八話 『ラッキースケベという死亡フラグ』
翌朝。
朝霧の中、馬小屋の外でタレムが日課にしている特訓に勤しんでいると……
チャポンっ!
水の跳ねる音が聴こえた。
……人の気配。
タレムと林を挟んだ向こう側。
(こんな場所に朝早くから誰だろう?)
ここは、あくまで帝国貴族のお嬢様・お坊ちゃまたちが通う学院。
タレムの様な例外はいれど、箱入り貴族の生徒たちは朝霧が発生するような時間に来ようとは思わないだろう。
むしろ、どれだけ遅れて来られるかで、貴族としての爵位と格を測る様な風習さえある。
タレムは、そんな学院の、生徒でも近寄らない様な場所に来る酔狂な人間に興味が湧き、林を掻き分けて向こう側を覗いてみた。
そこにあるのは、涌き水で出来た透明度の高い泉。
そして、そこで水を浴びていている金色の少女の裸体。
「……ん?」
タレムが林を掻き分けた音に、金色の少女が気づき振り返る。
(こ、これは!?)
タレムはその状況を瞬時に聡った。
――ラッキースケベだ!!
そして、そうならば、この後に来る展開は、容易に予想が出来た。
きっと遠からず、金色の少女に暴行されるのであろう。
少女の裸体と暴行が釣り合うのかはタレムには解らないが、ラッキースケベとはそういうモノ。
(なら、俺は! このラッキーを全力で堪能する!!)
そう決意したタレムは、即座に魔法を発動した。
トーンっ。
世界の時間が百分の一倍速となる。
その間、タレムは、少女の裸体を舐めるように観賞する変態と化した。
本当にこういうときだけは、タレムの魔法は便利なのである。
(朝霧から入る日光で輝く金色の髪は、少女にしては短めだが、天然なウェーブがかかっていて全てをあるがままに受け止めてくれそうな気質を感じる。身体の肉付きも少女にしては、控えめだが、背中からつるっとしたお尻りと、水を弾く瑞瑞しい白い肌は実に官能的感情をそそられる。顔もまたその感情を向上させるほどに整っている。マリカの絶対的な美しさには及ばないまでも、アイリスとは同格かそれ以上。瞳の奥にもゆる炎は、強く激しくそして、大きく優しい。猛々しいだけのアイリスよりも上か!! そして――)
連続で魔法を使用しながら、快活に金色少女の裸体を寸評していたタレムの瞳が、少女の背中から胸側に移った時。
どくんっ!
心臓が跳ね上がった。
「――ッ!」
それは、少女の胸が小さかったからではなく、その小さい胸から太股の付け根にかけて、深く刀傷の跡があったから。
しかも、大小様々な傷痕が幾つも、だ。
タレムから、好評であった肉体美を、それが醜く、下げているのは言うまでもない。
……一体、金色の美少女に何があったというのだろうか?
ズキン!!
と、そんな時、タレムの古傷が悲鳴を上げた。
そのせいで、魔法の制御を誤り、時間感覚が元に戻ってしまう。
……そこからは、速かった。
ザッ!
「む!? 誰だ!」
「しまった!」
と、金色の美少女が、タレムに気づき、絹の布で前を隠しながら振り返れば、
ザザッ!
反射的に逃げようとしたタレムの真後ろに、音もなく人が舞い降り、腕を掴まれ……た、と、感じた一瞬後には、地面に組み伏せられていた。
上手く関節が決まっていて……
「動くと折れるでござるよ?」
「くぅ……ござるってなんだよ」
鬼の仮面を付けた小柄で独特な衣装の襲撃者は、そう言いながら、鋭利な刃物をタレムの首筋に押し付けた。
タレムには解らないが、黒光りするそれは特殊な暗殺武器クナイである。
「死ぬ前に何処の手の者か吐くでござる」
「……ちょっちょっ! 流石に、覗きと命は割にあってないよ!」
「勝手に喋るな!! 銀色の髪。貴殿、フィースラリアの人間でござろう。何処の密偵か喋れば命は見逃すでござるよ?」
「……ッ!」
「ふっ。しゃべらぬか。それも一興。ならば死ぬでござる」
鬼仮面の言葉に孕んだ明確な殺気が、タレムからおふざけ気分を一瞬で消し飛ばす。
……本当に殺される。
タレムがそんな直感を働かせ、鬼仮面が溜息と共にクナイを握る力を強めた時。
「リン! ……それは、ただのスケベなオスだ。どうせ、私の美貌に見とれて寄ってきてしまったのだろう。我ながら美しいとは罪なモノだな」
「おっしゃる通りでござる」
金髪の美少女が、止める。
すると、鬼仮面が……
「姫……用心するでござるよ?」
そう言い残し、タレムを解放すると、再び音もなく姿を朝霧の中に消した。
残されたのは地に伏したタレム……
「ところで、そこの覗き魔殿。少し、向こうを向いて待っているのだぞ? 逃げたら……鬼が追いかけるからな」
「ひぃ~~ッ!」
タレム改め、覗き魔に、従う以外の選択枝はなかった。
――そして、数分後。
白いワンピースに袖を通した金髪少女に、
「すみませんでしだぁぁああああああ~~ッ! できごごごごろだっだんですぅうう~ッ!」
タレムは土・下・座!! で、頭を土で汚していた。
そんなタレムを見て、金髪少女は、
「ふむ……」
にやりとほくそ笑むと、そのままタレムの頭をハイヒールの靴底で踏み付けた。
人々が窓から糞尿を捨てるため、足が汚れないように作られたハイヒールで、だ。
そして、
「よいよい。気にすることは無いぞ? 私が全く気にして無いのだからな。はっはっは」
「言ってることとやってることが、ここまで噛み合ってない人、初めて見たよ」
「む? 本当に怒ってないぞ? これは……なんだ。ちょっとした挨拶だ」
「なら、退けてよ! 汚いし痛いからさ!」
「む……仕方の無い奴だな。ほれ、顔を上げろ、今、拭いてやろう」
「もうめちゃくちゃだよこの人」
金髪少女は、自分で踏んでおいて、自分のハンカチでタレムに着いた汚れを拭っていく。
……もう訳が解らなかった。
ただ一つ、この少女は、タレムが覗いて居たことに対しては、本当に気にしていない。
「フムフム。なかなかよい面構えをしているではないか……この銀髪がよい」
「それ、俺の面は関係ないよね!」
「フムフム……む?」
呆れるタレムに対して、ご機嫌だった金髪少女が、ふと、タレムの顔を凝視して、固まった。
そのまま穴が空くほど、じろじろとタレムを見た金髪少女は……タレムの額の傷痕に気付き、
「そち、名は何という?」
「え? タレムだけど……」
「っ!」
この時、ほんの一瞬、タレムは金髪少女が泣いてしまったかと思った。
それぐらい痛ましそうな顔で、タレムを見つめ、その頭を優しく抱きしめたのだ。
ぎゅ~~っ
「な、なっ! なんなんだよ! 君は!」
突然の事に驚いたタレムが、慌てて金髪少女から離れると、金髪少女は、
「いや。すまぬ。昔、私の命を救ってくれたイケメン王子様に見えたのでな。まあ、現実は残酷だと言うことだ」
「メルヘンで雑な言い訳で、俺の容姿をもののついでみたいに弄るの辞めてよ!」
「ふむ。タレムが嫌がるならやめるとしよう。イケメンに嫌われるとつらいからな」
「今更、殊勝になっても、おそいんだよ!」
こうして、タレムと金色の少女は、出逢ったのだった。