四十八話 『ラスボスは恋敵? ノー。お父さんです』
決闘を終え、マリカの元に戻ろうとしていると、
「タレム様っ!」
――ずんっ。
マリカの方から駆け寄り、タレムに飛び付いた。
沢山の貴族達が見守る公衆の面前という体裁を何も気にせず、タレムの腰に腕を回し、身体をくっつけ、胸に顔を埋めて……
「良かった……良かったよぉ~っ」
涙と鼻水で胸元を濡らす。
「生きててぐれてぇ~っ。わたし……わたし……タレム様が死んじゃったら……って。うぇぇぇ~ん」
聖書に出で来る女神に並ぶほどの端正な顔を歪ませて、赤面。
お世辞にも美しいとは言えない有様だが……まだ、十六歳の少女なのだ。
普段、公爵令嬢として取り繕ろっている分、崩壊するときは脆い。
……何より、タレムが好きになった幼い時のマリカは、何時もこうしてぐずぐずになり、タレムに泣きついていた。
「ごめんね。心配させて」
「ばかぁ……っ! ばかぁ……っ! 本当に……ばかぁ……っ! もし、負けてたら! 負けてたら~ぁっ!」
「ごめん。(こりゃあ、答えも何もないか……)」
すーっと、タレムは指で涙を拭き取り、袖で鼻水を拭って、赤くさらさらな頭髪を穏やかに撫でる。
(まあ、泣き顔も可愛いから良いか……久しぶりだなこの感じ)
「ほらっ。マリカちゃん。ちーん、しな?」
ポケットからハンカチを取り出しているタレムの胸で、
「ぢーん」
「……」
鼻をかんだ。……当然、騎士礼装にべっとりと、鼻水が付く。
それを見て、一瞬沈黙したタレムだったが、すぐにハンカチで鼻水を拭き取ると、何もなかったように、マリカの肩を抱いた。
そして、
「取り敢えず。決闘は俺の勝ちだ! 盟約により、この結婚は破棄して貰う! 異論がある奴は前に出ろ! 俺からマリカちゃんを奪いたいなら、いくらでも相手をしてやる!」
「「「……」」」
「いないなら、俺がマリカちゃんを貰う!」
式場にいる全ての貴族達に勝利の宣言を決めた。
ウィルムを圧倒したタレムに異を唱える者は……
「ダメだッッ!! 貴様などにマリカは渡さん!」
「――っ!」
……いた。
ずっと、沈黙を続けていた、アルフリード・グレイシス公爵だ。
「くっ……」
アルフリードは、妻のマリアを従えて、客席から立ち上がると、
――ノシノシノシっ。
大股でタレムの眼前に立ちはだかった。
(マズイ……っ。覚悟はしてたけど。この人だけは……敵に回したくなかった)
とてつもない気迫が、元々大きいアルフリードの体格を数倍近くに幻覚してしまう。
身体の近くからは陽炎が起こり、数メートル離れた場所にある木製の椅子が燃え上がる。
「貴様らっ! 愛娘の晴れ舞台を台なしにして! 死ぬ覚悟は出来ているのであろうな!?」
――バァァァンッ!
鈍重に叫んだアルフリードを中心に、衝撃波が巻き起こった。
それがアルフリードの魔法なのか、はたまた別の何かなのか、アルフリード以外にはわかるわけも無いが、衝撃波は、大聖堂内の物吹き飛ばし、壁を割り、地割れを起こす。
更に、アルフリードが纏う熱気で、熱せられた空気は、その空間にいる人間の喉を焼く。
「「「ゴホゴホゴホゴホっ!!」」」
「《朱獅子》がキレた。に、逃げろ! 巻き添えにされるぞ!」
人口四千万人を誇るアルザリア帝国最強の騎士の憤激に、阿鼻叫喚を引き起こし、貴族達が大聖堂から退避していく……
普段から問題を起こしまくるアルフリードを止められるのは、アルザリア帝国で二人だけ、同じ領域の騎士、アダム・クラネットとユリウス・アルタイル。
ただ、
「当然です。俺は、全てを捨てて、マリカちゃんを奪いに来た! そのために必要なら何度でも、命だろうと! 捧げて見せましょう!」
誰もが一目散に逃げる中、タレムと、
「お父様……。タレムとやるなら、オレが先に相手をしよう。……腐れ縁の残虐姫との約束もあるんで、ね」
「拙者も、殿が為なら、最後まで付き合うでござるよ。……正直、勝てる気がしないでござるが」
イグアスとリンは、一歩も退かずに、武器を構えていた。
「「「……」」」
……数分後。
百人以上いた大聖堂内は、向かい合う、マリカを含めたタレム達四人と、アルフリードとマリア、そして、高熱の中、客席に座ったまま無言で状況を見守るアルフリードの息子二人だけ。……と、時間停止状態のウィルム。
……後はもう、全員が外へと退避した。
そこまで、動かなかったのは、タレム達ではなく、アルフリード。
彼を前して、先に動く事は時を操るタレムでさえ、『死』を予感し、出来なかった。
……汗を流しひたすら出方を伺う。
「マリカぁああ~~ッッ!! 俺との約束を破る気か!」
「ひぃぃっ」
炎が弾ける音以外、何も聞こえなくなってから、アルフリードが一番最初に口を開いて出た言葉が、娘の名前であった。
そこに乗った威圧に、マリカは怯み、タレムの背に隠れる。
当然の様に、タレムはマリカを庇い、そのタレムを庇おうと、イグアスとリンが前に出る。
「邪魔だぁああああ――ッ!」
――バァァァァん!
