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十一話 『女王様の手ほどき』

 すっかり日が暮れ、夜の帳が満ちた刻限。

 兵士たちが寝静まる中、人目を忍びながら、アイリスのテントへ足を踏み込む者がいた。

 なぜか銀髪が濡れているタレムだ。

 下卑た笑みも浮かべている。いつもより、清潔感があるのは気のせいだろう。


「アイリスちゃん。さっきの話だけど……俺、やっぱり――」


 ――ずどんっ。


 すると突然、ものすごい力で黒い影が押し倒された。


 ぼふっ。


 タレムの身体を受け止めたのは、柔らかい仮設の寝床。

 途端に漂い出した、爽やかで甘い、女の子特有の香り。

 それがアイリスのものだと、タレムは知っていた。


 ぎしっぎしっ。


「ちょっ……アイリスちゃん。ダメ……だよ……そんな」

「……」


 タレムを押し倒した黒い影が、馬乗りになる。

 ……きっと待ち切れなかったのだろう。

 そのまま、少女にしては厚い手を、タレムの首に伸ばした。


 ぎゅぅっ~~っ。


「あっ、アイリス……ちゃん……くび……くび……しまってる……はげしぃ」

「……」


 ちゃりんと、タレムのズボンのポケットから、何かのカギが落ちた。

 それは、数年帰って来られない夫が、自家発電できなくては流石に可哀想だと、マリカが渡した貞操体のカギである。

 つまり、口では堅いことを言いつつ、タレムはヤル気であった。ということだ。


「アイリスちゃんが望むなら……俺、構わないから。だから、……やさしくして……」


 なぜか、乙女っちっくなことを言い、乙女チックな瞳で、タレムは黒い影に身を委ねる。

 ……と、その時。


 ひゅぅぅ~~っ。


 外から風が吹き込み、天幕が揺れ、月明かりが入った。

 そして、タレムの上で馬乗りなっている人影の姿を鮮明に照らし出した。

 肉付きの良い太い腕、山のように大きい体格、ぎょろりと妖しく動く真ん丸の瞳。


「……あん? アイリス……ちゃん?」

「ぐらぁぁぁっ!」


 ――否である。

 そこにいたのは、タレムが期待していた乙女ではない。

 ……いや、そもそも、人型ですらなかった。


「ばっ、ばっ、化け物ぉぉぉぉぉぉ~~っ!」


 一目見て、解りやすく形容するならば、豚。


「……って! 豚人族オークっ!」


 ようやく、その正体に気が付いたタレムが、飛び上がろうとするが、万力の如く力で押さえつけられていて動けない。

 ……これが、帝国軍を苦戦させている三種族中の一種族、豚人族の力。

 素の腕力が、圧倒的に人間より上だ。


(くっそ……豚人族の特徴に怪力だ、なんて、文言はなかったぞ)


 むしろ、怪力を特徴としているのは、地精族ドワーフである。

 つまるところ、これだけの怪力をもってしても、他の種族と比べたら特執する意味はないということだ。

 この怪力が基準にすらならい怪力を、他の二種族は持っている……。


(考えたくもない話だ。それよりも……今は、この状況をどうにかしないと……俺の純潔、穢されちゃう)


