三十六話 『父親』
アルタイル家当主 《ユリウス・アルタイル》。
……歳の程はコルネリアよりも一回り大きい四十二歳。アルタイルが血筋の証である、白黄色の瞳と髪。
また、三十二歳にして、年老いた風格が香るコルネリアとは違い、まだまだ精力的な顔つきで、年老いた様子など微塵も感じられない無頼漢だ。
実際、現帝国で、ユリウスは三本の指に入る実力を持っている騎士であり、彼が纏う、場を支配するようなぴりぴりとしたオーラがそれを証明している。
まだまだ、現役騎士として、前線で活躍していても良いほどの男なのだが、十年前のシャルル王女暗殺事件で降格して以来は、ピタリと一線を退いた。
それからは開帝以来、一度も攻められた事の無い、帝都防衛の任を遂行しながら、アルタイルの屋敷で慎ましく暮らしていた。
「……」
そんなユリウスが、鋭く重い視線で、コルネリアとコルネリアに抱かれるタルシス。そして、心身共にボロボロで疲労困憊のロッテ。最後に俯くタレムを見て、
「ふん。まあ、だいたい分かった」
そう呟いた。
そうして、
「コルネリア。タルシスを連れて下がっていろ。私は、タレムに話がある」
ユリウスは突き放す様に、己の妻に言い付けた。
本当に何があったのか、分かっているのだろう。
「――っ! ユリウス様っ。どうか私にもお話をお聞かせくださいまし! お側に居させてください……っ!」
だからでは無いのだろうが、コルネリアは蚊帳の外に置かれることを激しく嫌がった。
そんな妻をユリウスは無言で一瞥し、
「……好きにしろ。だが、タルシスは寝かせてやれ」
視線を外して、そういった。
「はい! はいっ! ありがとうございます」
ドタバタとコルネリアは急ぎ足で屋敷の奥に消えていく。
そんな背中を見届けてから、ユリウスは視線をロッテに向ける。
「お前は……」
「旦那様……私めを、御主人様の側に居させてくださいませ」
「休まないで良いのか?」
「御主人様にお仕えしたいのです……」
ロッテの視線は口よりも強く語る。
……絶対に引かない、と。
「……そうか、ならば、ついて来い」
ユリウスは、俯き続けているタレムに言って、踵を翻した。
向かった場所は、客間。
あるのは、中央にテーブル。そして、豪華なソファー。壁際に暖炉。更に少し開いた窓が二つと、冷気を入れないためのカーテン。
既に暖炉で炎が焚かれていて客間の中は暖かかった。
「ひぃっ」
「……そうか」
客間に入ると同時に、タレムの袖を掴んで小さくえずくロッテの声を聞いたユリウスが、上座に座りながら指を鳴らす。
――パチンっ。
瞬間。閃光が走り、暖炉の炎が消えた。
……顔面を炎で焼かれたロッテは、火を極端に忌避しているのだ。
「あ、ありがとうございます。旦那様」
「気にするな」
リンとの修業で成長した筈だが、ユリウスが、何をしたのかタレムには分からなかった。
ただ一つ、言えることは、ユリウスが得意の光魔法を使って火を消した、という事である。
(やっぱり……お父様は凄いなぁ)
「どうした? 座らないのか?」
「……ロッテは?」
「構わん」
「……では、失礼します」
成長したからこそ分かる父親の偉大さに、タレムは敬服しながら、下座に座り、その隣にロッテを腰掛けさせた。
……父を前にすると、自然と背筋が伸び身が引き締まる。
タレムは、ユリウスにそれ程までの畏敬があった。
だからこそ、
「ユリウス様。早速ですが、私に何様ですか?」
母の言葉がわからない。
元々、当主候補の養子とは言え、タルシスが生まれた以上、タレムにはアルタイルの当主になる意思も資格も無い。
……奪うとは、一体何なのか?
……そして、ウィルム・ドラクレアが言っていた事は何なのか?
