。


「あのなあ、『すき』って気持ちにも、いろいろあるんだよ。たとえば、俺はサク姉ちゃんのことが『すき』で、サク姉ちゃんはユキト兄ちゃんのことが『好き』だけど、そのふたつの『すき』は全然違うものだろ?」

「……うん? 何が違うの?」

「な、何が……!? えーと、だから、サク姉ちゃんはユキト兄ちゃんのことが一番で、特別で……えっと、できる限り一緒にいたいと思うし、幸せになってほしいとか、笑っててほしいとか思ったりするような……?」

「ううん? じゃあルカくんは、サクさんのことは一番で特別じゃないの? 一緒にいたいとも思わないし、幸せを願ったりもしないの?」

「んなわけねーだろ! ああもうだから、そういうんじゃなくて……!」


 ルカは、うまく言葉が見つからないもどかしさに自分の頭をガシガシとかきむしりました。ランはそんなルカを見て、頭の上のクエスチョンマークを膨らますばかりです。


「——ああ、そうだ! 結婚したい『好き』ってことだ!」


 そうして、やっとしっくりくる答えを見つけ、晴れやかな笑顔でそう言いました。


「けっこん?」

「そうだ! 結婚したい『好き』っていうのは、その人にしか向かないものなんだ。俺は、サク姉ちゃんのことはもちろんすきだけど、ユキト兄ちゃんのこともすきだし、父ちゃんも母ちゃんもすきだし、お隣のおばちゃんも近所の犬もみんなすきだ。でもそれは、結婚したい『好き』じゃない。みんなだいすきだけど、たったひとりに向けた特別な『好き』じゃない」

「たったひとり……とくべつ……」

「ああ。家族とか、友達とか、そういうひとに向けるのとは違う『好き』があるんだ。そしてそういう『好き』を——『恋』って呼ぶんだ」

「恋……」


 ルカの拙い言葉は、だけどランの心にストンと落ちてきました。

 自分とユキトの結婚を思い浮かべると、胸の奥がきゅうっとして、幸せな気分になりました。なぜだか頬が熱くなって、全身がくすぐったくて、いたたまれないような気持ちになりました。

ああ、ボクのユキトさんへの『好き』は、そういう意味の『好き』なんだ。この気持ちは、『恋』という名前だったんだ——ランはその時やっと、自分の中にあった感情をしっかりと自覚しました。

 そして同時に、心の底から悲しい気持ちになりました。だって、今更気づいたところで、それは叶わぬ想いです。今日、ドラゴンとの闘いが終わったら、ランは神様のもとへ帰るのですから。もう自分と旅はしないと、フラれてしまったあとなのですから——


「ううん……こっちこそ、怒っちゃってごめんね。それから——ありがとう。この気持ちの名前を教えてくれて」


 ランはそう言って、ルカに別れを告げました。ユキトのもとへ戻り、村人たちに見送られながら森へと入っていきました。





「……さっき、ルカとなんの話をしていたんだ?」


 森へ入り、遭遇した魔物を何体か仕留めたあと。ユキトは世間話でもするような声色でランに尋ねました。


「んー? 何って、そうだなあ……サクさんとユキトさんが、イイカンジだっていう話?」

「はっ!?」


 ランもまた平然を装って答えると、予想外の言葉にユキトは驚いて声を上げ、目の前の魔物への攻撃をはずしてしまいました。すかさずランが魔法でフォローに入ります。


「もうっ、こんなことくらいで動揺しないでよね! これから強敵に向かうっていうのに」

「……すまない」


 ぷんすかと頬を膨らませるランに、ユキトは気まずそうに目を逸らして謝りました。

 『一緒に戦ってほしい』という願い事によって、ランは今、本来持っている精霊としてのちからを自由に使えるようになっていました。魔法を使うのは数千年ぶりですが、ランはそのちからを使うのに一度も戸惑いはしませんでした。ユキトの剣技との息もぴったりで、それを言うと「いつもそばで見ていたからね」としたり顔で笑いました。

