二十一話 『女神の神託・後編』
ずずずっ。
六畳程の部屋で、紅玉色の瞳を光らせる女神が、お茶を啜って一服ついている。
中身が美の女神だけに、やはり、その様は、実に美しいのだが、からだの半分がベッドに横たわっているため、絵面的には台無しだ。
……残念美人ならず、残念美神とは、このイシュタルのことである。
ごんっ
タライが直撃した。
……さっきから、地味に痛い。
(くそっ、やっぱり、女神は心でも、バカにするとダメなのか……神を呪うと神罰が落ちる。ね。なるほど上手い言い様だ)
「――で? そろそろ教えてくださいよ。超美神、イシュタル様。なんで、俺が、堕天使を倒さないといけないんですか? どう考えても、人間の出る幕じゃないでしょ」
「ん? そうですねぇ……では、後編を語りましょうか」
「お願いします」
イシュタルの話。前編を聞く限り、時間が繰り返す世界から、脱出するためには、神子の死を回避するのが手っ取り早い。
……のだが。
「まず、神子の死を回避するだけなら、アナタの力は必要ありません。それは神子が自身の力で乗り越えるべき試練です」
「まぁっ。女神様から見たらそうなのかも、だけどさ……」
……それが出来ないから、世界は今、出口のないループに嵌まっているのではないのか?
だからこそ、神子は、第三者。救世主の出現を待っていたのだろう。
「ええ。しかし、ある時を境に、事態は、神子。ひとりの力で解決できる範囲を越えてしまいました。女神達も予想外なとんでも展開へ。ですねぇ」
「だから、俺が神子ちゃんをサクッと救って、メロメロにして、ハーレムインさせる! そう言う流れでしょ? いつもこういう時はそうだし。ハーレム♪ ハーレム♪ やっぱり、主役は俺ってことだね♪」
「いえ。意味が解りません。女神に理解できないことを言わないでくださいね? 気持ち悪いです。愛せません」
「……oh」
――だが、そうではない。と、愛の女神は言う。
「いいですか? さっきも言いましたが、アナタが救うのは神子ではなく、生きとし生ける人間。その全て、です」
「……いやいや、だから、いきなり、人類を救えって、言われても……さ。俺は別に英雄じゃないし。俺が救いたいのは、俺の嫁だけなんだよね……未来の嫁と身内は可だけど」
「では……それでもいいです。どうせ、アナタが救う人間の中には、アナタの救いたい人間もはいっているので」
「なるほど……そりゃそーだ。だって、人類すべてを救わなくちゃいけないんだもんね……ハハハ。責任重大だ」
……バカらしい。
と、鼻で笑うタレムだが、イシュタルの瞳は揺らがなかった。
「……本気?」
「ワタシが、わざわざ、こんなくだらない冗談を言う手間を取ると思いますか?」
そういわれると、確かやる気の欠落しているこの女神が、冗談を言うとは思えなかった。
「……。いや、いや。いやっ、でも、さ。さっき冗談、言ってましたよね?」
「ああ、愛しいヒトをからかう時は別ですよ? だって、それは愛ですから。ワタシ、愛に関しては全力をだす女神なので」
「……ダメダメ駄女神め」
駄女神のやる気スイッチも、やはり壊れている。
……そう言うことだった。
ガンっ。
……そろそろ、タライがかさばってきたよ。
「さて。本格的に時間が無くなってきたので急ぎますが。この先の話には、アナタが没した未来の話が含まれます。落ち込まないでくださいね? 没後はワタシが天界で愛してあげますから……飽きるまでは」
「へいへい。俺が、死んだ所で、世界は終わらなかったのね。俺が主人公じゃないから。主人公は神子。わかってますよ……ん?」
タレムは自分でいった言葉に違和感を覚えた。
この繰り返しの世界は、神子の《運命改編》によって起こっている。
そして、その目的は、死の回避。
――であるならば。
女神復活の儀式で、神子が堕天使の依り代にされた瞬間。
《運命改編》の力が発動し、世界の時間が巻き戻るのではないのか?
……あの、一万回目の世界と同じように。
だが、実際、堕天使は復活し、どこかへ飛び立っても、時間が巻き戻る気配はなかった。
さらには、イシュタルの言い様では、タレムが死んだ後も時間は巻き戻らなかったように聞こえる。
――それは何故か?
