その1
“何だろう、あの夢。車が走り出して、しばらくすると途切れるあの夢。でも…少しずつ、夢が長くなってる。
最初は、車に乗った瞬間で目が覚めた。
次は、しばらく走っているところ。
その次は、車の中で私は彼らと話をしていた。そして今回は、彼が言ったところで夢は終わった。「ごめんね、周子さん」と。
どういうことだろう。なぜ、こんな夢を見るのだろう。あの頃、どうしても思い出せなかった事故当時の記憶が、夢という形で少しずつ甦ってくる。
龍と私、二人だけが助かった。龍の両親は崖から車ごと落ちて、母親の遺体は上がったけど、父親のほうは遺体すら上がっていない。
龍は今、涼一さんと私の養子になって、幸せに暮らしている。
いいのだろうか?…このまま見続けても、いいのだろうか。
あの時のことを、その記憶を手にしていいのだろうか。
…何かが、引っ掛かる。心の中で何かが抵抗をしている。
なぜ?…”
周子は、娘の紗由がくれた黄色いビー玉を握り締めながら目を閉じた。
* * *
「周子さん、そのストラップ、紗由ちゃんのコレクションから作ったんですか? イエロージェイドですよね」
「え? あ、ああ、ごめんなさい。ぼーっとしちゃって…」
義弟の西園寺賢児の恋人、玲香に言われて、周子は恥ずかしそうに笑った。
この数日、夢の内容に気をとられて、つい意識がそちらへ行ってしまうことが多くなっていた周子だった。
「ええ。金具を付けずにレース編みの袋に入れてみたの。これはこれで、いいんだけど…玲香さんのブレスレット、こうして実物を見せていただくと、やっぱり素敵だわ…。
ただ、ブレスレットだと、どうしても女性中心になってしまうから、お義父さまの支援者の方全般が対象だと、ストラップのほうがいいのかなと思うのよね」
「そうですね…」玲香はがうなづく。
玲香の実家は、清流旅館という地元で人気の高級旅館だった。
そこでは、この春、小学校に上がった彼女の甥、自称清流旅館“七代目”の翔太が、女性客へのサービスとしてパワーストーンのブレスレットを作っており、それが結構な評判になっていた。
しかも、いわゆるクズ石を加工したものを材料としているので、原価的にもかなり安く仕上げられると知った周子は、そういった携帯ストラップを、国会議員で義父の西園寺保の支援者たちに、選管法に抵触しない形で提供できないものかと考え、その相談を玲香にしていたのだ。
玲香自身も、パワーストーンで作ったブレスレットを友人に配っていたりした。なので周子には、ストラップ作成講座をしてはどうかという話になって、西園寺家を訪れたところだった。
材料となる石は、玲香の義兄、光彦の実家経由で入手できる。
「催し物の会費をいただいて、お土産という形にするしかないんでしょうけど、もっと簡単にというか、気楽にお渡しできるといいですよね。…お料理教室に続く、手芸教室みたいな形ですとか、うちの会社で開催の形にした講座を経由するとか。
ついでと言ってはなんですが、わが社のアンケートにもご協力いただけるとありがたいんですけど」
「そうねえ…検討の余地ありだわ、いろいろな意味で」
「周子さん、実は紗由ちゃんのビー玉コレクションの中にも、針水晶だけじゃなくて、ほかのパワーストーンもたくさん入ってたりするんじゃないですか?」うふふと笑う玲香。
周子の娘の紗由はビー玉、特に黄色い石が大好きで、父親の涼一は彼女へのお土産にと、山ほどのビー玉を買ってきていた。そのため、紗由のビー玉は、店が開けそうなくらいのコレクションになっていた。
そして、西園寺家にとって大切なパワーストーンである、羽龍と呼ばれる宝石の口に加えられた針水晶が、一時、紗由のコレクションの中に紛れ込んでいたことから、玲香はそんな軽口を叩いたのだった。
「やだ、どうしよう。ビー玉だと思ってたものが全部パワーストーンだったら、こっそり、へそくり作れちゃうかも…」
「1割分け前をいただけたら、皆さんに黙ってますよお」
「来たな、悪代官! ええい、このパワーストーンが目に入らぬか!」
「へへえ」
笑いあう周子と玲香。
「でも、お渡しする先によっては、その、イエロージェイドのストラップもいいと思いますよ。私も作ってみようかなあ。
ちょうど今、取引先のご子息に受験生が多いんです。記憶力を助けるストーンだから、喜んでいただけるかも」
そう言いながら、周子のストラップを手にとって眺める玲香。
「…この石、そんな力があるの?」
「はい。記憶力ということなら、羽龍の針水晶、あれもそうですね。記憶とか直感力にも強い石です。まあ、針水晶は全般的に強いですけれど」
