四話 『まさか! という虚しさ』
アイリスに文字通りボコボコにされ、意識を失っていたタレムが目を覚ますと……
もふっ。
後頭部に人肌を感じた。
(見なくてもわかる。これが俗に言う、膝枕と言う奴か。やっているのは、クラリスが本命、大穴でアイリスかな……陰で俺を好きだったまだ見ぬ美少女という線もあるか)
楽しみを取っておく為に、確認はせずに先ず辺りを見渡した。
場所は、アルザリア帝国学院、医療科医療棟。
医療系統の魔法に目覚めた生徒達が、帝国魔法医師を目指して学んでいる学び屋である。
騎士科の順位戦が行われた日は、タレムの様な怪我人が大勢運び込まれるのだ。
……で、何でこんな美味しい状況になっているのか?
それは、
「すみません。兄さん」
タレムの治療をしてくれていたクラリスが教えてくれる。
「最近、平民の方が多く入院されるので、ベッドの数が足りず、兄さんにまで、このような床に……申し訳ありません。どうやら帝都に厄介な魔獣が住み着いたらしいのです」
「……全然良いよ。……ん?」
クラリスが隣で治療してくれている。ならば、膝枕しているのは誰なのか?
……本当にアイリス? いや、あれだけ苦言を吐かれた後だ。ありえない。
「……まさか」
後頭骨に当たる固い感触にタレムは、恐る恐る視線を向けると……。
「よ! タレム。災難だったな」
「……」
親友のイケメン。イグアス・グレイシスが爽やかに微笑んでいた。
……良い奴何だけど。イケメン男に膝枕。
「ま、気を落とすことはないぞ? 次に勝てば良いだけなんだからな」
「ギィィィ……ヤァアアアアアアアアアアアアアアアアアアア――ッ!」
「に、兄さんっ!?」
……予想通りの結末だったのだが、タレムは脊髄反射で悲鳴をあげると、飛び上がり妹の身体に飛びついた。
「クラリス! すまん。少し、妹成分を補給させてくれ!!」
「ひゃんっ! ……もうっ! 兄さん。恥ずかしいから辞めてくださいよ」
そして、最近膨らんできたクラリスの胸に頭を擦りつけるのであった。
まさか兄に、胸を堪能されているとは思わないクラリスは、タレムの後頭部を優しい手つきで、撫でて対応する。
「えへへ……っ。もうっ、兄さんたら……私がいないとダメなんですから。ふふ……(ずっと、私の兄さんでいれば良いんですよ? ふふふふ)」
……優しいはずの微笑みは、何故か見るものの背筋を冷やす魔力があったらしい。
閑話休題。
「遂に百連敗ですね、兄さん。もう、騎士王なんて悪夢から覚めて屋敷に戻って来る気になりましたか?」
「……うっ」
「安心して良いですよ? 兄さんは私が責任をもって幸せにしてあげますので。大丈夫です、将来は一緒に診療所を経営しましょうね」
「……」
ふふ、ふふふ。
クラリスは妖しく笑う。
やっと、タレムが帰ってくる……と。
……だが。
「帰らない」
「あ?」
「俺はハーレムを作るんだぁああああああああ――ッ!」
百連敗を期してもなおタレムの 意思は固かった。
クラリスは、そんなふうに拳を握り、天井に向かって叫ぶ兄を冷たい視線で見つめると、
ぽいッ!
イグアスに向かって投げ捨てた。
そして、無表情で立ち上がり、
「兄友豚さん。そのゴミを片して置いてください。私は仕事に戻りますので」
「あ、ああ……分かった。だが。良いのか? ミス・クラリス」
「……っ!! タレム兄さん以外の豚野郎が私の名前を呼ばないでください。吐きそうになりますので」
「……おおう。相変わらずの塩対応。一応、オレの方が爵位が上なんだが」
「だから?」
「……」
立ち去っていく。
その背中を見送りながら、イグアスはタレムに呟く。
「あのゾクゾクする瞳。やっぱり良いな、ミス・クラリス。オレが貰っていいか?」
「駄目に決まってるだろう。俺の妹を変な目でみるんじゃねぇ!!」
「チッ。過保護な奴だな。ま、何時か振り向かせてやる。そうしたら文句はないよな?」
「そりゃそうだが……」
「見る目がないって?」
「……まあな」
「それは、タレムの方だ。あんなに健気で献身的な女の子は他にいないぞ」
「そうかな……そうなのかもな。じゃ、俺のハーレムに加えるか」
「妹に手を出すな!」
「親友の妹にも手を出すな!」
「「義妹だから――」」
そんなこと言い合いながら、タレムとイグアスは診療所の外に出る。
外はしっかりと夕暮れに変わっており、今から何かをするには晩かった。
そのため、二人はすぐに解散することになる。
「とにかくだ。タレム。順位戦で五回勝てば騎士になれるんだ。敗北の数は関係ない。腐るなよ?」
「分かってるさ。腐ってる暇なんてない! 俺はハーレムを築くんだから」
「そうか……ならいいんだ」
この時、長年、一緒にやってきたイグアスには、タレムが相当落ち込んで居るのは気づいていた。
順位戦、百連敗。アルザリア帝国史に残る連敗記録を更新し続けるタレムにも、制限時間がある。
アルザリア帝国学院騎士科の規定では、高等部一年以内に、騎士の資格を取れなければ退学処分となるのだ。
そして、今は、九月。つまり、このままでは単純に、あと半年で退学になってしまう。
長期休暇を含めれば……もっと少ない。
「あっ! タレム」
「なんだよ、いきなり?」
「……いや、何かタレムに言うことがあった気がするんだが……何だっけ?」
「俺に聞かれても、わからないけど……忘れたんならたいした事じゃないんじゃないか?」
「そうだな。……じゃ、また」
「うん。また」
……たいした事ではないんじゃないか?
そんな適当に流した事を後悔するのは、意外とすぐであった。