二話 『お金がねぇぇっ!』
寝耳に水で飛び込んできた、百騎士長昇格の話。
騎士王と言う名のハーレムを目指す、タレムにとっては願ってもない話である。
――しかし、だ。
……一つだけ、問題があった。
「いきなり騎士位だけ上げられても、兵を集める金がねぇぇぇっっ!」
そう、タレムの《白銀騎士団》は、致命的な戦力不足であり金銭不足であったのだ。
十騎士としての兵員ですら、まだ半分程度しか揃えることが出来ていない状況である。
そんな状況で、単純に十騎士長だった頃より十倍の兵員を集めるなんてこと、道理が通るわけがない。
「やばい。やばい。やばい。騎士総会で決まった事だから、再来月には戦地に向かわないと斬首になっちゃうのにぃぃ」
ロック森林にある騎士団兵舎の団長室で、帳簿とにらめっこしていたタレムが頭を抱えて苦渋に悶える。
……あまりの現実身のなさに、笑ってしまう。
「そうだ、こんな時こそお前の出番だろ。いぐあす、イグアス。イグアースっ! ヘルプミーッ!」
どうにもこうにも出来なくなり、こういう時、頼りになる親友の名を呼ぶが……。
返事がない。
「あ、アイツ、アルフリード公と、マリアさん連れて帰ったんだった」
タレムと同じく、戦争の準備をしなければいけないイグアスは、帝都にとんぼ帰りしている。
「真面目にどうしよう? ねぇ、どうしたら良いと思う? ノーマ」
そんな頼りにならない親友のことは諦めて、今度はちゃんと近くにいる少女に話を振った。
彼女は村娘出身だが、戦いの天才であるイグアスにその才能を認められた少女だ。
そして、なにより《白銀騎士団》の副団長である。
騎士団の事で困ったなら、先ずは彼女に頼るのが道理と言うものだろう。
「奴隷か……傭兵を雇うしかないかと」
「まぁ、そうなるよね」
そんなノーマが短い茶髪を揺らして必死に考え出した案は、奴隷と傭兵からの徴兵。
「……でも。めぼしい奴隷は既に大体斡旋して貰っているし、傭兵を雇うには……やっぱり、懐が寒すぎる。マリカちゃんに断食させる訳にはいかないよ」
一応、安い奴隷を大量に買って頭数だけ揃える……なんて手が、あるにはあるが……それだと、闘う意思のない人間を騎士団に入れることになる。
いくら奴隷だとしても、意思を無視して無理やり戦争の兵にする……なんてこと、タレムはしたくなかった。
……と、そんな時だ。
ばしぃんっ!
突如、部屋の扉が蹴り破られる。
「相変わらず、甘いことをやっているのね」
そして、薄氷色の姫騎士が現れた。
冷たい風が流れ込む。
「♪ アイリ――」
「――くせ者っ!」
瞬間。
ノーマが反射で長刀を抜刀。
そのまま躊躇いなく姫騎士に斬りかかった――が。
「ふん。ウザったい」
姫騎士は構えも取らず、長い髪を後ろに払った。
姫騎士の髪が美しく靡き、ノーマの付近で空間温度が一気に下がる。
それを感じるが早いか物理現象として氷塊が生まれ、ノーマの華奢な身体を飲み込んだ。
「っ!?」
「身分を弁えなさい、平民。――あんまり喚くなら……殺すわよ?」
首上だけ残して氷塊に包まれるノーマに向かって、されど視線は向けずにアイリスが殺気を込めて言う。
その言葉で更に室温が数度下がる。
「くっ! この程度ッ」
――しかし。
ノーマはそこで止まらず、
「ぐぅぅぅぅぅ……っ!」
全身を力ませて……
「――はぁぁぁぁぁぁぁぁっっ!」
「……っ!」
ばぁりん……と、身体の氷を力ずくで砕いて見せた。
そこで初めて姫騎士はノーマの瞳を覗き見る。
「ふぅん。馬鹿犬の犬にしてはやるじゃない。ちょっと愉しくなってきたわ。その私に噛みつこうとする生意気な顔。絶望に堕としてあざ笑ってあげる」
「神聖な騎士団の……しかも、領主さまの部屋でっ。……この狼藉っ。――例え、高貴な方といえども許しません!」
「――来なさい。馬鹿犬の犬。遊んであげるわ!」
そうして、女戦士二人が互いの獲物を手に、殺陣を始めようとしたその時。
「あのぉぅ……お二人さん。盛り上がっているところ、悪いんだけれど、取り敢えず助けてっっ! 寒くて死んじゃうからっ! ガクブルガクブル」
冷や水を浴びせるように声を挟んだタレムは、ノーマの後ろ。
騎士団長の席に座ったまま、凍り付いていた。
ふたりの戦いの余波に巻き込まれたのだ。
……もちろん、ノーマのように力ずくで氷を砕くなんてことは出来ない。
(というかもう、ノーマはもう身体能力だけで言えば千騎士長クラスなんだよなぁ……。あのアイリスちゃんと一歩も引かずに張り合っているし)
「あっ。す、すみません。気が付きませんでした。いま、助けます!」
「いや、いいんだよ。影が薄い俺が悪いから……でも、ありがとう。思わず、ノーマに惚れちゃいそう」
