四十二話 『黄昏れの決別』
降り積もった雪が一面を白く染め上げ、冷たい風がビューンと吹き荒れる。
そんな中、アルタイル家から逃げ出したタレムが向かったのは、アルザリア帝国学院の馬小屋だった。
理由は特にない、ただ、足が向いただけ。
しかし、馬小屋を見ていると思い出す事がある。
……マリカと過ごした時間だ。
(……マリカちゃん)
マリカは、当主命令とはいえ、家出したタレムをずっと一番近くで支えつづけてくれていた。
タレムが馬小屋生活を続けられたのは、間違いなくマリカの献身的なサポートのおかげである。
(俺は……)
どんなに疲れて帰ってきても、マリカが笑顔で出迎えて、美味しい手料理と、癒しの魔法でタレムの心身を癒しつづけてくれたのだ。
公爵令嬢であるマリカが、わざわざタレムに合わせて、貧しく、ひもじい生活を共に過ごしてくれたのだ!
(俺は……どうすればッ!)
だからこそ、苦楽を共に出来るマリカに、夢の第一歩を共に歩んでほしくて、一番最初のパートナーにと、プロポーズしたのである。
……それなのに、三日後には、マリカは、ウィルム・ドラクレアと結婚してしまい、タレムはアイリス・クラネットと結婚する。
(アイリスちゃんとの結婚は嬉しいし、お父様の策略なら、確かにすべての家を出し抜いて、俺は騎士王になれる。……そして、容姿よし、家柄よし、性格よし、と三拍子揃って完璧な、ウィルム司祭とマリカちゃんの結婚を、俺みたいな駄目人間が邪魔して良いのかが解らない。マリカちゃんもウィルム司祭の事は、嫌いではないようだったし)
……一つだけ、タレムにはこの結婚を止める方法が思いついている。
ただし、それをすると、この政略結婚に関わった全ての家を敵に回し、今度こそアルタイル家からも追放され、騎士爵さえも失い、更にはマリカにまで多大な迷惑を掛けることになるだろう。
……つまり、マリカ以外の全てを失うということだ。ハーレムの夢も……諦める事になる。
そこまで覚悟をして、やったとしても、等のマリカにその気が無ければ、タレムはマリカすら手に入れる事もできない。
そして、その行動は無意味どころか、他人の恋路を掻き乱す、ただの迷惑な勘違い野郎になってしまうのだ。
(ダサいけど。この期に及んで、マリカちゃんに選ばれる自信なんてないよ。何回もフラれてるし……婿としてスペック最強のウィルム・ドラクレアと比べられたら……ね)
動けば、全てを失い、動かなければ、全てを手に入れられる。
アイリスが言った様に、どうすれば良いかなど馬鹿でもわかる事だ。
……だと、しても、
(それでも……っ! それでも俺はッ! 一瞬でもマリカちゃんを誰にも奪われたくないんだ!!)