 ……仕方ない。

 そう、心の中で吐き捨てて、瞳を大きく開き、絞め殺さんとしてくる怪物を凝視……。


 ――《時間停止・対象》。


「――っ!?」


 怪物から時を奪った。

 これでもう、筋一つ、ピクリとも動かせない。

 万力のような力は消え、タレムはするりと拘束を抜け出せた。


「ごほっごほっ……なんて日だ。というか、アイリスちゃん、無事だよな? ヤラレちゃったなんてことはないよな?」

「ねぇ。馬鹿犬」

「……アイリスちゃんっ!」


 素早く、声の方に視線を向ければ、そこには、ランジェリー姿のアイリスが、丸テーブル足を乗せ、椅子に腰かけていた。

 まるでタレムとは別の次元にでもいるかのように、涼しい顔でカップを飲む。

 口元には、いつもの薄い笑み。

 いつからいたのか? ずっといたのか? それよりも、


「いつまで私を焦らすつもりなの? 早く、その童貞……捨てなさい」

「……。相手くらい選ばせてよ……っ!」

「何言っているの? お似合いじゃない」

「美少女にチェンジっ!」

「残念ね、控えはいないわ。覚悟を決めなさい」


 ……豚人族が天幕の中にいる状況に、一ミリも驚いていない理由は?


「じゃないと……死ぬわよ?」

「――っ!」


 ばりんっ。


 ガラスが割れたような音が響く。

 それは、空間が割れた音。


「ぐががががががぁぁぁぁぁぁっっ!」

「なっ!」


 後ろから、こん棒のごとき、必殺一撃が見舞われた。

 タレムが時間を止めていた空間を怪力によって無理やり破壊したのだ。

 ……驚愕した。

 が、これは、初めてではない。

 かつて、イグアスの父、炎獅子アルフリード・グレイシスもやったことだ。

 経験があった分、驚きも抑えられ、致命の一撃をギリギリのタイミングで回避できた。


「アンタのその能力。《時間停止・対象》だっけ? 確かに《時間停止・世界》よりも、使い勝手が良さそうだけど。それじゃあ、支配力が弱すぎて、ある程度の筋力を持っていたら、突破するのは簡単よ……今みたいに、ね?」

「ちぃっ!」


 アイリスの言葉が正しくて、思わず舌打ち。

 いままでは、その弱点を隠しながら戦って来たはずだが、アイリスにはとっくに看破されていたのである。


「でも、俺の力の本命は、こっちだから」


《時間停止・世界》


 とーんっ。


 世界の時間が停止する。

 この止まった世界で動けるのは、能力の使用者である、タレムだけ。


「さすがに、これは、介入できないよな。シルムの母親じゃないんだし」


 沈黙。

 この能力を無視できるのは、人知を超えた存在だけである。


「この力がある限り、俺はさいきょーってね。――さて、邪魔者には退場してもらおうかな」


 悪人の様に笑うタレムが拳を握る。


 ぼこぼこぼこっ。


 ……一分後。

 実に、二百発以上の殴打を加えてから、時間の支配を解除した。


「ぐぅ……っ!? ――ぉぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっっ!」


 直後、二百発分の殴打が同時に炸裂。

 三百キロ以上はありそうな体重の豚人族が、その衝撃で吹き飛んだ。


「ふぅ……っ。どう? アイリスちゃん。惚れた? 俺tueeeeeっなんちゃって」

「――ねぇ。タレム。調子に乗っているところ、心苦しいけど(笑)。忘れてない? 豚人族の特徴」

「馬鹿にしないでよ。それくらい覚えてるって。確か、豚人族は、種族総数が多く……」

「多く……なに?」


 ――異様に打たれ強い。


 軍議でイグアスが語った言葉を思い出し、嫌な予感を覚え、タレムは恐る恐る振り返った。

 ……すると。


「ぐぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお――っ!」

「やっぱりぃぃぃぃっっ!?」


 二百発の殴打を受け、吹き飛んで行ったはずの豚人族が起き上がり、タレムに丸太の様な拳を叩き込んだ。

 全身から血を流しているが、その動きに衰えはない。


「ぐふぅぅっ!」


 《時間停止・世界》の副作用で、避けられず、もろに喰らい、今度はタレムが吹き飛んだ。

 ごろんと、転がった場所は、アイリスの足元だ。


「そして、誰にそそのかされたのか知らないけれど、アンタが一番、自信を持っている《時間停止・世界》(ソレ)。ソレが、一番の欠陥品ね」


 ばふっ。


 想像以上の威力に血を吐き出して苦しみ、悶えるタレムの頭を、アイリスは踏みながら、残酷な評価を告げる。


「今までは、アンタを御しやすいよう。黙っていたけど。アンタの力の中でソレが一番。カモだわ」

「ぐふ……っ」

「最長、どれくらい止められるようになったか、知らないけれど、能力使用後に行動不能になる。なんて、ただの一発芸じゃない。ゴミよ」

「あい……りす……ちゃん……たすけ……て」

「……ふん。絶対にイヤ」


 ばんっ!


