14.「かなり頭沸いてる」
「何やってんの馬鹿じゃないの大体キ……はシンデレラじゃなくて眠り姫だし魔女じゃなくて王子様だしそもそも掛ける方じゃなくて解く方だし!」
「おお、よく全てに突っ込んだな」
揶揄い半分で手を打った魔女を、一呼吸でそこまで言い切った死に姫はすうっと息を吸う。
「それより何よりさっきのは……あたしのファーストキスなの!」
「え……あ、そう、かぁ」
魔女は口元を片手で覆い隠した。が、いくら正面を隠しても、下からは丸見えだ。
「にやにやすんな!」
「いや、するだろ。ふつーだろ」
普通じゃない、開き直るな。猫がシャーッと歯を剥き毛を逆立てて怒るように、ぎっと睨む。
「ばか! きらい! 大嫌い!」
「俺は好きだ。かなり頭沸いてる」
目を見張る。先程まで躊躇っていたことが嘘のように真っ直ぐに自分を見つめてくる瞳に、逃げ場を失い、後退りする。
「魔法、失敗したクセに」
ふ、と笑う。
「よく見ろよ」
ほら、と促され、自分の格好を改めて確認する。
淡い青と白の艶のあるロングドレス。水色のグローブ。ラメでも入っているのか、それともエフェクトか、全体的にキラキラしている。
足には、透明感のあるガラスの靴。
息を呑んだ。
魔女の背後に馬車が停まる。カボチャの形をした、可愛らしい馬車だ。
「さ、お姫サマ、どうぞ?」
流れるように差し出された手に、嫌、と首を横に振る。こんなの違う。駄目だ。
「だって……ほんとにあたし、似合わない」
はらりと言葉が落ちた。どうしてか、彼の前ではよく言葉が漏れ出てしまう。後で、どうしてあんなことを言ったんだろう、と悔やむのに。
わかっているのに、飛び出る。
この人の前だと。
「着る資格、無いの。だってあたし、お母さんもお父さんも、泣かせたまま置いてきちゃったのに。お姫様になんてなれるわけない!」
ぽん、と頭に彼の手が乗る。魔女は、優しい手とは正反対の怒ったような声を出した。
「だから幸せになんなきゃならねぇんだろ。もう後ろなんて無いんだから、前に進むしかないんだ」
たとえ彼らがもう、彼女を見ることができなくても。今も彼女を思い出して泣いているんだとしても。今後一切、嬉しいことや悲しいことを伝える術も、知る術も無いのだとしても。
だからこそ、いつまでも後ろを向いてはいられないのだ。
「お前の両親なんて知らないし、どういう気持ちなのもわかんねぇけどな。俺は、お前と会えて良かったって思ってるよ」
視界が揺らぐ。場面転換……ではない。瞳から溢れ出た定義し難い想いが、魔女の顔を歪んで見せる。それでもきっと、彼は真っ直ぐ自分を見続けているのだと信じた。
「ここでだけの付き合いで、最後は全部忘れてなくなっちまうんだとしても、ここにいるのがお前で、お前と会えたのが俺だったことを、嬉しく思うよ。俺の人生短かったけどさ、俺はお前に会うために生まれて、死んで、ここにいるんだ」
間違いない。そう言って笑う顔を、信じた。
「だからきっとさ、わかんねぇけど、お前の両親はお前が自分の家族で良かったって思ってるだろ」
――その言葉を、全部、信じようと思った。
それこそが、みすぼらしい格好がお姫様のドレスに変わったことよりも、魔法のように心にポォンと響く。
「すげぇ似合ってるよ。ほら、行って来い」
声は不思議と優しくて甘い。
背中に添えられた手が、温かい。
童話の魔女は、他に登場シーンがあっただろうか。必死に考えるが、思い出せなかった。
馬車に乗せられて、咄嗟に振り向く。
死に姫が何事か伝える前に、魔女は不敵に笑った。
「いいか、見てろよ。俺はあと二回は魔法を見せてやる。さすがに三回見れば、お前も信じざるを得ないだろ。そしたらさ、笑えよ」
馬車の扉が閉まる。
すぐに場面転換が始まり、魔女の姿は掻き消えた。
どうしてだろう。途端に心が、身体が、冷えた。
自分にはまだ、彼に伝えることがあった気がする。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
二度目の訪問は、門番に咎められることはなかった。長い階段をゆっくり登っていく。心はどこか晴れなかった。
どんな顔で会えば良いのか。魔女と交わしたあの会話の後で、――あれを全部、聞かれた、……のに?
