08. 本当は、気付きたくなかった。
右を見る。左を見る。
……誰もいない。
「どこ行きやがったのよ……」
王子に部屋を追い出されてから、魔女を探しているが、さっぱり見つからない。また外にいるのだろうか、という考えが頭をもたげたが、屋敷の外にまで魔女を追い掛けていくというシチュエーションは、自分の必死さを表しているようで腹立たしい。
ふんと鼻を鳴らした死に姫が窓の外を睨んでいると、背後から「シンデレラ!」と呼ぶ声がした。振り向くと、義姉がぱたぱたと走って来ているところだった。
「なによ」
つっけんどんに返しながら、王子の姿を頭に浮かべる。あんの王子、またさぼったのか。そうしてから、義姉の目が腫れぼったいことに気付き、眉を顰める。
何かあったのか。
そう訊ねようとしてから、死に姫と義姉は、そんな風に突っ込んだことを訊く程親しい間柄ではないことを思い出す。
口を噤んだ死に姫に何を思ったのか、義姉はいつになく真剣な瞳で、死に姫を射抜いた。いつもやけに不安げに、そしてどこか申し訳なさそうに揺れている瞳とは、大違いだ。そうされると、今度はこちらが不安になってくる。何か悪いことを、しただろうか。彼女を怒らせてしまうような、悪いことを。
「シンデレラ、あのね、私、貴方に謝らないといけないことがあるの」
「謝る?」
思い付くことといえば、役をこなせていないことくらいしかない。けれどそれは前々からわかっていたことで、こんな風に今、改めて言われることではないように思う。
「私、貴方のこと、妹と重ねて見てたの」
「…………へえ?」
だから、何。というのが正直な気持ちだ。
困惑気味に身動ぎする死に姫を、義姉が見据えた。
「妹にできなかったことを、自分の後悔を、貴方に対してぶつけてどうにかしようとしてた。それで勝手に救われようとしてた。違う人なのに。ちゃんと、貴方には貴方の人生があって、感情があって、そうやって生きて……死んで、ここに来たのに」
彼女の声が震えた。唐突に悟る。
ああ、この人は、自分が死んだことを受け止めたのだ。
「失礼なことをしました。ごめんなさい」
相手の旋毛を見下ろしながら、死に姫は自分の心がすっと冷める感覚を覚えた。それが相手にぶつけたい感情なのか、自分の中で留めたい感情なのかもわからない。
……多分。
彼らと会話をしなかった理由は、関係性を深めなかった理由は、きっとこれだった。
自分が死んだことを、明確な言葉にされることを避けていたのだ。
自分の人生はあの時、終わったのだ、と。
本当は、気付きたくなかった。
認めたくなんて、なかった。
「……ゃ」
小さく声が漏れる。
「だから私、これからは貴方と、ちゃんと向き合っていきたい。貴方のことも大事にしたいの。たとえこの劇だけの付き合いだとしても」
「っ、じゃあ、ちゃんと役どおりに動いてくれたら良いから!」
聞きたくない。これ以上、何も。
一歩、また一歩と後退する。そのまま背を向け、その場から逃げた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「すごい逃げっぷりだったね」
「余計なことをしてしまったわ。彼女を傷付けてしまったもの。貴方の言う通り、魔法使いさんに任せておくべきだったわ」
自分を追ってきた王子に一瞥をくれてから、義姉は肩を竦めた。なんと声を掛けるべきか迷った王子は「なるようにしかならないよ」と口にした。
それから、不意に外を見る。ポォン、という音につられるように。
「今回は、やけに早いね」
窓の外で、木が風によって揺れていた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
あるところに、灰かぶりと呼ばれる優しい少女がおりました。
これは、彼女が王子さまに出逢う物語。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
