二十四話 『灯台もと暗し』
太陽が真上よりも少し西に傾いて来た頃。
タレムとマリカの二人は、聖都の街道を歩いていた。
「もぉぉっ! タレムさまなんて、大嫌いでございますっ。ぷんぷん」
「まだ怒ってるの? 何時もマリカちゃんがやってることじゃんか。少しは俺の恥ずかしさもわかったでしょ? (ぷんぷんしているマリカちゃんベリーキュートっ)」
「性別が違います」
「恥に性別は関係ないよ……」
「淑女としての価値に関わるのでございます。タレムさまに恥女として見られてしまいます」
「大丈夫。大丈夫。俺的にはむしろ、魅力が上がったから。えっちな嫁の姿。マジ最高っ!」
「ふふふ……そんなこと仰られても、タレムさまのことなんて……大スキでございます❤」
「ハハハっ。おれも同じさ❤」
「でも……あんまり見せてあげませんよ? 恥ずかしいので」
「そうそう、あんまり見られない稀少感が、またいいんだよねぇ」
「ふふふ……タレムさま心をくすぐり倒してみせましょう」
……いちゃいちゃと。
人と通りが多い外来で、いい迷惑である。
――ところで。
女神から世界を救えと神託を受けたタレムが、なにをしているのかと言うと。
「こうして、タレムさまと逢瀬を嗜むのは、結婚する前も後も初めてでございますね?」
「ああ……そうだね」
「……」
愛する嫁とデートを楽しんでいる! ……と言う訳でなく。
堕天使を倒す、その方法を探していた。
……ほんとだよ?
だが、探すといっても、堕天使の《不死不滅》に、神子の《運命改編》。
この二つの能力を掻い潜る方法があるかは、まさに雲を掴むような話である。
「タレムさま……それで、どこへ、参りましょうか?」
――しかし。だ。
敗北王と呼ばれた男の辞書に、『諦める』と言う、文字はない。
ゆえに、
「えっと……できるだけ大きな図書館に行きたいな。知らない?」
「やはり逢引……じゃ、なそうでございますね。(まぁ……タレムさまの隣を歩ければ満足でございますが……)」
「あん? なにか言った?」
「いえ。……聖都で一番大きい書架は、大聖堂の地下でございます」
「大聖堂……聖教教会本部。また、あそこか。まぁ、いいけどさ。じゃあ……そこ行こうか」
「仰せのままに」
敵を知れば百戦、危うからず。
と言う、騎士の兵法書に従って、先ずは、堕天使に付いて、調べることにした。
「因み、マリカちゃんはイシュタルさまって、知ってる?」
「え……?」
……一万回も通った道を歩くあいだの、ささやかな時間潰し。
そう思って、適当に聞いた問いに、マリカが思わぬ反応を見せた。
「ん? どうしたの? 石に躓く馬でも見たような顔してさ」
「……いえ。まさか、タレムさまから、女神さまのお名前が出るとは思わなかったので」
驚愕で、立ち止まっていたマリカは、小走りでかけ戻り、再度、タレムの右腕に掴まると、大聖堂を目指して足を進める。
「イシュタル様は。神話の。神世紀初期に登場する、四大天使が一人。愛と美を司る女神様でございますね。有名とはいえ……タレムさま。よく、知っておりましたね? もしや――っ」
「――ま、まぁね……ちょっと、その辺、興味があってさ」
「興味……でございますか」
……これは、少し、危ない話題だったかもしれない。
言った後で、そう思ったが、神罰が降る気配はなかった。
(そりゃーそーか。神様の話をしているだけでダメなら、修道士なんて存在できないし……それなら)
「それで、マリカちゃんは、イシュタルさまのこと、どう思う?」
タレムは、図書館で、一から神について調べようと思っていたが、身近に絶対の信頼を寄せる修道女が居た。
ならば、宗教関連で、解らないことはマリカに聞けばいい。
だから、これは前振り……
「素敵な女神様だと思いますよ?」
――へぇ。そうなんだ。
と、適当に、話を本題に切り替えようとしたのだが、
……甘かった。
「――なんたって! この世に愛を伝えたお方でございますよ? 言わば愛の伝導師――中略。愛と言う概念は全生命体の根幹を築くものでございますし、もし、この世に愛がなかったら、どれ程、つまらない世界だったのか。少なくとも、タレムさまへの想いがなければ……今の私の命はなかったでしょうし。それにっ――中略。……実はわたし、イシュタル様が天使様たちの中で一番、好きな女神さまなのでございます……ふふふ。タレムさま。イシュタルさまの魅力。つたわりました?」
「お、おう……マリカちゃんがイシュタルさまを、すんごい好きだってことは、解ったよ……マジで」
「もちろん。一番はタレムさまでございますよ?」
「……」
