09.「きみが行かなければ、彼女は独りだよ」
応接間の扉を乱暴に開ける。
そこに、椅子に座る義姉の姿を見て、死に姫はその場で崩れ落ちた。
よかった。全部、ちゃんと、無かったことになった。
「シンデレラ、どうしたの?」
義姉が、多少疲れた顔のまま訊ねる。
「どうしたの、って……どうしたの、も何も……あんたが……」
死んで、しまったから。
あたしではないのに、死んでしまったから。
込み上げてくる涙を、気力で堪えた。泣いたら負けだ。誰に対してかはわからない。でも死に姫は、これまでずっとそうしてきた。涙を見せてはいけない。
だって死に姫が泣いたら、それはもう紛れもなく救いようのない悲劇になってしまって、彼らはますます悲しむ。
「ごめんね、気にさせてしまった?」
義姉の声に引き戻される。現在と過去の間で、意識が混濁していた。
「全っ然! ていうか、余計なことしないでよね!」
義姉は、『義姉』として正しい行動をしたに過ぎない。死に姫がそうしろと言ったから、彼女はそう行動しただけだ。それを素直に認めることもできずに、死に姫はふいっと顔を背けた。
そんな彼女を引き留めるように、義姉は手を伸ばし、死に姫を抱き締める。
「ちょっと、やめてよ子供扱い! あたしはあんたの妹じゃないんでしょ!?」
「うん。子供扱いでも、妹扱いでもないよ。貴方が無事で、私が嬉しいだけ」
「あたしは嬉しくない! あたしは、……あたしが死ぬので、満足なの!」
「シンデレラ」
咎めるような声だった。その続きを聞きたくなくて、死に姫は彼女の腕の中で暴れる。
「違う。その名前で呼ばないで! お姫様なんて柄じゃない!」
「……じゃあ、なんて呼べば良い?」
静かな声に、ぴたりと止まる。
「貴方の名前は?」
「あたしの、名前は」
背後でガチャ、と音がした。
瞬間的に我に返る。自分の発言や行動に、サッと青褪めた。言わなくてもいいことを言ってしまった。その事実から逃げるように、無理やり腕を引き剥がして部屋を飛び出す。
「おい、お前顔が真っ青――」
背後から魔法使いの声がした。入ってきたのは彼だったのか。しっかり確認することもないまま、死に姫は走る。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「なんだよ、あいつ……」
思えば先程ゲームオーバーする前からおかしかった。おかしいと言えば、シンデレラの義姉もそうだ。あれは全くの別人だった。
まさか、何かあったのか。部屋の中にいる義姉へ視線を向ける。彼女は困ったように笑っていた。いつもの彼女のように見える。
ぽん、と肩を叩かれた。
「行かなくて良いの?」
「は? なんで俺が。あんたが行けばいいだろ。俺とじゃ精々喧嘩して終わりだっての」
前回だって、二人でアイコンタクトをしていた。さぞ仲が良いのだろう。少なくとも、自分よりかは、余程。
「それで良いの?」
良いも何も。そう言おうとして、先手を取られる。
「生憎、僕は良くない。僕は彼女に話がある。シンデレラのところには行かない。きみが行かなければ、彼女は独りだよ」
「……脅しかよ」
そこまで言われて行かなかったら、自分はただの人でなしだ。しかし同時に魔法使いは安堵した。少なくともそれは、魔法使いが走る理由にはなる。
王子が何をそんなに義姉と話したいことがあるのか、疑問は残るが、深く突っ込む気もなければ、正直時間も無かった。
ちら、と廊下の先を見る。死に姫の姿は見えなかった。チビのクセに、足は速い。
王子は既に部屋に入り、椅子に座る義姉に視線を合わせるように、片膝をついている。一言、二言、何かを確認しているようだ。先程の言葉は嘘ではないのだろう。
チッと舌打ちを放ち、魔法使いは死に姫の後を追い始めた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「……行ったね」
「そうね。行ったわ」
魔法使いを見送ってから、二人は顔を見合わせる。
「劇の途中、きみがまるで別人になったこと、憶えてる?」
義姉は驚きで目を見開いてから、ふるふると首を横に振る。
「私が? どんな風に?」
「役がそのまま、乗り移ったように」
その言葉に、しばし悩む。自分の記憶を辿り「確かに、記憶が」と頷いた。
「途中からやけにぼんやりしているの。あれは……私が『シンデレラの義姉』になろう、と思った瞬間だったわ」
そう振る舞おう、そう在ろう、と決意した。直後、意識がふっと遠退いたのだ。そこからのことはよく憶えていない。
