五十話 『舞台裏で収束する数多の思惑』
タレムとマリカがウエディング・エンドを迎えていた頃。
「うふふっ。――さて。あの馬鹿が、ロートル達の思惑を全てまとめて木っ端微塵にぶち壊した所で、私も、私の目的を始めるとしましょうか」
ずっと、静かに西の空を眺めていたアイリスが、唇の上と下を一周舐めて濡らしてから、破ったウエディングドレスのスカートをはためかせ振り返った。
くるっと……目を丸くしている『アルザリアの三騎士』が一人、ユリウス・アルタイルに。
「何故、有能なおじ様が失敗したか分かってる?」
「……」
「それはね、おじ様が、タレムの事を何も理解できて居なかったからよ」
「……くっ」
「だから、もっとタレムを愛してあげればよかったのよ? って、説教を垂れるつもりはないけれど、私はこうなると、最初から想定して動いていたわ」
西の大聖堂と同じく、東の大聖堂にも、多くの大物貴族が集まっている中で、独りの花嫁がゆっくりとユリウスに歩み寄っていく。
「うふふ、おじ様なら、もう、わかるわよね? 私の狙い」
ロングスカートからミニスカートになっているアイリスは、そのままユリウスの片膝に向かい合わせでお尻を載せた。
ユリウスの顔に、アイリスの顔の陰が掛かり、両肩に、細い腕が載せられる。
「私にこの結婚式の責任を取れ、と言いたいのか?」
「ふふっ。大正解。流石おじ様。まっ、クラネットが次期当主に、こんな恥を欠かせたのだから当然よね?」
アイリスとタレムの政略結婚は、アルタイル家とクラネット家の縁を繋ぐための物だった、それを花婿が逃げるという形で御破算になれば、責任をとるのはアルタイル家である。
「……タレムを追放しろと言いたいのか?」
「フッ。そこはどうでも良いわ。好きにして、私をフッて子豚ちゃんを選んだ報いだから。……それより、私の狙いは最初からおじ様よ」
「……」
トンッと、ユリウスの鼻を突いて笑うアイリスは、建前を全て投げ捨てて結論を言い放つ。
「十年前の復讐。アンタの命を貰うわよ!」
「……やはり……か」
そんな言葉に、ユリウスは悟っていた様に呟くが、
――バンッ!
と、ユリウスの隣にいた妻、コルネリアが立ち上がりアイリスの頬をひっぱたいた。
アイリスはユリウスの上から床に転落し、お尻を着く。
「――っ!」
「あら? 思ったよりも痛いわね」
叩けた事に驚くコルネリアの前で、アイリスはケロッと立ち上がり、血の混じった唾を吐き捨てる。
「一度だけよ。何も知らずに愛する人を失う、哀れなアンタの為に、一度だけ、その矛を受けてあげたわ。次は、殺すから」
「――っ!」
言いながら、コルネリアを睨んだアイリスから、想像を絶する威圧が放たれた。
それは、西の大聖堂でアルフリードがマリカに放った物に近い。
つまり、弱者の恐怖心を刺激し、怯ませるというものだ。
コルネリアは、その恐怖にパタンと膝を折り、失禁してしまう。
「あら? そんなに強くできる訳でもないのだけれど……。そう。アンタは好きな人の為に、命も捧げられないのね。子豚ちゃんでも出来るのに。ふふ、ほんと哀れだわ」
「……辞めろ」
「でも、安心して。アンタは、私の復讐対象には入っていないから」
「辞めろ」
「だってアンタは、十年前も今も! ただの――」
「辞めろ!!」
「……」
叫ばれたユリウスの声に、嗜虐的な微笑みを浮かべていたアイリスは、口を閉じて、視線を戻した。
「妻は……関係ないだろう」
「そう……まっ、関係ないけれどね。ふふっ。夫婦だけれど無関係よね。最期でも、ね?」
『ユリウス……様』
「……くっ」
「……うふふっ。ほんと、馬鹿」
自分の言った言葉で、妻が傷ついている事にユリウスは気付き、しかめっ面になる。
が、アイリスは構わず、スレンダーな身体を奮わせて、唏い。
「あら、可愛い。おじ様。(……食べたくはないけれど)」
もう一度、ユリウスの膝に乗り、頭を抱き抱えた。
「おじ様の事は好きよ? でも、十年前の事は絶対に許さない!」
「……」
「私じゃまだ、実力でおじ様を殺せないけれど。こうして、謀略を使えば、殺すことはできるのよ?」
「……」
「さっ。タレムの後始末が残っているから、早く死んでくれない? 介借くらいはしてあげるから。うふふ、こんな美女に世話されるんだから悔いはないでしょ?」
耳元に熱い吐息をかけて囁くアイリスに、帝国最強の騎士が一人は……
「……分かった」
と、答えたのであった。
「――っ! どうして!」
「あら? うふふ」
そんな声を上げたのは、ユリウスの言葉を聞いて、アイリスの威圧を振り払ったコルネリアであった。
コルネリアは涙を流しながら立ち上がり、アイリスの胸元を掴む。
「どうして! どうして!! アンタ達は! 私から……大切な物を、奪って行くんですの!」
「……ふふ。哀れね。離しなさい。……二度はないわよ? それに、おじ様の好意、無駄にする物じゃなくてよ?」
「……好意? っ。ふふふっ……ハハハっ! きゃははははっ!」
まるで可哀相な者でも見るようなアイリスの視線に、コルネリアは狂った様に笑いだし、
「そう。そうよ。全部、アイツが悪いのですわ。アイツさえ! アイツさえ! あの、疫病神さえいなければ! 十年前も今回も! 全てタレムの――」
――べチンッ!
