三話 『暴行されても嫌ではなかったという性癖』
《アルザリア学院第三闘技場》
コロッセオの中心で学生服から、戦闘服に着替えたタレムと向かい会うのは、薄氷色の瞳と長髪を持つ、何処か薄幸そうな少女。
「ふん。楽勝ね」
「それはどうかな」
「……」
強気なアイリスの発言にタレムも強気で答えるが……
タレムは、アイリスの魔法《氷》によって、頭部以外全てを、氷付けにされていた。
……表情筋以外ピクリとも動かせない。というか、低温火傷の症状が起きていて……痛い。
「アンタ……まだやる気なの?」
順位戦開始一分……タレムは既に敗北のピンチに陥っていた。
……流石は《敗北王》。二つ名は伊達ではない。
「ふはははっ! こんな窮地、俺にとっては日常茶飯事だぜ!」
「……そこまで行くと逆に清々しいわね」
アイリスが《氷の女王》の二つ名通り、タレムをひんやりした瞳で蔑視している。
全身凍結された男が何をほざいてるんだ、と。
「早く降参なさい。そのままだと、アンタ……死ぬわよ?」
順位戦のルールでは、対戦者を戦闘不能状態にするか、指定された急所に模擬騎士剣を突き刺すことで勝利となる。
殺すことは反則、失格となり、最悪の場合、騎士の称号を剥奪される。
……しかし、魔法の能力は人によって千差万別。死ぬことも十分にありえる。
だからこそ、引き際が肝心なのだ。
そして、ここが引き時であり、これ以上は泥沼になってしまう。
それを解っているアイリスがわざわざ引き際を作ってくれたのだ。
……だが。
「誰が降参なんてするか! 俺は死んでも降参なんてしないぞ!」
……今日のタレムは引き際が悪かった。
理由は、昨日クラリスに――以下略
(くそッ! アイリス・クラネット。流石は三大公爵筆頭次期娘当主)
……強い。
アイリスは騎士学院生徒にして、既に三百人の騎士を従属させられる三百騎士長の称号すら持っている。
(これが、アイリスの魔法。氷を意のままに創造・操作できる能力……か。反則だろ!!)
「もう一度言うわよ? 勝ち目はないわ……降参なさい」
「勝ち目? ふっ、笑わせんな。騎士の戦いは魔法次第だろ!」
「――っ!」
メキメキメキ……
タレムが言って全身に力を入れると、氷が軋みはじめる。
「お前の魔法は十分見させてもらったからな。じゃ、そろそろ、俺の魔法も見せてやるよ!」
「ま、まさか! アンタッ! 目覚めたの!?」
氷付けにされた状況で、不敵に笑うタレムに、アイリスが激しく狼狽する。
騎士の魔法には、この状況を一辺させられる力があるのだ。
「フッハハハ! 恐れ戦け! 三百騎士長アイリス・クラネットっ!」
「させない――」
「遅いわぁッ! はっはっはっはっはっは~っ!」
アイリスがタレムを気絶させようと模擬戦用騎士剣を振りかぶるより早く、タレムの魔法が発動した。
とーんっ。
瞬間。
周囲の動きが百分の一倍速まで低下する。
アイリスの剣もふざけているかの如くゆっくりと動いている。
(フッハハハッ! 今の俺は、一秒間で百秒の事を考えられるんだぜ! 世界が止まっているようだ。はっはっはっ!)
それがタレムの魔法。《光速思考》であった。
タレムは与えられた百秒の中で、アイリスの事を観察する。
(フムフム。中々俺好みの身体をしているじゃないか)
姫騎士と言われる女性騎士の戦闘服は華やかで可憐だが、男性騎士それよりも数段、肌色成分が高い。
それには、姫騎士が空気中の魔力を身体に取り込む事に長けているからとか、色々それっぽい理由があるのだが……タレムは別のことを思っている。
――その方が目の保養になるからじゃね!?
そんな助平ぃな上に間違った事を思っているタレムが、アイリスの格好を見ると、こう言った。
「アイリスちゃんのお胸は、貧乳と言うより、無乳だね♪ そのぺたぺたなお胸をペロペロしたいな。だからどう? 俺の嫁にならない?」
「――ッ!」
ピタリ。
アイリスの騎士剣が、タレムの顔面スレスレ止まり、ふるふる震える。
顔も真っ赤に染まっている。
……あれ?
「照れてるの? もしかして、脈あり?」
「……ふふふ。アンタにはそう見えるかしら?」
バシンッ!
ニコッと悪魔の微笑みを浮かべたまま、顔面を拳で殴られた。
(だよね)
「そういえば、アンタの魔法は、思考時間を延ばすだけっていう。戦闘能力皆無のゴミ魔法だったわね。焦って損したわ。で? 私の胸が何ですって?」
「む――」
バシンッ!
「ぐふぅっ!」
今度は剣の柄で殴られた。
「お、おいっ! アイリスちゃん。自信を待つんだ! そのペロペロしたくなる胸は誇るものだぞ!?」
バシンッ!
「気持ちが悪いから、名前を呼ばないでくれないかしら?」
「それにだよ? アイリスちゃん。貧相な胸なんか帳消しにするほど、下腹部の膨らみが魅力的なんだ! これは本当だ!」
バシンッ!