そんな二人をアルフリードは言うが早く、衝撃波で吹き飛ばす。
「「ぐぅぅ!?」」
「イグアスっ! リン!」
左右に吹き飛んだ二人は、壁を粉砕し撃沈。
「……た……レム。……マリカを……捨て……逃げ……ろ……」
「との……拙者……おに……まる……」
死んではいないが、相当のダメージで起き上がれない。
「マリカ~~ぁああッッ!」
「……っ!」
ドンっ!
隣に、美人妻を侍らせたまま、床を踏み砕き、足を進める。
(くっ……やるしかないか!)
「チッ! 一か八か……っ! 先手必勝ッ! とまれ! お義父様っ!」
「誰がお義父様じゃいっ! ……んっ!?」
《固体停止》……ウィルムと同じく、アルフリードの時間を切り離した。
「……っ!」
……成功。
完全に、アルフリードから身体の動きを奪い取っている。
(そうだ。この魔法は負けない! 例え相手が帝国最強でも!)
……と、タレムが思った途端。
「ふんっ! きかんわぁあああ! 糞餓鬼!」
――衝撃波。そして、
「小癪! 軟弱! 惰弱! 破ぁあああああああ――っ!」
――ガラスが割れる音。
同時に、アルフリードの時間支配が解除されてしまった。
「なっ……アホな。力ずくで魔法にあらがった?」
「ふぅ……ふぅ……ふぅ……ふぅ……っ。軟弱……者が。その程度でふぅ……娘を守れるとふぅ……思ったか!」
「……くっ」
その理不尽な力こそが、初代騎士王、英雄の末裔の証なのだろう。
「ふぅ……はぁ……ふっ」
「あなた。ちょっと疲れていませんか? 休みます? 膝を貸して上げますよ?」
「お前は黙って、俺の側にいろ!」
「まあ……あなたったら♪」
戦慄が隠せないタレムの前で、アルフリードは夫婦漫才するほどの余裕を見せる。
(まずい。熱を纏われてたら、世界時間を止めてもアイリスちゃんと同じ結末だし、そもそも、効くのか? このオッサンに)
――ギリッっ。
理不尽の塊のようなアルフリードを前に、タレムは奥歯を噛んで、倒れたイグアス、リン、そして、怯えるマリカを順に見つめた。
そして、
「……降参です」
「何?」
次の瞬間には、タレムは両手を上げて、反抗の意が無いことを示していた。
(ここだ! ……って、不意打ちしようと、無駄なんだろうな……あの、ござるが、勝てないって言ってたし)
更に、膝を付き、床に額を付ける。
超低姿勢。和式最上級謝罪法《土下座》である。
「降参です」
「タレム……様!」
そのみっともない行為にマリカが口を塞いで涙を流す。
(ダメだな。また、泣かせちゃったよ。まあ……プライドくらい捨てるさ、それ以上に大切なものがあるから)
「公爵。既に私は、アルタイルの名を捨てた身」
「……」
アイリスとの結婚を辞退した事で、タレムはもうアルタイルからは追放された。
……だからこそ、
「この一件。全ての責任は私にあります」
「まさか……タレムさまっ!」
「全ての責任を俺が負います。……どうか、慈悲を」
今のタレムには、タレムにしか責任が降りかからない。
十年前の様にアルタイルの名を汚すことはない。
つまり、だ、
「ほーう。お前が身代わりになるから、馬鹿息子と愛娘、それに、あの王女直属二千騎士長を見逃せと言うことだな?」
「肯定です」
全ての罪をタレムが引き受ければ、これ以上、マリカ達が傷つく事はない。
……もちろん、アルフリードがこの取引を呑めば、の話であるが。
「良いだろう。昔からお前の事は……気に入っていた。……乗ってやろう」
「……私も、昔から貴方を尊敬していました」
「ふっ」
……交渉成立。
アルフリードが護身用に帯剣していた剣を引き抜く。
(というか、俺達、剣すら抜いていない相手に、ボコボコにされたって事か……魔法も使ってたかも微妙だし……ハハッ。勝てないわけだ。こんな化け物)
「いやァァァァっ! 辞めてくださいお父様っ! お父様っ!」
