隠そうとするほど人は暴きたがる
「退院したわ」
「おかえり楓ーー!!」
玄関のドアを開けるとニコニコとした姉さんが瓶のコーラの栓を抜き、飛んできた王冠が目に命中する。左目の視力を失った瞬間だった。
「ああ! 楓を世界一おいしいコーラで出迎えてあげようとしたのに楓がまたお父さんたちのところに逝っちゃう! お姉ちゃんを置いていかないで!」
勢いよく姉さんにガクンガクンとやられて昇天しかけていた魂が肉体に戻ってくる。3度目にもなると天使の顔もだんだん憶えてきたなぁ……。
「た、ただいま姉さん……」
「おかえりなさい! 楓!」
「それは病院からの話? それともあの世からのって話?」
トラックに轢かれてはや2週間、前世の記憶を思い出した俺は、この世界が前世で自分の大好きだった『魔法少女ヴァルキリー』の世界だということに気づいた。
いや、本当の意味でここがヴァルキリーの世界のなのかは正直俺にもよくわからない。冷静になればなるほど荒唐無稽な話だ、なによりヴァルキリーの世界では御子神凪は天涯孤独であり、双子の弟なんて存在していなかった。
それに姉さんの性格も俺のよく知る御子神凪とはかなり違っている。御子神凪は寡黙でミステリアスな少女だったはずだ。間違っても肉親の眼球にコーラの栓をたたきつける女じゃなかった。いや、行動自体はミステリアスそのものだけど。
だが…… あくまでアニメに似た別の世界と割り切ってしまうのは危険だ。
というのも、ここが本当に『魔法少女ヴァルキリー』の世界だったとするならば姉さんは近い将来古の魔王の魔力を植え付けられ、魔王配下四天王とともに世界を混沌に陥れるラスボスとなってしまうのだ。
しかも、その果てに待つのは主人公との闘いの果ての死……。
前世の記憶を取り戻したとはいえ、14年間人生を共にした姉にそんな末路を迎えさせるわけにはいかない。
姉さんが魔王になるのは何としても俺が阻止する! 姉さんは俺が死なせはしない!
「そうそう、楓が入院していた間にお姉ちゃんがお部屋の掃除しておいてあげたよ。隠してあったメイドさんのエッチな本はお父さんとお母さんの仏壇の前に置いておいたからね」
「姉さん、悪いんだけど今すぐ力いっぱい舌を噛んでくれない?」
どうして最低な形で両親に俺の成長を報告してるんですか?
「ち、違うの楓! これは全部楓のためにやったことなの!」
「つづけて」
「お姉ちゃん楓が入院中きっと寂しい思いをしてると思って、せめて楓が1番喜ぶ形でお迎えしてあげようと思ってたの…… 本当はメイド服も着て出迎えようと思って密林で買ったまではいいんだけど…… あれ意外と着るのが難しくて、お姉ちゃん1人じゃ無理だった……」
姉さんが自力では動かせない足を軽くさする。
「勝手に部屋に入ってごめんね……。お姉ちゃん、楓に喜んで欲しくて楓の嫌がることしちゃったね」
「うん……。で、それをわざわざ黄泉の両親に報告した意味は?」
「楓の愛読書が思ったよりもディープだったから誰かと共有したくて!」
「余計な事すんなこのアホ姉がぁぁ!! もう俺あの仏壇に手を合わせられないよ!? それどころか父さんと母さんの顔を思い出すたびににこのいたたまれない気持ちまで一緒についてくることになるよどうしてくれるのぉ!?」
「まぁまぁ、そんなことよりご飯にしましょう。楓も病院食じゃ物足りなかったでしょう? 今日は楓の大好きなものをたくさん拵えたから楽しみにしててね。お姉ちゃん運んでくるから楓は座ってて!」
そんなことで済ませやがったよ自由人か。
まぁ実際にお腹も減っていたし現実逃避的な意味でも話題が変わってくれるのは助かるといえば助かるけど……。エロ本だけは先に回収しておこう。
……本当は食事の席で姉さんに前世の記憶のことを話そうかとも思っていた。
でも、やっぱりそれはやめておこうかと思う。姉さん本人に魔法と魔法とか前世の話はしないでおくべきだろう。冗談ならともかく本気で言ってると言っているとわかったらきっと再入院させられる。
(いや、違うな。姉さんはきっと俺が言えば信じてくれる。信じてくれるからこそ問題なんだ…… 姉さんは変人ではあるが、同時にとても優しい人だ。もし自分が世界を滅ぼしかねない魔王になるだなんて言われたら…… きっと姉さんは自分で命を絶つ。それだけは駄目だ。そうなると、やっぱり俺が姉さん本人に気づかれないように魔王の力をどうにかするしかない……)
そんなことが俺なんかにできるのか、という不安は当然ある。前世ではしがないオタク、今世でもトラックに飛び込んで入院するボッチの俺に。それでも…… なんとかしたいと思う。前世では好きなアニメキャラとして、今は唯一の肉親として俺を支えてくれる御子神凪をどうにかして救いたい。救って見せる――。
