六話 『出立前夜に夫婦がすることはアレ』
深夜、タレムの寝室から、ぎぃっ……ぎぃっ……と、響く異音。
それは、
「あの……タレムさま? いつまで剣を研いでおられるつもりで?」
タレムが、《ユリウスの剣》を研いでいる音である。
「ふふ、今夜は寝かせないぜ?」
「あの……タレムさま? そういう台詞は、剣にではなく、妻に言うものでは?」
コルネリアから《ユリウスの剣》を授かり、寝室に入ってから、既に三時間。
タレムはずっとマリカを放置して、剣を相手にデレデレしていた。
「ここか? ここが良いんだな? ふふっ。まってろ、いまもっと、気持ちよくしてあげるからな?」
「あの……タレムさま? わたし、今夜はどんなあなたも受け止める所存でございしたが……いくらなんでも、ソレはあんまりでは?」
はぁぁ……っと、マリカはため息をつく。
暫く会えなく夫の為、とびっきりの勇気を振り絞り、攻めた下着を着けてみたが、どうやら無駄骨に終わるようであった。
(まぁ……いつものタレムさまで良かった、とも、言えますけど)
「タレムさま……」
仕方なく、マリカはピンク色の期待を滅却し、ベッドから起き上がると、剣を研いでいるタレムの背中から、腕を回して抱きついた。
むにゅ。
「おっ!」
最近ますます大きく育ってきた胸がタレムの背中で潰れされる。
その天国にいるかのような感触でタレムはようやくマリカに意識が向いた。
「……マリカちゃん。どうしたの?」
「一年……ですか?」
……何時、帰ってくるのか?
そんな問いだろう。
「前にも説明したけど、俺が今度、向かわなきゃいけない場所……《精霊の国》は、西に数千里……万の大群を率いて移動すれば、現地に到着するだけでも、五ヶ月は掛かる」
つまり、だ。
例え到着一日で戦争が終わっても帰ってくるまでに十ヶ月はかかるという計算だ。
……そして、もちろん。戦争が一日で終わることはない。
「そこでの戦況次第だけど……善戦しているなら、そもそも俺達が増援に出されることはないよ」
そういう事情を考慮して、タレムが導き出した日数は、
「おそらく、三年」
「……」
何度確認しても変わらないその答えに、マリカは絶句するしかない。
口にも、態度にも、出しはしないが、本当は、どこにも行かないで欲しかった。
……出世なんてどうでも良いから、側に居て欲しい。
それが、マリカの本音である。
「マリカちゃんも聖都に行くんだろう?」
「はい。レムリアさまから、助祭になる勉強をしに来てみないかと、お誘いを受けていますので」
「一人にするのがふあんだったけど、なら、安心だ」
だが、マリカはそこで、泣いて悲しみに暮れるだけの悲劇のヒロインではない。
タレムが居ない間、聖母レムリアの元で修練を積み、修道女として、さらなる高見を目指し、自分を磨くつもりだ。
(そうでございます。悲しんでいる暇などありません。わたしは、いずれ、騎士王となる、この人の妻としてふさわしい女になるのでございますから)
「……しかし。《精霊の国》……で、ございますか」
「マリカちゃん。何か知っているの? まだ帝国もあの国のことよく解ってないんだよね。解っているのは、騎士の《魔法》に似た特別な《術》を使う戦士がいるって事くらいで」
「いえ、私も確かな事は何も……ただ、あそこは、修道士にとって特別な場所ですございますので」
「特別な場所?」
タレムはそこで剣を研ぐ手を止めて、背中に抱きつくマリカの瞳を見た。
「旧聖書では、《神魔戦争》が終わった場所と、記されています」
「聖書って……何万年も前の御伽話だよね? ラグナロク? は、よくわかんないけど」
「ですので、神代の時代から存続すると言われている伝説の国なのでございます」
紅く輝くその瞳は、修道女の瞳だ。