ぴた、と足が止まった。変な汗が出ている気がする。
「どうしよう、逃げたい」
今、めちゃくちゃ逃げたい。今すぐ階段を降りれば、馬車はまだそこにいて、間に合うんじゃないか。
振り向く――直前に。
声が蘇る。
『もう後ろなんて無いんだから、前に進むしかないんだ』
そうだ。また逃げて、また死ぬのか。
あんなに背中を押されたのに。
『私、貴方に意地悪はしないって決めたの』
同じように、辛い場所から乗り越えていこうとする人を知っているのに。
それでも逃げたいの、灰かぶり?
自身に問い掛けて首を振る。
「ここで逃げたら、かっこわるすぎ」
ふ、と笑う。少なくとも自分は、格好付けていたいらしい、これまで頑なに魔法を使わなかった魔法使いに。
息をゆっくり吐き出し、前に進む。
大きな扉が、死に姫の入城に合わせて自然と左右に開いた。視界いっぱいに煌びやかな世界が広がる。場違いだ、と反射的に感じた。それでも足を前に動かす。
相変わらず目だけは笑っていない招待客の奥で、一人立つ王子を見つける。念願の登場だ。
彼はにこりと笑うと、死に姫にゆっくり近付いた。
「やあやあ、これは可愛いお嬢さんだ。どうか僕と一曲――と、童話では言わないといけないのかな。でもごめん、僕はきみを選ばない」
「出会い頭にハッキリ言うわね」
「最初は役の通りに演じるつもりだったんだけど、気が変わった。自分の思う通りに行動することにしたんだ」
その表情が、初対面の頃よりもやけに柔らかいことに気付く。きっと彼にも辛いことがあって、どうしようもなく傷付いて、それをどうにかして抱えてここにいるのだ。誰も彼も、そうやって進んでいる。
何も知らないければ、気持ちを押さえつけたままの自分だったら、この場で反抗したかもしれない。けれど今の彼女は、そうはしなかった。
「うん、いいんじゃない。あたしも、……やっぱりお姫様も王妃様も向いてないし」
自然と口角を上げられた、と思う。鏡を見ていないからわからないけれど。自然に祝福できたはずだ。
「それに、なんか二人、お似合いだもの」
継母、下の義姉がひどく悔しそうな顔をしている――そんな顔しなくても、シナリオ通りには進んでいないというのに――。その隣に慎ましやかに立つ義姉を見た。
「あれ、僕の見立てでは、きみは割と疎そうだと思ったんだけどな」
「……あのね、消去法でしょ。ここには四人しかいないこと、忘れてない?」
「そうだった」
くすくすと笑った王子は、優しく目を細めて死に姫を見下ろす。敬意を払われている。そうとわかる眼差しだ。
「もう少し、きみと話したかった。今ではそう思うよ」
まるでこれがお別れのような言葉だ。それに対する反発心も無い。心の中で共感さえした。死に姫も思っている。リトライは、もう無い。
「やけに素直で気持ち悪いんだけど?」
「気持ちを伝えられないことの方が怖いって思い知ったから」
じっと王子を見つめる。
「そうね」すとん、と心に収まる。静かに認める。「あたしも、そう思うわ」
だから最後に伝えよう。
「あたしももう少し、あんたと話したかった、……かも、ね?」
不恰好でも、思うことをそのまま。
「でも悪いけど、あんたよりも話したい相手がいるの」
「奇遇だね、僕もだ」
突き出てきた拳に戸惑う。こうするんだよ、と王子は死に姫の手首を掴むと、自身の拳と当てた。
「で、こう言う。――幸運を」
「……ありがとう。あんたの幸運も祈ってあげる」
高飛車に言い放った言葉を受けて、王子は尚も可笑しそうにした。
「じゃ、ばいばい」
またね、とは言えずに背中を向ける。
「シンデレラ!」
義姉の声が響いた。ちらとそちらに視線を動かす。間違えた、という顔をしている義姉の姿があった。
ああ、そういえば彼女は、その名前で呼ばないでとそう言った瞬間から、死に姫のことを決してその名で呼ばなかった。
死に姫の周りには、彼女が気付かなかっただけで、彼女の言葉を受け止めてくれる人が、ちゃんといた。
「違う」
否定から入った言葉にも、義姉は拒絶する様子を一切見せない。
だから死に姫も、安心して続きを話せる。
「あたしの名前、ななか、だよ」
憶えておくわね、と義姉は嬉しそうに微笑んだ。
嘘吐き、と詰る気はこれっぽっちも起こらなかった。
読んで頂きありがとうございます。
来週は、15話と16話の二話公開となります!
最後までお付き合い頂けますと幸いです。