二十六話 『直感を信じるべし』
マリカの案内で、階段を降りると、濃厚な紙の香りが充満する部屋にたどり着いた。
その部屋には、最新のライトな書物から、古く重い書物まで、所狭しと並んでいる。
「わたしの知る限り、ここが聖都で最も多くの書籍が集められている場所でございます。まずは何をお調べ――」
「――あん?」
くんくんっ。
……なにか、違和感があった。
「……タレムさま? どうかなさいさましたか?」
「なんか……匂わない?」
「書物の香りでございますか? 確かに、慣れていないと鼻につくかも知れませんね」
「いや……そう言うんじゃなくて――」
「――では。こう致しましょう」
そのまま、落ち着かず、キョロキョロと首を動かしている……と、
――そっ。
マリカが後ろから腕を回し、袖で、タレムの鼻元を押さえた。
途端にマリカの香りが充満する。
「――っ!」
……布、柔らかい。心、落ち着く。
まもなく、タレムの耳元に甘い声が囁かれる。
「紙の香りが鼻に合わないのでしたら……卸したての布の香りは、如何でしょうか?」
「いや、マリカちゃんの香りしかしないけど……」
「……おイヤでしょうか? (赤面)」
「くぅぅぅっ。我慢できるかぁぁっ!」
「きゃぁ」
その真心が籠るマリカの行動に、想いがたぎった。
そして、そのまま、マリカの胸に抱きついていた。
ぼふっ。
……きもちいい。そして、甘い香り。
「俺が……この香りを好きじゃないと思うのかい? 大歓迎さ」
タレムの表情はグダグダだ。
「ふふ、もうっ、こう言うことは……おうちで、二人きりの時にやりましょうよ。……止まれなくなってしまいますよ?」
と、言いながら、マリカも満更でもない表情で、タレムの頭を撫で始める。
(優しい、可愛い、巨乳っ! 三拍子揃って、最高だぜっ、俺の嫁っ!)
それから、タレムは……ムフフ。と、たくさんマリカを堪能してから、嫁の事を抱き上げた。
「ひゃっ」
……離したくない。
「タレムさま……っ。こんな、はしたない格好、ダメでございますよっ」
「イヤなの?」
「……っ。大歓迎でございます。言わせないでくださいまし」
「なら、おろさんっ! もう一生っ、そうやってて。このまま接着剤でくっ付けちゃうから」
「もうっ……ふふっ……ふふ、調子の良い御方でございます」
イチャイチャイチャイチャ。
また、傍迷惑な熱々夫婦漫才が始まったが、年に一度の《祝福の儀礼》で、出払っているため、邪魔になるモノも、邪魔をするモノもいなかった。
広い部屋に、二人きり……。
「タレムさまっ。タレムさま……気持ちが溢れてしまいそうなので、わたしを食べて、納めてくれませんか?」
「……誰もいないし。俺も溢れそうだし、良いけど。食べるのはちょっとだよ? いつも言ってるけど、君を傷つけたくないんだ」
「お任せ致します❤」
そんな状況で、この二人に、止まれと言うのは、無理な相談であった。
ちゅーーっ。
あくまでも、外だと言うのに、二人の唇がくっ付けられる。
――直前。
「アンタ達……こんなところで発情してるんじゃないわよ。死になさい」
「「……っ!」」
物陰から、書物を携えて、薄氷色の長髪を靡かせる少女が現れた。
凍てつくような瞳と、凹凸皆無の体に、男に比類する身長、アイリス・クラネットである。
「ちょっと、どこ見てるのよ」
「ふくらみ皆無なおっぱいで、むっぱい」
「そう……死にたいのね」
「なんで? 俺、その乳、好きだよ?」
「……ふん」
――さて。
……ここで幾つかの疑問が解消された。
一つは、一万回繰り返した世界で、一度も足取りを掴めなかったアイリスが、此処にいたのだと言うこと。
一つは、タレムが此処に足を踏み入れた時、感じた違和感が、アイリスの香りであったということだ。
(流石は俺……どんな時も、アイリスちゃんの香りは、嗅ぎのがさないのさっ)
特殊な情事に及ぼうとした所を見られながらも、タレムは、えっへん。と、胸を張る。
……ハーレムを目指す男は、視られる事を恥じはしない!