「そう…。紗由がこれをくれたのは、忘れっぽいのを注意されてるのかしら」
「かあさま、紗由のおやつ、忘れちゃダメなんだからね!…という声が聞こえます…」
目を閉じて、両手を合わせながら言う玲香。
「ん、もう。玲香さんたら! 意地悪すると、賢ちゃんのところにお嫁に来たときに、小姑パワー全開にしちゃうんだから!」
「…かあさま! 玲香ちゃんをいじめちゃダメだよ。紗由、とうさまをいじめちゃうよ!」
「玲香さんてば…紗由にそっくり!」周子が笑い転げる。
「そうそう。何を作るかなんですけれど、ストラップ、ブレスレットなどの他にも、女性の方ということで言えば、ナプキンリングですとか、キャンドルリングなんかもいいかもしれません。大垣さんのお母様が定期的に支援者の方に向けて、お料理教室なさってるんですよね。」
「ええ。そうなのよ。大垣さんのお教室のファンも多いし、それ、いい案だわ。キッチン周りのおしゃれ小物はご婦人方に喜ばれそう」
「あと…賢児さまにもお作りしたんですけど、殿方にはネクタイピンなんかもいいかもしれません。」
「もしかして、あの紫と水色の石でできてるタイピンは、玲香さんの手作りなの?」
「あ…はい」はにかむ玲香。
「素敵よね、あのタイピン。賢ちゃんにしてはセンスがいいから、思わず聞いちゃったのよね。どこで買ったのって。でも、教えてくれなかったの」
「華織伯母さまがなさっていたブレスレットと同じ石です。賢児さま、美術館であのブレスレットを見たとき、可愛いって、ずーっと眺めてて」
「可愛い…紗由と同じことを言うのね」周子がくすりと笑う。「時々ね、あの子に会いたいからって、伯母様に会いに行くのよ」
「そして、その子は、お姫様に謁見するわけですね」
「お姫様自ら、おもてなしの用意持参で大変なのよ。あの子が座るふかふかのクッションとか、あの子を磨いてあげるシルクの布とか、さみしくないようにって、私の宝石箱から、他のお友達を総動員して連れていくの」
「まあ大変。…でも、翔太も、たまーにやってますよ。羽童と影童を集めて、小さい食器でお膳を作って、皆にご馳走だって」
「そういう子たちだから、天が守ってくださっているってことなのかしらね…」静かに笑う周子。
「そうですね。それが当たり前にできるのって、きっと才能のひとつなんです」
玲香はブレスの材料のストーンビーズを右手ですくい、左手へ落とし、波音にも似たその音に、目を瞑り耳を傾けた。
* * *
「え。今週末に清流へ?」驚く周子。
「そうだ。4人で行こう。伯母さんのところにも用事があるしね」涼一が微笑む。
「お仕事大丈夫なの? 来月学会で忙しいんじゃ…」
「大忙しだからこそ、家族でのんびりしたいんだよ。リフレッシュしたいというか、ちょっと行き詰ってるんだ」気弱に笑う涼一。
「あら、それは大変」ふふふと笑う周子。
「君こそ、選挙の2週間前で、それどころじゃないんだろうけど、有川先生に応援演説のお願いにご挨拶に行くついでだとでも思って、助けてくれ」
「承知しましたわ、西園寺先生。改善が見られるよう、私が独自に収集したデータを元に検証してみましょう」にっこり笑う周子。
「お手柔らかにね、周子研究員」
「検証の成果が出たら、龍と紗由に新しいリュックを買ってあげてね」
「リュックかい?」
「ええ。来月、町内会でオリエンテーリングの大会があるのよ。
それでね、どうやら二人とも、翔太くんが裏山で山菜取りをするときに持っていく、登山用リュックが気になってしょうがないらしいの。紗由のリュックは、けっこうボロボロになっちゃってるし…」
周子の言葉で苦笑いする涼一。
「確かに紗由は、リュックを背負ったまま庭でゴロゴロ転がるからなあ。でも、登山用って、だいぶでかいだろ。子供用なんてあるのか?」
「市販の子供用は、身長が120センチくらいないと無理だけど、翔太くんのはね、ほら、以前ハッピを作ってくださった、飛呂之さんの妹さんの弦子さん、彼女のお手製らしいの。大人用をそのまま縮小した感じ。飛呂之さんとおそろいなのよ」
飛呂之と翔太が二人で山から戻って来たときの姿を思い出して笑う周子。
「へえ、そうなんだ。えーと、弦子さんて、先代のおかみで、今は染物作家してる方?」
「ええ。自宅のアトリエで手作りの品を売ってるんですって。自分で布地の染めからできるわけだから、すごいわよねえ」
「我々とはまるで違う世界の人だな」くすりと笑う涼一。
