15.「貴方を迎えに来ました、お姫様」
シンデレラが扉から出て行くのを見送る。
一人で大丈夫かしら、と不安げな顔をする和子の肩を、公義は引き寄せる。
「大丈夫だよ」
にこりと笑う。
「もし悲鳴が聞こえたら、飛び出して行こう」
「……それ、ちょっと遅いんじゃない? タイミング的に」
ここには控え室にあるようなディスプレイは無い。モニタリングなどできない。本当に、彼女しか――彼女たちしか、いない。
「あと」肩に回った手を抓りながら、和子はじとりと彼を見た。「順番も違うんじゃないかしら、これ」
そうだったね、と肩を竦める。
「では改めて」
んん、と空咳をして王子が片膝をつく。
「僕と一曲踊ってくれますか、お姫様」
「……よろこんで」
彼だけのお姫様は、はにかみ笑いを灯すと、差し出された手に自身の手を重ねた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
きゃあ、と。背後から聞こえた歓声に振り向かずにいると、扉が音を立てて閉まった。
遠退く声。煌びやかな電飾も閉ざされる。
空を見上げると、星がキラキラ光っている。あんなにたくさん強い光が広がっているだなんて、映画の中みたいだ。
……その下で。
「なんで、あたし、独りなの」
ふつ、と怒りが湧いた。乱暴な足取りで階段を降りる。ヒールの高い靴では、速く降りられない。ああ、邪魔だ、こんな物。死に姫はガラスの靴を脱いで、階段の手すりの向こうへ投げ捨てた。
裸足のまま駆け下りる。石段の冷たさが足の裏から伝わってくる。
『おい、お前――』
ガラスの靴を持っていないからか、兵士が突っ掛かってきた。それを「あんたも邪魔!」と一喝すると、力づくで押しやる。
石段を抜け、土の感触を直接踏み締める。
「っ、魔法を起こすなら、さっさと起こしてみせなさいよ!」
皺がよる程に、ドレスの裾を握り締めた。このドレスが、似合っていても、似合っていなくても、もうどうでもよかった。
あの場所が不釣り合いなのも、当然だ。
だって心は、ここにはない。
王子様に合うような、綺麗なドレスなんて要らない。
魔法使いの隣で映える服が欲しい。
そうだ――まだそれを、伝えていない。
「あたしを一人にしないで、さっさと迎えに来なさいよ、ばかあ!」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
暗い部屋の中で画面越しに、大きく口を開いて、大声で泣きじゃくる女の子を見ていた。
よく泣くやつだなあ。彼は苦笑した。
あれは放っておいたら、きっと恨まれる。ものすごく恨まれる。
「好きな子に恨まれるのは、やっぱ嫌だな」
これまで一歩も動かなかった――動けないと思っていた暗闇で、ご指名を受けた魔法使いは足を動かす。なんだ、歩けるじゃないか。魔法使いはふっと笑った。
歩いて、歩いて、手を伸ばして。お姫様が泣いている姿をアップで映したディスプレイに、こつ、と指先がぶつかった。
「……つーか、泣いてる女の子にカメラ向けるとか、マジ悪趣味だな、自称神様とやら」
神様に向けて軽蔑の言葉を投げてから、魔法使いは全力で画面を殴った。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
――誰も、来ない。
それでも死に姫は待っていた。
信じると決めた。だから、迎えが来る時まで叫ぶのだと決めていた。暗闇の中でも、どこにいるかわかるように。
「待たせ過ぎなんだから、早くっ、……全力疾走して来いー!」
「うわ、我儘全開してんじゃん」
引くわぁ、と憎まれ口を叩く声に引き起こされ、死に姫は顔を上げた。我儘、と言ったくせに、魔法使いは本当に全力で走って来たように肩を大きく上下させている。
「これで魔法二回目な。っあー、疲れた!」
「え、何したのよ」
「ディスプレイぶっ壊して暴れてきた」
「……その魔法、物理的過ぎない?」
「世の中には攻撃魔法もあるだろ?」
どんな言い分だ。
タネ丸見えの手品よりもひどい。
……まあ、良いけれど。
未だに荒く息をしている彼を見る。言うよりも大変な思いをしたのだろう。それでも来てくれた。無理を言ったのに、ちゃんと魔法を使ってくれた。
だから、少しは自分も。
言葉にしようと、決意する。
心拍数が上がっている気がする。もう自分の中では動いていないはずなのに、いったいどこが動いているのだろう。首を傾げてから、思い付く。
きっと、心だ。今も心が脈打っている。
もうどこにも生きている身体がなくても。
心が精一杯、出し得る限りの力を持って「ここであたしは生きている!」と叫んでいる。まだなくなってなんかいない。手遅れなんかじゃない。諦めなくてもいい。諦めてなんかやらない。