――が。
「たっ、タレムさま~~っ。降ろしてくださいましっ。他人に見られているのはイヤでございますっ!」
ぽかぽかぽかっ。
純心無垢で一途を極めるマリカは、そんなくともなく、タレムの胸を軽打。
……そんな仕種も、また可愛いらしい。が、無視する。
「――で? 覗き見なんてして。アイリスちゃんも可愛がって欲しいのかい?」
「アンタ達が来ているなんてね……こんな似合わない場所に。どういう風の吹き回しかしら。死になさい」
「お二人さまっ。お、お話する前に、降ろしてくださいましっ! それから、二人とも話が全く噛み合っておりませんよ?」
「「……」」
マリカの悲鳴で、会話が途切れ、
――降ろしたら?
と、アイリスも言うが……
ぎゅうっ!
タレムは離さなかった。
「タレムさま?」
「ごめんね。アイリスちゃん。今は、マリカちゃんを可愛がってるから、何時もみたいに構えないんだ」
何時ものタレムなら、マリカが嫌がれば、すぐに離し、アイリスの姿を見たらすぐに飛び付いている所だろう……が。
ぎゅうっぎゅうっ。
今回のタレムは、それをしない。
「今、初デート中だし。マリカちゃんが可愛すぎて、離したくないんだ……ハーレム。故に、二心非ずってね。目の前の妻が最優先さ。だから、ごめん」
「タレムさま……。(赤面)」
「どうでも良いけど、謝らないでくれるかしら? むしろ、その子豚ちゃんを一生抱いていてくれた方が無害で助かるわ。私に殺されるまで、豚と、ちちくりあってなさい」
「豚、豚って、言ってるけど、豚って、可愛いよ? ぶひぶひって、言ってくれたら、アイリスちゃんも可愛がってあげる」
「死になさい」
だが、アイリスは何時通り、サバサバである。
タレムが目の前で他の乙女を可愛がっていても、嫉妬すらしていなかった。
……この対応。イシュタルの言葉を借りて言うなら、愛を挟む隙もない。だ。
「ん? アンタ、疲れてるの? 顔色がキモイわよ? 死ぬの? 勝手に死ぬのは許さないわよ? 殺してあげるから楽になりなさい」
「死なないよ……。殺さないで。死にたくない。でも、心配してくれてるのかな? 流石はツンデレ女王」
「……ふんっ。まぁ、どうでも良いわ。とにかく、騒ぐんじゃなくってよ?」
心底どうでも良い。
そう言いたいかのように、アリスはひらひらと片手を振り、書物を開きながら、部屋の奥へ向かっていく。
その先には、既に沢山の書物が読み荒らされた跡があった。
……どれだけの長時間、本を読んでいたのであろうか?
「タレムさま……」
「イヤだっ! 降ろしたくないっ! 可愛がりたいんだっ! むしゃぶり尽くしたいんだっ! 俺の妻なら、恥ずかしいのは我慢してっ!」
「いえ。それはもう、構いません。好きなだけ可愛がってくださいまし。ぶひぶひっ。ですが、ひとつ進言を――」
「――っ!」
マリカの言葉を聞いて、美女の残り香を吸うように、アイリスの後をタレムも続く。
「――って。アンタ達。なんで普通に着いてくんのよ! デート中。なんでしょっ! 他の場所でしけこみさいっ!」
「そのつもり……なんだけどさ……マリカちゃんが――」
読書に集中し、二人の会話が届いて居なかったアイリスにも、マリカの声が届く。
――アイリスさん。この先に邪悪な気配を感じます。
「――っ! 私っ。なにもしてないわ! 向こうへ行きなさいっ。あまり聞き分けが悪いと、アンタ達でも斬り殺すわよ?」
聖人に言われ、あからさまに焦りを見せる悪人は、きっと邪悪な事をしていたのだろう。
……だが。
「いえいえ。今さら、閲覧禁止の禁書。《死者蘇生の書》……諸々を、アイリスさんが読んでいたからと咎めたい訳でも、咎めるつもりもありませんよ? 意味もなく……友達を貶めたりはしません」
「ふん。誰が友達よ……お姉様と……は? じゃあ、アンタは何のことを言って――」
冷たい汗を首筋に流し、抱えていた書物を背中に隠すアイリスを前に、マリカは腕を差し向けた。
向けた先は、小悪人が悪いことをしていた場所。……よりも、先。
