二十話 『マリカとタレムの閑話』
午前中を騎士団の徴兵、練兵に当てるつもりだったタレムとイグアスは、肝心の人員が誰一人集まらないという緊急事態に陥ったため、草原で仰向けに寝転びながら、暖かい陽射しを浴びていた。
……のんびり、のんびり。
そう、タレムは特別、焦る必要はないのである。
元々、ロック村には、マリカと落ち着いてゆっくりと暖かく暮らす為に来ているのだ。
こんなことで一々、目くじらを立てる事はない。
(こういう日もあるさ)
タレムがそんなふうに思いながら、まぶたを閉じていると……
――ゆさっ。
真心を感じる丁寧な手つきで、頭を持ち上げられ、直後。比類ないほど柔らかく心地のよい感触に包まれた。
至極の快楽と、至高の香り。
その、優しい指先がタレムの目元を覆う。
……これは、眩しくないようにという、心使いだろう。
「ふふ、タレム様。わたしは誰でしょうか?」
……朗らかで奥行きのある声。
この声質の主を目をつぶっていようとタレムが聞き間違える事はない。
「マリカちゃん……」
「はい。正解でございます。今度は、覚えておられましたね? ……ふふ。再び、忘れられておりましたら――」
「――それは言わないで」
大好きなマリカの膝枕。
普段なら、泣いて喜ぶシチュエーションだが、昨晩の恥体を思い出して緊張してしまう。
「というか、この前は、マリカちゃんが変貌し過ぎだからね」
「……」
「俺の記憶の中のマリカちゃん。もっとふっくらとしていて、可愛かったんだよ?」
「(誰のためにわたしが)……馬鹿」
「え?」
「なんでもございません」
一瞬、修道服を纏う者が絶対に言ってはいけない言葉を放ったマリカは、即座に何も無かったように何時もの聖母な微笑みを浮かべ直す。
「それよりも、タレム様。お休みになられるなら、わたしをお呼びつけくださいよ。床で眠るなら添い寝を致しますし、地で眠るなら膝をお貸し致しますので」
「……いや、ちょっと横になってた――」
「――それが、花嫁の勤めでございますので……ので!」
「……」
「もし、お邪魔なら、お邪魔と申してくだされば、よろしいのでございます。何も申し付けられないのが一番、困りますので」
心から尽くそうとしてくれるマリカの言葉は、嬉しいが、それは少々、行きすぎている。
……これに甘えてしまって良いのかが不安になるほど。
(まあ、マリカちゃんがそれで良いなら良いんだけどさ)
そんなふうに答に困窮したタレムの代わりに、隣で横になっている赤髪の兄が答えた。
「なら、マリカ。オレの事も頼む」
「嫌」
「……え?」
「兄様には触りたくない。気持ち悪い。汚い。臭い」
「……おい!! 言いすぎだろ! それでもシスターか!」
「ふふ、本心でございますので」
「……主の前で嘘はつけないって、か。……シスター怖いな。いや、マリカが腹黒いのか」
「何か……おっしゃられましたか? 兄様だけ、加護の対象から外してもよろしいので?」
「それは勘弁してくれ」
「ふふ、さて、どういたしましょうか? 兄様、お邪魔虫でございますので」
「黙認してるだろ!」
「認識しているのが罪なのでございます」
「……ひどいな、とばっちりだ」
……やはり、兄妹だからか、マリカの対応が違う。
それでもイグアスが膝に頭を載せようとするのを、マリカがぺちぺち叩いている光景を、タレムは少し羨ましいと思ってしまう。
――ぎゅっ。
と、そんなマリカの腕を掴んで、
「……タレム様?」
気を引いたタレムは、
「マリカちゃん。もしかして、ここまで一人で来たの?」
「いいえ。村の方と、でございます。タレム様の居場所を伺いましたら、快く教えて頂けましたので」
言いながらマリカが指を揃えて手の平を向けた方向に、村の若い男達がデレデレしながらマリカに手を振っていた。
マリカも修道女の微笑みを振り撒いて応えている。
(危な……くはないのか。マリカちゃんまで行くと……。もう、マリカちゃんは子供じゃない……か。一人でだって出歩けるんだ)
「……気をつけてね」
それでも何故か、タレムの口からはそんな言葉が漏れ、
「はい」
間髪入れず、堅い声でマリカがそういった。
「いや、今のは……」
「分かっております。大丈夫でございます」
「……」
「怯えないでくださいまし」
「怯えてはないよ」
「怯えないでくださいまし」
「だから……」
「どうか、怯えないでくださいまし」
「……」
何度も同じ事をつぶやくマリカは、タレムの頭を撫でつづけるのであった。(続く)