凄まじい速度の平手打ちが、コルネリアの頬に直撃し、三メートル先まで身体を吹き飛ばした。
「あっ! ぐぅうう。ギャアアアアアアアアアアっ!」
「……醜い」
コルネリアが、痛みに呻く姿に、それをやった張本人は、つまらそうに吐き捨てて、
「さあ。おじ様。早くしてくれないかしら? 後始末があるって言ってるでしょ? それに、このままじゃ、あの老害、殺したくなっちゃうわ」
一瞥もすることなく話を戻した。
……ユリウスの命を取る為に、
「後始末……か」
「ええ。このままじゃ、あの馬鹿は、クラネット、グレイシス、ドラクレアの三家を敵に回し、消されるわ」
「お前がそれを?」
「あの馬鹿の後始末は昔から、私の役目なのよ」
「……タレムを、任せられるのか?」
「アンタよりはね。……それに、言ったでしょ? 最初から私はこうなることを予想していたって」
「そうか……」
一言、満足そうに呟いたユリウスは、一度、ゆっくりと瞳を閉じて、何かを馳せてから、
「コルネリア。これから先、タレムを頼れ。タルシスを頼むぞ。良いな?」
「ゆ、ユリウス様! 何故! 何故! タレムばっかり……っ。私と貴方の子が居るのに……やっぱり、貴方はっ! 今でもまだ、マリアの事を愛しているのですわね!」
「……っ」
妻から出た言葉に、ユリウスが瞳を開き眼球を揺らす。
「だから! タルシスを遠のけて、タレムばかりっ。結局……一度も、私の事を愛してくれないのですわね……」
「……」
老けた容姿で涙を流し、漏らしたままに、うちひしがれる。
そんなコルネリアを見てアイリスは舌打ち。
「……そろそろ、我慢の限界ね。いい加減、自分が悲劇のヒロインみたいな態度は辞めてほしいわ。言ったでしょ?」
「辞めろ!」
ユリウスが再び暴走するアイリスを止めるが、
「老害。アンタは昔も今も、ただの足手まとい。事件に何の関係もない部外者。いえ、舞台装置って所かしら?」
「――っ」
言ってしまった。
「……何を知っていると言うんですの?」
「うふふっ。全ての真実」
「――っ!」
そして、一度開いた言葉は濁流の様に流れ出す。
「教えてあげるわ。でも、アンタに受け入れられるかしら? 残酷な真実って奴をね」
「……」
ここまで来てしまったら、ユリウスも俯くだけで止めようとはしなかった。
……アイリスは誰かに言われた程度では絶対に止まらないと、分かっているのだろう。
「アンタは、十年前。タレムのせいで、アルタイルが、没落したと思っているようだけど、実のところは違うのよ」
ここからアイリスが語るのは、貴族達が闇に葬った真実の歴史。
知っているのは、御三家とそれに関わったほんの数名の人間だけだ。
「あの事件、タレムだけなら、おじ様が政治力で負けるわけないでしょ? そもそも、王女の命を救うっていう、勲章物の話よ? それが、逆賊レベルまで陥れられた……その理由」
そして、その歴史に起こった事こそが、ユリウスを好ましく思っているアイリスが、復讐し殺そうと思う理由である。
それは、
「あの時、おじ様は、アンタを人質に取られたのよ。タレムを英雄にしたら、妻と離縁させるって。駄犬を嫌っていた王侯達から、ね? 元王族、第三王女、コルネリア・アルカナ・スピリアス姫殿下! アンタをね!」
「――っ!」
コルネリアはユリウスに一度も愛されてなどいなかったと、思っていた。
しかし、だ。
あの事件で、ユリウスは、コルネリアを奪われそうになった時、
「このクソジジィは……あっさりと、タレムに汚名を着せ、アンタとの結婚を優先させた!」
「――っ!」
「わかる? アンタみたいな、老害の為に、タレムを見捨てたのよ! そのせいで! そのせいで! タレムは――っ!」
アイリスがまだ、何かを言っていたが、コルネリアの耳には入らない。
(私は……私は……ユリウス様に。愛されて……いた?)