「黙ってろおおおおおっ!」
「ひぃぃっ!」
アルフリードが一喝すると、マリカの膝がかくんと沈み、全身が恐怖で震え上がった。
タレム達騎士は、なんとかアルフリードの気迫に堪えられるが、修道女のマリカにあらがう術はない。
「覚悟は良いな?」
「……はい」
土下座しているタレムの首を落とす為に、アルフリードが剣を振り上げる。
(ああっ。こうなるなら、シャルともっといちゃいちゃして、アイリスちゃんのおへそをペロペロして、ござるのお尻をプリプリして……マリカちゃんとエッチなことしておけばよかった)
そして、容赦なく振り下ろした。
「とのっ! 忍法超技《千本影――」
「タレムっ! 《炎帝――」
瞬間、リンとイグアスが立ち上がり、目の色を変えて技を放つ……空白。
――ぱっっち~んっ!
「「「……っ!?」」」
死の恐怖ですくんでいた筈のマリカが、アルフリードの頬を平手打ちしていた。
それを目撃した全員が口をぽかんと開いて止まり、
「もうっ! お父様なんか大っ嫌いっ」
「……ぐふぅ」
マリカは場を支配していた絶対強者にそういい放った。
何故か少しよろめき後退する朱獅子を、マリアがさりげなく支えている間に、
「タレム様……っ!」
マリカは、タレムに近寄って、肩を引き土下座を辞めさせる。
「ま、マリカちゃん!? 何を! せっかく――」
「《結婚してくださいまし》!」
「――俺が……ええぇええええ!?」
更に腕を引き上げ、タレムの身体を起こしたマリカが突然のプロポーズ。
……ずっと、それを待っていたタレムだが、今だけは状況が悪い。
「もうっ! ハーレムが嫌だとか、おとぎ話のような恋とか、我が儘言いませんから! いますぐ、いますぐ! タレム様の后にしてくださいまし!」
「それは……」
「タレム様じゃないとダメなのは私なのでございます」
「……今は」
マリカはぽろぽろと涙を零して、タレムに縋り付く。
「もうっ! 他の方となんて嫌なのでございます」
「分かってるの? 今……結婚したとしても」
「死なら諸とも!!」
「――っ!」
「お供させてくださいまし。何処までも、何処にでも、例え冥福にでも……こんな汚れた身のふつつか者でも宜しければ……」
「……マリカちゃん」
つまり、である。
マリカは、どうせタレムがアルフリードに殺されるなら、その前に結婚し、一緒に処刑されたいと言っているのだ。
「どうか、タレム様の后の一翼にお加えくださいまし」
「……」
「私も、全て、を、捨てますので」
「……」
「貴方の妻にしてくださいまし」
「……」
「タレム様の腕で抱いて……抱いて! タレム様っ! お情けを! お情けを! 残されるのも! 奪われるのも! 辛いから! どうか……どうか……っ。ずっと……ずっと……貴方だけが好きだった……だから……だから! 抱きしめて!」
マリカは最早、ただの癇癪になっている。
……そんな申しで、受ける理由が無い。
「一人は嫌、一人は嫌! タレム様じゃないと嫌! 嫌! 嫌嫌嫌嫌嫌嫌なの!」
「……」
そもそも、
「結婚も何も、神父がいなきなきゃ……」
「ふふ。タレムさん。その気があれば、私が音頭を取りましょう。自分で言うのもおこがましい事でございますが、聖母マリアが詠む結婚式を、普通に予約すると、莫大なお金は勿論、二年先まで待たねばなりませんよ?」
「……お母様」
「私が選べなかった選択を、見せてくれたご褒美です」
「……っ。タレム様っ!」
……例え、儀式が出来るとしても、マリカを妻にすることは、すぐにアルフリードに殺されると言うことだ。
そんなの普通に考えて……するわけ……
「うん。したい。マリカちゃん。しよ……」
「……っ」
「一瞬でも、君と一生になれるなら、……意味がある」
……するわけ、無いのだが、理屈でも無かった。
後も先も関係ない。
そもそも、論理的な考えが出来るのなら、今頃はアイリスと結婚しているだろう。
