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16. 三度目の、

(のぞむ)、遅刻するよ! 早くおいでー!」


 新しい香りのする家に、少女の声が響く。

 遅れて、ドタバタと走る音と、少し情けなさそうな「まってよぉ、おねーちゃん」という声がした。

 少女は真新しい高校の制服に身を包んでいた。胸元の青いリボンの位置を、玄関にある姿見で最終確認している。当初はセーラー服を手に「ブレザーじゃない……だと」と愕然としていたが、これはこれで良いかと納得したようだった。

 走ってきた少年の方は、完全に私服だ。汚れてもいいようにと黒のポロシャツを着せられており、下は動きやすさを重視したカーキ色のゴムタイプのズボンを履いている。まだまだわんぱく盛りだと見て取れる。歳の頃は、小学生低学年といったところか。


「二人とも、もう出るのかい?」

 奥から細身の男性が顔を覗かせる。

「そう! 望を……なんだっけ、通学班? の集合場所まで連れてくの」

「お父さんが行こうか?」

「いい。ていうか、お父さんも今日が初出勤じゃなかった? 余裕かましてると、迷子になって遅刻しちゃうんだからね」

 珈琲の入ったマグカップを片手に「頼もしいねぇ」と遠い目をしている父親を盗み見ながら、ローファーを履き、爪先をとんとんと叩く。


「準備完了! どうよ!」

「うん、可愛い可愛い」

「二回繰り返さない! そんなんだから女心がわかってないって言われるんだよ、お母さんに!」

 くあっと目を見開く愛娘の姿に、再度「頼もしいねぇ」と呟く。言いながら、珈琲を口に含んでいる。


「おねーちゃあん、ちこくしちゃうー」

「今行くってば!」


 急いで急いで、と足踏みをしている弟の頭をぽんと撫でながら、鞄を肩に背負い直すと、玄関のドアに手を掛ける。


七香(ななか)、お弁当!」

「あ!」


 父親の後ろからひょっこり顔を出した母親の手から、お弁当を受け取る。「おっちょこちょいだねぇ」と笑う父親をきっと睨んだ。どことなく抜けているこの人にだけは言われたくない。……その割に、仕事はそこそこできるようだけれど。

 いそいそと鞄に弁当箱をしまっていると、母親が「そういえば」と話し始める。それは今じゃないと駄目な話だろうか。時計を気にしながら、うん、と相槌を打つ。


「今日、陽菜ちゃん来るからね」

「え、ほんとっ? 陽菜子(ひなこ)おばさん来るの? じゃあ早く帰って来なくちゃ!……でもちょっと待って、まさかあいつもいる?」

「ご名答、あいつ(・・・)もいるんだ」

「家も近くなるし、仲良くなさいね」

「頑張って、七香」

「あなたもよ」


 親指を立てた父親の頭を、ぽこりと母親が叩いた。

 七香は、うう、と呻いた後、母親に宣言する。


「お母さん、今日あたし、帰り遅くなります」

「駄目です」


 案の定、却下された。がっくり項垂れる。

 良い案だと思ったのだが、よくよく考えたらこの土地に引っ越してきてまだ数日だ。土地勘も無いし、暗くなる前に帰って来た方が良い、というのは道理だろう。都会と違って、田舎の夜は暗い。


「ねえ、おねーちゃん、まだー?」

「ああっ、時間!――とりあえず、いってきまーす!」

「いってらっしゃい」

「気を付けてね」

 両親に見送られ、弟と共に家を飛び出す。



 その後ろ姿を見送った二人は、顔を見合わせて微笑み合う。落ち着きは多少足りていない気がするが、元気なのは良いことだ。

「大きくなったね。弟の手を引いちゃって」

 ついこの間までは、自分が手を引いていた気がするのに。

 そうね、と同意を示して笑った妻が、二人の子供が出て行ったドアを見て、目を細めた。

「名前ぴったりに育ったわね。今でも思い出すわ、あの子の顔を見て、もうこの名前しかないってビビッときた時のこと」

 候補は他にもいくつもあったのに、顔を見たら、もうこれしかない、と思ったのだ。


 あの子から、幸せを引き寄せる香りがしたから。


「幸せになって欲しいね」

「ええ、絶対に幸せになるわ」

「ただしまだ結婚は早い。まだ、全然、全く、先で良い」

「…………」

 この人は何を言っているのだろう。妻は、夫に心底呆れた眼差しを向けた。




◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇




 弟の通学班の集合場所は、家のすぐ近くだ。角を二つ曲がったところ。

「あ、みんなもういるー」

 ぱたぱた駆けていく望を追い掛けて小走りになる。四、五人はいるだろうか。班長であるらしい高学年の男の子に「今日からこの子をお願いします」と声を掛けると、「ハイ!」と明るくしっかりした返事をくれた。