タレムにしろ、イシュタルにしろ、マリカは好きな事について語るとき、途端に饒舌になり、手がつけられなくなる。
……一時間近くは語られた。
(マリカちゃんの前で、イシュタルさまの話はもう、辞めとこう……)
身を乗り出して、ぎちぎちと力強く、腕を締め付けるマリカを見ながら、タレムはそう決めて、今度こそ話題を変える。
……腕が内出血していた。
「――で。マリカちゃん……ちょっと、薬責め……じゃなくて、質問責めにしていい?」
「構いませんよ? わたしに解ることならお答えいたします」
「薬は?」
「個人的にお薬は、ない方が楽しめるとおもいます……自然な感度を――って、何を言わせるのでございますかっ!」
「ナイス。ノリ突っ込み……じゃ、聞いていくけど」
タレムが先ず、知っておきたいことは、
「……天使と堕天使について。知りたいんだ。……実際のところ、何が違うの? 善し悪しとか?」
……イシュタルにも少し聞いたが、あまりに堕天使を毛嫌いしていた為、詳しく突っ込めなかった所だ。
何か特性が違うのなら、堕天使を倒す足掛かりになるかもしれない。
「タレムさま。先ず、大前提として。堕天使・天使を含め、神に善も悪も、ありません」
「……」
「神が行うこと、それに良いも悪いもないのでござます。言うなれば、神の行いは自然の摂理」
……これは、イシュタルも言っていた事だが。
マリカの口から聞くと、信憑性が格段に上がる。
もはや、事実と断言しても良い。
「それから堕天使と天使につきまして、聖書の第一章、三節で語られております。原文は、小難しいので噛み砕いて説明しますと。……大昔。神々は《混沌》を好む神々と、《調和》を望む神々に別れて争いました」
「混沌と……調和……?」
「言葉の意味は辞書を引いて……あとで一緒に、お勉強しましょうね」
「へい」
「長い長い争いの末、調和を望む神々が勝利し、敗者となった混沌を好む神々を冥界へ堕とし、自分達は天界へ昇っていきました」
「天界と……冥界……?」
「解らないなら、上と下で構いませんよ? 概念なので」
「へい」
「この時。天界へ登った神々を、天の使い《天使》。冥界へ墜ちた神々を、墜ちた天使《堕天使》……と、教会は呼称しております」
「なるほど……さすが、マリカちゃん。分かりやすい」
「まるでわたし、以外からも……聞いたような口ぶりでございますね? 今度はどこぞのシスターを毒牙にかけるおつもりで?」
「そ、そんなことないよぉぉぉぉ(汗)」
「まぁ……よいのでございますが。あまり、他の雌豚と仲良くしないでくださいね?」
「はーれむ……」
「なにか?」
「いや……なんでもないです」
つまりは、やはり、天使も堕天使も、元を辿れば同じ神族であったと言う訳だ。
……イシュタルは濁していたが、これは、かなり重要な情報である。(……たぶん)
「えっと、じゃあ……次は、《聖人》と《神子》について……って、解る?」
「……本当に、そんな言葉。よく知っておられますね。しかも、言葉だけとは珍しい」
「普通だよ」
「はい。タレムさまの普通は、下級騎士でありながらも、高貴な姫君と結ばれる……と言うものでございますからね」
「それは普通じゃないかも……でも、一応、君も、高貴な家柄出身者。だからね。あんまり卑屈にならないでよ」
「わたしはタレムさまとお似合いの賎しい身分の雌豚でございます……出家を申し渡されましたし。もう帰る宛はありませんので、生涯大切にしてくださいまし」
「うん……骨の髄までしゃぶる勢いで大切にしてあげるよ。(さっき、家に帰るとか言ってた事は突っ込まないぞ)」
神子については一度、マリカに聞いた事もあったが、
《聖人》と言う言葉については、いまままで一度も、詳しく聞いたことがなかったはずだ。
(ちょくちょく……出てた名前だから、気になってたんだよね……神子と聖人、同じようなものって考えでいいのか、ダメなのか……さて)
「――さて。あまり語りたくないことで、ございますが……必要なことなのでしょうね」
「語りたくない? なら、別に――」
「――いえ。頃合い。と言うことなのでしょう。ずっと隠しているつもりもありませんでんしたので」
「……じゃ、お願い」
これを詳しく知っておくことで、後々、神子の《運命改編》を掻い潜る要因になるかもしれない。
なにより、聖人の魂が必要と言う、《女神復活の儀式》にも関係ある。
……とにかく圧倒的に情報が不足している今は、知らないことを貪欲に、吸収していくしかない。
「神子は……神の力を身に宿し、存在自体が神に近しい者たちの総称でございます」