『貴方、まだちんたらと掃除をしているの!? やだ、ここ、まだ汚れているじゃない! 遅いくせに丁寧さも足りないなんて、なんて愚図なのかしら! あぁ嫌だ、いったい誰に似たのか!』
死に姫は、ふっと目を開いた。きゃんきゃん吠えるような甲高い声。劇が始まった。ぼんやりとそれを眺める。
『いいこと、玄関ホールの掃除も今日中に済ませておきなさいよ!』
突き飛ばされるがままに床に転がった死に姫は、深いため息を吐いた。王子の話が本当なら、今頃王子と魔女はどこかでこれを見ているのか。憂鬱だ。さっさといなくなりたい。
「シンデレラ……」
ぎ、と睨んだ。睨まれた義姉は、刹那狼狽してみせたが、すぐに落ち着きを取り戻したように、深呼吸をした。
「私が貴方のためにできるのは、役どおりに振る舞うことなのよね」
義姉は微笑みを浮かべた。強い意志を感じ取れる瞳――そこから、何故か、感情が失われていく。
「え……?」
おかしい。待って、おかしい。
義姉さん、と声を発する前に、義姉がいやらしく笑った。
『灰かぶり、ここが汚れていましてよ!』
棚の上に指を走らせ、汚れた指の腹を見せ、けたけた笑う。同じ顔なのに、まるで違う人物だ。
『お母様の言う通りね。本当に愚図なんだから。こんなのが妹だなんて信じたくないわ』
『本当よねぇ、お姉様。灰かぶり、掃除が終わったら、この刺繍もちゃんとやっときなさいよ。貴方、そのくらいしか取り柄無いんだもの』
箒を拾い上げた義姉が、何をちんたらしているの、と笑いながら死に姫に手を伸ばす。
――こわい。
「っ、触んないでよ!」
咄嗟に拒否をしたのは、知っているはずの人が、見知らぬ人になった恐怖ゆえだった。払い除けた義姉の手から、箒が落ちる。あれが場面転換のスイッチだと、死に姫は知っている。あれを握れば――でも、そうしたら、この状態の義姉はいったいどうなる。
優しい笑みを浮かべる彼女はどこへ行ってしまうのか。
動けなくなった死に姫は、茫然として座り込む。どこへ向かえば良いのかわからない。助けを求めたくても、求める先が無い。助けなんてくるはずがないのに。だってあれだけ毎日願っても、神様は死に姫を助けてはくれなかった。
だから。……だけど。
「やだっ!」
叫び声に呼応するように、壁沿いに立っていた重たそうな西洋風の重い鎧飾りが、死に姫に向かって倒れ掛かってきた。
何をどう間違えたのか、はたまた初めから全て間違いだったのか。死亡エンドが目前に迫る。
そのことに死に姫は、――心から安堵した。
リセットができるなら、リセットすればいいんだ。全部。
「――駄目!」
声を上げたのは、自分ではなかった。突き飛ばされる。地面に転がった。擦り剥いた膝小僧が痛い。顔だけを持ち上げた死に姫の前で、必死の形相をした義姉が、その表情を安堵へと変えようとして、
――死んだ。
「いやあああああああああ――っ!!」
叫びと同時に、死に姫の目の前に、ゲームオーバーの文字が踊った。
「なっ、何これ? なに?」
視界を覆い邪魔をしてくる文字を退かそうとするが、上手くいかない。転がっていた箒を手に持つと、夢中で空中で振り回した。それでも依然として文字はそこから消えない。
駆け寄りたいのに。義姉に呼び掛けたいのに。だって彼女は自分の所為で死んでしまった。死に姫が死ぬはずだったのに!
「退いてよ、やだ、退いて。邪魔だってば!」
自身の甲高い声が、響く。周りが全て、暗闇に覆われていく。それが王子の言っていた『控え室』だと気付く余裕は無かった。叫び声が吸収される。どこにも届かない。
突然、ぽかりと床が左右に開いて、死に姫の身体は放り出された。
――気付けば、玄関ホールで転がっていた。
場面転換、したのか。それとも、リスタートまでの待機期間か。
状況が把握できなかったが、いくら待っても継母たちは現れない。死に姫はよろよろと立ち上がると、入り口の扉を開けた。静止した世界が視界に飛び込んでくる。
「また戻った」
だが、どこまで?
死に姫は慌てて踵を返し、応接間を目指した。