「おねーちゃん、またおうちでねー」

 ぶんぶんと手を振り回している望に、手を振り返す。弟の姿が見えなくなってから、七香も歩き始めた。自分の高校は小学校とは逆方向にある。歩いて行ける距離だったことは僥倖か。



「はよ、七香」

 ――前言撤回。不幸だ。



 自転車なら通り過ぎるかスピードを落とすか上げるか、とにかく何かしらの方法でタイミングをズラして逃げられたのに。

 にっと笑った学ラン姿の少年を睨む。七香は、今日の夜まで彼に会う予定は無かった――今日の夜だって別に乗り気ではない――。叔母の陽菜子と一緒ならともかく、どうして単体でこいつ(・・・)と会わねばならないのか。

 それより何より、どうしてわざわざ自転車を降りて、七香の隣に並ぶのか。


「おーい、七香〜? おはよーさん」

「…………」

「なんだ、朝の挨拶も忘れたのかよ」

「……おはよーございますぅ」


 渋々返事をすると、彼は嬉しそうに笑った。その笑顔に戸惑う。この男が近くにいると、七香は調子が狂う。気付いたら向こうのペースになっている。だから嫌なのだ。



「今日から一緒に登校かー。感慨深いな」

「ちょっと真翔(まこと)、あたしがいつあんたと登校するなんて言ったのよ!?」

 知らぬ間に決まっていたルールに、ぎょっとする。こいつはやると言ったらやるやつだ。待ち合わせと称して、家の前で待ち伏せくらいは平気でやってのけるだろう。

 恐れ慄く七香の発言を、真翔は華麗にスルーした。


「問題は公義(きみよし)だよな」

「人の父親を呼び捨てにしないでくれる!?」

「大丈夫、もう割と長い付き合いだし、更に長い付き合いになるから」

「何がどうなって大丈夫って認識に繋がるわけ!?」


 七香の父親が真翔を嫌っている理由のひとつは、確実にこの失礼な態度だと思う。そもそも長い付き合いって、どういうことだ。あんたまだ十五歳しか生きてないでしょうよ、と言いたい。


「ていうか、お前はいつになったら俺に対して笑顔向けてくれんの」

「一生無いわ!」

「マジか。約束反故にする気かお前。三回って結構きついんだぜ? ネタ尽きるしさ。仕方ねぇなー、えー、四回目か、何すっかなぁ」

「いや、ほんと何言ってんの」


 呆れた眼差しを向ければ、彼は七香をおちょくるように「大事な話なんだよ、これ」とにやにや笑った。



「俺はさ、この世に魔法があるのを証明するっていう、大事な使命負ってんの」



 そりゃあ大層な話ですこと。

 ますます呆れ果てた七香は、道路に転がっていた石ころを蹴った。ころころ転がっていったそれは、からん、と綺麗に側溝に落ちる。

 あーあ、落ちちゃった。

 肩を竦めてから、七香は空を盗み見た。真っ白な雲が自分たちの歩幅に合わせ、ゆっくりと動いていく。

 なんだかんだいって、今日も平和だ。


 不思議とぽかぽかする胸に手を添えて、七香はくすりと笑った。




最後までお付き合い頂き、ありがとうございました!

少しでも楽しんで頂けましたら、これ以上に嬉しいことはありません。


もうすぐ新年度!

皆さまの毎日が、より笑顔で溢れていますように。



◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

オマケ


「おいやべぇぞこのままじゃ遅刻する。――てわけで、俺、先行くわ」

「は!? 置いてく気!?」

「どーしてもってんなら、後ろ乗っけてやってもいいぜ?」

「いい! 二人乗り危ないでしょ! 怪我したらどうするのよ!――もういい、さっさと行けば」

「は、おま……あー、じゃあこうしようぜ。俺走るから、お前こっち漕げ」


「……ねえ、サドル高いんだけど。足、着かないんだけど」

「お前がチビなことを失念してたわ」

「な、なっ……失礼なやつ!」


結果、二人仲良く遅刻。

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