「《精霊の国》に住む住人については、曰く、不老の存在である。曰く、天上の存在と交流を持っている。曰く、神の化身を従えている……など、諸説、語られています」
でたらめなお話だ……と、言い捨てたいが、この瞳をしているマリカが、巫山戯ていないことを、タレムは身に染みて知っている。
「不老の存在ってのは、そのままなんだろうけど……天上の存在って?」
「タレムさまは、空中大陸と言うのをしっておりますか?」
「有名な大衆小説のアレね。巨大な積乱雲の中に大陸が浮いていて、そこに住む、人達は、空を飛べ、超強力な古代の破壊兵器を持っている……」
「その小説の元ネタは、聖書ですので。難しくなると思いますが、この説明も、聞きます?」
「……」
ぴしゃりと、言われたその事実に嫌な予感がしたタレムだが、その信憑性を聞いてもマリカの説明を理解できないだろうと、諦めた。
聖教教会の聖書は、それだけ難解な書き方をされている。
なにより、マリカの語っているのはただの聖書ではなく《旧聖書》、未だに全て読み解く事ができていない原書。
「じゃ、じゃあ。神の化身って?」
「かつて、主神が堕天使達を滅ぼす為に創造した巨神兵……ですが、創造主である神に反逆し、堕天使の先兵となって暴れ回った巨人のことだと思います」
「え、何ソレ、親を裏切るなんて、最低だな」
ココで、お前が言うな……と、突っ込まず華麗に聞き流すのが、マリカとタレムが夫婦円満である理由だ。
「その巨躯は山に匹敵し、その一撃は万の人間を葬った……受けた傷もたちまちに回復する」
「そんな怪物を、精霊の国は従えている訳か……」
「あくまで私の持論ですが……あり得たかも、程度にお考えくださいまし」
「断言する。ぜぇぇぇぇっったいっ! その巨人と闘うことになるね、俺!」
「ふふふ……では、もし、そうなったら、巨人を地面から離して闘ってくださいまし。巨人の能力は地面から得ている加護ですから」
「冗談だよ? 闘わないよ? さらっと攻略法まで教えるの止めてっ」
「ふふっ」
マリカは、くすくすと笑いながら、抱きついている腕の力が強くなる。
とくん……とくん……とくんっ。
大きな胸越しに響く、マリカの優しい心臓の音。
そのアルザリア帝国の何千倍も広い心に包み込まれているようである。
……心地良い。
「早く……なんて、申しませんから……必ず、帰って来てくださいね? わたし、まっておりますから……ずっと」
すっ。
「大丈夫。マリカちゃんを、未亡人にはさせないさ」
タレムは、ユリウスの剣を鞘に納めると、マリカの腕を解いて振り返り、抱き寄せながら立ち上がる。
お姫様だっこだ。
「あっ……タレムさま。いきなりこんな格好っ……(赤面)」
「何を今更、マリカちゃんと俺の関係で恥ずかしがることかな?」
やんわり抵抗するマリカを、ベッドへ運び、そっと、寝かせて布団を掛けた。
昔から、マリカのお世話をしていたタレムの手際は慣れたモノである。
そんなタレムがロウソクの炎を消そうとする姿をマリカは火照った顔で見つめながら、
「タレムさま……」
「なんだい?」
ぎゅっと、やっぱり抱きついて、
「今夜もう、マリカと呼んでくださいまし(赤面)」
直後、ロウソクの炎がかき消され、寝室が漆黒に包まれる。
もぞもぞ。
その暗闇のなか、タレムが布団に入り、
ぎゅっ。
「……っ!」
マリカは抱きしめられた。
マリカの顔が、タレムの胸板に押し当てられている。
……最弱の騎士と言われているが、何時だって、マリカにとっては、誰よりも心強く、安心できて、格好の良い最愛の男性。
自然と、マリカの体温が上昇してしまうのは、若さ故である。
「一人にしてごめん。出来るだけ早く戻ってくるよ……マリカ」
「……っ!。はい♪ タレムさま。待っておりますので……わたし、待っておりますのでっ」
こうして、タレムがロック村で過ごす、最後の夜が過ぎていったのであった。(続く……)