 森は、ランが思っていたよりもずっと深く、魔物にも多く遭遇しました。ですが、剣と魔法の名手であるふたりにとって敵ではありません。なんでもないような会話をしながら、奥へ奥へと足を進めます。


「ユキトさんは……サクさんと、恋人だったの?」


 なんでもない会話の途中で、ランもまたユキトに尋ねました。


「……まさか。騎士学校を卒業したらそのまま騎士団に入ったからな、最後に顔を合わせたのだっていつのことだか……」

「でも、好きだったんだね」

「……」


無言は肯定でした。口を閉ざしてしまったユキトを見て、ランはひとり納得しました。

 ずっと不思議だったのです、ユキトがあの日、村を見捨てて旅に出たことが。ユキトは責任感も故郷愛も人一倍強い性質です。それなのになぜ、生き残りの確認すらせず村を離れたのか——おそらく、サクが原因です。ただひとり、サクの死を受け入れたくなかったから。サクの亡骸だけは、どうしても目にしたくなかったから……


 それからはもう、ふたりは無言で歩きました。

 深い森の中、斃された魔物の断末魔だけが響いていました。




 ——やっと森の最奥へと辿り着きました。少し開けたその場所に、大きなドラゴンがたしかにいました。

 地龍でした。龍族のなかではそれほど高位の個体ではありませんでしたが、この森に住むような低級の魔物や、武力を持たない村人たちにとっては脅威でしかありません。その姿を見て、ユキトは「今ここでこいつを倒さねば」と改めて心に誓いました。


 先手を打ったのはユキトでした。まだこちらにも気づいていない無防備な後ろ姿に、重い一撃を叩き込みました。「グルォオオオァウォオオオ!!!」地を這うような鳴き声を上げる地龍に、すかさずランが魔法を放ちます。傷口に塩を塗られた地龍は、今度こそ憤怒してふたりに向かってブレスを放ちました。ユキトはそれを飛び跳ね回避し、ランはそれを更に庇うようにシールドを張りました。

ランは補助魔法を駆使し、時にはスピードを、時にはパワーを上げ、怪我があれば素早く回復魔法をかけました。ユキトもランの補助にすばやく対応し、多少危険でも急所を狙いにその懐へと入っていきました。

 ……それはいっそ蹂躙といっていいほど、一方的な戦いでした。相手をしているのがどちらか一方ならともかく、お互いを高め庇い合うことができるふたり相手ではなすすべもなく——最後にユキトによって頭から両断され、ドラゴンは息絶えました。


「……終わっちゃったね」


 ドラゴンの瞳から光が消えるのと同時に、ランからも『願い事』によって得ていた本来の力が抜けていくのがわかりました。戦いが終わったのです。村を、脅威から救ったのです。


「これでお別れだ」


 ランはユキトを振り返り、笑って言いました。その表情は、さみしそうにも悲しそうにも、いっそ晴れ晴れしたようにも見えました。


「もう行くのか」

「うん。ユキトさんの願いを叶えた今、ボクがあの村に残り続ける意味がないもの」

「……お前は村を救ってくれた。帰ったら歓待を受けられると思うぞ」

「救ったのはユキトさんだよ。ユキトさんが『お願い』しなきゃ、ボクは何もできなかったんだから」

「だが、」

「ユキトさん」


 ランは、小さな頭をふるふると横に振って、ユキトの言葉を遮りました。ユキトは何か言いたげに息を吸い、それをそのまま飲み込み、小さく「お前には感謝している」と告げました。


「お前がいたから、今俺はこうしてここに立っている。お前がいなければ、今もまだ贖罪の旅だと自分に言い訳して、あてどなく世界を彷徨っていただろう。自分の罪から目を逸らしたまま、生き残った村人たちとも……サクとも、出会えぬまま」

