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ざまぁ男子部/センチな男たち短編

溝の入ったレコード

作者: 絶縁宣言

2020-05-24「Pixiv」に投稿したものを転載。

 玄関のドアが閉まる音がした。僕は背を向けたまま、その音を確かに耳にした。

 そして、彼女が今回もまた間違いなく帰ってこないことを理解すると、静かにため息をついた。

どうしてこう、人間関係と言うやつはうまくいかないのだろう。将来を約束した男女であろうと、あるいはすでに誓った男女であろうと、平気でその約束を破るし、踏み倒す。



「不変ではないことだけが、唯一不変である、ってね」


 おどけて賢者の金言を取り出したところで、状況に変化が訪れるわけではない。


 彼女は何かしら僕に失望を覚え、共同生活を送ることに苦痛を感じるようになり、そこに意義を見出せなくなった。

 ゆえに彼女は僕との関係を解消した。それだけのことである。


 僕の部屋で生活していた彼女と違い、僕は彼女の部屋にまともに足を運んだこともない。彼女は僕をこの一室の付属物か何かと勘違いしていたのではなかろうか。

 まるで世間で流行ってる断捨離そのものである。

 とまあ、今回の一件で得た教訓をノートにまとめる。ノートを何冊変えたかは覚えていない。記録は積みあがっていくけれど、振り返ったことはない。

 どうせその必要もないのだから。



 僕は親父の形見であるラジオを引き寄せた。今ではもう雑音しか発することのない、卓上用のそれは、今も光沢を失わない。ただ、メイド・イン・ジャパンの刻印だけが、年月を感じさせる。


 ほとんど文字が消えたつまみを握り、目を瞑る。二人の不和は、どのあたりから予兆があったのか。

 文系脳で拙い統計学を弾き出し、大体の見当をつける。

 カチ、カチ、カチと、目盛りを刻む音がくっきりと響き、僕はゆっくりと息を吐き出した。



「またラジオいじってる」

 彼女の声が聞こえた。



「親父の形見だからね。どうしても直したくなるのさ」

 僕はラジオを定位置に戻しつつ答えた。いつものように、何事もないかのように振り返れば、本当に、何事もなかったかのように、出ていったはずの彼女がそこにいた。



 ピンク色のエプロンに、おそろいの三角巾。片手にはおたまを握っている。

「なに?」

「いや、気合が入ってるなあ、と思って」

「ま、ね。卒業したら、プロの栄養士になるわけだし」

「そうだね。まるで、三分クッキングの先生みたいだ」

「なにその、見え透いたお世辞」


 ふんと軽く鼻を鳴らした彼女は、そのままキッチンへと引き返す。キッチンと言っても、このワンルーム、ぽつんと一ヶ所唐突に置かれているわけだから、振り返りさえすれば部屋を一瞥できる。彼女も、そのままおたまをほっぽり出していつでも出ていくことができるわけだ。



 そう、『先ほどの彼女』のように。

 僕はラジオの電源を切って、レコードプレイヤーの電源を入れた。冨田勲のシンセサイザーが流れ出した。

 


 彼女が作っていたのは、焼き飯にコーンスープというシンプルな代物だった。

「ちょっと時間がなかったから」

 と、彼女は言い訳がましく言う。自分の発言を踏まえて、これが本来の自分の実力じゃないんだぞ、と言わんばかり。

「いやいや、おいしそうだよ」


 僕は言う。まぎれもない事実だ。

 恋人の手料理。好きな相手と共に囲む食卓。二人だけの時間。

 早速スプーンを握って焼き飯を掬う僕に、彼女はじっとりとした視線を送る。



「……何か?」

「私、自分が恋愛するときは、こんな人をパートナーにするんだろうな、ってイメージがあったのよ」

「僕みたいな?」

「真逆よ。ちゃんと食事をして、最低限の身だしなみをして、うるさくない相手」

 つまり僕は、彼女が欠点だと思う要素をすべて満たしている男らしい。

「だったら僕は、いずれ捨てられるってことかな」



 口にほおばったご飯が意外にも熱を持っていて、僕は慌てて口内のご飯に必死に息を吹きかけた。誤飲しないように気を付けながら、近くの麦茶を手繰り寄せる。

 そんな僕の滑稽な動きを笑うわけでもなく、彼女はこちらを見据えたままだ。


「アンタは当然顔で家事をさせるわけではないけれど、日によって平気で絶食するし、服はいっつもスーツみたいなやつばっかりだし、食事中どころか一日中音楽をかけてる始末なのよね」