「どれは嘘なのよ!」
バシンッ! バシンッ! バシンッ!
騎士剣で急所に当てれば、それで闘いが終わる所を、アイリスは拳を使う。
それ程、タレムの発言が気に喰わなかったのだろう。
「ふん。ちょうど良いわ。私の世界一嫌いな男を教えてあげるわね」
「はふぅ?」
「アンタよ!」
「何故に!? 俺とアイリスちゃん。今日初絡みだよね!?」
「……そうね。だからじゃない。死になさい」
「――!?」
バシンバシンバシンバシンバシンバシンバシンバシンバシンバシンバシンバシンッ!
「ぐふっ」
アイリスの理不尽な暴行は氷が砕けて、タレムの身体が吹き飛ぶまで続いた。
そして、身体がぴくぴく動くタレムを片腕で持ち上げて、
「さあ。降参なさい」
氷の女王は何も無かったように、敗北を突き付けた。
その薄氷色の瞳は降参以外認めないと言っている。
「……嫌だ」
「どうして? アンタに騎士になる才能はないわよ? その魔法じゃ尚更ね」
「あれ? 心配してくれてるの? 俺の嫁になる?」
「――ッ!」
ぎりっ!
アイリスの奥歯をかみ砕く音。
……その砕いた歯を、血と唾液で纏めて、タレムの顔面に吐きかける。
「ふん。私の立場をわかって口説いてるの? アンタにはもうその資格はないのよ」
「……あ?」
ズギンっ!
また、微かにタレムの古傷が疼くが、その痛みよりも強く、アイリスがタレムの首を絞めた。
「弱い癖に、目障りなのよ。降参なさい。さもなくば、殺すわよ?」
「嫌だ」
騎士を目指すタレムにとって、この状況での降参は後々の汚名になってしまう。
闘いから逃げた者に、騎士はない。
「何故? アンタは何故、そこまでして騎士を目指すの?」
「……」
その時のアイリスの問いは、なぜかタレムの本能が真面目に答えろと囁いた。
アイリスが泣きそうな顔だったからか?
「夢……だからだ」
「夢?」
「俺は……もう、誰かに引かれたレールの上は走りたくないんだ。自分の力で、全てを手に入れる。好きなものを好きなだけ手に入れる」
「……そう」
タレムの言葉を聞いたアイリスは、暫し無言で、空を見上げると……
「アンタは私と結婚したいのね?」
「ん? まあ、なんとなく好みのタイプだしね」
頷く。
そして、
「じゃあ、私の夫の一人にしてあげるから、騎士なんて辞めなさい」
「……は?」
「もちろん、第一夫人にしてあげるわ? アンタの子供だって孕んであげる」
「……」
「何よ!? 何か言いなさい」
アルザリア帝国貴族は爵位によって、複数の人間と婚約を結べる。
三百騎士長であるアイリスは、男爵階級。
既に二人の夫を持つことができるわけだ。
それに加え、アイリスが成人し、親から公爵を引き継げば、九人の夫を持つことができる。
逆ハーレムというものである。
しかし、その枠の殆どは、アイリスの意思ではなく、家同士の繋がりや、権力確保といった政略結婚に利用するであろう。
そのうち、アイリスが自由にできる貴重な一枠を使って、タレムと結婚すると言っているのだ。
「もちろん、私は他にも夫を取るけど。アンタは特別だから……」
「……いや」
「え?」
「嫌に決まってんだろうがよぉおおお――っ!」
タレムは、アイリスの心使いをバッサリと切り捨てた。
そして、
「俺は、俺がハーレムの王になりたいの! 可愛く美しい嫁を十人娶りたいの! 侍らせたいの! コレクションしたいの!」
「十人!? コレクション!?」
帝国で十人の嫁を持つ権力があるのは、騎士王・大公のみ。
現在、その座に座るものはいない。
「だいたい! 俺の嫁になるなら浮気は許さないぞ! 俺以外の男と仲良くしてるだけでも許さないぞ!」
「……っ」
つまり、タレムはハーレムを作るが、その嫁にはタレム以外に嫁がせないという横暴。
「俺は俺の理想のハーレムを作るんだ!」
「……ハハハハ。ばかみたい。もう……良いわ。黙りなさい!」
瞬間氷結!
今度は全身を氷結され、喋る事すらできなくなった。
「つまり、アンタのハーレムはコレクションで、そこには権力を高める為の政略結婚はない」
「……」
アイリスは眉間にピクピクと青筋を立てながら、騎士剣を振りかぶり、
「そんな夢物語。出来る分けないし、アンタみたいなクズの嫁になんて誰もなりたくならないわよ! 死になさい!!」
バリンっ!
氷を砕く威力で、タレムの頭を殴打した。
急所への攻撃命中により、アイリスの勝ちであり、タレムの百連敗目でもある。
「そんな程度の低い夢で、私の野望を阻むんじゃないわよ! 死ねば良いのに」
アイリスは、気絶したタレムにもう一度、タンを吐きかけて、サラサラの長髪を払いながら颯爽とコロシアムを後にして行ったのだった。