「……うん」

「ありがとう——お前が俺をここに連れてきてくれた。泣くこともできなかった俺の代わりに、お前が泣いてくれた。お前がいたから、贖罪のためだと思っていた旅すら楽しかった。……お前に会えて、よかった」

「うん……」

「もう一度旅に出るという約束は守れなかったけれど、お前を解放するという約束は守る。……今まで、本当にありがとう」

「——うん、こちらこそ。ユキトさんみたいな人が、ボクの最後のご主人様でよかった」


 ユキトが自分との別れを惜しんでくれているというのは、ランにもわかりました。普段寡黙な彼が、これだけ言葉を尽くしてくれているのですから。

 だけどいつまでもこうしているわけにはいきません。ユキトには、待っている人がいるのですから。

 ランは顔を上げて、大きく笑顔を作って言いました。


「さあ、ご主人様。3つ目の願いをどうぞ!」


 ランの笑顔に、ユキトは心を決めたようにランの目を見つめ返しました。そして口を開きます。「3つ目の願いは——」


 ——瞬間、耳をつんざくような咆哮と、立っていられないほどの地響きがふたりを襲いました。


「な、何……!?」

「ッ、ラン!」

「っきゃあッ!?」


 危険を察し動いたのは、ユキトの方でした。ユキトはランにのしかかるように飛びつくと、そのまま揃って地面を転がりました。混乱するランの瞳に映ったのは、木々の影から放たれた特大のブレス——そして、それを放ったのであろう、先程の地龍よりもう一回り大きい別の地龍の姿でした。


「う、うそ……まさか、母龍……!?」


 先程倒した地龍とよく似た、それよりも大きな体。そしてどう見ても憤っているその様子——それは、子どもを殺された母の、行き場のない怒りの目でした。


「……、う゛……っ!」

「っ! ユキトさん、大丈夫!? な、何この怪我……!」


 と、そこでやっと、自分に覆いかぶさったままのユキトが大怪我をしていることに気が付きました。ランを庇ったときに負ったのでしょう、肩から背中にかけてできた焼けたような傷跡から、ドクドクと血が流れ赤い水溜まりを作っています。


「——ばか、ばか! なんで庇ったりしたの!? ボクは精霊だから死なないって言ったじゃないか!」


 視界いっぱいを埋める赤に、ランは焦ってユキトを責めました。もう『願い事』の効力は切れてしまっています。今のランに、ユキトの怪我を治す手立てはないのです。


「すま……ない……。お前は、俺の、恩人だ……。傷ついた、姿など……見たく、なかった……」

「なにそれ……わかんない、わかんないよ。どうして自分より他人を優先させるの? 恩があるからって、だからって……!」

「ち、がう……それだけじゃ、ない……っげほっ、がはっ!」

「っ! もういい、もういいよ、しゃべんないで! 待って、今薬草を——」


 ランが村人から預かった薬草を取り出そうとすると、その細腕をユキトの手が掴みました。


「ちがう……恩、だけじゃない。お前のことが——好きだからだ」


 そして、今にも消えてしまいそうな声で、そう言いました。


「え——?」

「たとえ、死ななかった……としても……お前が、傷つくところ……なんて……見たく、ない……」


 ユキトは、笑っていました。全身血みどろになって、痛くて苦しくて仕方ないだろうに、それでも、慈愛にあふれたような瞳で、優しく笑ってランを見つめていました。


「なに……それ……」


 ランは、信じられないような気持ちでその顔を見つめ返しました。そして思いました。この表情を、どこかで見たことがある、と。

 ——ああ、そうだ。この顔は、父様と同じ顔だ。いつも人間界を見下ろしていた時の顔。ボクがイタズラしたあの(・・)ヒトを、見つめていたときの表情(カオ)——


「……ラン、頼みがある。俺は今から3つ目のお願いとして、お前をランプから解放する。だから——神の御許へ行く前に、村へと行ってくれないか。そして、『逃げろ』と伝えてくれ。このドラゴンの怒りに触れて、魔物たちがまた暴走する前に」

「……っ!? 何言ってるの!? それじゃユキトさんが……!」

「俺のことはいい……! このままじゃどうせ助からん……だからせめて、村にこのことだけでも——!」

「、そんなの……っ!」


 ——どうして。

 ランは思いました。

 ——どうして、3つ目の願いを使ってこの場をどうにかしようと思わないの?