「怨念……悲鳴……叫喚……なんでしょうか? 何かに遮られております。タレムさま……近づいてくださいまし。もしかしたら、救いを求めているお方が、いるのかも知れません。このまま放って置くのは危険でございますし」
「って、ことだから。通してもらうよ? 不思議ちゃんって、思うかもだけど、マリカちゃんの勘は信じられるからさ……」
「ちっ……そんなこと、アンタに言われなくても知ってるわよ」
アイリスが渋々、道を譲り、マリカが指示する場所へ向かう。
……が、すぐに突き当たりに差し掛かった。
そこにあるのは、アイリスが読み散らかした書物と、何処にでもある本棚の羅列だけ。
マリカはそれらを見渡して、
「アイリスさん……あまり禁書ばかり読んでいると、良くないことが起こりますよ? 知識を溜め込むのはよい事でございますが、溜めない方が良い知識と言うのもありますからね?」
「……ちょっと。私のことじゃないのよね? いいから、本題を早くなさい」
アイリスを細い瞳で見つめてから、本棚と本棚の側面に細い指を差し入れた。
すると、
ばちぃん。
電気が弾けたような音が鳴り、マリカの顔が苦痛に歪む。
「んっ!」
「マリカちゃんっ! 危ないことは――」
「――いえ。もう、取れましたので」
タレムの心配を他所に、マリカが指を引き抜くと、薄い紙を挟んでいた。
「それは?」
「封印の御札でございます……ね」
マリカがそう言うと同時に、
がたんっ
本棚が奥へ沈み、床に隠されていた地下への階段が露出した。
「これって……」
「隠し通路ね、結界で隠しているモノなんて、黒いモノを隠してるに決まっているわ。聖教教会の汚物……面白いことになってきたじゃない」
「決まっては……いないだろうよ」
タレムが息を飲み、アイリスがクスリと嗤う。
そして、
「タレムさま。降ろしてくださいまし。のろけていて良い気配ではなくなりました。身を守る事を優先しましょう」
「ああ……俺もそんな気がするよ。でも……見なかったことにしない? 今は、あんまり、厄介ごとに関わりたくないんだよね」
階段の奥から感じる、嫌な気配。
それは、この世ならざる気配を感じられるマリカだけではなく、タレムとアイリスも感じとっていた。
「タレムさま……あなたがわたしに注いでくださる優しさを……ほんの少しで構いませんので、他人にも分けてあげられませんか? そうしたら、あなたはきっと、素敵な王さまになれますよ?」
「……。解ったよ」
仕方なく、タレムは、マリカを離し、騎士剣を引き抜く。
……当然、シャルカテーナの様な高性能なモノではなく、低級騎士相当の鋼で鍛えた剣である。
(いきなり堕天使とか出ないよな? まだ、倒す方法はないんだぞ? シャルカテーナがあれば、物体以外に効くんだけど……さて)
その尋常じゃない気配に、タレムはマリカを後ろへ下げて、階段を向く。
「じゃ……行くけど。マリカちゃんは――」
「――わたしもいきまする! 置いていかないでくださいまし」
「うん……こんな場所で一人に出来ないから、連れていくけど。絶対に俺より前にでないでくれよ?」
「はい。……でも、悪霊が出たときはお任せくださいまし」
そうして、階段を降りようとした、タレムの肩を、
ぐいっ!
「邪魔よっ」
「おうっ⁉」
アイリスが引き、タレムより前に出た。
「敗北王。子豚ちゃん。私より後ろにいるなら、護ってあげるわ。前に出たら斬るけど」
そのまま言いたい事だけ言うと、自分勝手に階段を降っていった……。
……一緒に探索しようと、待ち合わせをしていた訳でもなく、仕方ないが、つくづく協調性がない姫騎士である。
――が。
(俺より何倍も強いアイリスちゃんが護ってくれるなら、その方がいいか。後ろから、ボディースタイルを愛でられるし)
「へい。氷の女王さま。――でも、敗北王はやめろい。と言うかまってよ、女王さまぁぁぁ~~」
「あっ……置いていかないでくださいまし。タレムさまぁぁぁぁ」
――苦言はなく、タレムとマリカもアイリスの跡を追った。(続く)