進むんだ、前に。
「お迎え、ありがとう……ございます」
「うわ、殊勝! 怖ぇ!」
鳥肌立った、などとほざきながら自分の体を抱き締める魔法使いを、蹴り倒したくなる。
「人がせっかく素直になったのに何それ!」
「あ、嘘うそ。嬉しいデス」おちゃらけているのか、それとも本心か。見極めるために半眼で睨めば、魔法使いの顔が、存外に真面目なものに変わった。「いや、マジでな」
「嬉しいよ。お前がこの場に欲しいと思ったのが、俺で」
欲しい、というのはあまりに直接的な表現じゃないかと狼狽えたが、それ以上に心が震えた。
「ありがとな」
――ゴーン、と鐘が鳴った。
魔法が解けていく。綺麗なドレスは、見すぼらしい服に変わる。それを魔法使いは、楽しげに見やった。
「やっぱさぁ、そっちの方が似合ってんじゃね?」
「どういう意味よ……!」
「必死に良い子になって祝福しようとするお前より、今俺の前でみっともなく喚いてるお前の方が好きだって言ってんの」
褒められているのか、貶されているのか。こちらの引き攣る口元に気付いているのか、いないのか。
はぁ、とため息を吐く。鐘が鳴ったということは、もう時間が無いのに。だってこの物語のシンデレラはガラスの靴を落としていないし――投げ捨てたけど――、王子様はちゃんとお姫様と結ばれた。続きなんて無い。終焉は、もう間近だ。
その貴重な時間を、このやり取りに費やして良いのか。
ぐぬぬ、と唸る死に姫の顔を覗き込んだ魔法使いは、しばし黙り込んでから、んん、と空咳をし、そのまましゃがみ込んだ。いつもと違う位置関係にドキリと心が跳ねる。
真っ直ぐな瞳。
「貴方を迎えに来ました、俺のお姫様」
甘い声に、甘い顔。
慣れないシチュエーションに――こんなの、慣れてる人の方が少ないはずだ、と彼女は主張した――面食らった彼女は、照れ隠しに相手をぎっと睨む。
「……それ、言ってて恥ずかしくない?」
「うっせぇよ。そっちこそ顔真っ赤だかんな。なんだよ畜生、てっきりお前羨ましいのかと……つか、こういうの要らないなら言えよ、自爆したじゃねぇか!」
そっちこそ、と言った魔法使いの顔も、負けないくらい真っ赤だった。何しろ暗い中でも赤いとわかる程だ。
「……別に要らないとは言ってない」
「……なんでこのタイミングでデレんの」
軽い口喧嘩じみた応酬をしながら、どちらからともなく抱き合った。
言わないと。伝えないと。そう思っていた言葉や気持ちがたくさんあって。でも短い時間では、何を真っ先に伝えるべきか、わからなくなる。どれもこれも言葉足らずになりそうで怖い。
だから心の温度を交換する。
ああ、この人の腕の中は、何故こんなに温かいのだろう。
でも、彼女はこの温かさを知っていた。不意に、それを思い出す。忘れてしまっていたことを。
母がぎゅっと手を握ってくれたことを。
父が優しく頭を撫でてくれたことを。
あの手も温かかった。
彼女は、あの場所でも、ちゃんと生きていた。
ピコーン、と軽やかな音が鳴る。
身体を離すと、視界にでかでかとゲームクリアの文字が踊っていた。文字が邪魔で、何も見えない。
彼の顔が、見えない。
――ああ、今から別れが来るのだ、と悟る。
彼の指が、彼女の頰に触れた。流れる涙を拭う動作。
「泣きたいなら泣けば。でも次は笑えよ、三回目だかんな」
泣くな、とは言わなかった。だから彼女は、盛大に泣きじゃくる。最後の時まで。
「言ったわね、声高々に笑ってやるわよ!」
見えない中で、がむしゃらに手を伸ばし、相手の髪を引っ掴む。いて、という抗議の声を無視して、彼女は顔を引き寄せた。
最後の温もりを残す。
「……あたしからのファーストキスもあげたんだから、迎えに来ないと絶対に許さない」
はは、と相手が笑った声がした。
「怖ぇなー。失敗って選択肢なくなったわ」
視界いっぱい、白い光に包み込まれていく。
一度暗闇に引き込まれた時と似ているが、決定的に違う。あの時は恐怖を覚えたのに対し、今は心がぽかぽかと温かい。
地面がぱっかりと左右に割れる。
――落ちていく。
「ゲームクリアおめでとう! 楽しんでもらえたかなー?」
自称神様の、神経を逆撫でするような猫撫で声が聞こえてきて、彼女は迷わず舌打ちした。
悔しいけれど。とても、悔しいけれど。
「楽しかったわ。ありがとう」
白い視界のどこかで、優しい微笑みを見つけた気がしたが、おそらく気のせいだろう。
自分の全てが吸い込まれていく感覚。
不意に彼の名前を聞き忘れたことを思い出す。
(――まあ、いいか。次に会う時に訊けばいいんだから)
ななかは口元を緩め、静かに目を瞑った。
最終話は、本日夜公開となります。