(楓がメイドさんのエッチ本握りしめて決意に満ちた表情してる……。そんなに好きだったのね、メイドさん……)
「あ、姉さん。配膳手伝うよ。あ、今日はシチューなんだね」
姉さんの手料理を食べるのは何気に初めてかもしれない。『魔法少女ヴァルキリー』の物語に出てきた姉さん…… 御子神凪の手料理は確かプロも顔負けという設定だったはずだから楽しみだ。
手を合わせていただきますをし、姉さんが大きめの皿によそってくれたシチューを口に運ぶ。
……なんだこの具? まずいというほどでもないけど、なんだか妙な触感がする……。なんか口の中の異物感がすごい。
「姉さん、これ何? なんか変な食感がするんだけど、これが俺の好きなもの?」
「うん、楓の大好きなものだよ!」
「なんだろう、メンマとかかな?」
「メイド服」
瞬間、勢いよく口内の異物を吐き出す。うわ、まじじゃん。
衝撃! それはメイドさんが頭に着けるヘッドドレス的な何かだった。
「ホワイトソースでじっくり煮込んでみました! 楓の好きなもの!!」
「あのねぇ! 確かにシチューもメイドさんも好きだけど! 好きだけども!! 好きなもの同士だからって安易に一緒になったら取り返しのつかないことになるんだよ!?」
「それってお姉ちゃんとの将来の話?」
「目の前で錬成された性癖の残骸の話だよッ!!」
さすがに本気の怒りが伝わったのかオロオロと姉さんが取り乱す。そんなに意外か? 俺はメイドさんが食べちゃいたいくらい好きってか? やかましいわ。
「じゃ、じゃあデザート! 順番が逆になっちゃったけどデザートとってくるから! ……じゃーん! デザートは楓の大好きなバナナとマンゴーをなんか合体してできたアレです!」
いちいちチョイスに悪意を感じるんだけど。しまいにゃ泣くぞ。
「いいからいいから! 今度は絶対に失敗してないはずだから!」
「ちなみにこのデザートの創作テーマは?」
「破壊と再誕」
バナナとマンゴーには荷が重くないそのテーマ?
おそろおそるフォークでマンゴーをつくと果汁が勢いよく目にかかる。右目の視力を失った瞬間だった。
「ふぉぁぁぁぁ!! 目が! 目がぁ! 待ってこれマジで痛いんだけど!」
「あ、あれ~? おかしいなこんなはずじゃ……」
そうか、本来の『魔法少女ヴァルキリー』の物語では姉さんは天涯孤独で1人で家事をやっていたから料理が上手だったんだ。なのにこの世界では俺が普段から料理をしていたせいで姉さんは料理の経験が0だったんだ!
ああ、前世の記憶さえなければもっと姉の料理を警戒できていたのかな……。
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地獄のような夕食を終えて部屋に戻ってきた。
さて前世といっても14年も前の記憶だから薄れていたけど、まずは改めて前世の記憶と現状を整理してみようと思う。
まず、異世界転生をしたといってもここは現代日本とほぼ同じだ。当然、魔法やら魔王やらはゲームやアニメの中だけの存在であり誰も実在するなんて思っていない。
でも、もしここが本当に『魔法少女ヴァルキリー』の世界なら魔法は古代に確かに存在していたはずだ。
しかし、何千年も前に1人の魔導士が作った魔導書『永久の黄昏のヴィネット』によって魔法文化は終わりを告げた。
魔導書には、使用者に莫大な力を与える代わりに魔法と精神を暴走させる力があったのだ。しかも厄介なことにこの魔導書の使用者が死んだ場合、魔導書は最も近くにいる別の魔導士に取り憑くのだ。しかも前の使用者の魔力をそのまま吸収するためどんどん強くなっていく。
つまり、魔王とは魔導書によって暴走を引き起こされた被害者…… というのがアニメの終盤で明かされていた衝撃設定だったと思う。
姉さんは古代の魔導士の末裔だったために魔力を持っていて、いつの日かこの町の近くに封印されていた魔導書が姉さんの魔力の覚醒と同時にこの家に転移してくるはずだ。
「魔導書さえ回収できれば姉さんが魔王になるのは防げるはずだ…… 問題は姉さんがいつごろ魔導書を手に入れるのかが分からないんだよなぁ……」
魔導書をどうやって見つけるか考えながら、姉さんに晒されていたエロ本たちを隠し棚に一冊一冊丁寧にしまう。最早隠す意味もないんだろうけど。
『回天楽』『生意気メイドのマナーレッスン』『メイドに管理されちゃう性活』『メイド・イン・ヘブン』『永久の黄昏のヴィネット』を順番に並べていく。
……おや、なんか一冊見覚えが無いのが混ざっているな。姉さんの本まで間違って持ってきてしまったか? エロ本コーナーに似つかわしくない随分と丁寧な装飾の本だけど。
「ていうか魔導書…… これじゃね?」
とりあえず魔導書はエロ本でサンドイッチにして隠し棚に封印しておくことにしました。