前編
あなたにとっての物語とはなんですか?
物語を紡ぐには、人それぞれの理由がある。
本が好きで読み専だった人が自分で書いてみたいと思い、紡ぐ人。自分の内にある感情を言葉で表現するのに紡ぐ人。誰かの幸せを願って言葉に託して紡ぐ人。
これらの理由から紡がれる言葉で織りなされる物語はとても美しい。
それに比べると、私が物語を紡ぐ理由は稚拙で、自己満足で他の人にとても失礼なものだと思う。
それでも私は今日もキーボードを叩く。
それは私にとって最も意味のあることであり、あいつに対する私の心であり、祈りであるからだ。
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私があいつに初めて会ったのは、高校2年生の時だった。
クラス替えで初めて同じクラスになり、幸か不幸か、隣の席だった。いつも姿勢をただし、まっすぐ前を向いている目が印象的で、シャーペンを握る手は大きく指が綺麗で、端整な顔立ちをしていた。
あいつを目当てに近づく女子生徒も何人かいたが、私には関係のない話である。ただ、なぜかあいつは私に対して言葉をかけ続けた。
「なあ、今日の宿題ってやってあるか?もしやってたら、答えあわせをやってほしいんだけど」
「お前さ、図書委員だったよな。この本の返却、やっといてくれないか?」
「これ、先生に頼まれたんだけど、1人で職員室まで運ぶの手伝ってくんない」
自分に手伝えることはとりあえず一緒にやった。そのおかげで女子生徒からの嫉妬が凄まじかった。
一度、あいつになぜ私に構うのかを尋ねると、
「だってお前、俺のこと何とも思ってないだろう。そういうやつ、周りにあんまりいなかったからさ、居心地がいいんだよ」
と返ってきた。
一体、どこの小説の主人公なのだろうか。
遠回しに自分がモテることを自慢された様に思うのだが。
「あ、気づいた?ほら、俺、顔はいいから。まあ、口は悪いけどね」
自分で言うな。自分で。
「かくいう、お前も口悪いよな」
お前限定だ。いつもはもっとお淑やかにしてる。
こんな感じで会話を続けていた。
始めは鬱陶しいだけだったが、案外、その会話の軽さが心地よかった。
あいつと会話をするのは決まって、図書室か音楽室だった。私が図書委員で、図書司書室を自由に使えたということと、あいつがピアノを弾くために音楽室に行くということの理由でその2つの場所が定番だった。
あいつは覚えているだろうか。
高校3年生になる春休み。
補習が終わって、いつものように行った音楽室での出来事を。
あいつは音楽室に行くと始めに弾く曲はいつもアメイジング・グレイスだった。何でも、あいつにとって指慣らしには丁度良い曲らしい。
ピアノを弾いたことのない私にはよく分からないが。
「お前の好きな曲、弾いてやるよ」
なんだよ。唐突に。
「いや、俺が演奏してる時、お前いつも何もしてないだろ。つまんねえのかなと思って。だったら、少しでも楽しんでもらおうとお前の好きな曲を演奏してやろうと…ま、俺の知ってる曲なら、いいけどさ」
好きな曲…あんまりないかな。
「は?クラシックじゃなくてもいいから、言ってみろよ」
音楽、聞かないのよね。
「なんで?」
集中したい時に音があると、集中できないじゃない。だから、携帯にも音楽は入ってないし、CDを買った時もない。
「…お前、人生損してるな。音楽ほど素晴らしい文化はないのに」
いや、音楽だけではないでしょう。素晴らしい文化は。
「例えば?」
文学作品とか、絵画とか…色々あるでしょう。まあ私は文学一択だけどね。
「物語って読んでると眠くなるんだよな」
言ってろ。私は音楽を聞いてた方が眠くなるわ。
「じゃあ、お互いに作ってみるか?」
…何を?
「お互いが納得できる音楽と物語を」
作ってどうするの?
「いや、それだけ」
それだけって…
「納得のいく物がどちらが早く作れるか勝負してみようぜ」
勝負?
「そう。負けた方が勝った方の言ったことを何でも叶えることっていう条件つき」
いいわね、それ。
「じゃあ決まり。お互い頑張ろうか」
そう言って私たちは1つの勝負の約束を交わした。
私の大事なたった1つの約束。
音楽室に差し込む夕陽の眩しさが今でも目に焼き付いている。きっと私は忘れることはないだろう。
あいつはどんな思いで約束したのだろう。
それを知る術を私は知らない。