「嬉しい」
「そりゃあ当然さ。女が喜ぶって書いて嬉しいだからね? ……ずっと俺の傍に居てくれ」
「ふふ。タレム様♪」
――ふぎゅゅゅっう。
もう。何も気にせず、タレムとマリカは互いを抱きしめた。
互いの肉を抱きしめた。
柔らかい柔らかいマリカの肉と、鍛えられ引き締まったタレムの肉が絡み合う。
「それでは、結婚の儀を取りましょう。異義のある方は?」
「マリアぁああああっ! 何を勝手にっ!」
……が、再びアルフリードが叫び、マリアを押しのけて、タレムとマリカの前に立ちはだかる。
「タレム様っ! 離さないでくださいまし」
「ああ……もう離さない」
しかしもう、マリカが恐怖に泣く事はない。
タレムが後悔することはない。
「あなた……潮時でございますよ?」
「……分かってる」
強く抱き合う二人を見るマリアに言われたアルフリードは、唐突に纏う熱気と放つ威圧を消した。
「「……?」」
そして、二人を凝視してから、マリカに言う。
「ようやく、タレム君を好きになれたか?」
「……え?」
「それでいい」
「お父様……まさかっ!」
「だが、マリカ。お前は破門だ! 俺を殴ったのは許さん……帰る!」
更にタレムの肩を叩き、
「妻に似て、頭が固く、傲慢で理想が高い我が儘な奴だが。娘を……幸せにしてやってくれ」
「……え? ……あっ。当然です」
そう言い捨てて、本当に何もせず去っていく。
そんなアルフリードの背中を見つめていたマリカは、ハッと息を吐き、タレムに抱かれたまま、
「お父様っ! わたしは、わたしは! タレム様の腕に抱かれるだけで幸せなのでございます」
「……ふっ。そうか」
マリカの言葉に満足した風になっているが、タレムとしては……
(あん? な、何が何だか全くわからねぇ……とにかく助かった、ってこと?)
「というか、これで終わりなら結局、グレイシスは何をしたかったんだよ……」
「ふふ、あの人は元々、じれったいタレムさんとマリカを結ぶ為に、この騒ぎを起こしたのでございます」
「あん? 騒ぎって……」
「ウィルムさんとの結婚騒動からでございます」
思わず口に出ていたタレムの疑問にマリアがにこやかに答えると、
……ギュッと、抱き着く力を強めたマリカが言う。
「やっぱり……。だとしたら大嫌いは言い過ぎたかも知れません……でも、でも、やっぱり、やっぱり! タレム様を殺そうとしたから嫌いでございます」
「ふふ、やりすぎるのがあのお方の良いところであり、悪いところでございますので」
つまり、である。
四つの貴族一家を巻き込んだ、全ての根源である、アルフリードはただ、タレムとマリカに発破をかけたかっただけである、ということなのだ。
「なるほど……そういえばアイリスちゃんも最後まで、グレイシスの思惑は謎だって言ってたっけ? ……いや、馬鹿とかけなしてたから……気づいてたのかも……」
「まあっ! 私以外に、あのお方のお考えを理解できる方がいるのでございますか」
「辞めて。そういう言い方。アイリスちゃんは普通に罵ってるだから」
(というか、マリカちゃんって、何もしなくても、答をくれるって言ってなかったっけ?)
焼け焦げボロボロになった大聖堂に、ボコボコにされたウィルム、マリカのファーストキスまで、犠牲にして、やりたかった事かと、タレムは思い、溜息を付きながら言うのであった。
「あの馬鹿公爵! ふざっけんな! 全部っ! ぜーんぶっ! 茶番だったのかよぉおおおおおお――っ!」
「いえいえ。あの時、マリカが割って入らなければ、恐らく……笑い話では済まないくらいは、本気でしたよ?」
「……尚悪いわ!」
こうして、帝国を騒がせた騒動は、一先ずの結末にたどり着いたのであった。
……タレムの腕に抱かれ、幸せそうに身を委ねる紅い髪の少女が戦利品である。(後、もう少し)