これはおさらい。
神々の力とは、女神が言うところの《神通力》のことだろう。
そして、存在自体が神に近いから、女神復活の依り代となれる。
「聖人は?」
「聖人は……非公式用語でございます。普通の教徒には通じませんし、異端児……頭がおかしい人と思われるので、気を付けてくださいまし」
「おぉぅ……マジか。まさか、マリカちゃんにソレを言われるとは……」
「そう言う反応でございますよ……」
「あん?」
ボソッと、呟いたマリカは、少し悲しそうな顔で、遠くを見つめ、代わりにぎゅっと、タレムの腕を握りながら語りだす。
「この世には……いるのでございますよ。産まれながらに、人とは違うモノが見える人間が……」
……それは一体、誰のことなのか。
解っていても、タレムは口を開くことが出来なかった。
「この世のならざるモノが見える人間が……そして、そう言った者たちは、聖なる力を集めやすい……と思われております。本当は邪悪なモノも同じだけ引き寄せるのでございますが」
「だから……《聖人》。(そして……イシュタルさまを引き寄せられた……か)」
「女御であれば《聖女》ともよばれますね……。神子と違って、ただの特異体質なので、特殊な力は持ちませんが、この世ならざるものを引き寄せる体質上。この世ならざる者への対処法を心得ている者が多いとききます。そうでなければ、生きていけませんし」
「……ごめん。マリカちゃん。もういいよ」
「因みに、普通の人間でも、神道を正しく歩めば、幾度かの《祝福の儀礼》を経て、信神術と云われる神の奇跡を体現――」
「――マリカちゃん。もう良いって」
「……っ」
聞きたいことは大体わかった。
……これ以上はもう、十分である。
だが、マリカはちょこちょこと、タレムの腕を引き、さらに言葉を紡いだ。
「タレムさま……自分では、厄を払ってるつもりですが。……もし、わたしのこと、厄介だと思ったら捨てても――」
「――なに言ってるの?」
もともと、マリカは、話したくないと言っていた。
そんな話を無理矢理させたあとの言葉なんて、皆まで聞く必要はない。
「マリカちゃんはいっつも、厄介さ」
「――っ!」
ああ……厄介だ。
そう言うと、マリカの顔が真っ青に染まり、
「可愛すぎてね。いつも抱き締めたくなっちゃうから」
「――っ!」
ああ……厄介極まりない。
そう言って、肩を抱くと、マリカの顔は、真っ赤に染まった。
「いーい? マリカちゃん。俺の理想のハーレムは。ドSだろうと、ドMだろうと、奴隷だろうと、魔女だろうと、王女だおうと、元敵だろうと、殺し屋だろうと、妹だろうと、もちろん、聖女だろうと、可愛ければ、何でもいんだぜ? ……そして、俺は一度、手に入れたモノを絶対に手放さない」
「……っ! おばかさま……ハーレムは……ハーレムは……嫌でございますっ。その大きな愛を独り占めしたいのでございます」
「こらこら。今さらそれを言うのかい? ……それだけは出来ないけどさ。不満は持たせないって」
「もう、持っているのでございますっ! あなたを好きになれば、好きになるほどっ。高まってしまうのでございますっ」
「モテる男はつらいなぁ……」
「ふふふ、お好きなように……抱きまさぐってくださいませ」
お腹に抱きついて、服を濡らすマリカの頭を撫でながら……次の問いへ移る。
……この空気、壊さなければハーレムが危うい。
(危ない危ない。ちょっと、マリカちゃん専用コースに進みたくなっちゃったぜ)
「――で、さ。最期に不敬なことを聞くけど……ぶっちゃけ、神様を殺す方法ってある?」
「本当に不敬なお方でございますね……そして、いけずでございます。ベッドの上ではかわいいのに……もう少しムードを大切にして頂けませんか?」
「……さすがに、マリカちゃんでも、神を殺す方法は、わかんないか」
……しかし、それも、仕方ない。
タレムがそう思っていると、
「お? 着いた。大聖堂だ……ここに(図書館が)あるんだよね?」
「はい。あります」
「じゃあ、行こうか」
もう、見飽きた、聖教教会本部、大聖堂の前にたどり着き、マリカを連れ添って中へと踏み入り……
そこで、マリカが呟いた。
「不死不滅の神さまを――殺す、つるぎ。が」
「え?」
何を言われたのか解らず一瞬、固まるタレムに、マリカは腕を差し向けた。
……その先には、
「あっ! ああああ、あっっったああああああっ!」
聖教教会、三種の神器がひとつ。
――《神凪ぎの剣》が、飾られていた。
神殺しの力を秘めると言う、神話の剣である。
まさに灯台デモグラシィィっであった。
……違う? (続く)




