四十四話 『ああっ~♪ 憧れの♪ 結婚式だよ~♪』
――アルザリア帝国暦十二月四日。結婚式当日。
西の大聖堂で結婚式を行うマリカは、控室にてウェディングドレスの着付けを行っていた。
結婚式へ向けて、最後の準備である。
コレが、終われば、式を執り行いウィルムの妻となるのだ。
……もう後戻りは出来ない。
(ウィルム様と結婚……)
純白のウェディングドレス。
サラサラでつやつやの質感。
(ふふ、ずっと憧れていました花嫁衣装でございます)
静質な空気と、静寂な環境は、大聖堂と名乗るだけはある。
朱く長い髪も長櫛でとかされ、元々サラサラしている髪質が更に流水の如く滑らかになっていく。
頬には白粉、唇には口紅、次々と準備が進んで行き……
「マリカ……終わりましたよ」
マリカの着付けを全て一人で行っていた母、マリア・グレイシスがそう告げた。
歳がタレムの母、コルネリアと同じだとは思えないほど未だに若々しく、美しい。
長く伸びた黒髪にも艶があり、マリカよりも色っぽい気質がある奥方だ。
「ありがとうございます。お母様。……わたしは幸せ者でございますね? ふふ」
「……」
「では、行って参ります」
マリカは礼儀正しく感謝し、涼しい微笑みを浮かべて立ち上がる。
……いざ、行かん! ああ、憧れの結婚式だ!
「マリカ。まだ、少しだけ早いので、嫁ぐ前に少し母とお話しをしませんか?」
「……なんでしょうか?」
張りきって立ち上がったマリカの肩を、マリアは掴んで座らせる。
そのまま、余念がないようにと娘の赤い髪を梳かしながら……
「無理をせずとも結婚してから好きになることありますよ?」
「――ッ!」
囁かれた言葉にマリカは驚天し、大きく赤い瞳を見開いて、鏡に移る黒髪の麗人に、視線を向けた。
「母様は何を……? おっしゃられているのでございますか?」
「母には分かります。まだ不本意なのでしょう? この婚約」
「……そんなこと、ございません。わたしは、ウィルム様が好きでございます」
しかしすぐにマリカは瞳を閉じ、微笑みを携える。
その微笑みに陰りはない。
「そろそろ、《王子様》の方も結婚が始まりますね?」
「……ッ!」
――ギリッ!
だが、相手は実の母。しかも、聖母と言われるほどの修道女である。
マリカの言葉が本心にせよ、違うにせよ、その微笑みを消し、奥歯を噛ませる事は容易であった。
「いい加減にッ! ……お母様はこの結婚――」
「私は、あのお方の妻でございます。あのお方が何を考えてこんな愚行に出たのかは分かりませんが、あのお方が下した決定に異論はありません」
「……なら! 余計な事は――」
「ただ。そんな剥がれそうな薄い鍍金を被った愛娘を、人生で一度きり、初めての晴れ舞台に、黙って送り出すことも出来ません」
「……何が……言いたいのでございますか? 私は……ウィルム様と結婚出来て幸せなのでございますよ? ふふ」
笑顔。マリカは、間違いなく本心からそう言っている。
……だが、
「自分を騙す嘘は辛いでしょうに……」
そんな愛娘にマリアは悲しそうに呟くと、
「実のところ。貴女の気持ち。母には良く分かってしまいます」
「……分かる? 今のわたしの気持ちが? ふふ、それは幾らお母様でも――」
「二十年前。私はアルフリード様と結婚致しましたが、実は直前まで、別のお方の腕に抱かれておりました」
「……え?」
突然、語られるマリアの過去。
それにマリカが驚くのは無理もない。
なぜなら、アルフリードとマリアの夫婦合は、子供達が呆れるほど睦まじいからだ。
もうすぐ、五人目の懐妊報告があってもおかしくないことも、グレイシス家に住む者なら誰でも知っている。
……密かに、そんな父と母の関係に憧れを抱いていたほどだ。
「ふふ、驚きましたか?」
「それは……」
「元々、私は異国の王族で、帝国との友好の掛橋に為るために……グレイシス家に嫁ぎました」
「政略……結婚」
「……ふふ、そうでございますね」
マリアの言葉を聞いている内に、マリカの笑顔は消えていた。
「ですが、当時、私にはお付き合いしていたお方がおりました。そのお方をとてもとても……愛しておりました。馴れ初めは割愛致しますが……」
「お母様……」
過去を語る母は、少しだけ辛そうで、出来れば語りたくないだろうと言うことは、今まで語らなかった事からも明らかだった。
「間もなく、そのお方も、別の高貴な姫との婚約が決まってしまいました」
「……っそれって」
「ふふ、もちろん。私たちは会うことすら許されなくなりました」
笑顔どころか言葉すら失ってしまう。
マリカにはその時のマリアの気持ちが痛いほど理解できてしまうからだ。
「ですが、そのお方は、無理を通して結婚式直前に私の前に現れると、私を優しく抱きしめて『俺と結婚しよう。例え、全てを失うとしても』と、おっしゃいました……」
「……」
「……」
「それから?」
「……」
「それから! それからどういたしたのでございますか!」
いきなり沈黙する母に、マリカが声を荒げて食いかかる。
……しかし、マリアは首を横に降って、
「母には、国を捨てることも、彼と共に堕ちる事も選べませんでした」
「……そんな……ぁっ。じゃあ、やっぱり……」
「ふふ……っ。私の『好き』は、その程度……だったのでしょうね」
「……」
分かりきっている結論を聞き、肩を落とす愛娘をマリアは優しく抱きしめる。
「でも、そのおかげで貴女が生まれました」
「……そうで……ございますね」
今のマリカはそんな綺麗な言葉を、綺麗な話を聞きたい訳ではなかった。
それでも、そんな綺麗な話を体験したマリアだから言える言葉もある。
「マリカ。結婚してから、好きに為る事も出来ますよ? 今の私が不幸そうに見えますか?」
「……」
「貴女もきっと――」
「お母様」
運命とは受け継がれるものなのかも知れない。
マリカはそう思いながら、
「私は、ウィルム様が好きでございますよ?」
「……」
再び、歪み一つない微笑みを浮かべて、マリアから離れると立ち上がり、大聖堂への扉へ向かう。
……もう、結婚式が始まる時間だ。
「行って、参ります」
「……マリカ」
そんな娘のピンと伸びた背中に、
「貴女はもし、王子様が現れたらどうしますか?」
「……」
「貴女に全てを捨てる覚悟はありますか?」
「……」
「貴女の王子様と――」
「お母様。わたしは今からその、王子様と結婚するのでございますよ?」
母の言葉を遮って、マリカは扉を開けた。
すると盛大な拍手が沸き起こる。
綺麗に敷かれたレッドカーペットの先には、緑髪の貴公子ウィルム・ドラクレアのレオタード姿。
「マリカ。自分に嘘をつくのは辛いことでございますよ?」
「……」
そんな母の言葉を聞き流してマリカは、レッドカーペットを歩いていく。




