二十話 『女神の神託 前編』
――さてさて。何から、話しましょうか。
駄女神が話す気になったのは、お昼を少し過ぎてからであった。
それまでは、ベッドで眠ると駄々をコネ、梃子でも動かなかったのである。
……だからもう、ほっといた。一万回も殺されてきたのだ、いまさら焦ったって仕方ない。
(俺はマリカちゃんさえ、無事なら何でもいいし……)
「《このままでは、世界が滅びます》」
「え……っ。セカイ?」
「……と、最初に言っても、要領を得ないですよね。そうですねぇ……では、始まりから話しましょうか……。何故、世界が一万回も繰り返しているのかについて。少々、迂遠ですが、そこからがいいと思います」
「……(なんか、やばそうなワードが聞こえたけど。とりあえず、黙って、聞いておくか。機嫌を損ねてまた寝られても困るし)」
「まずは、この世界が、運命の牢獄にとらわれる前の世界。一番最初の世界のことです。わかりますね?」
「ああ……」
ごくりっ。
そう語りだしたイシュタルの瞳が怪しく揺れて、タレムは唾を飲み込んだ。
それは、一万回も同じ運命を繰り返した世界の記憶を保有する、タレムにしか解らない話である。
「……と、言っても。アナタも知っていると思いますが、ワタシが呼び出された世界を除けば、あとの流れは大体一緒です」
「……」
そう、一番、最初の世界と、一万回繰り返した世界に、差違はほとんどなかった。
話す内容も、出会う人も、祝福の儀礼に、司祭アベルが乱入し、女神復活の儀式でマリカが死ぬことも、タレムの結末も。
それを延々と見せられたタレムの気が狂いそうになるほど。毎回、同じことを繰り返していた。
「そしてそれは、アナタも含めて全員が、この世界において脇役だったからです」
「エキストラ……?」
女神から見れば、人間の営みは演劇にでも見えるのかもしれない。
イシュタルの言葉の端々から、人間とは違う目線で、物事を把握しているのが伝わってくる。
――おっと、先走りましたね。落ち着きましょう。
そこで一度、赤い瞳を光らせるイシュタルは、お茶を一口、口にして――
「イシュタルさま。まさか、寝ないですね?」
「アナタ。ワタシのこと、バカにしているのですか? こんな話の途中で眠る訳……ウトウトウト」
「おいっ! これ以上は、いくら温厚なタレムさんでも怒るかんな!」
「ふふふ、冗談ですよ」
「本当だろうな……」
――少し、いたずらしてから、濡れた唇を、ハンカチで拭う。
それから、また少し間を開け、語り出す。
「とにかく、この世界の主役は、別にいます。っふふふ。アナタの人生。アナタが主役だとでも思っていましたか? 残念でした。違うんです。アナタはただの殺られ役♪」
「殴りてぇぇ……ん? 脇役に殺られ役?」
……と、言うことはつまり。
「そう。この運命には主役がいます。具体的には、アナタを殺す《堕天使》。そして、その依り代にされる運命の神子」
「ノル……ニル?」
「そこに引っ掛かります? 説明するの面倒ですねぇ……一眠りしましょうか」
「いや……教えろよ」
「ざっくり言うと、運命を司る神です。解りましたか?」
「ほぇぇぇ~~」
……全然、わからねぇっ!
と、ちょっと、頭がこんがらがって来たが、そこはタレム。
適当に解った振りをしてごまかしておいた。
「ふふふ……」
「なんで笑うし」
「いえ。アナタのその、ざっくりとした所が、段々と愛おしくなってきました。意外とワタシとアナタ。相性がいいかもしれませんねぇ」
しかし、相手も、愛の女神イシュタル。
そんなタレムの事を見透して、自らの頬を擦りながら、唇を舐め回した。
――食べちゃいたい。……と。
男の理性を奪うほど……扇情的である。――が。マリカを心から愛しているタレムは動じない。
「マリカちゃんの顔で変なことを言うなっ! えっちぃ事をするなっ! ドキドキしちゃうだろ!」
「あらら……嫌われてしまいましたねぇ。でも。ワタシは、全ての愛を愛します。例えそれが、報われない、愛だろうと。不倫、愛だろうと。略奪、愛だろうと。愛するアナタの愛を全てを包み込むように……」
そう言って、イシュタルが妖しく微笑むと、
ゾクゾクっ。
タレムの背筋に震えが走った。
それは……背徳感。
「――では。話をもどしますよ?」
「……頼むから、いちいち。話をずらさないでください」
「そうします。時間もなくなってきましたし」
「時間……」
――さて。
イシュタルはそう言って、再び話し出す。
ちなみにタレムは……
(もう絶対に突っ込まねぇ……)
と、心に決めていた。
「この世界の主役、運命の神子には、ノルニルから特別な《神通力》が授けられていました」
「ちょっとまった。神通力って? サラっと新語だすの止めて」
「私たち、天使が人間に与える神の力。超能力みたいなモノです」
「ほへぇぇ」
「ちなみに、アナタの時間を支配する力もまた、《神通力》ですからね? まぁ、ワタシの力ではないのですが」
「え?」
今の言葉はどういう意味なんだと、視線で問うが、
――ワタシ、人間にチカラを分けるなんて面倒なことしたくありませんし。
イシュタルはそう呟くだけで、答えようとはしなかった。
(……隠し事の多い腹黒女神だな)
――だんっ!
