十話 『闇の中の襲撃(内乱)』
軍議が終わり天幕を出た三人は、自分たちの陣を張った場所へと足を向けた。
既に日が落ち、暗い空が広がっている。夜戦の予定はなく、今日の戦闘はないとのこと。
よって、三人の参戦は明日から、ということになった。
「タレム。お互い、配置場所が遠くなったが……くれぐれも、死ぬなよ?」
「いや、いや、後方予備隊、配属の俺より、バリバリの最前線、前方遊撃隊を任されたイグアスと、アイリスちゃんの方が危険だからね」
今までのような個人レベルの私闘と違い、今回の戦場は広大だ。
なにせ、帝国軍約七十万人と、精霊同盟軍約百二十万人が争っている場所だ、隣の戦場へ移動するだけでも、一時間はかかる。
そんな戦場で遠くに配置されてしまったら、戦闘中、窮地に陥っても、お互い救援は出せないだろう。
「……」
「……あん?」
慣れない愛嬌を振りまいたせいで疲れたのか、アイリスは無言を通す。
その蒼水晶色の瞳が、昏い天の色と混ざり、不穏な気配を醸し出している。
「アイリスちゃん? ねぇ、聞いている? もしかして、お腹でも痛いの? 生理? はっ。もしかして、ご懐――」
「――死になさいっ!」
ずばぁっ。
……突然。
アイリスは腰の愛剣を抜刀し、そのまま、タレムに向かって横なぎに振った。
「うわぁぁぁぁっ……って、本気っ!」
タレムはとっさに腰を引き、地面に尻餅を付いて躱したが、冗談にしては殺気が本物だった剣筋に、冷たい汗が背筋を滑る。
「ちょ、落ち着こう。アイリスちゃん。冗談だよ? たとえ、他の男の子供を孕んでいようと、俺の愛は変わらないしっ、ちゃんと平等に育ててあげるからって……ひぃぃぃっ」
再び、一閃。
しかし、それは、タレムの頭上を大きく外れる。
「お前が落ち着け。タレム。今まで、アイリスが、お前の発言を間に受けたことなんてないだろう?」
続けて、イグアスも、紅玉石の剣を抜きながら、タレムを諭す……と、
「イグアスっ!? お前、結構ひどいこと言ってるからな!?」
ぼとり。
尻餅を付いているタレムの右手の近くに、何か重いモノが落ちた。
「……え?」
さらに指先がヌルっと濡れた感触に、嫌な予感を覚え、ゆっくりと首を回し、落ちたものを確認する。
そこには、光を映さない、人間の生首。
「ひぃぃぃぃっっ! 落ち武者だぁぁぁぁぁっっ!」
ホラーである。
器用にもタレムは、お尻だけで飛び上がり、アイリスの背後に回ってしなやかな腰にしがみ付いた。
「うふ。久しぶりの獲物に、我慢ができなくなっちゃったって、トコロかしら。まるで飢えた獣ね」
アイリスは、そんなタレムの顔面に、慈悲も躊躇もなく拳を入れて、振り払ってから、今日、初めて心から楽しそうに口元を歪めるのであった。
「――でも、どっちが、飢えているのか、獲物なのか、教えてあげるわ♪」
――《銀世界》。
ぽつり。アイリスがつぶやくと、周辺の空間が一瞬で凍り付く。
すると、今までなぜか見えなかった数名の人影が現れた。
……よく見れば、軍議に参加していた騎士たちだ。
「ほぉぉ。さすがは、天下のクラネット家だな。俺の魔法《気配抹消》を一発で、暴くのか」
「……」
にやにやと厭らしい笑みをアイリスに向ける騎士が、素直に感心すると、後ろから、もう一人の騎士が前に出た。
「俺はこの前線でも主力の一人。千騎士長ダムドだ。状況は分かっているな。貴様のような、家柄と容姿だけで、ちやほやされてきた騎士(笑)に勝ち目はない。 黙って、剣を捨てれば、痛い思いをせずに、可愛がってやるぞ?」
「……」
男たちの下卑た顔には、狙いがアイリスの身体を蹂躙することだと書いてあった。
新人の姫騎士相手に、夜襲をかけるなど、最低な行為だが、戦場は弱肉強食である。
強いものが、欲望のままに快楽をむさぼるのもまた、節理。
