その9
翌日、華織の家へ龍を迎えに行く途中、涼一は、風馬が個展を開くというアトリエに立ち寄った。
「涼一…。用って何だい?」
「来ないでくれと言わんばかりの顔だな、風馬」
「…何となくな」風馬は下を向いて、ふっと笑った。
「今日は、周子の件のお礼と、それから…詫びに来た」
「詫び? 何のだ?」
「ミスリードに乗ったふりをしたお詫びだよ」
「何の話だ」メガネを押し上げる風馬。
「まあ、騙されたふりをしたままでも、よかったんだけどな。…どうしても、わからないことがひとつだけあってさ。それを教えてもらうためには、正直に話し合ったほうがいいのかなと思ったんだ。
それと、今後、共同作業が増えそうだから、ここで和解しておいたほうがいいと思ってな」
「今度はどんな仮説なんだい?」
「天動説をやめて、地動説を採用したんだ」ニッコリ笑う涼一。「哲学的には天動説も悪くないんだが、性能のいい望遠鏡で観測してたら、観測結果を見る限り、天動説に不具合が生じてきてさ」
「詳しく聞こうか」小さく溜め息をつく風馬。
「最初から、周子の記憶を再度封じるつもりだったんだろう?」
「もう少し、わかりやすく説明してくれ」
「わかりやすくも何も、言葉のとおりだよ。
周子が針水晶のせいで記憶を取り戻してきた時点で、おまえには、もう一度事故の記憶を封じる必要があったってことさ。俺が頼まなくてもね」
「なぜそう思うんだ」手の甲を額に押し当てて、天を仰ぎ見る風馬。
「あのとき、おまえは今と同じ仕草をした」
「え?」
「周子の記憶をもう一度封じてくれって、頼みに来たときだよ。龍のお試しかもしれないから、できるとは限らないって言ったよな。あれって、俺が何が何でも封印を頼むように誘導したつもりじゃなかったのか?
でも俺が、親父や紗由の封印を解いて、総動員でお試しを突破してくれという内容のことを言ったら、おまえはこうやって、手の甲を額に押し付けた。…俺に目の動きが見えないようにな」
「何だよ、それ」目を伏せる風馬。
「目の動きとか、瞳孔の状態とか、そういうものから心理状態を探られないための癖というか、訓練して身につけた“型”なんだろうな。
つまり、おまえはあの時、動揺していたか、ウソをついていたか、あるいはその両方だった」
「癖に難癖か?」笑う風馬。
「本当にそんなことをされたら、記憶の再封印にたどりつく前に、皆にすべてを悟られてしまう恐れがある。予定が狂うもんな。そりゃあ、動揺もするだろう。
…そもそも、四辻先生のことは、あんなふうに俺に言うことじゃないだろう。“命”や、それに順ずる能力者たちは皆、口がものすごく堅い。
…まあ、紗由はまだ小さいから、時々うっかりさんだけどな。
そうそう、その動作、龍も時々やるんだよ。周囲に悟られないための身の処し方を教えている人間が同じだから、仕方ないよな、かぶっちゃっても。
あ、おまえの場合はメガネがあるから、メガネを指で押し上げるのも、型の一種だろ」
「で、何で、何度も周ちゃんの記憶を封じる必要があったんだい?」
「周子の記憶が、ある瞬間以上には戻りようがないことを隠すため」
「戻りようがないなら、封じなくてもいいだろう」
「いや、それが困るんだよ。周子の記憶が完全に戻ってしまったら、最初に周子の記憶が封じられたのが病院のベッドの上じゃなかったことが、わかってしまうからな」
「……」メガネを押し上げようとして、手を下ろす風馬。
「周子の記憶を封じたのは、おまえじゃなくて天馬なんだろ?…車の中でさ」
「どうして、そう思う」
「仕事の質が違い過ぎたからさ、おまえのほうが天馬より、仕上がりがきれいなんだ」
「どうやってその質の違いを見分けたんだい?」
「翔太くんに見てもらった。…というより、彼は周子の状態を心配してくれていたから、記録してたんだよ。宝探しに呼ばれたときから、ずっと。ぴかぴかノートっていうやつにね。