「長年の習慣は、なかなか抜けなくてね」



 軽くスプーンで皿をつつく。カン、と乾いた音がした。



 少しだけ。

 本当に少しだけ、彼女にばれないように上目遣いで様子をうかがう。僕の回答に対し、彼女はどのような反応を見せているのか。眉間に皺はよっていないか、視線が泳ぐことはないか、頬が痙攣するようにひきつることはないか、嚥下しているわけでもないのに喉が上下することはないか。瞬きの回数が増えてはいないか。

 それらの要素は、今のところどこにも見られない。彼女は食事中にもかかわらず、食卓に肘をつき、頬杖をついて僕を見つめた。



「でも、それらをひっくるめても――というか、そういった要素が、本当にどうでもよくなるのよね」

「ん?」

「なんか気になって、自然にこうやっているのが当たり前になっているというか、なんていうのか。うまく言えないんだけど、もう長いことずっとアンタと、この部屋で暮らしているような気がするのよね」

「同居してるからじゃないかな」

 と僕は答える。

「同棲じゃないの?」

「そうなのかな。辞書引けば、どっちが適切かはわかるだろうけどさ」



 その時、僕はふと思いついて、彼女の錯覚を理由に、切り出した。



「もし――もし仮にだ。本当に長いことずっと暮らしているとすれば?」

 彼女が眉を顰める。当然だ。自分の錯覚を肯定されれば困惑せざるを得ないだろう。予想通り、彼女は僕に質問の意味を問いただす。

「どういう意味?」

「想像してみてほしいんだけど――」

 と、僕は人差し指を上下させ、

「ここはアパート、集合住宅であるわけだ。当然ながら、一室一室、それぞれの人間がそれぞれの理由で、それぞれの生活を送っている」

「でしょうね」

「でもそれが――もしも、僕達しか住んでいないとしたら?」

「は?」

 彼女は怪訝そうな顔をする。




「何言ってんの? 私、この間ちょっと自分の部屋に帰るとき、隣のおばさんと顔を合わせたわよ? ゴミ出しの時だって、アンタ、他の人がゴミを出しているところを見たことあるでしょ?」

「うん、そうなんだけどね。なんて言えばいいのかな……僕はこう、一人暮らしをする前から、ずっと集合住宅に住んでいた。親父は持ち家じゃなくて、アパートの一室を借りてた。そのアパートはかなり年季が入っていて、塗装は剥げ落ちて、コンクリートの地肌が露出してた。一つの階に二つの部屋があって、その部屋をぶった切るようにして階段がずっと続いてた。アパートに住んでいる人間だったらわかってくれると思うんだけど、アパートって、俯瞰してみればどの部屋も同じに見えるんだよ」

「そりゃそうでしょう。そういう風に作ってあるんだから」

「そう。一室一室別に造ってたらコストもかさむし、そもそも画一的に造るのがアパートだろうしね。けれど、いや、だからこそだよ」




 外見で、見た目でほとんど区別ができないならば、中身も一緒じゃないのか。




「その、幼少期のアンタのイメージはわかったわよ。フロイト先生にでも診断してもらえば?」

「まあバカみたいな話なんだろうけどね。で、このイメージに僕は、頭の中で何か付け加えたんだ。そう、画一的に並んでいる可能性――要するに並行世界だよ。次第に僕は、アパートの住民は、僕らの前では他の人間に見えるけれど、それぞれがそれぞれを観察できない部屋へと戻れば、そこには僕らとほんの少ししか違わない、僕らが生活しているんじゃないかって思ったんだ」

「今度はシュレーディンガー?」

 彼女は呆れたように首を振る。



「それで? その平行世界の生活を全部ひっくるめれば、無量大数にでもなるでしょうよ。それこそ骨になってる私たちだって存在するかもしれないし。でも、それって全部妄想でしょ? 思考実験として考える分にはいいけど」