女神風に言うならば、
「主人公は……堕天使?」
「ええ。この運命の主人公は、既に神子から離れ、堕天使になっています」
「ちょっとまった。全然、わかんなくなってきたぞ……主人公が神子で、堕天使で? あれえっぇぇ? て言うか、俺、最初から何もわかってないかも……イシュタルさま。話が難しいよぉ~~」
「……」
――コホン。
タレムが、遂に脱落してしまったが、イシュタルは咳をひとつして、注意を引くと構わず続けた。
「すべての始まりは。聖教教会が、聖女たちの命を対価に、女神復活の儀式を行ったことです。なぜそんなことをしてしまったのかは……女神たちには、関係ないので、知りません」
「あれぇ……むしぃ? ひどいなぁ。いきなりよそよそしいよぉぉ。イシュタルさまぁぁ。タレムさん。泣きそうだよ?」
……修道士たちの晴れの場である、祝福の儀礼。
司祭アベルは、教会三種の神器が一つ、《黄泉戻しの勾玉》と、そこに集まる、優秀な修道士たちの魂を使って、神子の身体に女神を降ろそうとした。
「ノルニルの神子を依り代にしたのですから、復活させようとした女神はノルニルでしょうか? あれは、群隊神ですから一柱を復活させる儀式では足りないのですがねぇ……人間はおろかですねぇ。実に愛らしい」
――だが。
「そして、そもそも、ワタシたち天界へ昇った天使は、自ら、理由もなく現世に降臨することを禁じられています。もし、この禁を破れば、主神に天使の座を追放され、堕天使に落とされてしまいます――あっ。とっいても。ワタシは別ですよ? 無理矢理、卸されたのですから、罪はありません。むしろ、早く戻りたいんです……」
「天使。どんだけ、堕天使が嫌いなんだよ」
「人間にとってのゴキブリと同じくらいです」
「ひぇぇぇっ」
……本来。
例え、どれだけ正しい手順で儀式を行おうと、幾ら罪のない修道士の魂を捧げようと、天使がそれに応じることはない。
――故に、女神復活の儀式は、必ず失敗する儀式であった。
「しかし。それをいいことに、冥界へ落ちたとある堕天使が、女神復活の儀式を乗っとり、現世に降臨したのです。神々と相性の良い、神子が依り代ならばこその、芸当ですねぇ。そこは流石のワタシも吃驚でした」
「なるっ。ちょっと、解ってきたぞ。それで、復活した堕天使が、あの悪意の固まりみたいな黒い翼の天使ってわけか」
「正確には堕天使ですねぇ。まぁ、天使も堕天使も、似たようなものと言うのは同意できますが。原点は同じ存在ですし。あっ、今のは他の天使たちに内緒ですよ?」
「絶対チクる……っ! くぅ。また、タライがぁぁぁっ! って、これは八つ当たりじゃない?」
タレムの言葉を訂正しながら、イシュタルはコクりと頷いて、お茶を啜った。
……ちょっとだけ、駄女神が可愛いく見えてきたのは気の迷いか? ただのMか。
それは神のみも知らぬ。
「ここで、大切なのは、神の依り代になっても、依り代の魂も肉体も、死亡する訳ではない。ということです。……まぁ、実際。何も出来ませんし、死んでいるようなものですが。しかし、それこそ、ノルニルの神子。最大の不運となります」
「……死ねないから、《運命改編》は発動できないってことかな? もしかして発動条件みたいのがある?」
「ええ。《運命改編》は自身の死を持って、強制的に発動します」
「強制か……なるほどね。それはじゃじゃ馬そうだ」
……直感だが、もうすぐ、この女神の話は終わる
タレムはそんな気がしていた。
「故に世界は巻き戻らず、復活した堕天使は。次々に冥界の魑魅魍魎たちを蘇らせ、人間を滅ぼし、現世を我が物にしようと侵略をはじめました。後に、天界にいる女神達にも襲撃してくるでしょう」
この辺からはもう、タレムが死んだあとの話だ。
だから、タレムにとっては、遠い話である。……過去形で話さないで欲しい。
そして、もはや、人間がどうのこうのと言える状況ではない。
……ここまで来たらもう。
やれ、ハーレムだ。騎士王だ。皇帝だ。アルザリア帝国だ。
……とか、そう言う小さい次元の話ではなくなっている。
「そうなれば、天使と堕天使の全面戦争が勃発します……が。これは、人間には関係ありませんか」
