六話 『天真爛漫というお転婆』
ズズズ――ッ。
タレムは、マリカが用意してくれたお味噌汁を啜った。
口に広がる味噌の塩気と温かさが疲れた身体を癒してくれる。
味も王室料理人が作ったと言っても信じられるくらい美味しい。
これで、まだ中等部三年生なのだから将来は有望である。
……ただ、さっきから当のマリカが、無表情で小屋を歩き回り、白い粉を撒いてるから気になって仕方がない。
さて。マリカは何をしているのでしょうか?
「ねえ? マリカちゃん。さっきから、ずっと何してるの?」
「塩を撒いております」
塩を撒いているらしい。
馬小屋に……
「なにゆえにですか?」
マリカは中等部に進学すると同時に、迷わず聖教科という、修道女への道を選んでいる。
神の教典を詠だり、それを広めたりするお仕事だ。
だから、普通の人間には見えてはいけない何かが見えているのかも知れない。
……と、思うと無性に怖くなってきた。
「ちょっとしたおまじないを掛けております」
「……え? 何? なんなの!? ここ、もしかしてマジで何かあるの!?」
「ええ! あります」
「何が!?」
まだ見習いではあるが、修道女が言うと、冗談と笑っていられないくらい怖い。
なんと、タレムが適当に選んだ馬小屋には何かが有るらしい。
……それは、
「雌豚の臭い!! が散漫しております。タレム様にはすぐに雌が寄って来てしまう呪いでも有るのでしょうか」
「めす……え?」
「これは……クラリスちゃんですね。まったく……何としても浄化しておかなければなりません!!」
「……ねぇ? 何してるの?」
「お静かにお願い致します! いま、浄化しておりますので!」
「……そう。頑張って」
ということで、タレムは夕食を食べながら、マリカが塩を撒くのを見守るのだった。
――数分後。
タレムは、久しぶりの豪華な夕食を完食し、マリカの塩を撒く作業が終わったのを見計らって、
「で? マリカちゃんは何しに来たのかな?」
一番、気になっていた事を聞いてみた。
「……もしかして、ご迷惑でしたでしょうか?」
「いや、全然、そういうんじゃないけどさ。三年ぶりだし。何かあるのかな、と思ってね」
マリカはグレイシス公爵家の御令嬢。大事な大事な跡取りを産む少女である。
タレムのような下級貴族が話して良い相手ではない。
それはマリカも同じで有るはず……
だからこそ、この三年間、マリカとタレムが会うことはなかったのだ。
「いえ、三年もお会いすることが出来なかったのは、禁欲の修行中だった故です」
「禁欲? 性欲とかの?」
「はい。それと食欲とかですね。修道女になるためにはどうしても、必要な儀式だそうで、ずっと山奥の教会に軟禁されておりました」
「……山奥? 軟禁!?」
「はい。ですので少し痩せてしまいました」
「ああ……なるほどな」
だから、見違えるほどマリカの姿が変わっていたのかと、納得した。
……それほど、厳しい戒律があったと言うことでもあるが、
「まあ、それはもう、タレム様にお会いする事が叶いましたので些末な事なのですが……」
「いきなりぶっこんでさっぱりと切り捨てるんだね……」
マリカはタレムを見ながら、もじもじ太股を擦り合わせ、
「今度はお父様から、特命を受けまして」
マリカから指令書を手渡される。
「あの公爵様から?」
「はい……どうか、御賢覧くださいまし」
渡された指令書は間違いなく、公爵直伝のものであり、マリカが渡してきたと言うことは、タレムへの指令が書かれているのであろう。
爵位至上主義のアルザリア帝国では、爵位すら持っていないタレムには指令書の指令が何であれ、従う義務がある。
(イグアスの父親か……さて)
何度か見かけた事がある人物を思い出しながら、タレムは指令書に目を通してみる。
『特務指令!! マリカもそろそろ嫁ぎ先を決める年齢。タレム・アルタイルの元で、マリカ・グレイシスは花嫁修業をせよ。タレム君。娘と息子をよろしく頼むね』
「と、言うことでして……」
「俺への指令、解釈不能だよ!」
もはや指令ですらなかった。
とどの詰まり、指令ではないということだ。
だが、それはそれとして、マリカの方は明確。
「要するに、俺はマリカちゃんの花嫁修業の当て馬にされた訳?」
「……そうなりますね」
「それを断らせない為の指令書?」
「……そうなりますね」
「……今時、花嫁修業? 超御令嬢のマリカちゃんが?」
「……そうなりますね」
「公爵令嬢のマリカちゃんが嫁ぐ先が、マリカちゃんに家政婦をさせるわけ?」
「……それは……そう、なりますか?」
「いや、俺に聞かれても……」
困った時に人に尋ねるところは、イグアスにそっくりである。
「まあ、こうなった以上、俺に断る権利なんかないけどさ……なんでこんな馬小屋で暮らすダメ男なんかに、嫁入り前の娘を派遣するかな」
「実地演習を兼ねておりますので」
「は?」
ボソッと、マリカが言った言葉に、一瞬、引っ掛かったが、
「何か?」
何もなかったかのように凛然としているマリカを見て流す事にした。
……だけど。
「それにして、この環境、花嫁修業には過酷過ぎると思うんだけどな。俺、誰にも言わないから、帰っていいよ?」
「実際に嫁ぐ頃にはもっと劣悪な状況に陥っている可能性が有りますので」
「え?」
「何か?」
「……いや」
「私の愛するお殿様。どんなに堕ちたとしても、支えますよ?」
「え?」
「誠心誠意お仕えさせて頂く所存でございますので……ので!!」
タレムは昔、親友の妹であり、歳が近かったマリカの遊び相手を務めていた。
というか、可愛がっていた。
その頃の経験からマリカの表情を読み解くに、嫌がってはいない。
……と思う。
むしろ、マリカの表情は生き生きとして居るように見えた。
こう言うとき、タレムが余計な事をすると、マリカが怒るのを知っている。
そして、さっきの如く怒ったマリカはホラー。
(マリカちゃんは自由にさせておくのが一番だったよな)
「……あ、うん。もう好きにして良いから」
「はい。タレム様ならそう言って下さると思っておりました!」
と、そんなこんなで、タレムの馬小屋で親友の妹(超絶美少女)が花嫁修業をすることに決まったのであった。