06.「どうせ作り物の世界なんだから」
「ていうか、身汚いってだけで槍で殺しちゃうって、どんだけ短気なのよ。そんなのが城を守ってて良いの? 問題勃発するでしょうよ!」
魔法使いは、パンを頬張っていた死に姫が空いている側の拳を上に振り上げたのを見て取り、スープの入った器をひょいと持ち上げる。直後、死に姫の拳が机に振り下ろされ、ダンッと強い音が響いた。
「いーんじゃねぇの、どうせ作り物の世界なんだから」
「そういうことじゃないのよ!」
出遅れた王子が、器から飛び出たコーンスープを紙で拭っていた。それから空のゴミ箱に投げ入れる。綺麗な弧を描きシュートされた紙くずが、カコン、と音を立てる。
ゴミ箱の中身も、倉庫に纏めて置いてある食品も、劇をリトライする度に全て元に戻っている。とはいえたとえ食糧が切れても死にはしないし、ゴミも最悪だだっ広い屋敷の一室に、適当に保管しておけば済む話なので、大きな支障は無い。虫が沸くことも無いので楽だ。
再び訪れた、劇と劇の間の時間。幕間、と一言で済ませたいものだが、続きがある状態ならまだしも、劇がリセットされるという性質上、この時間のことを、そう称するのは些か違和感が残る。
「でもお城まで行けたのは、ひとつ進展ね」
「ん……ま、そうね。門前払い食らうなんて想定外だったけど」
これまで、PCがどれだけ勝手をやっても、NPCの行動が変わることは無かった。それがどうだろう。今回に限っては、その規則は適用されなかった。
考えられるとしたら――
「『シンデレラ』がドレス、もしくはガラスの靴を履いていることは必須条件なのかもしれないね。馬車はカボチャでも普通のでも、どっちでもよさそうだけど。所詮ただの移動手段だし」
王子がスープをスプーンですくいながら、口を挟む。魔法使いもちょうど同じことを考えていたので、一も二もなく頷く。
「……じゃあやっぱあんたの所為じゃないの、魔女!」
「俺、今回に関しては一番の功績者じゃね? ストーリー進めたの俺だぜ?」
手柄を誇るように胸を張れば、死に姫は「進んだけど、ほとんど進んでないのよ……それでも進んだけど」と素直に感謝することも、かといって怒鳴ることもできず、ぐぬぬと唸った。相当なストレスを溜めていそうだ。
「でも魔法を使うことが必ずしも必要ではないなら、まだなんとかなるかもね」
「だろー? いっそ服もさ、どこかで着替えるとか」
王子の言葉に便乗すると、死に姫がくわっと目を見開いた。手にしていたスプーンをびしりと向けられる。
「あのねぇ、どこにそんな暇があるのよ。義姉さん見送ったら次のシーンはもう外なのに!」
「外で着替えりゃいーだろ。俺、見ねぇし。見たくもねぇし」
幼稚園児並みの真っ平らな死に姫の着替えシーンなんて、心底どうでもいい。幼児体型娘の生着替えを見て興奮する程、生憎と魔法使いは変態ではない。
「はあ!? ふざっけんな!」
「僕も俯いてるから大丈夫だよ」
「そういう問題じゃないのよ馬鹿王子! ていうかあんたはどっから見てんの!?」
王子がぽんと手を打つ。
「あぁ、そうか。お嬢さんは主演だから知らないのか。僕、暗くて狭い空間に一人閉じ込められて、目の前の巨大なディスプレイに映るきみたちを見てるんだよ。あれ、意外とカメラワーク上手いよね」
魔法使いも出番が来るまではその状態だ。王子も同じということは、義姉も同じだろう。話し合えばわかることを、今、偶然に知る。四人の関係性は、その程度だ。
あれは部屋というより、王子の言う通り、ただの空間だ。四方八方、全てが黒く塗り潰され、自分の姿のみを視認できるおかしな空間。ディスプレイから聞こえる音や色がなければ、自分という存在すら曖昧になって、気が狂うかもしれない。気分は当然よくない。今回初めて知ったのは、出番が終わるとまたそこに戻されるということだった。
「どうでもいいわよ、そんなこと!」
死に姫が叫ぶ。
怒りか、羞恥か。どちらなのかは知らないが、顔を真っ赤に染め上げて机を激しく叩く死に姫に、相変わらず騒がしいな、という感想を抱く。とはいえこういう性格でなければ、何度も死ぬなんて耐えられなかったかもしれないので、これはこれで、この配役で正解だったのかもしれない。
一人だけがヒートアップしている争いの中、死に姫より余程淑女然としている義姉が発言の許可を求め、そろりと挙手した。
「女の子が野外で着替えるなんて、その……難しいわ。それに、煌びやかな服もガラスの靴も屋敷には無いもの。それが手に入らないことには、どうにもならないんじゃないかしら」
「……となると、やっぱり魔女、あんたが魔法を使うしかないのよ。馬車は良いから、服と靴を出しなさい」
「だから、無理だっつの」
がりがり頭を掻く。魔法使いの言葉を受け、死に姫は、何故か王子を睨んだ。睨まれた王子は、にこりと笑って応対する。
何をしているのだか。
……なんとなく、おもしろくない。
「――結局」死に姫は、はあ、と深くため息を吐いた。「問題は何も変わってないし、解決してないってことね」
お茶の入ったコップをぐっと呷る。空になったそこに、義姉が自然な動作でお茶を入れた。普段からそうやって世話を焼いていたのかもしれない。死に姫も――普段から、そうやって世話を焼かれていたのか。ありがとう、と目を合わせて礼を述べる姿を見て、思う。その言葉はいつもよりもゆっくりで、丁寧で、かつ無理が無い。相手が萎縮する程過剰でもなければ、やらなければ良かったと不満に思わせる程でもない。
普段は、ぎゃあすかと煩く暴れ回って、不器用でガサツというイメージしか無いのに、この差はなんだ。魔法使いは、そこに憤りや落胆を覚えたわけではなかった。ただただ不思議に思っただけだ。
――いったい、どういう人生を歩めば、こんな風になるのだろうか。
「…………あ?」
ひく、と頰が引き攣る。今、自分は何を考えていたのか。
死人に興味を持って、どうする。
先なんて、無いのに。……先? 先ってなんだ。
目の前の少女にも、自分にも、未来なんてものはもう存在しないのに。精々こうして、同じ時を繰り返すくらいのことしか、許されていないのに。
「馬鹿馬鹿しい」
無意識の中で対面してしまった感情を、ただの気まぐれとして処理するべく、魔法使いは殊更低い声で吐き捨てた。
「馬鹿馬鹿しいって、あんたの問題が一番でかいのよ!」
幸か不幸か、魔法使いの言葉は、死に姫の発言に対するものと受け取られたらしい。いつものようにぴーぴーと煩く喚く様に、へいへい、とおざなりな返事をした。煩い反応の方が落ち着くなんて、我ながらどうかしている。
これ以上ここにいても損をするだけだ。魔法使いは手にしていたパンの最後の一欠片を口に放り込むと、席を立った。
「ちょっと、まだ話終わってないんだけど!?」
「話して解決すんのかよ」
この場の誰にも答えられない設問を、あえて意地悪く投げ付ける。案の定押し黙った死に姫たちを残し、魔法使いはひらひらと手を振って部屋を後にする。
「やっぱり交代しなさいよ!」
「はは、僕には荷が重いかなぁ」
扉が閉まる直前に、死に姫と王子が争う声がした。
視線を廊下に落とす。浮かび上がろうとするわけのわからない感情を、押し殺すために。