可憐なアイリスが、狙われるのは必然であった。
「おいおい。どうした? 子猫ちゃん♪ 仮にも千騎士だろ? 本当にビビって動けないのか?」
「……そうね」
「ふん。つまらねぇ。が、それなら、それで、美味しく頂くだけだっ。ぐへへへ」
「……あまりに喰い応えがなさそうで、思わず、萎えちゃったわ。くすっ」
「――上等っ!」
最低騎士が舌を舐めずり回して剣を抜き、その部下たちが、タレム達が動かないように周りを囲む。
これでアイリスは、孤立無援、絶体絶命である。
「タレム。いつもみたいに、助けなくていいのか?」
「イグアス。俺は別にすべての人間を助ける救世主じゃないよ。……あんなこと、二度とするか」
「まるで、世界を救ったことがある救世主みたいな言い草だな」
「すくったからね」
……が、タレムも、イグアスも、顔に悲壮を浮かべることもなければ、アイリスを助けに行こうともしなかった。
なぜなら……略。
「ぐあぁぁぁぁぁぁぁぁっぁぁ」
数秒後、首を飛ばされた最低騎士が地面に散り、血の雨が降った。
「うふふ、うふっ♪ はぁっ、はぁぁん。さいっこう(恍惚)」
「あ、あ、ああ悪魔っだぁぁぁぁっっ」
「ひぃぃっ、助けてっ、助けてくれぇぇぇっっ! 俺は無理やり手伝わされた――ぎゃぁぁぁぁ」
その血にまみれながら、アイリスは、今日一番の悦楽に狂っている。
「あは♪ 楽しいわ。楽しいわ♪ どうやってハメ殺してやろうか考えていたら、まさか向こうから来てくれるなんてね。うふふ」
あたり一帯に狂気を振りまきながら、剣で舞を踊るアイリスを、タレムは止めない。
……今回に限っては、アイリスに手を出そうとした、騎士たちの自業自得だ。
「おい。毎度思うが、タレム。あの狂人のどこがいいんだ?」
「健康な赤ちゃんを産みそうな、あのお腹」
「毎度思うが気持ちがいいほど素直だな。ふっ、だが、オレの出番はなさそう――ぐぅっ!?」
――ざっ。
アイリスの一方的な殺戮が続くなか、タレムと並んで雑談を繰り広げていたイグアスの姿が、突然、消えた。
タレムが遅れて横を見れば、大剣を振り下ろした騎士が笑っている。
「くははぁっ。今の一撃を防ぐか。英雄(笑)とまで言われるに墜ちたとはいえ、英雄は英雄か、グレイシス家の出来損ないよ!」
「……」
「お前倒せば、俺が英雄か!? ぐははははっ」
これもまた、先ほどの軍議に参加していた主力騎士の一人だ。
肩につけられている階級章から、《五百騎士長》とわかる。
「あはっ♪ なによ。そっちの方が楽しそうじゃない♪ ほんっと、帝国の階級ってアテにならなくて困るわ♪」
殺戮マシぃーンとなっていたアイリスが、その騎士に気づき、妖しく惑る瞳を向ける。
――が。
「――よせ。アイリス。こいつは、オレの客人だ」
「……ふん。まっ、横取りはご法度よね。獲物は他にもいるし、仕方ないから譲ってあげるわ」
吹き飛ばされていたイグアスが、空中で態勢を変え、周りを囲っていた人を足場に、大剣の騎士へと斬りかかる。
その間際、すれ違いざまにイグアスがつぶやいた。
「タレム。一応。聞く。こいつは悪か?」
「そんなことくらい。自分で判断しろよ」
「なら、悪だ!」
――悪即斬。
直後、大剣の騎士が、真っ二つに両断された。
「ひぃっ!」
「さて。ここからは、オレも参戦といこうか。お前らがいると、おちおち会話もできないようだから、な」
「あはっ♪ あははっ♪ うふふふふ♪ もっと、もっと、もっとぉぉぉ(虐殺)」
当初、騎士を含め、二十人ほどいた襲撃者たちが、全員沈黙。
息をしているのは、タレム、イグアス、アイリスの三人と、気配を消す魔法を持った騎士だけ。
しかし、唯一残っている最後の騎士は、アイリスとイグアスが死神にでも見えるのか、失禁している。
「うふ♪ うふ、ねぇ、イグアス。あれ、私が貰ってもいいわよね? ね? 奪ったらアンタから殺すけど♪」