それで、ある実験をした。3枚の写真を翔太くんに見てもらったんだ。
事故前の周子の写真。
事故の後、記憶を取り戻したときに、彼女の両親とうちの両親、俺と賢児の皆で撮った写真。
そして最近の写真。
それらを送って、改めてオーラを絵にしてもらった。ついでに分析もお願いしたよ。感じたことを教えてもらって、いろいろと質問もした。
彼が言うには、この膜、絵に白を重ねたものは、包帯で巻かれているような状態を表わすんだそうだ」
涼一は絵のコピーを風馬に見せた。
「つまり“記憶の封印”だよな。
だが、その包帯があるのは、事故の後と最近の写真の2枚。そして、最近の写真のほうが包帯の巻き方がかなり上手なんだそうだ。
翔太くんは言った。“別の看護婦さんが包帯巻いたんですやろ。僕も捻挫のとき、思いましたけど、巻き方で塩梅が全然違うんですわ。
庭の植木を、じっちゃんが刈ったときと、僕が刈ったときくらい、差があるんですわ。実力の差ですなあ”とね」
「そっくりだな」翔太の物まねに思わず吹き出す風馬。
「そりゃあどうも。
…で、つまり、看護婦さんは二人いたんだよ。最初に包帯を巻いたのは天馬で、二度目に包帯を巻いたのはおまえだ」
「玲香さんと言い、まったくもって清流は鬼門だな」苦笑いする風馬。
「で、問題は、なぜあの事故の日に、天馬が周子の記憶を封じたかだ」
「なぜだい?」
「親父に周子の封印を解かせるためだ。
当時、周子の封印を解ける力があったのは、天馬、おまえ、伯母さん、それから親父だ。
でも、伯母さんは事故の前後は眠りについていたから除外。天馬とおまえがやらなければ親父がやるしかない。親父自身の封印を解いてね」
「叔父さんにそんなことをさせて、どうするんだ」
「親父の封印を解けば、次の継承者はおまえから親父に移る可能性が高い。
…これまた翔太先生が言ってたんだが、親父のピカピカは、蓋を取ったら“命”様より強いだろうってさ。蓋の隙間からでも漏れ出してすごいらしい」
「まあ本来、指名を受けたのは、かあさんじゃなくて叔父さんだったわけだしな」
「そう。だから、本来の形に戻れば、天馬もおまえも“命”には、ならなくて済む。
天馬は、自分がなりたくて自己主張を始めたんじゃない…おまえが“命”にならなくて済むようにしたかったんだ。おまえも天馬を“命”にさせたくなかったから、二人で芝居を打った。
昔、伯母さんが親父を守ってくれたのと、気持ち的には同じことだ」
「…どうして気がついた?」
「これまた清流が大活躍だ。玲香さんが、俺と賢児の昔のビデオを見ていて言ったんだよ。西園寺家の兄弟は、どのペアもものすごく仲がいいのに、“命”になりたいから仲たがいというのは、何かしっくり来ないって。
“壱”と“弐”で、見習いも含めて枠が4人なんだから、二人ともなればいい、ってね。
確かにそうだ。二人で順番になればいい。揉めていて、伯母さんの許可が下りない間は、逆に就任時期が遅れるだけだ。
…ということは、もしかしてそれが目的なんじゃないのかと思ったんだよ。二人とも、やりたくなかったんじゃないかってな。
だいたい、天馬が亡くなって、“命”になる障害がなくなったはずなのに、しばらくすると、おまえは行方をくらましてしまった」
「鬼門除けしておくべきだったな…」
「それに、だいたいおまえ、あのとき妙に恨みがましかったんだよ、親父に対して。
…あと、ダメ押しするわけじゃないけど、もうひとつな。
玲香さんは、伯母さんの歯切れの悪さにも言及してたよ。“命”様の性格だと、兄弟の揉め事を長い間放っておくとは思えないと。
俺も賢児も、二人の力が甲乙付けがたくて、伯母さんが選べずにいたということだとばかり思っていたんだが、そういう状態を機関にアピールすることが、伯母さんなりに二人の就任を妨げる苦肉の策だったということなんだろう。