 ランの奇跡の力を使えば、このドラゴンを倒し、ユキトも村も救うことができます。それなのに、なぜ、自分を解放することを優先しようとするのか……。


 ——ああ、思い出した。思い出してしまった。どうしてボクがランプに閉じ込められたのか。どうしてあの時あんなに、父様が怒ったのか……


 ランは、その時すべてを思い出しました。すべてを思い出して、とてもとても泣きたい気持ちになりました。

今までユキトと過ごした思い出が、走馬灯のように頭を駆けめぐっていきました。出会ったばかりの頃、いろいろな国を旅したこと、この村へやってきたこと、そして今、「好きだ」と言われたこと——


 ランがちらりと視線をやると、母龍は少し離れた場所でこちらを伺っていました。子どもをあっという間に倒してしまった相手の力量を警戒しているのでしょう。

 これだけ離れている今なら——ランはゼイゼイと息をするユキトの手を握り、覚悟を決め言いました。「ユキトさん、3つ目の願いを使って、『村を救え』と願って」と。


「な、にを……!? そんなことをしたら、再びランプの中に閉じ込められてしまうんだぞ……!?」

「うん、わかってる。わかって言ってる。——だけどいいんだ。ボクだって、ユキトさんのことが好きだから」

「——っ!」


 ランの言葉に、ユキトは目を丸くしました。


「本当はさみしいよ。またひとりランプの中で過ごさなきゃいけないなんて、こわくてさみしくて仕方ないよ。だけどいい……それでもいい。さみしくても、こわくても、貴方のいない世界ならどっちも変わらない。貴方が生きている世界にいられるなら、あとは全部どうだっていい!」


 涙がボロボロとあふれてきました。生温い雫たちが、ユキトの血まみれの頬を更に濡らします。


「それに、わかってるんでしょう。ボクが村へと向かったって、被害は少しじゃすまない。みんなを無事に終わらせるんなら、これしか方法はないんだよ。——だからお願い、願って、ユキト!」

「————……!」


 ランの言葉に、ユキトは苦々しい顔を浮かべ——そして、願いました。


「……ラン、3つ目の願いだ。どうか——『この村を、守ってくれ!』」


 ユキトの言葉と共に、ランの体に奇跡の力が巡りました。これが正真正銘、最後のお願いです。


「——お安い御用さ、ご主人様!」


 明るい声色でランが言い放つと、ふたつの魔法陣が母龍と、倒れ伏したユキトの下に構築されました。転移陣です。そしてその行先はそれぞれ別の場所……ユキトは村の中に、すぐに手当てをしてもらえるように。そして母龍の行先は——


「まあ正直適当だから、海の中や火山の中だったら、ごめんね?」


 悪いなんてちっとも思っていない顔で、ランはそう言いました。母龍は何をされたのか理解すると同時に暴れ出しましたが、もう転移陣は発動しています。今から何をしたところで、ふたりに危害を加えることは不可能でしょう。


 転移魔法が発動しだすと、ランの体もまた、ランプに吸い込まれるように少しずつ透けていきました。3つの願いを叶え、役目を果たしたランプの精は、あとはランプに還るだけです。それを見てユキトは、苦しそうに声を漏らしました。


「すまない、すまない、ラン……!」

「……いいんだよ、ユキトさん」


 ……初めて名前をつけてくれたひと。名前を呼んでくれたひと。頭を撫でてくれたひと。手をつないでくれたひと。泣いているところを抱きしめてくれたひと。おいしいものを食べさせてくれたひと。きれいな景色を見せてくれたひと。優しくしてくれたひと。この世界に、連れてきてくれたひと。


