三十三話 『アルタイル家のメイド』
グレイシス家の二人と別れたタレムは、家出して以来、七ヶ月ぶりにアルタイル男爵邸の前まで赴いていた。
「いやぁ~っ。若気の至りで、飛びだしちゃったからなぁ……。自分で言うのもアレだけど、ハーレムとかアレな事言いながら……ぁぁあ~っ気が重い」
ロック村の屋敷よりも広い敷地の入口で、仁王立ちしたタレムは腕を組んで足を止めていた。
……自分の夢に恥じることは一切ないが、親に語って聞かせる事でもない。
「一応、タルシスの代わりに社交会に出たりして、最低限の関係は保ってたけどさ……」
もう、二度と戻らないと誓って家を出た。
それに対し、クラリスは連れ戻そうと口を酸っぱくして何度も、タレムを説得したが……
今の今まで父親アルタイル男爵を筆頭に、他の者がタレムを連れ戻そうとはしなかった。
……七ヶ月もの間、である。
「何で今更いきなり呼び戻されるかなぁ……。ハァ……っ。やっぱり、すっぽかそうかなぁ? うん。そうしよう」
(……今まで、大丈夫だったんだから、お父様もそうそう、怒りはしないはず! それに、アルタイル家に俺の居場所は――)
親の命令は絶対だが、この命令に限って言えば、家出をしているタレムが従う理由はない。
なぜなら……
「御主人様……?」
「……っ!」
うだうだと、言い訳を捻り出し、アルタイル男爵邸とは反対側に身体の向きを変えた時、敷居の中から、幼い少女の声が響いた。
「……はっ。やっぱり……御主人様っ! 御主人様! 待って!」
その声に、タレムは踏みだそうとしていた足をピタリと止めて振り返る。
少女が呼ぶ、御主人様とはタレムの事だからだ。
「……ロッテ」
「御主人様っ!」
屋敷の塀を飛び越えて、タレムに飛び付くのは、一女傘を被った十三歳の少女ロッテ。
両手両足と首に鎖を括り付けられている姿から分かるように、ロッテは六年前、アルタイル家に買われた奴隷である。
――どさっ!
当然、飼い主はアルタイル男爵だが、ロッテはタレムを主と慕っている。
タレムもタレムで、ロッテの事を奴隷として扱わず、クラリスと同じ様に妹として可愛がっていたのだ。
「良かった。帰って来てくれて……」
「……いや、帰って来た訳じゃ――」
「ずっとずっと、待っていました。ロッテはずっと、御主人様は帰ってくると、信じておりましたよ?」
「……ぐふっ! (心が痛い)」
そんな妹に潤んだ瞳で言われたら、タレムの口も開かない。
目は口ほどに物を言う。
ロッテの瞳には、タレムに対する厚い信頼が垣間見えていた。
「……さ、御主人様。中に入ってください。ロッテが案内しますから。話したいことも沢山ありました」
「……」
(やっべぇっ! いまさら、やっぱり帰えらないとか! 言える訳ねぇぇッッ!)
タレムは、氷の様に冷たい手で、ロッテに引かれて屋敷の敷居を跨いでしまう。
……こうなったら仕方がない。
(もう、なるようになれ! ……でも、その前に)
「ロッテ。何でそんなに、凍えているの?」
「――っ!」
タレムに指摘された、ロッテは慌ててタレムを掴む詰めたい手を離す。
「申し訳ございません……。御主人様に会えて嬉しくて……はしゃいでしまいました。どうか、私めを罰してくださいませ」
「そうじゃなく……て?」
声から色を消し、雪の上に膝を付け頭を下げる。
……辞めさようとしたタレムの瞳に、改めてロッテの姿が映った。
氷柱が下がるほど氷付いた鎖が、肌を赤く焼いている。
服もボロボロの雑巾の様な薄い布が一枚だけ、靴に居たっては履いておらず、裸足であった。
……いくら、奴隷とは言えひど過ぎる扱い。これでは、死んでしまう。
「ロッテッ!」
急いでタレムは上着を脱ぎ、ロッテの肩に羽織らせる。
鎖の氷柱を落とし、首巻きも巻くと、抱き抱えて温めた。
……やはり、かなり体温が下がっている。
「御主人様っ! 嬉しい」
「馬鹿っ言ってる場合かよ」
これは、ちょっと外に出ていた、なんて話ではない。
おそらく、数時間、いやそれ以上、ロッテは外に居たのだろう。
本当に、命が危険なレベルである。
「場合です。いつもの事ですので」
「……は?」
「ふふ、また、御主人様と会えて、話せて良かった」
「ロッテ! 何時からココに?」
「……お姉様がお出かけになられてから」
「クラリスが……って、それ、十日以上……っ」
確かに、アルザリア帝国では奴隷に人権はないため、所有者がどんな事をしようと構わない。
買ったおもちゃをどう扱うおうと構わないのと同じだ。
たとえ、殺しても罪に問われない。
……だが、タレムが知る限り、ロッテはアルタイル家で大切に扱われていた筈だ。
そう扱われる為に、アルタイル家が引き取ったのだから……(続く)