「好きにしろ。だが、アレはもう、騎士どころか、戦士でもないぞ」
「何、言ってんの? そういう、幼気な子猫をいたぶるのが、一番、気持ちいいんじゃない(恍惚)」
「お前、いつか、必ず、報いを受けるぞ」
弾む声で、アイリスが言い、イグアスが関わりたくないと手を振った。
数秒後に起こるのは、殺戮だろう。
そこでようやく、襲撃した騎士は、自分が敵対してはいけない者と敵対してしまったのだと、本能の部分で理解した。
千騎士長アイリス・クラネット。
五百騎士長イグアス・グレイシス。
……この二人は、階級詐欺の化け物だ。
――と、その時であった。
死を悟った騎士に、とある天命が舞い降りた。
「ま、まて。俺の標的は、そっちの異国騎士だ。最初から、お前たちに敵対する意思はない!」
「……」
イグアスとアイリスと戦えば、活路はない。
だが、もう一人の騎士、《敗北王》と呼ばれる最弱の騎士ならば――
「ふぅん……。好きにすればいいんあじゃない? 横取りはご法度だもの」
騎士を殺そうとしていたアイリスが剣をおさめ、タレムに視線を向ける。
「え……。ここで俺? ちょっと、アイリスちゃん。なんで、こんな時ばっかり、殊勝なこといいだすの? 普段はもっとクルってるのに」
「そんなの、アンタが世界で一番嫌いだからよ! ……安心して、イグアス。つまらないことしようとしたら、私が斬ってあげるから」
「……と、いうことらしい。がんばれ、マイ・ロード」
……マジ?
どうして、こうなるのか?
何もせず、今日は休めると思っていたタレムが首をひねっていると、それを好機と見た男が短剣を抜き、タレムに襲いかかった。
「早っ!」
「ふははっ。やっぱりだ。お前は、弱いな! これならっ」
俊敏にそして的確に、繰り出される短剣の連続攻撃。
イグアスとアイリスは、まるで、雑魚を倒すかのように楽々と撃破していたが、腐っても前線で鍛え上げられた騎士である。
学園の順位戦で戦ったどの騎士よりも強い……。
「あーあ。夜更かしはお肌の大敵だし、もう、寝ようかしら……」
「おい。せめて、タレムを応援してやれ」
「応援? 必要ある? あの失禁魔より、私の馬鹿犬の方が強いのに」
――だが。
先の二人に比べ、明らかに格が劣るタレムに対し、短剣の騎士が気を緩めた……その間隙。
「はぁっ!」
タレムが腰に差した、《ユリウスの剣》に指を掛け、流れるように抜刀。
さや走りを利用した電光石火の刃が煌めき、騎士の短剣を的確に叩き折った。
「なっ! こいつ。急にっ!」
「――ふぅ。まぁ。俺も、これまで、いろいろ死線をくぐったから、これくらいはね。殺しはしないから降参……」
そのまま、首筋に剣を押し当て、行動を封殺。
タレムの勝――
「――っ! あのお馬鹿っ!」
「っ!」
――と、思われたが、そこで追い詰められた騎士が奥の手、魔法を発動した。
しゅるりと、視界から騎士の姿が掻き消える。
それを見たアイリスが剣に指を掛け、イグアスが駆け出す、その刹那。
――黄色い閃光が、走った。
ずどぉぉんっ。
遅れて、雷でも落ちたのかのような轟音と豪風がタレムの背後で轟く。
「ぐぁぁぁっ」
視線だけ動かして確認すれば、そこには、タレムの首に短剣を突き立てんとしている男。
そして、その男の首を片腕で掴んでいるレオ皇子。
「ひぃっ、皇子様……っ! これはっ……お助けを――」
「――ふんっ!」
何が起きたのか悟った短剣の男が、青い顔でそう懇願……しかし、レオ皇子は首をつかむ手に力を入れた。
びりびりびり……。
レオ皇子の身体から紫電が弾け、ぼきり……と、男の首が折れる音が響く。
男は泡を吹いて、絶命した。
「貴様……」
「……」
レオ皇子は、その男を放り捨てて、その紫玉の双眸でタレムを見た。