「ありがとう——大丈夫だよ、ボクにはもう、貴方との思い出がある。貴方を好きだってこの気持ちだけで、ボクはこれからも、どんな世界でだって、きっと生きていけるんだ!」


 ——たとえそれが、どんな暗闇の世界だって。


 微笑むランの姿に、叫ぶ声はもう聞こえませんでした。






◇◆◇














『——————目が覚めたか、我が娘よ』

「………………とう、さま……?」


 ふと気づくと、そこは真白な空間でした。そして、目の前にはランの父——この世界の父である神様が立っておりました。懐かしいその顔に、自分は神の御許へと帰ってたのだとランは気づきました。


「どうしてボクがここに……? 3つ目の願いは転移のために使ったはずなのに」

『覚えていないのか? 私は、お前が過ちを反省するまでランプから出さないと言ったのだ。……お前はもう、私がなぜあの時あれほど怒ったのか、理解したのだろう?』

「あっ……」


 その一言で、ランはすべてを理解しました。


「うん……思い出したよ、ボクがあの日したイタズラのこと。いや違う、あれはイタズラなんかじゃなかった。ボクは——人間を、さらったんだ」


 ——それは何百、何千年前の話です。まだランがこの天界で、神様のそばで暮らしていた時のこと。

神様は人間という生き物が好きで、よく観察してはランたち精霊にその話を聞かせてやっていました。そしてその人間のなかでも、殊更お気に入りの者がいたのです。神様はいつもその人間を、ただただ見守っておりました。困りごとに手助けをするでもなく、あえて困難をぶつけるでもなく。

 神様は、その人間のことが好きだったのです。だから、ランはその人間のことを天界へと連れてきました。神様の愛する者を連れてきたら、きっとたくさん褒めてもらえると思ったからです。


「実際は褒められるどころか、怒られてランプにまで閉じ込められちゃったけどね」


 その人間は、突然連れ去られたことに絶望し、そのまま衰弱して亡くなってしまいました。哀しみも不幸も争いもないこの天界に来られたことが、どうしてそんなに不満なのかランには理解できませんでした。

 ——だけど今ならわかります。あの人間がこの場所を拒絶した理由も、神様があれほど激怒した理由も。


「父様は、あの人間のことが好きだった。本当に、心の底から……。……だけど、だからこそ、自分のそばになんて置きたくなかった。あの人が一番幸せだと思う場所で、ただ幸せに過ごしてほしかったんだ」


 言いながら、涙があふれてきました。自分よりも、相手が幸せであることを望む——それは、身を挺してランを守ったユキトが見せた感情と同じでした。それは、ランプから解放されることよりも、ユキトが生きることを望んだランの感情と同じでした。


「ボクがあのヒトを、父様の大切な人を殺した……! ——ごめんなさい、ごめんなさい……っ!」


 今更自分のしたことを思い、ランはわんわん泣きました。神様は、そんなランの小さな頭にポンと手を置き、『もういい』と呟きました。


『私たちのような存在は、人間たちにとって時に理不尽だ。簡単に幸せにできるし、不幸にもできる。それを、多くの人間と触れ合うことで学んでほしかった。……気づいてくれてよかったよ、ラン』


