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空想ひとり旅  作者: 磁石
9/75

8日目 屋久島③(鹿児島県)

日本一周に挑戦しました

※行ってません


8日目


【概要】

さよなら屋久島、さよなら鹿児島

【行った場所】

平内海中温泉


———————


 翌日の早朝、月見に白谷雲水峡へ行こうと誘われ首を横に振った。

「行かないの?念願のもののけ姫だよ?」

 なぜバレているんだ。昨日の山道でも、脳内でしかあの歌は口ずさんでいなかったはず。

「月見ちゃんダメだよ、顔が死んでる」

 長年ガイドをしているだけあって、ヤスタケさんの判断は的確だった。そして誰か、そこで眠りこけているヤスタケくんを持っていってくれないか。

「2人で楽しんできてくれ」

「そう?」

「ああ」

 もののけ気分なら昨日、十分に味わった。きっとヤックル(*1)だって許してくれるはず。だからシシ神さま、今はしばらく寝かせてくれ。そう思っていたのに。


(*1)ヤックル

宮崎駿の代表作の一つである映画「もののけ姫」に登場する架空の動物。主人公アシタカの相棒であり、サンに続く第二のヒロイン。今は絶滅したアカシシという動物がモデルになっているとか。立派な角にぶらさがりたい、潤沢なあごひげに顔を埋めたいと夢見たのは私だけではないはず。


 午前9時、ヤスタケくんに叩き起こされた。

「起きてください!」

「ただいまこの人間は電源を切っているか、または電波の届かないところに...」

「なに言ってるんですか!」

 ヤスタケくんの言葉は無視して再び毛布を握り直そうとしたが、見事に奪い取られてしまった。

「出かけますよ!」

 それから車で約1時間、ハイテンションでJポップを歌い続けるヤスタケくんに殺意を覚え、そろそろ後ろから一発殴ろうかと思った頃、車は海岸に到着した。あまりに人気がないので、逆に私がヤスタケくんに殺されてしまうのでは、という恐怖心を煽られる。

「降りますよ!」

 車を駐車スペースに停めてからヤスタケくんが右手に何かを持って振り返った。殺される!どうせ殺すなら車内じゃなくて外で...そう思いながらとっさに構えた両手の隙間から見えたのは、包丁ではなく、タオルと洗面器だった。

 車を降りると、すぐそばで岩に波が当たる音が聞こえてきた。

「干潮の間だけ入れる温泉なんすよ〜」

 周りには柵もなにもなくて、文字通り海を見ながらはいれる温泉という感じだった。ヤスタケくんはここの開放感が好きで時々入りたくなるのだが、1人でいく勇気はないので私を道連れにしたということらしい。

 駐車場から坂道を下りて、申し訳程度の脱衣所で服を脱ぐ。もちろん囲いなどない。全裸で温泉に向かって全力疾走する彼は、開放感に満ち溢れていた。

 温泉はほぼ周りの海と区別がつかないほど海に近い。しかし浸かってみるとちゃんと温かく、昨日の疲れもいいスパイスになり、とても気持ちが良かった。

「気持ちいい」

「でしょ」

 ヤスタケくんはどこか得意げだ。ヤスタケくんは縁に頭をかけて空を見上げながら言葉を続けた。

「親父が、旅人には何も聞くなって言ってました」

「だろうね」

 人間、話したくないことなど山ほどある。現実世界から逃げ出してきた旅人たちならば、なおさらそうだろう。

「その意味が、月見さんやあなたと会ってわかった気がします」

 ヤスタケくんは月見のおじいさんをよく知っていたし、月見がおじいさんを本当に大好きだったことも知っていた。だから彼なりに彼女のことを心配し、なんと声をかけていいか迷っていたそうだ。けれど縄文杉を目指して歩いているうちに、彼女を包む空気が少しずつ軽く柔らかくなっていくのを肌で感じ、余計な言葉は必要ないんだと感じたことを、照れ臭そうに語ってくれた。