ただシンデレラへ向かって倒れていく鎧を見て、急に身体じゅう、指先にまで、血が通い始めた。実際はもう死んでいて、血なんて流れているはずがないのだが。自由になった身体と、ぼんやりした心をそのままに、やりたいことをした。
つまり、シンデレラを助けようと動いた。
いくら既に死んでいるとはいえ、否、もう死んだからこそ、もう死ぬのは嫌だろう。
何より自分が、彼女が死ぬシーンを見たくなかった。
先程見たばかりのシンデレラの表情を思い出す。義姉がシンデレラを庇ったこと、それが逆に彼女を苦しめているようだった。
でも。
「自分が死ねばそれで満足、なんて……そんなの嘘よ」
「きみもそれで死んだんだから他人のことは言えないと思うけど、……それ、彼女が言ったの?」
「ええ」
「そうか」
短く返事をし何かを考え始めた王子は、しかし気持ちを切り替えたように真っ直ぐに義姉を見た。
「なんにせよ、きみの行動でわかったことがある」
勿体ぶった言い方に、このゲームのことが何かわかったのかと期待を込めて彼を見つめ返す。
「ひとつ、役に入り込み過ぎるのは危険。きみ自身は知らないだろうけど、あれはかなり異常だった。シンデレラが取り乱す気持ちはよくわかる。もしかしたら、今いるNPCも……いや、これは考え過ぎかな」
そんなに変だったのか。戸惑う義姉に追い打ちを掛けるように「あの子に向かって愚図とか言ってたよ」と言う。ぎょっとした。いくらなんでも、それはひどい。確かに本物の『義姉』ならそのくらい言いそうだが、でもひどい。
「私、そんなこと言ったの!? 大変、すぐ謝らないと!」
「藪蛇だからやめて。彼女が気にしてるのは、それじゃないだろうし」
腰を浮かしかけた義姉の肩にすかさず王子は手を乗せ、押し戻す。
「あと正直、きみはもう何もしないで。自分のトラウマに集中してくれたらそれで良いから。お嬢さん、更に混乱してる」
王子の声に本気の色を読み取り、義姉は萎れた。どうやら自分の行動は、全てが裏目裏目に出ているようだった。
「もうしないわ。それに、もう彼女にそんなひどいことも言わない。やっぱり私にはこの役は合っていないのね」
深く、深く実感した。状況を掻き回したことも猛省する。
「……ふたつ、どうやら彼女を庇って別の誰かが死んでも、ゲームオーバーらしい」
つまり彼女だけを生かして、どうにかして城まで連れて行く手段も、無理やり中に侵入する手段も不採用。淡々と話す王子に、「貴方はそんなこと考えていたの……?」と義姉の顔が引き攣った。
「そりゃあ、ねえ。いくら僕でも、あんな小さな子ばかりを死なせて平然としていられる程、非情じゃない」
だからといって、他の者が死んで良いという話でもない気がするが、これに関してはもう義姉はどうのこうの言える立場ではない。現に自分が、そうした。その場で反射的に動いた結果とはいえ、後々考えてみると根底には同じ想いがあった。
それから、あんな小さい子、という表現は、本人の前では禁句だろう。間違っても口を滑らせないよう、後で釘を刺しておこう。
「で、みっつ。細かいこと言うと他にもいろいろあるんだけど、大きいことはこれが最後」
居住まいを正し、言葉を待つ。
す、と息を吸った彼は、ゆっくりと微笑むと困ったように眉尻を下げて、口を開いた。
「――どうやら僕は、きみが死ぬのも嫌みたいだ」
ハッピーバレンタイン♪
読んで頂き、ありがとうございます。
せっかくなので、女性陣から男性陣へチョコを渡してもらいました。
(本編がシリアス真っ只中なのに……)
★死に姫→王子
「ん」
「ありがとう」
「……言っとくけど、味の保証はしないからね!?」
「うん、大丈夫。わかってる」
「ちょっと、それどういう意味よっ!」
★死に姫→魔法使い
「…………」
「その『うわーこいつにあげんのマジ嫌』って顔、やめねぇ?」
「わかってんなら手を出さないでよ」
「貰ってやるってんだから、むしろ感謝しろ、チビ」
「は!? あたしが恵んでやるんだから、感謝するのはそっちでしょ!?」
★義姉→王子
「はい、どうぞ」
「ありがとう。……これ、義理チョコ?」
「そうだけど。もしかして義理チョコは受け取らない主義?」
「違うよ。本命なら嬉しいなって思っただけ」
「う……!?」
★義姉→魔法使い
「はい、魔法使いさん」
「おーあんがと。初チョコ!」
「あら、シンデレラから貰わなかったの?」
「貰ったっつーか、投げ付けられたっつーか。あれはノーカンだろ。ほんとあいつもうちょっと可愛げがあればなー」
「頑張って作ってたから、大事に食べてあげてね」
「…………まじ?」
以上、お粗末さまでした!