……この時、初めて、タレムとレオ皇子の視線が重なった。
「……貴様。騎士を、戦場を舐めているのか?」
「はい?」
しばらくの沈黙を経て、レオ皇子が放った言葉に、タレムの思考は追い付かない。
「……ふん。惜しい。と、思って助けたが。その価値はなかったかもしれんな」
「……な」
また、失望の色を見せ、タレムから視線を外したレオ皇子は、後ろのイグアスとアイリスに視線を移した。
「さて、貴様らが殺した騎士たちには、戦闘中の指揮を委任にしていた者どもだ」
「だから? 蹂躙されれば良かったとでもいいたいの? ねぇ、第三皇子。いえ、五千騎士長《幻ノ電》レオ・レオナルド・アルザリア」
ばちばちと、アイリスとレオ皇子の視線が火花を散らして交差する。
どちらも、互いの底を見極めんとしているようであった。
「プリンス・レオ。一応、言っておくが、最初に手を出してきたのは、そいつらだ、ぞ?」
「ふっ。余を前に臆さぬか。その器量。遊撃隊では、収まらんな」
そこで、何を思ったのかレオは笑い、
「イグアス・グレイシス。アイリス・クラネット。貴様らには、明日から東西で戦場指揮を任せよう」
「えっえええっ! なんでそうなるの!」
いきなり、大任の人事を決断。
「いいのか? 戦場指揮といえば、実質的には、すべての騎士を総括するのと同じだぞ?」
「ふっ、弱肉強食がこの戦場だ。今の争いを見て、異論を唱える奴は、自分から戦場にいる素質がないと言っているようなものであろう?」
「あら……うふ。王族のくせに、随分といい男じゃない♪ 気に入ったわ」
そして、タレムにも、
「タレム・シャルタレム。お前は、後方支援でもやっていろ」
「なっ! 後方支援って、実質的な戦力外通告じゃ。なんで? 俺、二人と違って皇子にちゃんと敬意を払ってたのにぃぃ――」
そう新しく役目を与え、
びりっ。
紫電を残して、姿を消した。
「タレム。今のやつの動き見えたか?」
「いや……まったく、ござるより、早いかも。ちょっと、さっき、後ろに立たれた時は本気でちびった」
「五千騎士長とはいえ、イグルス兄さんには及ばないと思っていたが、レオ・レオナルド・アルザリア……。魔法は《帯電》。能力は、よくある電気操作でも発電でもなく、電気を体に帯びる。それだけの粗末なもの……だと、聞いていたが、聞いていた以上に厄介かもな」
「だから、味方だよね!? というか、出世おめでとう! ジャネラル・イグアス様」
この夜、困惑だけが、タレムに残った。
なぜ、真面目に礼節を守っていた(と本人は思っている)タレムだけが冷遇され、不良騎士のイグアスとアイリスが評価されるのか、考えれば、考えるほど納得がいかない。
真面目に生きれば損をする。それが騎士の世界というものなのか?
そんな世界であっていいのか? 否である! 否……ではあるが、
……こうなったらグレてやる! と、開き直り、陣地へ戻ろうとするタレムの背中に、アイリスが声をかける。
「タレム。アンタは後で、私の天幕に来なさい」
「え? なんで? なんかもう、イロイロと疲れたから、寝たいんだけど」
「……そんなこと言っていいのかしら? せっかく、私が、アンタの童貞、筆おろししてあげようっていうのに、ねぇ?」
「……え?」
言いたいことだけ言ったアイリスは、あいさつも、補足もなく、背を向けて、自分の陣地へ戻っていった。
「まぁ……なんだ。タレム。マリカには何も言わないでやるから、な? 栄気を養ってくるんだな」
そして、イグアスも生暖かい視線でそう言って、去っていった。
最後に残ってしまったタレムに、湿原の湿った風が吹く。
「えぇぇぇぇぇぇっぇぇぇぇぇっぇぇぇぇぇぇっぇぇっ!」
突然の、アイリスからのお誘いにタレムはうれしいような困ったような叫び声をあげるのであった。(続く、次回 童貞殺しアイリス!)