「タレム……様?」
「……ッ!」
太陽が地平線を紅く染める刻。
馬小屋を眺めながら、全てを失う覚悟を決めていたタレムに、後ろから、ささやかな声が響いた。
……その砂糖よりも甘く、小鳥の声よりも心地好い響きは、振り返らずとも分かる。
「マリカちゃん……」
「はい」
馬小屋では一ヶ月、ロック村では二ヶ月も、支えつづけてくれた件のマリカ・グレイシスであった。
「何でここに?」
「……わかりません。いつの間にか、ここにおりましたので」
「……そっか」
「まだ、別れてから半日ほどでござますが、お互い……色々なことがありましたね」
「……そうだね」
タレムに、マリカはゆっくりと近寄って、真後ろで足を止めた。
その、振り返らないタレムと、寄り添わないマリカの距離感が、お互いの現状と立場を語らずとも全てを物語っている。
二人はもう、仲の良い幼なじみではなく、アルタイルとクラネット、グレイシスとドラクレア、コレから二つに別れる政敵どうし。
しかも、結婚前の身だ。
むやみに異性と視線を合わせることも、肌を触れることも許されない。
それでも、
「タレム様はもう、知っておりますよね?」
「……」
「……では、改めて。わたし、マリカ・グレイシスは、三日後、司祭、ウィルム・ドラクレアと結婚致します」
「――ッ!」
マリカは、決別を告げる為にそう言ったのであった。
その声には、微塵の後悔の色は感じない。
……つまり、タレムが動くことは、ただの迷惑野郎になる。と、決定した事になる。
(それでも……)
「今日、結納を済ませて参りました。タレム様も……で、ございますよね?」
「……ん?」
マリカは今、白無垢を着ている。
白粉で真っ白に装飾したその姿は、本当に美しい。……だが、それをタレムが見ることはない。
「ああ……っ。アイリスちゃんが居たのって、そのためか……」
「ふふ、予想はつきますね。まあ、結納は形式だけでございますので」
「うん。まだ、結婚はしていない」
「……」
「俺も、マリカちゃんも、ね。だから、今なら――」
「……」
言葉を続けようとしたタレムの背中を、マリカがポツンと掴んだ。
抱き合った事もあるが、今はそんな接触すら、許されないというのに。
「聞いていませんでしたか? わたしは……ウィルム様と結婚致します」
「……聞いた。でも、俺は――」
「ならば、今、お約束した答えを、言いましょう」
「嫌だ……」
「わたしは……」
「聞きたくない」
「……わたしは、ウィルム様が――」
「やめてっ! やめてよ」
「好きになりました」
「……っ」
「なので、タレム様の気持ちには答えられません」
「……な……んで?」
一番、言われたくない時に、一番、言われたくない人に、一番、言われたくない事を言われてしまった。
……しかも、淡々と。
コレではもう、タレムがやろうとしたことは、勘違い野郎どころか、ただのゲスの行いでしかなくってしまった。
……もう、一ミリもタレムが擁護されるべき理由はない。
「ウィルム様は約束してくださりました」
「……違う! そういう意味じゃない。理由なんか聞きたくない!」
「私だけを愛し続けてくれると……っ」
「……くっ」
「私の夢を全て叶えてくれると……そう約束してくださいました。私の王子様はウィルム様だっでございます」
「……」
……最初から嫌な予感はしていたのだ。ウィルムを一目見た、あの瞬間から。
何があっても、マリカと共にグレイシス家へ行くべきだった。いや、マリカが嫌がっていた段階で、ロック村に引き返すべきだったのだ。
そうすれば、こんなことにはならなかった。
「そんなに……好きなの?」
「……はい。誰よりも、愛しておりますので」
「……ウィルムを?」
「ふふ……」
「……そっか」
(なら、もう……俺に出来る事は……)
「幸せに……なってね」
「……」
(……応援するぐらしいかない)
そう、思い、溢れだしそうな涙を飲み込む。
そんなタレムに、マリカは……
――とんっ。
タレムの背中に額を当てた。
そうして、
「申し訳ございません。タレム様」
初めて、感情が乗った声でそういったのだった。
……本心からの言葉なのだろう。
「本当に……申し訳ございませんでした」
「……やめて」
「わたしは……タレム様を、都合の良い様に扱っていました」
「……やめてって」
「タレム様の気持ちを軽視して、利用して、お側に仕えておりました」
「……もう、やめてよ」
「どれだけ酷い仕打ちなのか……考えもせずに……」
「……っ」
「……申し訳、ございませんでした」
「……」
……わたしなどに、タレム様に仕える資格は有りません。
マリカは、タレムに聞こえない程、小さく、
「(タレム様はどうか、お幸せになってくださいまし)」
そう呟いて、そっとタレムから離れ、その場を後にする。
……これが二人きりで会える最後の時間。
そう、二人とも分かっていても、最後の最後まで顔を合わせる事はしなかった。
そして、マリカの気配が完全に消えてから、
「くそ……っ! ダセェ……っ」
タレムは、滝の如く滂沱し、膝から崩れ落ちたのであった。