タライが脳天に直撃。
「あらら? もしかして、いま、ワタシの事を呪いましたか? 女神を呪うなんて、罪なヒトですねぇ。それは神罰だって落ちますよ」
「いいからっ! イシュタルさまは。話を続けてください」
「せっかちですねぇ……まぁ、いいんですけど」
自分の力の話は気になるが、今は、イシュタルの話を聞き進めることを優先した。
そうしなければ、マリカを取り戻すこともできなければ、時間がループしているこの世界を抜け出す方法も解らない。
「運命が授けた神子の神通力は、《運命改編》。その名が示す通り。ヒトの身で、自らの運命を変える力です」
「運命を変える力……あやふやだなぁって、言いたいけど……マリアさんが言ってたな。運命は則ち過去だって」
「……ええ。その認識で構いません。そして、その《運命改編》こそ、この世界が、一万回も繰り返している理由であり、終わりのない袋小路に囚われてしまった元凶です」
「つまり、運命(過去)をやり直す能力……ったく、一人だけ、時間に囚われてないとか、反則もいいところだな」
「その時間を支配する。アナタに言われたくないと思いますよ?」
「……」
《運命》なんて、あやふやな言葉、タレムは基本的に信じていなかった。
マリカの母、聖母マリアの説明でさえ、納得などしていなかった。
――だが。
同じ時間を何万回と繰り返し、同じ行動を何万回と繰り返す世界を知って、考えは変わった。
……確かに、運命は存在する。
マリアが言っていた説明も、何度も聞くうちに、その本質が見えてきた。
……運命は絶対に変わらない。
その通り、マリアの投げた銀貨の出目も、マリカが予想する銀貨の出目も、毎回、必ず同じであった。
……そこにたどり着くまでの会話すらも。
その全てをあらかじめ知っていた、タレムからすれば、
――そこに偶然はなく。必然もなかった。
最初から、そういう運命だったのだと。その一言で全てが終わる。
だから、邪神が復活し、マリカとタレムが力尽きるのもまた、運命……。
人形劇の台本の様に、もう決まっていることだ。
そう言う意味での、脇役や、殺られ役と言う、イシュタルの言葉も納得できる。
「俺はあくまで時間(現在)に干渉するだけから過去(運命)は変えられない。でも、あの神子は、運命(過去)に干渉して現在(時間)を書き換えられる……ってことですね」
「ええ。しかし、当然。神子とて。ヒトの子。なんでも変えられる訳ではありません。制約もイロイロとあるそうですし」
「じゃあ、何を変える能力なんです?」
「神子、自身の死」
「……つまり、神子は、自分の死を回避するために、時間を巻き戻し、運命を繰り返しているってことか」
正確には、時間を巻き戻しているのではなく、神子の魂を過去の身体に移しているのです。
……と言う、イシュタルからの補足があったが、なんにせよ。
世界の時間がループしている原因は、タレムの魔法が進化したからではなく、神子が《運命改編》の力で死の運命を変えようとしていたから。
だからこそ、あの神子、ノルンは、未来を知っているかのような言動ができたのだ。
奇しくも、繰り返す世界の記憶を持ったタレムと同じように。
「ちょっ! え? じゃぁ、神子は一万回も、運命(死)を変えることに失敗しているってこと」
「それは誤解ですねぇ……全然違います」
「だよね。そんな死にゲーやらされたら、さすがに気が狂うわ」
記憶を追憶しただけのタレムでさえ、廃人になりかけた裏で、神子が生死を掛けた人生と言う、ゲームにトライしていたなど。
……あり得ない。
そう思って、カラカラと笑うタレムに、イシュタルは淡々と告げた。
「時間の目線からは、解らないと思いますが、運命はなにも一本道ではありません」
「あん?」
「……ヒト各々(それぞれ)、大きな人生の分かれ道がありますね? アナタの場合は、この娘との結婚。でしょうか?」
「――っ!」
そう言えば……と。タレムは神子の言っていた言葉を思い出した。
運命をさ迷い、未来を知る神子は、タレムを見て、最初の名を呼んでいた。
更には、マリカを見て、
「聖母がいっていた、アナタたちの検証に合わせて言うなら、銀貨の裏が出た運命と、表がでた運命はどちらも、存在している……といえばわかりますか?」
「……」
「神子の《運命改編》は、そういう細かい運命を一つ一つ改編して、生き残れるのか検証していく能力なのです」
……解らない、が。
あの神子は、初対面のマリカを見て、ドラクレアと呼ぼうとした。
それはつまり、神子が見ている世界では、マリカがウィルムとけっこ、けっこけこけコケコっコおおおお――
「アババババババババババババババババババババババババ――っ!」
「落ち着いてください。女神を前にして、変なモノと交信しないでください」
「――でもっ! だってっ! マリカちゃんがっ! 俺のマリカちゃんがぁぁぁっ!」