これ以上、良からぬ事を勘繰られる前に、ユリウスから要件だけ聞いて、すぐにアルタイル家を出る。
今のタレムにできる母への真摯な行動は、それだけであろう。
……と、タレムが考えながなら言うと、
「……父とは呼んでくれないのか?」
「……あん?」
思わず、素の言葉が漏れるが仕方無いだろう。
何が来るのかと身構えていたタレムに、ユリウスの第一声が、本当に悲しそうな声色でそう言ったのだから……
「ほら、昔は良くお父様と呼んでくれたでは無いか?」
「……それは……どっちのタレムでしょうか? 昔の私は今の私には――」
「どちらもだ」
「……」
「どちらも、私の息子だ」
「……よろしいので?」
「遠慮なく、な」
優しい声だった。
……本当の父のような声であった。
こういう所も、タレムがユリウスを尊敬する理由である。
「お、お父様……俺……」
「ふむ。それで良い。私は何時でもお前の父なのだからな」
母にアレだけ拒絶された後で、ユリウスのこの対応は、言葉に出来ないほど嬉しいものであった。
しかも、タレムは、七ヶ月前、育んでくれたユリウスを裏切る様に家を出たというのにだ。
「騎士になったのだろう? 何故、私に報告せんなんだ? 祝福すべき事柄だぞ」
「それは……俺がアルタイルの名を背負って学院に通わせてもらっているのに、余りにふがいなく――」
「コルネリアか」
「……」
「家を出た理由もそれだな?」
「……」
父から向けられる熱い視線と言葉にタレムは口が開かなくなってしまった。
実際、ユリウスの言う通りなのだが、養子のタレムが「お前の嫁、性格どうなん?」なんて言えるわけがない。
当然、ユリウスもその辺は察していた。
だから、まだ、コルネリアが戻って来ないことを確認し、
「すまないな。お前は覚えて無いだろうが、アレは、アレで、昔は良く出来た美しい姫だったんだ。お前の事も大切に……」
「はい。心得ております。俺から奥様を嫌っている訳でもありません」
「そうか……母とは?」
「呼ぶと、烈火の如く」
「……そうか」
悲しそうに呟くユリウスに、本題に入らないならちょうど良いと、タレムは言う。
「ところで、お父様。何故、ロッテをこんな扱いに?」
「――っ! 御主人様っ!」
そんな話題に、ロッテがぴくんと身体を弾ませて、目を見開くが、タレムは止まらない。
「いくらなんでも、十日も外に出しているなんて。それにご飯だって全然……」
「それは知らんな」
「お父様!」
折角、和やかだった父と息子の間に剣呑な空気が流れる。
ロッテは奴隷だが、タレムが大切にしている妹の一人なのだ。
それを、雑に扱われたら――
「それを勝手に家を出た、お前が言える立場と思うのか?」
「――っ!」
――ユリウスの言う通りである。
「お前は私の息子だから、勝手をしたことは赦そう。だが、お前が欲しいといって買ったお前の奴隷についてまで、私が面倒を見る必要があるのか? 現に、それが、主と呼ぶのは私ではなくお前であろう?」
「……くっ。全く持ってその通りです(クソッ! 馬鹿やろう! ……俺)」
……正論だ。
ユリウスには、タレムが居なくなった後も、家に置いていてくれた。と、いうだけで、感謝しなければならなかった。
ロッテを本当に大切だと思っていたなら、何が何でも家出をしてはいけなかったのだ。
それを父の責任にした自分の不甲斐無さに、歯を食いしばるしかない。
「……ロッテ。ごめん。君の不幸、全部、俺のせいだ」
「いえ。ロッテは御主人様に会えるだけで幸せですので」
「……」
そんなことを心から言ってしまうロッテだからこそ、タレムは大切にしているのだ。
悔しくて、悔しくて、血が滲むほど拳を握り締めて俯くタレムに、ユリウスは言う。
「まあ、知らなかったのは事実だ。これからは、ソレをコルネリアの専属から外し、私の専属としよう」
「お父様っ!」
「……これで良いな?」
「感謝を」
「ふん。まあ、お前が家を出た理由が理由で有るからな。騎士になったのだ。今更、戻ってこいとも言わんさ」
心気高き偉大な父に、タレムは心から頭を下げた。
そんな頃、タルシスを寝かしつけてきたコルネリアが戻り、ユリウスの隣に腰掛ける。
それを合図にするように、ユリウスは声の質を変え、
「だが、だ。タレム。騎士になったお前には、アルタイルの者として《結婚》してもらう」
さらりと本題に入ったのであった。(続く)