ここからは、状況証拠すらないので、まるっきりの想像なんだが…ところが、龍が生まれて、そんなことを言っている場合ではなくなってしまった。
あいつには、おまえに匹敵するくらいの力が備わっていたんだ。もたもたしてると、龍を引っ張られる。だから、慌てて親父にボールを回そうと思ったわけだ」
「そうさ。でも、真央さんがそれを許さなかった。
彼女は自分の両親を救ってくれた叔父さんに、誰よりも恩義を感じていたし、叔父さんを騙すようなことは絶対に嫌だといって聞かなかった。
それに天馬が“命”になっても支えて行こうと決心していたからな。
天馬は車の中で周ちゃんの記憶を封印し、彼女は気を失った。その横には、チャイルドシートに乗った龍。天馬と真央さんは言い合いになったが、天馬は強引に車を走らせた。
でも、それなりの儀式を行ったわけだから、天馬はかなりパワーを使っていたし、その状態で大声で言い合いなんかしてれば、きっとかなり意識が朦朧としてきていたはずだ。真央さんと天馬はもみ合いになった。
そして、乱暴な運転のショックで意識を取り戻し、このままでは危ないと思った周ちゃんは、スピードが落ちた地点で龍を抱いて飛び降りた。
車はそのまましばらく走ったが、結局ハンドルを切り損ねて、崖の下へ…。そんなところだ」
「だから紗由が周子に言ったんだな。車の中でおねんねとか、おねんねしてたから、シートベルトが締められなかったとか、けんかになっちゃうとか…。
あの時は、紗由の誘拐騒ぎの時のことを言ってるんだと思ってたが、周子のことだったんだ。
そしておまえは事故の後、病院に行った。最初から天馬の作戦に加担していたわけじゃなくて、周子を気遣って訪れた病院で気づいたんだろうな。
天馬の作戦は、たまたま周子と同乗できる機会が来たから、その場で思いついたものなんじゃないだろうか。だから真央さんとも揉めまくった。
以前から二人で考えていたことなんだったら、封印はおまえがやるだろう。質的におまえのほうが上なんだから。
病院で事情を悟ったおまえは、記憶の戻り具合というか、封印の調子をチェックした。
特に事故の顛末の部分だ。龍が大きくなったとき、それが耳に入ったら傷つくだろう。自分を守るために両親が争って、二人とも亡くなったなんてな。
その部分はおまえが制御しておく必要がある。
だが幸い、その部分は、飛び降りたときに頭を打ったのも影響してか、その時点で解かれる様子はまったくなかった。
で、天馬の作戦通り、周子の記憶の封印を解けるのは親父だけだと言って、まず親父自体の封印を解かせようとした。
目的が達せられたら、周子の事故に関する記憶は再度封印すればいい。だが、その前に、事故以外の部分の周子の記憶は戻ってしまったんだ。それで、作戦は断念した。
一見、天馬の計画は失敗に終わったように見えたが、おまえはそれを逆に利用することにしたんだ。それならそれで、天馬がしたことは、このまま黙っておけばいいってね。
もし事故の記憶が戻るようなことがあれば、おまえが封印するつもりだった。
おまえが周子を自分のものにしようとか、そんなことじゃなかたんだ。勘ぐったりして悪かったよ、この前は」
「いや…正直、一瞬それも考えた。
だから、目を覚ましたかあさんにも、そう話して、自分にもそう思い込ませた。僕は勘当されて、西園寺家を去った。
普段のかあさんなら、僕のウソぐらいすぐに見抜いたんだろうけど、その時は、さすがに天馬を失ったショックで尋常な状態じゃなかったからな。しばらく気づかなかったみたいだ」
「…伯母さんは、わざとおまえに騙されたふりをしたんじゃないのかな」
「え?」
「真実を追究したからと言って、誰も幸せにならないからだよ。伯母さんも伯父さんも、親父も周子も、龍も」
「確かにな」