「だからオレはあなたにも、なにも聞きません」

 聞かないけれど心配しているんだ。ヤスタケくんのそういう優しさがお湯を通して伝わってきたような気がした。

「ありがとう」

 私が肩まで浸かってお湯を堪能していると、煮え切らないらしいヤスタケくんが言葉を続けた。

「でも聞かないのは悲しいことだとも思うんですよね〜」

「話したくなったらそのうち話してくれるよ」

「そんなもんすかね?」

「そう思う。それでも聞きたくなったら、聞いてもいいと思う。それを待っている人もいると思うから。君には君のやり方があるよ」

 空を見上げていたヤスタケくんちらりとこちらを見たがすぐに目をそらした。そして「じゃあオレのやり方で一言」と言い添えてから、衝撃的な発言をした。

「ここ、混浴なんすよ」

 波が岩に当たり、ザバーンと大きな音を立てた。


 ヤスタケくんとの開放的な裸の付き合いを終え、ヤスタケ家に戻ると、奥さんが朝食兼昼食を用意してくれていた。味噌汁とおにぎりというシンプルな組み合わせだったが、それがとにかく美味しかった。お母さんのおにぎりってなんであんなに美味しいのだろう。人が作った料理は心まで満たしてくれる。そんな気がした。

 ヤスタケくんと最後のおにぎりを巡ってバトルをしていると、帰ってきた月見がそれをかっさらっていった。

「ただいま」

「おかえり、月見」

 おにぎりをぱくつきながらスマホをいじる月見に、行儀が悪いからやめろと注意する直前、そのスマホを渡された。なにごとかと思い画面をのぞいてみると、そこにはもののけ姫の世界が広がっていた。苔むした森。苔にくっつく大きな水滴。野生のヤックルと言っても過言ではないヤクシカの写真まである。これは完全に食テロならぬ苔テロである。恨みがましい目で月見を見ると、彼女はふふんと鼻で笑ったあと、おにぎりをがぶりとかじった。

 昼過ぎ、船の時間が来て、ヤスタケさんが宮之浦港まで車で送ってくれた。ヤスタケ家を出るときに船の中でおやつ代わりに食べてと奥さんから袋をもらい、そしてヤスタケくんには「また来てくださいね!」と背中を強めに叩かれた。トラックの中でぎゅうぎゅう詰めになりながら、再び港へ。ヤスタケさんは荷物を降ろしたあと、私とは握手、月見とは抱擁を交わし、船が出るのを見送ることなく帰っていた。

「またおいで」

 ヤスタケさんがかけてくれた最後のひと言が、強く印象に残っている。

 動き出した船の中で、ヤスタケさんの奥さんからもらったがねという甘い天ぷらを、船べりの席で食べていた。

「みんなあったかかったね」

「そうだな」

 波の音が言葉を後押ししてくれる気がした。

「連れてきてくれてありがとう、月見」

「こちらこそ。私も、君がいてくれて本当によかった」

 そういってから月見は目を閉じ、テーブルにうつ伏せて、船と波の音を聴いていた。

 私はのんびりとがねを食べながら、海の景色を眺めることに集中した。月見が泣きたくなったら泣けるよう、出来るだけ遠くを見ていた。

 私がこれからバスで熊本に向かうといったら、月見は驚いた顔をした。

「沖縄には行かないの?」

「最近行ったからいい」

 月見は「変なの」とは言ったが、なにも聞かなかった。

「じゃあ、これでさよならだ」

 月見は明日の船で沖縄に向かう。

「元気でね」

「月見もな」

「ちゃんと人と話さなきゃダメだよ」

「善処する」

「もう。...本当にありがとう」

「こちらこそ。本当にありがとう」

 最後に握手をして、月見と別れた。月見は途中で一度だけ振り返った。そして笑顔で両手を大きく振ったあと、もう二度と振り返らずに前を向いて進んで行った。そして私も高速バスに乗り、鹿児島を後にする。

 熊本へ向かうバスの中で彼女のインスタグラムを見ると、桜島と屋久島の風景の写真が投稿されていた。昨日や一昨日のことなのにとても懐かしく思いながら見ていると、最後の一枚にたどり着いた。最後の一枚は、船が海に残した波の足跡を写したものだった。

 文字もないのにあまりに雄弁なこの一枚を見て、写真も悪くないなと思った。

(ちなみに、この記事を上げる前に下書きを彼女に送ったら、「いろいろ美化しすぎ」と言われた。そこは文章なので許してほしい。)


9日目に続く


#日本一周 #行ってない



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