八話 『お風呂の中で寒くなる』
――ちゃぷ。ちゃぷ。ちゃぷ……
二人は気を落ち着かせながら、背中とお腹をくっつけて、お湯に浸かり、空に輝く月を眺めていた。
少々、長風呂だが、マリカが出たくないと言うのだから、仕方がない。
そんな中、タレムは膝上に乗るマリカを後ろから抱き抱えつつ、
「そう言えばさ。俺、こんな事よりも、マリカちゃんに言わないといけないことがあるんだよね」
「……こんなこと、よりも。で、ございますか?」
「ひぃっ」
言いながらチラリと振り返るマリカの瞳は冷たく、タレムは、お湯に浸かっているのに関わらず寒気を覚えてしまった。
「ま、マリカちゃんと、こうしてお風呂に入るのは最高! 最高だよ!」
「ご感想は……それ、だけで、ございますか?」
――ギロリっ。
その紅の瞳に見つめられたら嘘をつける男はいない。
「マリカちゃんの身体を生で抱けて、触れて、感激です。死んでも良いです。あ、あと、マリカちゃんの甘い香りも楽しんでいます。本当です」
「ふふふ、それはようございます。でも、死んではなりませんよ? 生きている限り、タレム様がお望みとあらば、この程度のこと幾らでも致しますので」
「自分でもこの程度って言ってるじゃん」
「ふふふっ。それで? タレム様。『言わないと』ならぬ事とは、何事でございますか?」
「……」
マリカが急に本題に突入し、紅い瞳の輝きを一段と強くする。
タレムはそんな少女の移り変わりに息を呑み。
――ぎゅうっ。
「ひゃあっ!」
――ちゃぷんっ。
緊張でマリカの身体を抱く腕の力が強まった。
「あ、ごめん」
「タレム様っ!」
「……」
反射で謝りマリカに怒られるが、
――ぎゅう。
タレムの腕はマリカを強く抱きしめたままである。
それはまるで、心細い子供が母を抱くような……
「俺さ、明日から、帝都を離れて貰った領地に行くことにしたんだ」
「……」
そんな言葉にマリカの瞳が一瞬、揺らぐが、タレムはそんなことも気がつかず、更にマリカを抱く力を強めていた。
そうして、
『はぁ……マリカちゃん来てくれるかなぁ。ていうか来てくれなかったらどうしよう?』
『その時はもう、詰みだな。プリンセスから言われてるんだろ? 貴族騎士として、結婚することは大切だ。マリカの事は一旦諦めて、他の嫁を娶るんだな』
アイリスとの順位戦前に、イグアスと話した記憶を思い出していた。
あの時、イグアスが言った言葉は真実で、ここでマリカが付いてきてくれなければ、タレムはマリカを第一婦人にするのを諦めなければならなくる。
騎士・貴族は、結婚すらも、責務の一つであるからだ。
しかも第一婦人となれば、尚更である。
王女シャルルとタレムが冗談半分で言っていた、『マリカを孕ませる』と言うのも、全て冗談というわけでもない。
子を残す事が出来るのも、騎士階級・貴族爵位を上がっていく上では重要になって来る。
イグアスはその辺が適当なため、少し前まで、一般騎士の階級だったというものある。
だからこそ……
「マリカちゃん――」
「当然。わたしもお供致しますので」
「……え?」
「……はい?」
「え? 良いの?」
「当然でございます。わたしは父より、タレム様の元で花嫁修業をして参れと申し遣っておりますので」
「……」
と、色々、心配していたタレムだったが、マリカはあっさりと承諾したのであった。
……グレイシスの血筋はとことんタレムに甘かった。
「タレム様が来るなと、申されればべつでございますが、そうでなければ不肖。マリカ・グレイシス。どこまでもタレム様にお供いたします」
「っっ!」
別に、幾ら公爵命令でも、マリカがタレムの領地にまでついて来る必要はない。
それは管轄が違う。
だからこそ、そんな言葉が嬉しくて、タレムは少し泣きそうになった。
「なんだよ。マリカちゃん。俺、嫌われてるのかと思ったよ。結婚、断るし」
「それはわたしの台詞でございます。(一ヶ月も何もなさらないなんて……だからお父様達が)」
「え?」
「なんでもございません」
「今、お父様達がって?」
「ふふふ、それ以上聞くなら、幾らタレム様でも、嫌いになりますよ?」
「うっ。ううん。なんでもない」
――ちゃぷん。ちゃぷちゃぷちゃぷん。
少し風が出てきて肌寒くなってきた。
……そろそろ、上がろう。
そう思って腰を浮かせたタレムに、
――ぎゅうっ。
マリカが抱き着いて、
「もう少し……一緒にいとうございます」
「……」
そんなマリカの言葉で、タレムは再び腰を落として、ここまでの話をまとめる。
「じゃあ、明日。グレイシス公爵に挨拶に行くよ」
「――っ! それはダメでございますっ!」
「え? でも、イグアスならともかく、マリカちゃんはグレイシス公爵家の長女。勝手に連れ出す訳には……」
「それはダメでございます!!」
「でも」
「それはダメでございます!!」
「で」
「それはダメでございます!!」
「……」
「それはダメでございます!!」
「……」
「……」
タレムは抱いているマリカの身体が、急激に冷え上がり、べとべとな汗をかいている事に気付く。
お風呂のお湯の中で、である。
……そういえば、イグアスも今、お家騒動で忙しいと言っていた。
「ねえ? 本当にグレイシス公爵。何したの?」
「何も何も……全て、タレム様が――」
「俺が?」
「浮気性なのがいけないのでございます!!」
「それ! グレイシス公爵と絶対関係ないよね!」
「ありますっ! 早く、ハーレムなんて辞めて、わたしをたった一人の正妻に添えてくださいまし!」
「ハーレムは辞めん!」
「……むぅっ!」
「それでも、マリカちゃんはめとる!」
「嫌でございまし!」
――バシャン!
鬼の表情で、マリカがタレムの腕を払って立ち上がり、お風呂から出ると、脱ぎ捨てていた着物を纏って走り去っていく。
「ま、マリカちゃん!」
「タレム様なんか大嫌いでございまし!」
「ぐふぅ! (吐血)」
ピタッ。
お風呂に逝ったタレムを見て、マリカが足を止め、満面の微笑みで振り返った。
そして、
「ふふ、嘘でございますよ?」
「ま、マリカちゃぁああんっ!」
「ふふふっ。明日の準備を致しますので、今日はお暇致します。明日は何時もよりも早くお迎えに上がりますので。ふふふ♪」
何故か軽快なステップで、マリカは帰路に付いたのであった。




