トラックにぶつかっても異世界転生できるとは限らない
――トラックに轢かれた。
そう頭で理解するのに、一体どれくらいの時間がかかっただろうか。
中学校の帰りにちょっとレンタルショップに寄って映画でも借りて帰ろうとウキウキしていた俺がふと前を見ると、なんと信号無視で、突っ込んできたトラックに子猫が轢かれそうになっているではないか。
普通の人なら見捨てるか、これから起こるであろう惨劇に目を覆っていたことだろう。だが、愛しのアクション映画俳優スタンドローンならきっと子猫を助けようとするはずだ。
足に力を込めて前方へ駆け出す。身体能力は良い方ではないが、やるしかない。
伸ばされる手。
華麗に避けるネコ。
一人吹っ飛ばされる俺。
まっすぐ家に帰らず寄り道をしたバチでも当たったのだろうか。こうして俺は子猫を救った英雄から、奇声をあげてトラックに突っ込んで行った変態へとジョブチェンジを果たしたのだった。
ぼんやりとした意識の中で、これまでの人生の記憶がスローで流れていく。
あぁ、走馬灯ってこんな感じなんだ……。
昔から友達を作るのは得意じゃなかった。人に自分から声をかけるのが怖くて一人で遊ぶことばかりしていた。その結果、出来上がったのは部屋で独りでニヤけながらアニメやゲームに勤しむ立派なオタクだった。
でも高校生の頃に両親が他界して、学校もやめて働かなくちゃいけなくなったから、大好きだったアニメ『魔法少女ヴァルキリー』も忙しくて結局最後まで見れなかったんだよな。
確か無理やり魔王の魔力を継承させられて魔王にされた足の不自由な天涯孤独の少女『御子神凪』がやむなく主人公に倒されてしまうシーンは高校生にもなって号泣しながら見てたな……。
あの子があの後どうなったのか、死ぬ前にしっかりと見ておけばよかった。
……あれ? なんかおかしくないか。なんで中学生の俺に高校生だった記憶があるんだ? そもそもこの走馬灯に出てるような顔をしてたっけ俺?
あっ、わかったこれ走馬灯じゃなくて前世の記憶だ。俺、一度死んで生まれ変わってたんだ。
せっかく自分が生まれ変わっていたことが死ぬ瞬間にわかるとか……。
最後に浮かんだのは今世の姉さんの顔だった。
厳しくて口うるさいけど、その何百倍も優しい俺の双子の姉。前世じゃ兄弟のいなかった俺の唯一の家族だ。
姉さんは悲しそうな顔でこっちをじっと見ていた。
ああ、悲しまないで、姉さん。
また次に生まれ変わったら俺、イケメンのチート能力持ちにしてもらって異世界転生するんだ。やべっ、新しい名前も考えとこ。なんか米国風のかっこいいの。
おーい、神様ー?
そろそろなんかやたらフランクな口調で現れるんじゃないのー?
あっ、なんか天から白い光が降ってきた! これきっと死なない感じのやつだ!
やったー神様だぁ! ねぇ、俺が死んだのは手違いなんてしょ?
あっ、違うあれ天使だ。完全にお迎えだわこれ。
***
「全治2週間ですね」
「……はい、先生」
事故った翌日、なんとか天使を振り払って現世に蘇った俺を待っていたのは病院の無機質なベッドの感触と、主治医の石田先生の冷たい宣告だった。
先生はカルテを手に持ちながら、俺の今の状態についてあれこれと聞いてきた。当然、一番聞かれたくない事も…。
「それで、どうしてこんな事になったの?」
「……スタンドローンになりたかったんです…」
「……はぁ」
先生、患者の前で露骨に溜め息をつくのはやめてください。
「私がわざわざ言わなくても分かってると思うけど、お姉さんのこともあるのよ? やんちゃするなとまでは言わないけど、無茶なことをするのはやめなさい」
「はい、ごめんなさい……」
「もういいわ。それよりもお友達が来ていますよ」
「お友達?」
体を起こそうとすると、脇腹の辺りに激痛が走る。
やばい、これめっちゃ痛い。
というか、友達って誰だ?