そんな事実、一つでコルネリアの思考が止まり、世界が壊れる。
(タレムのせい……じゃなくて、私のせいでアルタイルが……?)
「――あら? まだまだ、序盤なのだけれど? 貴女がずーっと、最初から、おじ様の足枷だった話は聞きたくないの? おじ様が何故、王都に釘付けにされているのかとかは? 今、アンタの目の前に真実があるのよ?」
「アイリス。……もう、良いだろう」
「ちっ! まっ、おじ様の武勇伝を話している時間も、こんな無害な老害に、構っている時間もないわね。わかるでしょ? おじ様。……うふふ、無害な老害だって、矛盾だわ……タレムが、いれば突っ込と思うけれど」
「コルネ……」
ユリウスは、涙を流してうなだれる妻に、少しだけ何かを言おうとしたが、寸前で唇を閉じ、視線を近くで控えていた一女傘の奴隷に向け、
「ロッテ。お前の権利をタレムに譲渡する。受け取れ」
「……っ! 旦那様っ」
一枚の羊皮紙を手渡し、
「こんなことを頼める訳もないが。コルネリアの事も……」
「はい。心得ました」
「ふっ。……感謝する」
奴隷に対して頭を下げた。
それが、アルザリア帝国で異端である事は言うまでもないだろう。
「そして、私の死後。アルタイルの家督も全てタレムに渡す」
「「「――っ!」」」
自分の死因となる少年に、お家追放でもおかしくない事をしたタレムに、家を継がせると言い放ったユリウスは、もう一枚の羊皮紙を一女笠の奴隷に預けた。
それには、その場にいた全員が言葉を失う。
「まさか……っ。アンタ、最初からこうなると」
「ふん。アイリス。君ほどの者が私の魔法を調べて居ない訳でもないだろう?」
ユリウス・アルタイル。騎士名《光帝》。
その魔法は、究極と言われ、数々の憶測が囁かれるが、アイリスが調べた所、一番、有力で、一番、馬鹿げているのは、
「……《未来視》。まさか、本当なの? だったらなんで、馬鹿みたいに私の謀略にハマっているのよ?」
光を操り、未来すら見通す魔法。
(有り得ないと切り捨てたけど、そんな魔法が実在するなら、タレムよりも……)
「――ふっ。そこまで万能でもないさ。未来は揺れ動く。だからこそ、私は息子に幸せになって欲しかった」
「……っ」
「アイリス。君みたいな優秀な人間と結ばれて、全ての権利を手に入れてくれれば……とな」
「……馬鹿げてる。それで、タレムの心を理解して上げられないなんて……愛してあげられないなんて……」
「ああ。……未来は見えても、愛する妻の心も、息子の心も、見えなんだ」
「……訂正するわ。アンタは優秀でもなんでもない。ただの大馬鹿よ。……タレムと同じ、ね」
「……そうか」
言うべき事を全て言ったユリウスは、椅子から腰をあげ、
――チャキ。
護身用の剣を抜刀。
「介借は?」
「ふっ。……アイリス。お前にも一つ、言っておこう」
「……?」
「タレムが、お前を選ぶ未来もあったんだ。良いか? 罪は必ず、償える。償う心さえあればな」
「ちっ!」
「……ふっ。未来の息子の嫁に、私の命で禍根は遺させん! フヌッ!」
――ズブリっ。
自らの首を、自ら切り落とし……その四十二年の生涯を閉じた。
「……」
アイリスは、転がったユリウスの頭を無言で拾い、
「……心なんて、アンタにだけは言われたくないわ。でも……息子より妻を選んだアンタの行為は、許さないけれど……嫌いでもなかったわよ」
小さな声で呟いてから、茫然自失となっているコルネリアの膝に置くと、その場を立ち去った。