「……すみません」
「なんでそこで謝るの!」
「アンタ……何やってんの?」
「凍えてるんだよ! 君のせいでね。アイリスちゃん」
タレムがわめく姿を、アイリスは排泄物でも見るような目で見つめ……
「興ざめね。犬の糞でも踏んだ気分だわ」
「うん。言わなくても、目を見れば解るよ……。いや、もっと酷かったね」
細剣を腰の鞘に納めて指を鳴らす。
するとタレムの身体を拘束していた氷があっと言う間に溶けてなくなった。
……寒いのは変わらないのだが。
「ありがとう。アイリスちゃん。ほら……ノーマも剣を納めてくれ」
「……」
「不満そうだね。彼女が俺の未来の嫁になる女性だって言っても駄目かな?」
「領主さまのお嫁さん……。なるほど、承知しました」
それを見て、聞いて、ノーマも長剣を鞘に戻す。
その一連の掛け合いを聞いていたアイリスが心底嫌そうな顔をするが……
……そこを気にしないのがモテる男の秘訣。
「――で。気を取りなして、アイリスちゃん。ようこそ、俺の領地へ。何度誘っても頑なに来てくれなかったけど、遂に、身を捧げてくれる覚悟ができたのかい?」
わだかまりを解消したか、していないか、絶妙だが、タレムは何もなかったかのように、座したまま、不適に笑って問いかけた。
「気持ち悪い。ねぇ。アンタ、生きていて恥ずかしくないの?」
「……ぐすっ(涙)」
――閑話休題。
話を戻して、アイリスのこと。
「私がここに来た理由は、アンタにコレを渡す為。それ以下であっても、それ以上はないわ」
「以下はあるんだ……って、これは」
「見て解らない? そこに付いている目は腐っているのかしら」
「相変わらずだねぇ。もうちょっと優しくしてくれてもいいじゃんか」
冬の嵐の如く現れ、つんつんするアイリスから手渡されたのは、数枚の羊皮紙であった。
そこには何かの権利をタレムに譲渡すると明記されている。
何かとは……
「うふっ。私の愛する夫。ウィルムの全財産よ」
「きぃぃっ! 俺もアイリスちゃんに愛されたいっ!」
アホな反応をしながらもそこは騎士。
一応、渡された書面には真面目に目を通している。
確かにアイリスの言葉は真実で、書かれている金額は一生遊んで暮らせるほどであった。
(いいな、アイリスちゃん。これだけあれば、傭兵を万単位で雇えるよ。ウィルムと政略結婚しただけはあるなぁ。政略結婚をッ)
「……で? わざわざ、こんな忙しい時に自慢しに来たの?」
金に困っている人を前に、大量の金を見せてあざ笑う。
如何にも、アイリスがやりそうなことだ。
タレムは露ほども額面通りに書類を受け取れるとは思っていなかった。
……どうせぼったくられるに決まっている。
「何を企んでいるのか知らないけれど、わざわざ策謀に嵌めるまでもない。俺の事なら好きに利用していいよ。アイリスちゃんの言う通りにするから」
(どうせ、アイリスちゃんと腹芸で競っても勝てないし、そもそも勝ちたいとも思わないからね。好きにさせてあげるのが一番だ)
「はぁ……。ねぇ、アンタを騙す為だけに、私が来ると思っているの? 冗談は存在だけにしてくれない」
「俺の存在を否定しながら、憐れみの籠った視線を向けるのはやめて」
「私が来た目的は言ったでしょ? 二度も言わせるつもり」
「……ん。え、じゃあ。真面目にくれるつもりなの? なんで? と、言うかこれどっから引っ張ってきたの?」
「アンタ。あのボンボン(ウィルム)と子豚ちゃん(マリカ)を掛けて決闘騒ぎを起こした時、一緒にお互いの全財産も掛けたんでしょう?」
「あん……あ、あっ! そういえばっ! そんな約束をしていたかも。あはは。スカッリ忘れていた……あはははっ」
「――じゃあ、私の用はそれだけ。ちゃんと渡したからね?」
「ソレだけって……。せっかく来たんだし今日は俺の屋敷に、もとい部屋に――」
「――帰るわ」
取りつく島もない。
アイリスは背を向けてスタスタと細い両足を交互に動かし、
「タレム。……男の価値はお金の使い方で決まるらしいわよ。これ以上、私を失望させないでちょうだいね」
「……っ!」
そう言い残し、去っていった。
その背を追って抱きしめたい衝動に駆られるが、それはグッと我慢する。
……今は、騎士団の編成の方が重要だ。
「アイリスちゃん。このタイミングで、この大金。……ふっ。ほんと、ツンデレだな」
なにより、それが、アイリスの意図であろう。
……普通に融資してくれればいいのにな。
と、思わなくもない。
「まっ。そこが、アイリスちゃんの可愛い所だけどね。そう思わない? ノーマ」
「え? ……あ、っはい。思います……!」
そんなことを言いながらタレムとノーマは再び、騎士団の運用方針を話し合うのであった。(続く)