と、常人には想像することもない、理解不能の闘いが始まるのだ。
それは……最早、神話である。
……ついていけない。
そして、それも仕方ないから、イシュタルは敢えて、タレムに理解させようと説明していなかった。
「……ですが。堕天使は、現世を完全に侵略する前に、とある人間によって、滅ぼされました」
「え……。堕天使を……滅ぼした? 人間が⁉ すげぇぇな。その人間。誰? そいつを連れてこいよ」
そう、そこまで、世紀末な世界になっても、人間が滅びることはなかった。
世界を終末に導く、堕天使を、討ち滅ぼせる人間がいたのだ。
「人間最後の希望。個人名は知りませんが、異名は《鬼畜皇》でしたかねぇ。彼は、邪神の末裔と身体を同化させているため、本来、不死不滅の特性を持つ、堕天使を滅ぼせるのです」
「――っ! (ここで、シルムの父親か……やっぱり化け物だったんだな。戦わなくて良かった)」
「ともかく、彼の前に、堕天使は散り、天使と堕天使の全面戦争もなく、人間は救われる……筈でした」
鬼畜王の力で、復活した堕天使は滅ぼされる……が。
問題はそこからである。
「でも、そこで、神子も死ぬから、世界が巻き戻る……」
「それだけなら……神子の物語で良かったのですが……」
イシュタルは言った。
――この話の主人公は神子から、堕天使に切り替わった。……と。
つまり、
「堕天使は、滅びる直前に、依り代としていた神子の魂にとりついたのです。普通の依り代なら、それでも、堕天使が滅びるだけですが……」
……過去に魂を送る神子の《運命改編》が合わされば、堕天使の魂も滅びることなく、神子の魂に取りついたまま、過去に舞い戻る。
そして、その瞬間、運命改編の主人公は、神子から堕天使に移り変わった。
「堕天使に魂を握られた神子はもう、自らの意思で運命に立ち向かえなくなりました……ただの操り人形ですねぇ」
「邪神の人形。神子……ノルン、か。だから……あんな悲しそうで……存在感が希薄だったのか……くっ、ちょっと、同情しちまうな。やっぱり、助けてハーレム候補にしちゃおうかな? でへへ」
「同情……出来ます? ワタシはしませんよ? そもそも私見を言えば、神の力を使っていた代償ではありませんか。同情の余地などありません。人間が、死の運命に抗おうとしてはいけないのです」
「だろうな。あんたはそう言う駄女神だよ……あっイタっ! バチバチ? っ! ごめんなさい。調子乗りました。落雷はやめて」
「許しましょう。愛を持って」
本来、《運命改編》は、神子の命を救う為の力だった……が、今では世界の外敵、堕天使の命を救っている……。
……なんとも、残念な話である。
(と言うか、神子に力を能えた、ノルニル様とか言う天使が、人間にとって、めっちゃ良い女神だよな……なんでそっちが来てくれなくて、こんな駄――危ない。危ない。またタライが増えるところだったぜ)
「……。逆に運命の力を得た堕天使は、女神復活の儀式を繰り返すことで、生け贄の魂を喰らい、徐々に力を増幅させています。人類最後の希望である鬼畜王を打ち倒す為に」
「それって――」
「ええ。現状、時間を指すことに意味があるとは思えませんが。《今》のことです」
イシュタルの説明が、ようやく、現状に追い付いた。
だからか、なんとなく、タレムもこの世界の現状を理解できていた。
「一番最初、このままでは世界が滅びます。と、言ったのは、このままループが繰り返し、堕天使が鬼畜皇を退ければ、運命改編が発動することもなく、時の牢獄から絶望の世界が解き放たれ、人間最後の希望である鬼畜皇も没し、堕天使に侵略されるという意味です……。ワタシは別にそれでも構いませんが、女神の中には人間を憂う者がいます」
「……その女神の代表として、イシュタル様が降臨した……とか?」
「いいえ。全然違います。ワタシが降臨した理由は……また別の話になるので今はふれないでください」
「へい。だよね。知ってた……でも、単純にワタシは人類の味方だよって騙る女神さまより、自分の欲望に貪欲なイシュタル様の方が信頼できるかも」