「そうだね。そこまで行けばただの誇大妄想だ。でもね、この考えはある意味で、あながち間違ってはいないと思うんだよ」

「聞き飽きたわ」



 と、彼女はようやく食欲を取り戻したように、スプーンを手に取った。皿に視線を落とし、ことさらに僕を無視しようとしているように見える。

「考えてもみてほしい」

 僕は熱っぽく言った。




「近代化とは差がなくなる、いや差をなくすというものだ。均してしまう。僕らは田舎に行っても、都会と同じような水準の水も飲める。電気だって使える。チェーンストアで、ハンバーガーとポテトにコーラをセットで頼める。ここまでは制度だ。まだ問題ない。でも本当に問題なのは、環境が整備されてしまえば、次に目を付けられるのは人間だ。同じような教育で、同じような人間が生み出されていく。偏差値は尺度の一つに過ぎない。就活の会場を見たことがあるかい? みんな同じような格好で、同じような顔をして、同じような回答を繰り返している。君は管理栄養士にはなれるだろう。でも、言っちゃなんだが、君と同じレベルの能力を持った人間は、履いて捨てるほどいるはずなんだ。僕だってそうだ。例えば僕が今出かけて行って、車に轢かれたとする。だけど、それが社会に対して多大なる損失を与えるかと言えば、そうでもない。精々轢いた人間と保険会社、あとは警察が頭を悩ませる程度だ。特別なものは何一つとして存在しない。何もかもが、代替が可能なんだよ」




「もうたくさん」

 彼女は乱暴にスプーンを置いた。陶器の皿をこすって、神経を逆なでする音がした。彼女は立ち上がり、僕を睨みつけている。

「それで? 何が言いたいわけ? その、アンタの妄想に、私はあと何時間付き合ってりゃいいの?」

「永遠にだよ」

 と、僕は微笑む。



「永遠にだ。君はこの部屋を出られないし、僕は君を逃がすことはない。仮に僕が言っていたことがすべて妄想だとしても――いや、逆にすべてが僕の妄想ならば、そもそも君こそが妄想の一部じゃないか。妄想に命令される謂れはない。僕は僕の意志にしか従わない。僕は君を、決して手放すような真似はしない」

「どうやって? 束縛でもするつもり?」

「バカ言うなよ。それは既にやってる」



 さっきから、レコードは同じ場所を繰り返している。



 展覧会の絵、プロムナード。回廊を歩くムソルグスキーは、何度も何度も同じ絵の前で立ち止まる。会場は円形の建物で、始まりと終わりが同じ場所にある。彼は飽きもせずにぐるぐると回り続け、同じ場所に留まり続ける。



「御大層な考えだけど、一つ穴がない?」

 と、彼女は諦めたように座って言った。

「何?」

「仮にすべてが代替可能であるならば、私個人に執着する必要は何もないじゃない。それこそ外へ飛び出してって、車に轢かれて、運転してた美大の女子大生と恋愛でもやってみたらどうなの?」

「それこそが勘違いだ」

 僕は笑う。




「近代化と言うのはいずれ終わりを迎える。終わりを迎えた社会形態は、新たな問題を孕むことになる。けれど、新たな経験、新たな問題に、誰も対応することができない。なぜなら、誰も経験したことがないんだからね。そう言った、未経験の出来事に直面して、徹底的に打ちのめされたら、人間はどうなる?」



 僕は笑う。

 彼女を見て、笑う。



「保守的になるんだ。変化を受け入れずに、ひたすらに『今』に固執する。『不変ではないことだけが、唯一不変である』にもかかわらず。自分が解決できたやり方でしか問題に向き合おうとしなくなる。自分が一度失ったものを、何としてでも取り返す。一度得たものを失うというのは、そもそも得られなかったこと以上に、その人間を傷つけるんだ。わかるだろう?」


 彼女は席を立った。そして、そのまま玄関に置いてあった彼女のポーチを手に取った。


 玄関の鍵が開く音がする。

 僕は笑いながら、ラジオの電源を入れ、つまみを回した。


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