 踏んでいた足を振り上げ、タレムの頭を蹴り飛ばす。

 それで、タレムは再び、豚人族の前に放り出された。

 ……満身創痍の状態で。


「ぎゃぁぁぁぁぁぁっ!」


 なぜか……いや、既に理由は明確だが、それまで、忠犬のようにおとなしくしていた豚人族が、再び牙を向く。


「もう、解っているでしょ? そのブタちゃん。私の下僕なの」

「……(うん。そんな気がした)」

「来る途中、たまたま番の個体をみつけたから捕獲して、性能を調べたのだけど、ほんとうに全然、壊れないから結構楽しめたわ♪」

「……(捕獲するまでに躊躇が欲しい)」

「そのブタちゃんには、こう調教してあるの。『銀髪の人間を殺しなさい。そうすれば、番もろとも、解放してあげる』ってね♪」


 どだんっ!


 再び強烈な一撃が炸裂した。

 砂煙が上がる。

 その煙が晴れたとき、タレムの無残な姿が……なかった。


「……さすがに悪趣味だよ。アイリスちゃん。どうせ助ける気なんかないんだろ?」

「……」


 声が響いた場所は、豚人族の背後から、驚く豚人族の反応をよそに、アイリスは淡々と視線を移した。

 タレムが豚人族の脳天に肘を打ち付けている。


「ふぅん。その余裕。ちゃんと、限界値は測ったのね。偉いわ。最低限だけど」


 現状、タレムの《時間停止・世界》の継続時間は、最大五分。

 これを過ぎると、強制的に能力が解除され、タレムは十分以上、動けなくなり、能力は一時間以上使用不可となる。

 たしかにこれは、ピーキーすぎて実践では使えない。

 だが、継続時間を一分間に抑えれば、約五秒の硬直と、約六十秒のインターバルで、能力を再使用できるのだ。

 師匠、リンの導きで、今のタレムは、自分の能力の限界を正確に把握している。

 そのおかげで、取れる戦術が増え、可能な戦術の見逃しや無駄な焦りが減っていた。


「――でも。アンタの一番の欠点は、いま私が上げた、そのどれでもない」

「ぐぎゃぁぁぁぁっぁぁぁぁぁぁぁっ!」

「……くっ。こいつ、どんだけ、タフなんだよ」

「ああ、そいつ、種族の中では比較的、強い方、みたいよ?」


 わずかの間に脳震盪から回復した豚人族が振り向き、タレムを襲う。

 ……血迷った目で命を狙ってくる。

 番の命が、自分の命が、天秤に乗せられているのだから。


「でも、そうじゃないでしょ? そういう問題じゃ、ないでしょう。ね?」

「……っ」


 その時、視界に入ったアイリスの薄い微笑を見て、タレムは、体の芯が凍り付く感覚に襲われた。

 ……すべてを見透かされているような気がする。

 なんとなく、アイリスが、なぜ、こんな山門芝居を用意したのか、何を言いたいのか、解ってしまったのだ。


「アンタが『殺さない』から、そのブタちゃんは『倒れない』。そうでしょ?」

「やっぱり……童貞卒業って、そっちかよ」


 アイリスが言った、その言葉は、間違いなく、真理である。

 本来、数秒も時間を止められるのなら、その間に、いくらでも息の根を止められるのだ。

 ……だが、タレムは一度として、それしなかった。


「だから、さっきも、あんなお漏らし小僧に、殺されかけたんでしょ?」

「くっ」


 ただ、乱暴に腕を振り回す豚人族の攻撃をかわしながら、アイリスの言葉を聞き、表情を苦く歪める。


「ここは、戦場よ。いつまで、おままごとをやっているつもり?」

「……」

「『不殺』の覚悟。うふふ、立派ね。惚れちゃいそう(笑)。でも、そんなことを貫きたいなら、今すぐ、騎士を辞めて、子豚ちゃんの垂れ乳でも吸ってなさいっ」

