二十九話 『石の棒切れ』
アベル夫人に教えられた場所に行くと、確かに隠し部屋があった。
藁の寝床と、仕切りもない厠が競合している大人一人が寝れるだけの小さな空間を部屋と云えばだが。
「少し前まで、人が居た形跡はあるわね……」
……が、しかし。
そこに、囚われているはずの人間は不在であった。
何処かに連れ出されてしまったのか……それとも。
「マリカちゃん……嫌な気配ってのは?」
何も無い隠し部屋にアイリスがズカズカ踏み込み、調べ始める中、タレムは、三歩後ろでアベル夫人に付き添っているマリカに聞いた。
生きている相手ならともかく、実体の無い。この世ならざぬ存在のことは、タレムやアイリスには判断しようがない。
(ここに、何かを感じるってマリカちゃんが言ったんだから、何かあるんだろうけど……)
部屋には、藁の寝床と、厠の他には石の棒切れくらいしかない。
アイリスがその棒切れを拾って調べるが、特に変わったことも起こらなかった。
「いえ……。どうやら、私は勘違いしていたようです」
……勘違い。
タレムに問われたマリカが、首を左右にふりながらそう言って、部屋を見つめていた瞳を閉じる。
そして、
「コレは……何万、何十万と重なり、絡みあった。とある一途なひとの念でございます」
「念……」
「それは――」
「それは?」
再び瞳を開く時、その瞳は紅く輝いていた。
「――濃厚な『愛』ですねぇ」
「って、イシュタル様っ⁉」
「強い愛に引かれ、思わず目覚めてしまいました」
つまり、その部屋には、愛の女神イシュタルが目覚めてしまう程、濃厚な愛の残留思念が満ちていたのである。
「ああっ。ああっ! ああっっ! 良いですねぇ。良いですねぇ。私の大好物ですねぇ。じゅるり……元気になってきました」
「ちょっ、イシュタル様。ダメっ、ダメですって、アイリスちゃんにバレちゃうから勝手に出てこないでくださいよ」
「もっとっ! もっとっ! もっとっ‼ 私に愛を注ぐのです」
「ストップ。イシュタル様。スットオオオっプ!」
愛の女神の性か、そのあまりに強い念に引かれ、イシュタルが部屋に突撃しようとする。
……イシュタルの存在をアイリスに知られてしまったら、面倒なことになってしまう。と、タレムが必死に止めようとするが、
「……イシュタル?」
しっかりとアイリスは目撃していた。
「……。アンタ達、ふざけるのも大概にしないと今すぐ殺すわよ?」
「「ごめんなさい」」
本気でアイリスに叱咤されて、タレムだけではなく、イシュタルも身をすくませる。
「(な、なんですか、あの人間。とても怖いのですが。私、女神なのに……本能的に逆らってはいけない気がします)」
「(だから、言ったじゃん。アイリスちゃんに頼めば、神殺しくらい朝飯と同じ感覚で殺るって……)」
「いえ、そんな筈は……ん?」
そこで、不思議そうに首を捻ったイシュタルは、アイリスが持つ、棒切れをジッと凝視。
そして、
「はっ!」
口をあけて小さく驚くと、タレムの袖を引きながら言うのだった。
「(あれっ。あれです。彼女が持っているアレが、《神凪ぎの剣》です)」
「……あん? そんな都合の良い話しあるわけ――」
――ない。……とタレムは、思ったが。
言われて見れば、確かに剣の形状に見えなくもない。
「神々(わたしたち)にとっては、アレは、天敵中の天敵。だから、こんなに怖かったのですね。なるほど、なるほど。納得ですねぇ」
「……」
……言われて見なければ、解らないが。
「アイリスちゃん。ちょっと、その剣……じゃなくて、棒、貸して」
なんにせよ。
女神がそうだと言う以上、調べてみる必要がある。
……と、アイリスに頼むのだが。
「嫌よ。気持ち悪い。死になさい」
「……ひどい」
やっぱり、アイリスは、神剣と違って、そうそう都合良く、動いてはくれなかった。
……代わりに、
「それよりタレム。コレを見なさい」
「それよりって……それより、それ。結構、大事なアイテムかもしれないんだけど……」
「うるさい。黙って。私の言うことを聞きなさい!」
「亭婦関白だっ!」
ばさっ。
アイリスは、タレムに向かって、手帳の様なモノを投げ渡した。
「壊れたタイルの下に隠してあったわ」
「あん?」
それを見たタレムの興味が、神剣から、謎の手帳に興味が一瞬で移動する。
なぜなら、その手帳の表紙に……
『私の愛しい息子。タレムへ。――レムリアより』
……と、アルザリア文字で記されていたからだ。
「アンタ、ここに来たことあるの? レムリアって女よね? 誰よ⁉ また新しくたぶらかしたんじゃないでしょうね?」
「解らない。知らないひとだよ……でも――」
――何故か、とても、胸の奥が暖かくなる名前であった。
その感覚は、以前、鬼畜皇の幼妻に会った時に似ている。
「――でも。何よ?」
「いや……何でもないよ。とにかく。俺はレムリアなんて名前の人間に会ったことはない。そもそも、このタレムが、俺とも限らないし……同名の他人のことかもよ?」
「ふん……なら、コレは、面白い偶然ってことかしら?」
「ねぇ……アイリスちゃん。浮気をしている間男をみるような目で見ないでよ。俺、本当に知らないからだからさ」
――どうだか。と、アイリスが髪をかき上げるのを、タレムは気にせず手帳のページを一枚、捲る。
最初から、アイリスを納得させられると驕ってはいなかった。
『先ず始めに。この手記を読んでいる貴方は、出口の無い《運命》の螺旋に閉じ込められていると思います』
「……っ!」
その最初の一行を、流し読みして、そこまで何かを期待していなかったタレムの瞳が大きく開く。
『そんな愛しい我が子らの為に、必要な知識と道具を此処に遺します』
(これは……本物だ)
……そんな直感めいたものを感じたのだ。
さらに手記には、こう綴ってあった。
『そして、どうか、私の愛しい息子、タレム。貴方の妹を過酷な運命から、救い出してあげてください』
――妹?
(続く……)