 神様は、そう言って優しくランの涙を拭ってくれました。その瞳には、もう怒りは見えません。ほんの少しのさみしさと、慈愛の色だけがありました。


『さて——罰とはいえ、お前は今まで多くの人間の願いを叶えてきた。褒美に何かひとつだけ、お前の願いを叶えてやろう』

「ボクの願い?」

『ああ、そうだ。なんだっていいぞ。どこかに行きたいのなら行かせてやるし、何かになりたいのならそうしよう』

「なりたい、もの……」


 ランは、ごくりと唾を飲み込みました。ふとユキトの顔がちらつきましたが、首を振って振り払いました。

 目を閉じて、じっくりと考えます。自分が叶えたい願いとはなんだろうか——振り払ったはずのユキトの顔が、瞼の裏にこびりついて離れませんでした。


「それなら——それならボクは、もう一度ランプの精になりたい!」


 そうして見つけ出した答えを、ランは神様に告げました。


『もう一度ランプの精に? それがお前の願いなのか?』

「うん! ねえ聞いて、父様。ボク、人助けの旅をしたんだよ。世界中を旅してまわって、困っている人たちを助けたんだ。みんな『ありがとう』ってボクの頭を撫でるの。とてもうれしかった……だから、ボクはもう一度誰かの役に立ちたい。父様からもらった力を、誰かのために使いたいんだ!」

『……本当にそれでいいんだな? 願いはたったひとつしか叶えられないのだぞ?』

「もちろん、わかってるよ」


 ランはまっすぐに言い切りました。そんなランを見て、神様は『……成長したのだな』と呟きます。


『わかった。それではその願い、私が叶えよう————』


 神様が言うのと同時に、ランの体が消えていきます。ランプに吸い込まれていく感覚の中、ランは神様に向かって精一杯の笑顔を残しました。


「……ありがとう、父様」






——————————————————————————————————…………

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 ————————それから、どれくらいの年月が経ったでしょう……


 ランは、再びランプの中で眠りにつきました。ランプは神様の手によって、世界のどこかの迷宮へと送られました。迷宮は深く、ランプのある最奥まで辿り着く者はなかなかいません。ランは再び、真っ暗なランプの中でひとり過ごさねばなりませんでした。


 だけど不思議と、さみしくはありませんでした。目を閉じれば、ユキトと過ごした日々が昨日のことのように思い出されたからです。愛おしいあの日々が、ランに力を与えてくれました。


 ——次にボクを目覚めさせてくれるのは、いったいどんなヒトなんだろう。できることなら、ユキトさんみたいな人がいいなあ。そうしてまた、旅に連れて行ってもらいたい。ああ、でも、悪いことばかり願うヒトに見つけられたら、どうしようかなあ。どうにか言いくるめて、いい願い事ばっかり叶えてしまおうか——


 ……そうして未来を夢想しながら、どれくらいの月日が経ったでしょうか。やっと、迷宮を攻略し、ランを目覚めさせる者が現れました。久々の外の世界に、ランは張り切って声を上げました。


「——やあ、貴方が新しいご主人様かい? ボクはランプの精! 貴方の願い事をなんでも3つ、叶えて——」


 だけどその言葉は、中途半端に途切れてしまいました。


「……精霊よ。願い事など3つもいらない。たったひとつだけでいい」


 落ち着いた低い声。あちこちはねた銀の髪。見上げるほどの長身に、腰に下げた大剣。顔も雰囲気も、記憶の中のそれよりも年を重ねたその剣士は——


「……今度はボクのこと、ちゃんと知っててくれたんだね、おじさん」

「おじさんではない。俺よりずっと年上だと言ったのはお前のほうだろう」


 いつか聞いたようなセリフでした。ランは平然を装って、だけど我慢できずに震えた声で言いました。


「ふふっ、もう世間的にもおじさんって言っていい年齢でしょう? ねえ、新しいご主人様——願い事は、お決まりですか?」


 ランはそう言って、銀の瞳をまっすぐ見上げました。少し皺の寄った目元を緩ませて、剣士は大きな手を彼女に差し伸べました。


「ああ、願い事などとっくに決まっている——来てくれ、ラン。俺と一緒に、世界中を旅しよう!」

「——うん、連れてって、ユキトさん! 世界中どこだって、この世の果てまで!」



 ——むかしむかしあるところに、剣士と精霊がおりました。ふたりは世界中を共に旅し、いたるところで多くの者を救い————いつまでも末永く、幸せに暮らしたのでした。






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