「……っ」


 一度も殺人をしたことがない。

 そういう騎士を、騎士の中では『童貞』と呼ぶ慣習がある。

 アイリスが、筆おろししようとしているのは、このことであった。


「く……っ」


 いままで、目をそらしていた弱点を突きつけられ、動揺し、足を縺れさせ、豚人族の攻撃をモロに受ける。


 ……ばきり。

 肋骨が折れた。


「ぐぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ」

「……っ!」


 吹き飛ぶ前に胸元を掴まれ、体をねじ斬らんとする。


「わざわざ、殺りやすいように人型じゃない練習相手を用意してあげたんだから、早く。殺しなさい。 やんなきゃ、アンタが死ぬだけよ?」

「……ぐぁぁ……っぐぁぁ」


 タレムの身体がねじられる。

 口から赤い液体がこぼれる。

 今にも内臓が飛び出そうだ。


「生きる……ために……殺せってか?」

「そうよ。それが、自然の摂理。戦場の理」

「ふ……そうか……それ……なら……」


 ――だが。


「……おこと……わり……だっ!」

「……っ!」


 タレムは不敵に笑ってそう宣言した。

 その……直後。


 ぶすりっ。


「ぎゃぁぁ……?」


 タレムを殺さんとしていた豚人族の脳髄に、クナイが撃ち込まれた。

 そして、闇の中から猿の仮面を付けた幼女が姿を見せる。


「割り込み御免。これ以上は御屋形様の命が危ういので、連れ帰らせていただく」

「……っ!」

「御屋形様を殺すことが、本意でもないのであろう?」

「……」


 その少女の出現したとき、アイリスは二重の意味で驚いていた。

 一つは、タレムが本当に死にかけても、豚人族を殺さなかったこと。

 もう一つは、猿の仮面を付けた幼女の気配に、いまのいままで、まったく気づかなかったことだ。


「某の姫さまから受けた命は、御屋形様の護衛、できれば戦うのは避けたいで候ふ」

「……好きになさい」


 短く、されど深く、思考を巡らせたアイリスは、得体の知れない幼女を警戒し、おとなしく引く。

 タレムの筆おろしも含めて、ここが、引き際だと、判断した。


「だけど。これだけは、答えなさい。タレム。この戦争中、ずっとそうやって、別の誰かに手を汚させるつもり? 本当に誰も殺さず戦争に勝てると、生き残れると、思っていて?」

「……」

「なんで、そこまでして! 『不殺』なんかに拘っているのよ!?」


 猿の幼女の肩を借りて立つ、タレムは、一瞬だけ考えてから、言った。


「俺が……今、生きているからだよ」

「……はぁ?」


 タレムは語る。

 自分の中に芽生えているある感情を。


「甘いってわかっているさ……でも。そんな甘い人間がいたから、俺は今、生きているんだよ」

「……っ!」


 騎士とか、貴族とかの前の話である。

 タレムは帝国の血を引いていない。

 それでも、帝国で生きているいる理由、それは、ユリウスがタレムを殺さなかったからだ。


「いつかは、誰かを殺さなきゃいけないけない時がくるかもしれない。それでも、俺は、俺だけは……それをしないように全力で、最後まで、あがかないといけないだろ?」


 ――だって、それをしたら、俺が俺を殺すようなものだから。


 タレムは最後にそう言って、アイリスの前から去っていくのであった。(続く ここで二章終了)

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