その先を考えたくなくなったタレムが、思考を放棄して、イシュタルにしがみつく。
……例え、仮定の話だとしても、その答えを出したくなかった。
「御安心を……もう、この世界の運命は、ワタシの介入で固定しましたから」
「本当?」
「……ええ。本当です。(愛神にそんなことできるわけありませんがね、ノルニルに怒られてしまいます)」
「……」
ちょっと、間があった事をつつくのは、やぶ蛇であると、タレムは直感し、女神の言葉に騙されることにした。
この話で重要なのは、タレムの気持ちではなく、
「アナタが追憶したのは、どれも、アナタが歩んできた運命と、大道が同じ運命を辿った世界だけ……時間を支配する貴方でも、それ以外の運命を知ることはできません」
「……でも、神子は、そうじゃない運命も知っていた」
つまり。
「女神の瞳はあらゆる時間と可能性・運命線を並行して映していますが、ノルニルの神子は、アナタが味わったループの回数とは比べ物にならないほど、《運命改編》の力を使っています。おおよそ、十倍以上でしょうか? 正直、正確なところはワタシにも解りませんでした。だって、ワタシ。愛と美の女神ですから♪」
「それは……すさまじいな」
「無視ですか……。まぁいいんですけど。神子のことは、あまりにも不憫で天使一、めんどくさがり屋な流石のワタシも、助けようと思ったくらいですし(本当はノルニルにお願いされたからですがねぇ)」
「……(嘘こけ。駄女神)」
「なんですか?」
「いや、なんでもないです」
「ならいいのですが……タライ。落ちてますよ?」
「ほっといてください」
そう、だから、この話は、タレムが主人公の話ではない。
神子が自らの死という運命を乗り越える話だ。
タレムはその一幕にたまたま居合わせただけの、なにも出来ない脇役である……はずだった。
「――で? そんなにチャレンジしても、世界は未だに運命の牢獄とやらのなか……って、ことは、神子はまだ、運命を変えられずにいるって、ことだよね」
「はい。その通りです。アナタ。意外と話が早くて助かりますねぇ。もっとおバカだとおもっていました」
「イシュタルさま……土下座するから。一発だけ殴らせて。お願い。愛のパンチだから」
「愛なら構いませんよ? ダメージは、ワタシではなく、この娘に残りますが」
「……チッ」
だが、同じ運命を繰り返す脇役であるはずのタレムが、神子の物語に気づいてしまった。
……しかも、一万回目に突如、現れた女神イシュタルの力で。
この展開が、まだ、神子の物語なのか?
――否。
これはもう、神子がもつ、運命改編の力を超越した事態である。
ならば、タレムにも絶望の運命を変えられるかもしれない。
……いや。変えなければならない。マリカを死の運命から救うために。
(その糸口を掴むためにも、この駄女神から、もう少し話を聞き出さないとな)
「――じゃあ。俺は、神子の死とやらを回避するのに協力すれば、良いってことかな? とりあえずは、堕天使復活の阻止……か」
……そうだと、するならば、救世主を求めていた。神子の言葉との辻褄も合う。
と、思ったが、
「いいえ。そっちはもう、人間には無理ですので、ワタシがやります」
「え……?」
そんなタレムの浅はかな予想をぶっちぎって、イシュタルが初めて、女神らしい頼りになることを仰った。
……尊敬しそう。
――だが。
「アナタに頼みたいことは、たかだか神子一人の救世主となることではなく、」
――人類全ての救世主となることです。
……イシュタルは更に困難な神託をタレム授けるのであった。
「その為に、アナタには《堕天使》を打倒してもらいたいのです」
「……。……え? なんか俺、天使と堕天使の争いに巻き込まれてない? イシュタル様。実は悪い女神で俺のこと利用しようとしてたりしない? エロイからって騙されないぞっ!」
そんな信託にタレムが困惑するが、それは無理もない。
何故なら、イシュタルが倒せと言う、その堕天使に、タレムは一万回、悉くを返り討ちにされてきたからだ。
(アレ。人間が勝てる存在じゃないだろ)
……むしろ、堕天使の方を女神になんとかしてもらいたい。
「その身をもって知っているでしょう? 神々の戦いに人間の力なんて無意味ですよ。利用しようもありません。これはあくまで、人間の存亡をかけた人間の戦いです。だからこそ、人間であるアナタがやらねばならないのです」
「えっと……だとしても。なぜに俺? なぜに堕天使討伐⁉ 無理臭くねぇ? いや。無理だって、いきなり人類救えって言われても。イシュタル様が何とかしてくださいよ。同じ神様なんだしさ」
「その説明は――」
「その説明は?」
「また、長いので。後編に続く。という事で。少し一服つきましょう。お茶いれてくれますか?」
「自分でやれ……」(はい。後編へ、続く)




