04.「残してきた人に、想いを馳せることは?」
屋敷の裏庭には様々な色や大きさをした花たちが、互いに主張し合うように咲いている。綺麗に整頓されてはいない。これで風に揺れていれば、かなり騒がしい印象を抱くのだが、時間が凍っているため不自然に静かだ。より一層ちぐはぐである。
その中で、手に持った白い花を、ただ眺める。つ、と伸ばした指先で、花弁を一枚ぶつりと毟り取る。風の吹かない世界の中で、指先から離れた花びらは、ゆるりゆるりと左右に振られながら落ちていった。
シンデレラの義姉は、それが無事に着地するまで見守ってから顔を上げた。前方から近付く人の気配に気付いたからだった。
王子だ。彼は穏やかな表情を浮かべ、そこに立っていた。
本音を言うと、義姉は彼のことが少しばかり怖い。シンデレラや魔法使いは言いたいことをはっきり言ってくれるので、ある意味では気が楽だ。しかし彼は違う。この人は、裏では私のことをどう思っているのかしら、と義姉は考え、憂鬱になる。ちっとも役に嵌らない自分のことを、疎ましく思っていても不思議ではない。
視線を落とした義姉を追い掛けるように、声が降ってくる。
「何をしてるんだい?」
「……花を」実のところ、何かを思い行動していたわけではなかった。数秒で答えを創作する。「以前、妹に花冠を作ったことを思い出していたの」
「ふうん」
そうなんだ、と短く相槌を打った王子の視線は、ぺたりと落ちた花弁に向けられた。花冠を作るのに、花弁を取る必要があるか?――答えは、否だ。
きっと彼は気付いている、自分の方便に。それなのに、やはり指摘しない。
それがどうにも、落ち着かない。
いったい、どこまで気付かれているのか。
「王子さんこそ、ここで何を?」
「ここで何かする、というか。きみがここにいるかと思って」
「私?」予想外の発言に、ぱちりと目を瞬く。
「そう」頷いた彼は、続けた。「劇について、話があって」
飾り気のない単刀直入な発言に身を竦めながら、彼を見上げる。数歩分あったはずの二人の距離は、気付かぬうちにかなり詰められていた。王子の陰に義姉が隠れる程の近さだ。王子は特別がっしりとした体型でもないし、魔法使い程大きくもない。かつ、義姉もシンデレラ程小柄ではない。それでも性差による体格の違いゆえか、間近に迫られると威圧感があった。
「お嬢さんが相当参ってるみたいでね」
彼は、シンデレラのことを、お嬢さん、と称す。魔法使いのことは、魔女君。シンデレラの義姉のことは、姉君――そう呼ぶ。それらはもしかしたら、彼が自身の役どころを守ろうとしている意識の表れかもしれない。少なくとも今の彼からは、曲がりなりにもこのゲームを先に進めようという意思が見受けられた。
その彼が、シンデレラが参っている、と言う。何に、とは名言しなかった。しかし答えは明白だ。ゲームの進展の無さに、だろう。
そういう風に相手に答えを委ねる点は少々狡いと思う――もちろん、彼に非が無いことも、彼女自身が一番の原因であることも理解している。だから義姉は、王子の言葉に唇を噛み締め、俯くしかなかった。
求められているものが、謝罪などではないことは、いくらなんでもわかる。
「彼女には、申し訳ないことを。でも……シンデレラの姿が、実の妹に被ってしまって」
「だから、意地悪できないの?」
「ええ、まぁ……」
――言い訳を求められているわけではないことも。
わかっている、つもりだ。
それでも口をついて出た言葉は、やけに言い訳じみていた。
「妹さん、……花冠を作ったっていう?」
「えぇ」
義姉は素直に頷いた。先程誤魔化し半分で出した情報だったが、誤魔化しであっても嘘ではない。実際、彼女はよく妹に花冠を贈っていた。妹が大きくなり、中学に進学してからはその機会もめっきりなくなっていたが、義姉にとっては今でも良い思い出である。自然と口元が綻んだ。
「よく跳びはねて喜んでいたわ。……優しい子だったから、きっと私が急にいなくなって、心を痛めていることでしょうね」
「きみは?」
「え?」
意味を図りかね、視線を揺らす。
「きみは寂しくないの?」
息を呑んだのは一瞬だった。遅れて、義姉はゆるゆると首を振る。
「もちろん、寂しいわ。でも」あの子の方が、と口にした。だって、あの子の方が幼い。あの子の方が優しい。あの子の方が――。
続く言葉に、結局彼女は音を乗せることはできなかった。余計なものが混じりそうだったからだ。そしてそれを、目の前の彼は見逃さないような気がした。
――義姉がゲームを進展させることができない、その理由を。
「王子さん、質問ばかりね」
にこりと微笑み、立ち上がる。花弁の取れた花は、そっと地面に置いた。
更なる追及を逃れるべく、彼を真正面から見据える。
「貴方は? 残してきた人に、想いを馳せることは?」
優しい声音でありながら、鋭利な刃物のような言葉だった。そうやって思うのは、たとえばこの質問を自分に投げ掛けられたなら、そう感じるからに他ならない。
自分たちは死んだ。その事実を、正直なところ義姉は受け止めきれていない。悪い夢ではないかと思う。このゲームをクリアしたなら、あるいはいつかの朝を迎えれば、また何気ない日常が始まるのではないか、と。今でもそれを淡く願っている。
「僕は、無いね」
王子はさらりと応じた。いつも通りの笑みを浮かべたまま。自分にとってはナイフと同義の質問は、彼にとっては違う物であったらしい。
あくまで平然としている彼の様子に困惑する。
居心地の悪い沈黙の中で、王子が悠々と口を開いた。
「だから僕は王子役に合っているのかもしれないと思うよ」
どうして、と訊ねる前に、ポォン、と柔らかい音がした。
何かが跳ね上がるような。
それは、もはや聴き馴染んだ音だ。
ザアッと風が吹いた。世界が動き始める。
「――ゲームがまた始まる」
王子が呟いた瞬間に、視界の全てが一変した。