「ふふ、やっとワタシの魅力に堕ちましたか。さてさて……お楽しみはあとにしましょうね。良いですか? ……堕天使の力はもう、かなり鬼畜王に迫っています」
「つまり、俺が運命を変えるリミットは堕天使が鬼畜王を倒すまで。そして、ルールは神子の《運命改編》てことか。ねぇ。イシュタル様。マリカちゃんの死の運命、変えても良いんだよね? 駄目って言うなら、運命の神とやらを敵認定するけど」
「その辺は自由にしてください……運命の担当はノルニルです。ワタシの預かり知るところではありません。怒られた時は擁護してあげますよ。ただ……」
これで、イシュタルが告げるべき現状の説明は、すべて終わった。
――後は。
「……堕天使が鬼畜皇を越える前に、誰かが、打倒しない限りは、この世界は終焉を迎えるでしょう」
「でも、別にそっちは、俺じゃなくても良いんだよね?」
「ええ。当然です。誰か、は、誰でも構いません。しかし、それが出来るのは、女神が降臨しているこの時間軸だけです。そして、ノルニルの力を持った堕天使の存在を消滅させることは、運命の上で生きる人間では、例え鬼畜皇にも出来ないでしょう」
「なら――」
「――それと。神達の許しなく、神達の定めた法則に逆らうヒトには……等しく神罰がくだります。これは主神が決めた普遍のルールです」
「法則ってのは運命の事でしょ? 人間が運命に逆らうなって? 確かに過去をバシバシ変えられても困るけど、神罰は……タライ?」
「ワタシが愛でるモノにする。可愛らしいモノではなく。主神がするのは、その生命が持つ、寿命の全損です」
「……死ぬじゃん」
「そう言うことになりますねぇ。だから、うっかり、他人にワタシから聞いた話を漏らしてはいけませんよ? 主神の神罰はワタシに言われても、どうにもなりませんので」
「……(ようは、堕天使を俺、一人で殺れってことか……無理だな)」
――女神がヒトに託す、神託。
しかし、得てして、昔から、女神がヒトに託す事は、大いに無茶で、無謀なことと相場が決まっていた。
……託された人間としては、たまったモノではない。
「……でも。神の許しって言うのなら、イシュタル様が許せば良いのでは? あの堕天使を倒すんだ。今回は特別に勘弁してよ。ここは物量作戦でいきましょう。それなら俺も協力するからさ。聖都には頼りになるアイリスちゃんってとびきりキュートな娘がいてね。その子なら堕天使だろうと、天使だろうと、主神だろうと、小バカにしながら足蹴にしてくれるから――」
「――いえ。アナタの協力は決定事項です。拒めば人間の未来はありませんし。それと、詳しくは面倒なので省きますが。神の許しは、そんな簡単なことではななく……えっと、少なくとも、今から新しく許しが出るようなものではありません」
「じゃあ……なんで? 俺は……許されてるの? ねぇ、なんで? 勘弁してよ。俺、こう見えて、マリカちゃんのことだけで一杯一杯なんだからさ」
「二度も問われても、知りませんよ。神の気まぐれではありませんか? アナタを眷族にしたのはワタシではありませんし……あっ。でも、アナタの事は気に入りましたので、天界に戻ったら、ワタシの加護を分けてあげましょう。……面倒にならなかったら」
「そんな厄介なもの二つも要らねぇよ!」
タレムから質問が出なくなったところで、イシュタルは、一拍おき、
――つまり、この世界を救えるのは、今。此処にいるアナタだけなのです。
「さぁ。ここからは、アナタを脇役だ、殺られ役だ。なんて酷いことは、どの神にも言わせませんよ?」
「それ、全部、言ってたのイシュタル様だけですからね」
「……。そう、ここからは、世界を滅ぼさんとする邪悪な神を打ち倒し、可憐な神子を救い出す、女神に選ばれた、世界の救世主です。……と、ついでにワタシを天界に返してください。ワタシ、この事象が解決できなければ、帰れないんです。なにせ、いま、現世は運命の輪から逸脱している状態ですし」
「……」
そう、いったのであった。
……絶対に、ついでの方が本命である。
なにはともかく、大体、内容は解ったが、タレムは一つだけ言いたかった。
――それ、最悪の無茶ぶりじゃねぇぇかっ!
(続く。詰め込みまくった。次で女神様との会話編。終わります)