「こんにちはー」
「お邪魔します。楓くん、お見舞いに来たよ」
お友達の正体は同じクラスの日美野マイさんと月島アミさんだった。
正直、クラスで何度か話したことがあるくらいで、そこまで親しいわけじゃなかったから、2人が来てくれた事は意外だった。
普段はもう1人を加えた3人組でよく一緒に行動してる2人だけど…… どうやら今日はもう1人はいないみたいだ。
「アンタ事故ったんだって? ホームルームで聞いてびっくりしたわよ。よく生きてたわね」
日美野さんに呆れたか感心したのかよくわからない口調で話しかけられる。
「ああ、うん……」
……ホームルームで言われたのか、俺のこと。
多分、初めて俺がクラスの話題の中心になったんだろうけど、多分自分からトラックに突っ込んだアホだとか言われてんだろうなぁ……。あぁ、なんか目頭が熱くなってきた。
「……やっぱり神様なんていなかったね」
「ちょっと、あんた大丈夫? 頭打った?」
気にしないで、日美野さん。ちょっと世界の残酷さに気付いただけだから。あと、神様はいなかったけど天使ならいたよ。
「やっぱりまだ体は痛む? 本当にすごく心配したんだよ」
心の中で泣いていると、月島さんが不安そうにこちらをのぞき込んでくる。その表情からも彼女の心配が本心からということが伝わってきた。
「まぁ、一応トラックに轢かれたわけだからね。でも、なんていうか…… ちょっと感動したかも。日美野さん達って、すごく優しい人だったんだね。わざわざ、お見舞いに来てくれるなんてさ……」
「ん? ああ、この病院の横においしいタピオカのお店があるのよ。そのついで?」
「ついで!? 俺、タピオカのついで!?」
「ちょっとマイちゃん!」
今明かされる衝撃の真実! 俺、キャッサバ以下!!
なにこれ? いじめ? 優しさを装った新手のいじめですか?
というか、その「あっ、やべっ」みたいな顔やめろ。
「来てくれたのはありがたいけどもう帰ってもらっていい……?」
「アンタなにカッカしてんのよ?
これだからコミュ障は……。何でキレるか分かったもんじゃないわね」
「き、きっと入院しててお友達に会えなかったらからちょっと機嫌が悪いんだよね?」
「ははっ、やぁねぇアミ。だったらこいつは年中機嫌が悪いことになるじゃない」
「帰れェッ!!」
というか、今まで俺をどんな目で見てたんだよ日美野さん。
「でも、実際あんた友達いないじゃない? クラスで誰かに話しかけられたことある?」
————っ!
「……はは、やだなぁ日美野さん。確かにクラスじゃ目立たない方だけど、俺だって友達の一人や二人……」
「例えば?」
「……虎吉とか」
「それって近所の野良猫でしょ? こういう猫と壁しか友達のいない人間にはなりたくないわねぇ」
「ねぇ、もしかして俺嫌われてんの!?」
あと壁を友達にした覚えはねぇよ。時々話し相手になってもらうだけで。あれ? なんか死にたくなってきた。
「そ、そんなことないよマイちゃん! わっ、私は楓くんのこと友達だと思ってるよ!」
そうだそうだ月島さん、もっと言ってやれ。そして俺をこの悪魔から救っておくれ。というか俺これからクラスでどんな顔して日美野さんと過ごせばいいんだよ。無理だろ、もうなんか怖いわこの人。
「あら、もうこんな時間。アミ、そろそろ戻らないとタピオカが売り切れちゃうわ」
「あ、ほんとだ……。あの…今日は邪魔しちゃってごめんね。……また、来ても良いかな?」
「……まぁ、俺が暇なときならね」
「つまりいつでもOKだそうよ」
そうは言ってねぇよ。もう嫌だこの人……
「じゃあまたね、バイバイ。……ああ、アンタにとっては未知の領域だろうけど、日本人は別れる時にこういう挨拶をするのよ」
「俺だってするよ!?」
こうして嵐のような女は悪魔の微笑を浮かべながら去っていった。何であいつに友達がいて俺にはいないんだよチクショウ。もう退院しても学校行きたくねーよ。
次にお見舞いに来てくれたのは近所に住むオバハンだった。所謂カミナリババアとは違い、この人は普段から何かと気にかけてくれる人の良いババアだ。時々夕食なんかもウチに持ってきてくれる非常に頼れるババアだ。
「それにしても楓ちゃんも運が良かったわね。打ち所が偶然よかったおかげで助かったんですってね」
「そうですねぇ。本当に運が良ければそもそも轢かれない気もしますけどね」
いや、まぁ9割方自分の責任なんですけどね。
「そういえばお姉さんはまだお見舞いに来ないのかい?」
「あー…… 姉さん。姉さんね…」
