十一話 『騎士に筋力トレーニングは欠かせない』
それは、礼儀作法やら、一般教養やらの座学を終えた午後の事。
その日、順位戦のなかったタレムは、イグアスと騎士科のトレーニングルームで筋力トレーニングをしながら朝のことを話していた。
「え? あの! シャルル王女殿下と婚約したって!?」
それを聞いたイグアスは、持ち上げていた百キログラムのバーベルを落としてしまう。
その声と音に、トレーニングルームにいた騎士科生徒の視線が集まった。
「お、おいっ! 危ないって。それに声が大きいよ」
「あ、……悪い。だが、それは、本当のことなのか?」
タレムに言われ慌ててイグアスが小声になると、
『またタレムとイグアスか』
と、二人に視線を向けていた生徒達の感心は薄れていく。
普段から、タレムがハーレムだなんだと騒ぎ、イグアスは隣にいるため、騎士科の中で浮いていた事が逆に幸いした。
「多分、本当。そう名乗ってたから……」
「そ……うか。ま、タレムなら有り得るんだろうな。だがしかし……よりによってシャルル王女なのか」
――騎士は権力を持ちすぎる王室との関わりを嫌う傾向が有る。
強すぎる力は、扱いに困り、下手をすれば身を滅ぼすからだ。
爵位至上主義のアルザリア帝国で、自質、国王に次ぎ二番目に偉い大公爵の爵位を持つグレイシス家でも、王室とは距離を置いている。
その三男であるイグアスも王室に関わる事は禁じられていた。
出来れば、噂話すらもしたくない。
「ん? イグアス。シャルル王女を知ってるの?」
「……」
だが、タレムはイグアスの親友。
……このまま聞かなかった事には出来ない。
「タレム。ちょっと来い」
だから、イグアスはタレムを引っ張って施設の外に出ると人気のない林の中に移動した。
「イグアス……どうしたんだよ?」
「さあな。昨日、『お兄様。私、もう帰って来ることはございません♪』って、嬉しそうに言って出て行った妹が、夜遅くに泣きながら帰って来たぐらいには解らないな」
「……うっ」
「お前、マリカに何をしたんだ?」
この一言で、タレムは親友を失うかも知れない窮地に立たされた。
イグアスは……と、言うより、グレイシスの血筋は悪を切り裂き、善を通す正義の血筋。
そんな血筋のイグアスが、妹を泣かせたタレムをどう思っているか?
(くそっ……やっぱり浮かれていた。先に、イグアスには謝るべきだった。……今からでも間に合うか?)
鋭利なモノになっているイグアスの瞳を見て、タレムは唾を飲み込んだ。
そうして、
「マリカちゃんを泣かせたのは悪かったよ。でも、誓ってマリカちゃんを貶る様な事はしていない」
覚悟と誠意を込めてタレムは事実を伝えたのだった。
それを聞いたイグアスと、タレムの視線が交差する。
……ここは信じて貰うしかない。
「……ふっ。そんなことは解ってるさ。タレムなら、別に無理やり襲ったって言っても怒らないぞ? むしろ、既成事実を作ってくれ」
「え?」
しかし、イグアスは呆気なくそういって、
「大方。マリカにまで、ハーレムを迫ったんだろ? お前、昔からマリカの事、好きだったもんな。花嫁修業なんて聞いたらキープしたくなる気持ちも解る。……が、逸りすぎたな」
「え? え?」
「ふっ。まっ、マリカの事は、マリカとタレムに任せるさ。特にオレから言うこともないだろう。余計なことを言ったら……殺されるしな。……もちろん、オレ、個人的にはマリカはお前に嫁がせたい。タレムなら、マリカを幸せに出来るだろうし。いずれタレムの騎士になるオレも絶対に敵対しなくて済む」
「つまり、どゆこと?」
「ただの、余談だ。王室の話をするんだろ? 少しくらい、意外と初なタレムをからかってからじゃないと舌に油が回らない」
「喧しいわ……っ!」
イグアスは、友の為に家の威光を逆らう事に決めたのだ。
つまり、ここからが本題。
――と、その時。
「――ッ!」
ザッ!
唐突にイグアスが騎士剣を抜き、タレムに斬りかかった。
「うおいぃっ!?」
ギィンッ!
驚くタレムだが、イグアスの騎士剣はタレムを通り抜け、その真後ろにいた鬼仮面の刺客、リンを切り払っていた。
……が、鬼仮面は、短いリーチのクナイで、対比十倍あるイグアスの騎士剣を受け止めている。
「ほーう……止めるか」
「拙者、敵ではないでござる」
タレムを前と後ろで挟み、イグアスと鬼仮面が視線と武器をぶつけ合う。
一触即発の気配。
「イグアス待って! この鬼ん子。シャルル王女様の小間使いだよ」
「王女の……? ……なるほど。そうか」
だが、タレムの言葉を聞き、鬼仮面を暫く見つめたイグアスは、呆気なく騎士剣を納めたのだった。
すると、鬼仮面が、片膝を付き、
「タレム・アルタイル殿。その親友、イグアス・グレイシス殿。姫が呼び立てまつっております。一緒に来て頂くでござるよ」
そう言ったのであった。
それにタレムは、
「うそっ! シャルル王女様に会えるの!? やった。行く行く。連れてって」
瞳を輝かせて喜んで、すぐにリンの言葉に従った。
対して、イグアスは、
「……オレも、か」
そう呟いてから、鬼仮面をもうひと睨みし、
「分かった。行こう」
決断した。
「では、ついて来るでござる」
「ござる!」
「……真似はしないで良いでござる」
「ござる!」
「ござるをからかわないで欲しいでござるよぉ~」
「ござる!」
「……ご~ざ~るぅぅ」
そんなふうに林を鬼仮面が先に歩き、その後にタレムとイグアスが着いて行く。
その間、イグアスはタレムの肩に手を置いて、
「タレム。あの鬼仮面。相当、やばいぞ? 気をつけろ」
「大丈夫だよ。俺は俺の嫁になってくれるって言ってくれたシャルル王女様を信じてる」
「……オレは信じられない。……プリンセス・シャルルとは、前に一度だけ話した事があるが、アレは王貴族の選民主義に染まっていた」
王貴族の選民主義とは、アルザリア帝国の王貴族達が普遍的に持っている思想で、『持って生まれた血筋によって、人間の価値が決まる』と言う思考。
元、大公爵。現アルタイル男爵の養子とは言え、元下民であるタレムは、選民主義の人達から見ればゴミ同然。
さらに銀色の髪は、宿敵フィースラリア皇国人の血が混ざっている証明の為、激しく忌避されるのだ。
つまりシャルルが選民主義であるという事は、タレムの事を良く思っていないと言うことである。
「え? そんな子じゃなかったよ。俺の銀髪を好きだって言ってくれたし、励ましてもくれたんだ。だから、俺も、シャルル王女様をすぐに好きになったんだ」
「……なら、良いんだがな」
イグアスはシャルルの事は全く信じられないが、タレムの事は信じている。
(タレムの人を見る目は確かだが……あのシャルル王女が、タレムに接触した意味……どういうつもりか、見極めさせて貰う)
「まあ、最近は、帝国王室じゃ、珍しい、平和主義を唱えてるって噂もあるが……」
「ん? なんだよ、イグアス。本当にシャルル王女様に詳しいな。……はっ! ダメだぞ! それは戦争だかんなっ!」
「……まったく。何を騒いでるんだか」
そんな風に、いつも通りなタレムと話していると、イグアスは少しだけ馬鹿らしくなってきたのであった。




