七話 『アルタイル家。再び』
惜しみつつもシャルルと別れたタレムとマリカの夫妻は、その足でアルタイル邸へと向かった。
……そして、まだ、朝と言える時間帯に、アルタイル邸の屋敷前に到着する。
「ふぅ~~っ。緊張、致します」
「……マリカちゃん。俺から離れないでね」
「ふふ、永劫に……何があろうと。お父様の前で誓った言葉は変わっておりませんので」
「……うん。ならもう何も言わないよ」
婚約者の親に会う、と言うだけで緊張はするものだが、マリカの場合、アルタイル、クラネット、ドラクレア、グレイシスの四家を裏切る形でタレムと結ばれた。
その足の重さと、跨ぐ敷居の高さは、通常の非ではない。
……しかし、である。
「……ふぅ。(まぁ。言っちゃダメだけど。マリカちゃんより俺の方が緊張するんだよな)」
尊敬する父、ユリウスを裏切った事だけでも会わせる顔がないのに関わらず、あの母、コルネリアにマリカと引き合わせる事になるのだろうと思うと、タレムはとてつもなく気が重かった。
……もしかしたら、ユリウスと一戦を交えることも、コルネリアがマリカに襲い掛かる事も有るかもしれない。
「死なら諸とも……で、ございますよ?」
「……うん。行こう。ここを避けたら騎士王にはなれない! ……気がする」
「ふふ。愛しております。タレム様……」
そんな可能性を知った上で、マリカはタレムに付き従い、タレムも呼吸を合わせて足を前に一歩、踏み出した。
……アルタイル家に育てられた者として、新しいタレム・シャルタレムと言う名の騎士として、何より男として、ユリウスとだけはケジメを付ける必要があるのだ。
――コンコンコンコンっ。
玄関の大扉を叩く音。
すぐに、中からペタペタと裸足で小走りする軽い音が響く。
……アルタイル家隷属メイド、ロッテだろう。
「はい。只今……どなた様でしょうか?」
「……ロッテ。俺だよ」
「――っ!」
予想通り、中から扉を開けて現れたのは、首と足に鉄枷、頭に一女笠を被った少女、ロッテであった。
――がたんっ。
「ご主人さまっ!」
ロッテはタレムの声を聞くと、半開きにしていた扉を開き、勢いよく、タレムに飛びついた。
……涙さえ流している。
「ロッテ? ……どうしたの?」
「いえ。ご主人さまに会えたのが嬉しくて……ご主人さまっ。ご主人さま~~っ」
ロッテは、ぐりぐりと溝内に頭を押し付けて、全身でタレムを感じ、喜びをあらわにしていた。
「コホンっ!」
「――っ!」
中睦まじい様子に、タレムの妻、マリカのわざとらしい咳。
……安定の嫉妬だ。
マリカに限り、嫉妬……だけで、済んでいるなら上々と言えるだろう。
「はぁっ! お久しぶりでございます。《奥様》」
「……ふふ。はい。お久しぶりでございます。ロッテ」
その、マリカに気付いたロッテの嬉しそうな声に、タレムは首を傾げた。
……今、何か、おかしくなかったか?
そう思うタレムの右腕を抱き掴まっているマリカが、貴賓のあるお辞儀をして、
「改めて。この度、タレム様の妻となりました。《マリカ・シャルタレム》でございます」
「うわぁぁ~~っ。おめでとうございます。《奥様》」
「ふふ」
一見して普通の会話にしか聴こえないが、明らかにおかしいことが一つあった。
(知っていた……って、可能性も有るけど、ロッテの奴、マリカを一目で《奥様》って呼称しなかったか? そういえば、お母様の事は……)
「《大奥様》が中で、ご主人様のお帰りを待っています。ささ、ご主人様。中にお入りください……」
「……ん? お母様が俺を? ……何だろう? ……まぁ、なんにせよ、先に、お父様に会わせてくれないかな?」
ちょこちょこと愛らしい仕種で、タレムの左腕を引くロッテにそう言うと……。
――ぴくんっ。
と、ロッテが身体を弾ませて、一女笠の黒布がゆさゆさと揺れ動き、足を止めた。
そして、どんよりとした声で囁く。
「その事も……中でお話しますので」
「……分かった」
ロッテがキュッと唇を噛む気配に、何か有るのだろう事を察し、タレムはアルタイル家へと足を踏み入れていく……
一方、マリカは、玄関前にひっそりと飾られた紅い花を見て、胸元の十字を取り出すと静かに瞳をつぶり、両手を組んだ。
「……ん? マリカちゃん。行くよ?」
「タレム様……っ」
「ん?」
「……あ、いえ。なんでもございません。行きましょう」
黒い修道服の少女は、その紅い花が《弔いの花》と言われる事を知っていたのであった。