「そうそう。手作りといえば、今度ね、玲香さんにアクセサリー教室してもらおうと思ってるの。今日もその打ち合わせに来てもらってたのよ。清流の人たちって、みんな手先が器用で、うらやましいわ」
「今から支援者の人たちに顔合わせってことか」
メガネの縁に手をやり、涼一が改まった声で言う。
「さすがは涼一さん。よくおわかりで。…でも、玲香さんや賢ちゃんには言わないでね。あまり負担になっても困るし」
「わかったよ。…賢児のために、いろいろとありがとう」
涼一が言うと、周子はうれしそうに微笑んだ。
* * *
「奈美ちゃんなんか、嫌いや!」
翔太は泣きながら部屋を飛び出した。
「翔太!」
鈴音が後を追いかけようとすると、奈美がそれを止めた。
「鈴音はん。ここで甘やかしたら、あかん」
「でも、お義母さん…確かにお義母さんのおっしゃることは、ごもっともですけど、翔太はまだ小さいんですから、そんなふうに夢を壊さなくても…」精一杯の抵抗を見せる鈴音。
「小さいからこそですわ。今のうちなら、大きうなったときに翔ちゃんは傷つかずに済みますやろ」
「でも…」
「この前、えらいでっかいアメジストの原石を、対で買うて行ったお客はんがおらはってな。総理がお辞めにならはるんやろ。民自党の次の総裁選に出る方の秘書さんでしたんや。
そのときに言うてはりましたんです。西園寺先生はな、今回はお出にならんけど、次の次あたりはいけるやろうてウワサらしいわ。
先生がほんまに総理になりはったら、紗由ちゃんはその、お孫でっせ。そんなお嬢はん、一般庶民が嫁にもらえるわけ、あらしまへんやろ。
それにやな、翔ちゃんの嫁になるちゅうことは、ここのおかみになるいうことでっせ。紗由ちゃんに、あんさんみたいな重労働させる気でっか?」
「それは…」
「なんや、玲ちゃんと先生の次男の方の話が進んでるのは聞いとります。玲ちゃんの場合は、玉の輿で済みますやろ。実際、玲ちゃんは器量もええし、気の利くええ子やし、しかもお仕事手伝どうてるんなら、それもありやろ。
でもな、翔ちゃんのほうは、わけが違いまっせ。それがわかったときに傷つくのは翔ちゃんなんや。今のうちに諦めておいたほうがええ…」
奈美の目に涙が光る。
「お義母さん…」
「あんさんには感謝しとる。光彦は幸せに暮らしとるし、翔ちゃんも、あないなええ子に育ててくれなはった。
ですけどな、これだけは譲れへんわ。もし、あと10年もして、本当にお付き合いを始めて、さらに10年後に、結局結ばれへんなんてこと、翔ちゃんがどれだけ傷つくか…」
「そのことは私だって考えました。翔太は本当に紗由ちゃんのことが大好きで、もしかすると私より好きで、ちょっぴり悔しいと思うこともしばしばです」
「あんさんは、ほんまに昔から正直なお人やな」奈美の顔が泣き笑いに変わる。
「でも、それでも、大人になって傷つくことがあっても、それは翔太の責任です。自分で選んだことの結果なんです。ですから、翔太に選ばせてあげてください。お願いします」
両手を着いて奈美に頭を下げる鈴音。
そのとき光彦が部屋に入ってきた。手をつながれて、目を真っ赤にした翔太が横にいる。
「おかん、しょうむなこと言いな!」珍しく関西弁を使う光彦。
「みっちゃん!」息子の声に驚いた奈美が振り向く。
「甘やかし過ぎなのは、おかんのほうや。だいたいな、翔太が大人になったときに、誰を選ぶかなんて、まだわからへんやろ。紗由ちゃんかて、同じや」
「何言うとるんや、このどあほ! 誰かて翔ちゃんの嫁になりたいに決まっとるやろ! こないに男前で、気持ちのやさしい、ええ子なんでっせ!」
「だから、かあさん。それは、ただのババ馬鹿だよ」光彦は標準語に戻すと笑った。「確かに、親の俺から見てもいい子だ。でも、だからこそ、こいつの好きにさせてやりたい。それに、今から決めてかかるようなことじゃないよ。相手はまだ4つになったばかりなんだぜ」
「せやけどな…」
「紗由ちゃんは…」翔太が手で涙を拭いながら口を開いた。「紗由ちゃんは、最初に会うたときに言うとった。お嫁さんに行くとこ決まっとるて」
「ほれ見い! 上流階級のお嬢様ちゅうのは、そないなものなんや」光彦を睨む奈美。
「でも、俺は紗由ちゃんが大好きなんや。俺の嫁はんになってくれんでも、紗由ちゃんが嫁に行くまで、俺が守ったるんや。決めたんや!」奈美の目を見る翔太。
「翔ちゃん…」今度は奈美がボロボロと泣き出した。「ええ子やなあ。翔ちゃんは、ほんまにええ子や。奈美ちゃんはいつでも翔ちゃんの味方やで。ずっとずっと味方やで」
「おおきに」翔太はハンカチを取り出し、奈美の顔を拭った。
* * *