軽くこめかみの辺りを押さえる。
「実は俺…… 姉さんには教えてないんですよね、病室」
「はぁ?」
おばさんが素っ頓狂な声を上げる。そりゃそうなるよね。
もちろん、俺だって別に意地悪でこんな事をしたわけじゃない。ちゃんとそれなりの理由があってのことだ。……本当なら入院、ひいては事故のことそのものを隠したいところだったけど。
なぜなら……
「姉さん、めちゃくちゃ過保護だから……。この事を姉さんが知ったらどうなるか……」
「どうなるって言うの?」
『楓ぇぇぇぇえええぇぇえぇぇぇえええぇぇええ!!』
「こうなるんです」
車椅子でF1カーのような加速とドリフトを華麗に決めながら、病室に小柄な女の子が飛び込んでくる。
俺と同じような顔に、白いウェーブかかった髪に藍色の瞳、まごうことなき我が双子の姉だ。
おばさんには目もくれず、華麗なスピンでベッドの真横に車椅子を停止させる。
もう俺の知ってる車椅子じゃねぇなこれ。つかどうやったの? あとで教えてもらおう。
「楓! 怪我は痛くない? ババアになんか変なことされてない!?」
「おい姉さん! そんな言い方したらババアに失礼だろ!!」
「あんたもね」
「ごめんね、楓。お姉ちゃん、楓が痛い思いしてる時になんもしてあげれなかった…… お姉ちゃんのこと嫌わないで!!」
いや、嫌わないし。ちょっとウゼェけど。
「それと何でお姉ちゃんに病室教えてくれなかったの!? お姉ちゃん心配で心配で昨日はお風呂もご飯もトイレも行けなかったのよ!?」
「いや、それまぁ…… ごめん。姉さんに心配かけたくなかったんだ」
あと、今まさに起きてる姉さんの暴走を食い止めたかったんだけどなぁ……。でも確かに唯一の肉親としては不義理な態度だったかもしれない。
いや、まぁ、あんなしょうもない理由で事故ったからどんな顔して会えばいいのか分からないっていうのもあったんだけどさ。
「というか、風呂と飯はともかくトイレには行こうよ……。ねぇ、姉さん。これから俺の入院中は自分のことは自分でしなきゃ駄目なんだよ?」
「……えっ?」
姉さんの表情がピシリと凍る。まるで世界の終わりでも聞いたような顔だ。
そして、姉さんがおもむろにスマホを取り出して誰かに電話をかけはじめた。何秒かのコール音の後、相手につながった様だ。
「石田先生、恋の病がひどいんで入院したいんですぅ」
『ごめんね、バカにつける薬はちょうど切らしてるの』
ブチッと、電話が切られる。
そらそうだろうよ。俺も今姉弟の縁を切りたくなったもん。
「やだぁ! いやだぁ! 楓のいない生活なんて耐えれないぃ!!」
車椅子で手を放したまま車椅子を動かすという奇妙な駄々のこねかたをする。何だよそれ? 何がしたいんだよ? どうなってんだよ?
「分かった。分かったから! 姉さんがお見舞いに来てるうちは相手するから! ね?」
「うう…… 分かった……。あっ」
さっきとは一転、姉さんは何故かやたらニコニコしながら俺を見ていた。いや、正確には俺と、ベッドの近くに備え付けられた車椅子を見てだろうか。別に姉さんにとっては車椅子なんてさほど珍しくもないだろうに。
「おそろいだね!」
うん、嬉しくないね。というか車椅子がおそろいで喜ぶ兄弟とか気持ち悪いわ。
それにしても…… 姉さんのこの顔、この声。
ああ、やっぱりそうだ。そうか、そういうことだったんだな。
「楓、さっきからお姉ちゃんの顔をじっと見つめてどうしたの? お姉ちゃんうれしいけどそんなにじっと見つめられたら照れちゃうわー」
「ねぇ、姉さん。姉さんの名前ってなんだったっけ?」
その瞬間、姉さんの表情が再び凍り付く。前世の方の記憶ではこの人はこんなオモシロ顔をするような人だったろうか。
「そ、そんな…… 楓、やっぱり事故の影響で記憶が……。そんなの嫌! 楓、お姉ちゃんの名前は凪、御子神凪よ! 楓のたった1人の家族で、楓の最愛の人よ! 将来は姉弟婚が許される国で幸せになろうって誓い合ったお姉ちゃんだよ!」
勝手に聞いたことない設定を捏造するな。
それにしてもやっぱりそうだ、天涯孤独の、足の不自由な少女御子神凪。
こうして前世の記憶を取り戻してから姉さんの顔を改めて見て確信した。
姉さんは…… 御子神凪は前世の俺が好きだったアニメ『魔法少女ヴァルキリー』のラスボスだ。
つまり俺は…… トラックにひかれて異世界転生とか考えていた御子神楓は……
好きだったアニメのラスボス…… 未来の魔王の、原作はいないはずの弟として既に異世界転生を果たしていたのだ――。