「伯母さんたちは、宿の復興のために、いずれはおまえを呼び戻すつもりでいたんだろうが、周子の記憶の戻り方は計算外だったのかもしれないな。周子を通じて、龍に事故のときのことが悟られては困る。
だから伯母さんは、周子が天馬から何か能力を伝授されていたという形で、ある意味丸くおさめようとしたんだろうな。伯父さんといっしょに。
おまえとは…もしかして、伯母さんのところに天珠を届けた時に、今回のような形にまとめるという話がついてたんじゃないのか?」
「…何でそう思った?」苦笑する風馬。
「お手伝いさんたちにも確認したよ。周子と紗由が伯母さんに会った日を全部。そうしたら、伊勢の祭祀と重なっている日が多かった。
伯母さんのほうはどうか知らないが、龍は力が十分に使えないってことだよな。龍を呼ぶ意味が半減するじゃないか。
じゃあ、龍を参加させているのにもかかわらず、龍の力を使いたくない理由は何か。…龍に知られたくない何かがあるからだ。
今さら龍に知られて困ること、知ったら龍が傷つくであろうこと、いろんな可能性を検討してみたのさ。
そして、俺のパズルは完成した。何にせよ…いろいろと、すまなかったな。元をただせば、すべて親父のせいだ」頭を下げる涼一。
「違うよ。前に涼一が言ったとおり、かあさんの自己責任だ。
そして、宿命を受け入れられなかった天馬と僕の責任なんだ。謝るのは僕のほうだ。叔父さんにも、周ちゃんにもね」
「あ。だったら、ついでだからさ、賢児にも謝っておいてよ」
「え?」
「おまえさ、20何年か前に、賢児を人身御供にしようとしただろ」
「あ…」気まずい表情になる風馬。
「今回のことを考え直してみたのも、実は、玲香さんとおまえの話を思い出して、あの件を考え直してみたからなんだ。
縞猫の天珠と西園寺家の天珠をおまえが取り替えたのは、危険だから、翔太くんに触らせないためだって言ってただろ?
紗由も賢児に言ってたんだよ。天珠は怒ってて危ないから触っちゃ駄目だって。
だから、もしかして昔、天珠を撫でていた賢児を天馬が突き飛ばしたのは、その時の天珠が危ない状態だから触るなという意味だったんじゃないかって。
だがおまえは、賢児が天珠に気に入られる可能性がある、気に入られてくれたら、お前らのお役目が賢児に移るのではと思ってたたんだよな。
そして、石を自分のものにすると言ったのは、おまえがその天珠の持ち主、つまり“命”になるということ。そうさせたくなかった天馬は、泣き出した」
「ごめん…。あの頃はさ、天馬と僕がこんなに悩んでるのに、賢ちゃんは能天気に見えたっていうか、一番タフそうな気がしてさ、彼がやればいいのにって思ったんだよ。石が気に入ってくれれば、そっちに移るかなと。子供の浅知恵だな」
「賢児は安全なのか? あいつの身に今後何か起こったりすることはあるのか?」
「それがおまえの知りたかったことか。…龍の玉は賢児のことを気に入ってはいるが、心配はいらないよ。せいぜい、宿の娘をプレゼントする程度だ」
「そうか、よかった。龍の玉に礼を言っておいてくれ。…それと、今後起こりそうな面倒から皆を守ってくれるように、よろしく言っておいてくれ」
「面倒?」
風馬が聞き返すと、涼一はほんの少し不機嫌そうな顔になった。
「わかりきったことを聞かれるのは、あまり好きじゃない…面倒は起こるはずだ。俺ですら感じるんだから。
だが、そうなったとき、おまえと違って、俺にはできないことだらけだろう。だから、何かあったときには周子を…龍と紗由を守ってもらいたい。頼むよ」
「僕ができることか…」
「たぶん、おまえじゃなきゃできないことが、やってくるんだ」
涼一は静かに微笑むと、その場を後にした。
“おまえのほうが、よっぽど能力者じゃないか…”
風馬はこみ上げてくる笑いを抑えながら、天を仰いだ。
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