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12.「泣いてなんか、ない」

 死に姫は、目の前でさっと青褪め、不意に涙をひとつ垂らした魔女を見上げ、自嘲する。

「あたし、可哀想?」

 魔女は口籠もり、微かに顎を引く。

「そうだな。可哀想だな、お前も俺も、……このまま終わっちまったら」

 その発言に、あは、と笑う。死に姫の頰に触れていた指先が、ぴくりと震えた。


「まだ生きるつもりなの? ばっかじゃないの!」

 枝の上でバランスを崩しそうになりながらも、ひたすら笑う。込み上げてくる気持ちに必死に蓋をして、気取られないために。


「次は救われるって、報われるって、本当に思ってるの? 魔法なんて信じないんじゃなかったの?」


 シンデレラの義姉は言った。タネがわからなければ、手品は魔法と同じだ、と。

 死に姫だってかつては、魔法を信じていた。いつか治るんだ、と。夢に見たことだってあった。天才医師だなんて謳われる人がヒラリと現れて、自分の病気を魔法のようにパパッと治してしまうのだ。こんな簡単なことにこれまで悩んでいたなんておかしいね、なんてニヤリと笑いながら。そんな魔法を、最後まで信じたかった。


「あんたもわかってるんでしょ。魔法なんて……奇跡なんて起こらない。起こらなかったもの! あたしは、あたしはただ、」


 ――生きたかった。

 でも、それがとても難しいことを、きっと叶えられないことを、吐き気がするくらいはっきりと理解していた。誰に教えられるわけでもなく、自分の身体が知っていた。

 だから、せめてと願った。

 ただ、ただ、あたし(・・・)は――



「お母さんとお父さんに、笑って欲しかっただけなのに!」



 そんなことすら叶えてくれない神様なんて、いないのと同じだ。そんな神様、消えてなくなってしまえばいい。

 試練だけ与えて、後は知らんぷりで何もしてくれないのなら、いっそ祈る先なんていなければ良かったのに。



 ――ちゃんと産んであげられなくってごめんね。

 やめて、そんなこと言わないで。あたしはせっかくお母さんに会えたのに。


 ――代わってやれたらいいのに。

 ちがう、そんなこと言わないで。あたしは苦しむお父さんなんて見たくないんだよ。


 ありがとうって、あたしは最後まで、それしか考えてなかったの。本当なの。

 神様を恨む日はあっても、二人を恨んだことなんてなかったの。本当なの。


 それでも二人とも、隠れて泣いていたから。

 祈ることもできないあたしは、立ち尽くすしかなかった。



 ねえ、笑ってよ。笑って。お願いだから。あたしがいてよかったって、あたしがあたしでよかったって、その言葉をあたしにちょうだい。

 憂いなんて全部なくして、あっけらかんとして笑ってよ。

 忘れないで。忘れないで。あたしの存在を心に住まわせてください。でも、どうか悲しまないで。あたしを、悲しい存在にしないで。

 泣かせてしまうのなら、忘れてもいいよ。



 そんな想いを、あたしはまたするの?

 そんな想いを、あたしはまたさせるの?



 ねえ、神様、いるんなら答えてよ。

 何が違うの、窓の外で歩くあの子たちと、あたしの。

 ねえ。いったい何が違ったっていうの。



「――俺は」

 低い声が、死に姫の思考を中断させた。

 ゆるりと顔を持ち上げた彼女は、その声の主と真正面から対峙する。

 ヒステリックになっていると馬鹿にでもするか、子供っぽいと詰るのか。それとも陳腐な言葉で慰めるつもりか。わかるよ、とでも言って、軽々しく寄り添った気になって、身勝手な満足感を得るのか。

 どんな言葉であろうとも即座に跳ね除けてやると決意し、挑むように魔女を見据える。

 彼はいつになく真剣な顔をしていた。いつになく、と言えるほど、付き合いが長いわけでも、深いわけでもないが。


 しかし彼の気合いが、声になることはなかった。


 ポォン、と柔らかく響く音。

 ザァッと風が吹いた。強い風は、危ういバランスで座っていた死に姫の身体をなんの躊躇いもなく押しやった。

 視界が傾く。波のように揺れる稲穂から、くるりと上へ。視界に映り込んだのは雲が流れる青に、靡くように揺れる緑。それから、目を見開く魔女。

 彼は、死に姫に手を伸ばした。

 経験値が低い彼女でもわかる。そんなに身を乗り出したら、あんたまで落ちるわよ、と。



 その指先がはたして自分に届くのかを見守ることが嫌で、死に姫は瞼を閉じた。




◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇




 あるところに、灰かぶり(シンデレラ)と呼ばれる優しい少女がおりました。

 これは、彼女が王子さまに出逢う物語。




◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇




 背中が強い衝撃を受け取った。痛みは無い。

 息が詰まったのは一瞬で、死に姫はそれを乗り切ると、静かに目を開いた。

 屋敷の中にいる。近くには箒が落ちていた。


 今回はリスタートがやけに早かったな、と首を捻る。前回の終了地点があまりにも物語序盤だったからだろうか。

 座り込んだままぼんやりしていると、きーん、と頭に響くような甲高い声が聞こえた。


『灰かぶり!』


 そんなに時間は経っていないはずなのに、何故だか久々に聞いた気がした。だからといって、嬉しいものでもなかったけれど。

 返事をすることなく、ただひたすら聞き流していると、継母は『いいこと、玄関ホールの掃除も今日中に済ませておきなさいよ!』と詰りながら去って行った。


「……大丈夫?」

 次に聞こえたのは、義姉の声だった。逃げるように走り去った記憶が蘇り、気まずさから顔を背けた。彼女はきょとりとしてから死に姫の顔を覗き込み、眉を寄せた。


「泣いていたの?」

「……泣いてなんか、ない」


 事実、死に姫は泣いてなんかいなかった。

 死に姫に向かって伸びた義姉の手は、彼女が拒絶するように身を竦めると、その場でぴたりと固まった。


 上の義姉が困っている間に、下の義姉が死に姫を罵倒して去って行く。上の義姉は立ち去るNPCをちらりと一瞥しただけで、それ以上何を言うわけでもなく、再び死に姫は真っ直ぐに見つめる。



 前まではこんな風に堂々と目を合わすことはなかった。彼女は後ろめたさを前面に押し出して、死に姫と対話をしていたからだ。今はその色が一切見えない。

 何故だろう、と考え、王子の効果かもしれないと思った。義姉の担当は彼だ。死に姫は魔女の担当だったはずだが、この分では上手いことできそうもない、と唇を噛む。

 同時に、別にそれでも良いじゃないか、という気持ちも湧いてくる。どうせもう、死に姫が『頑張る子』でいる理由なんて、どこにもないのだから。彼女が何をどうしようと、もう、どうしたって――。


 死に姫は考えを振り落とすように、頭を左右に振った。


「……箒を持たないの?」


 ぐ、と言葉に詰まる。この次のシーンは義姉たちを見送るシーンで、すぐに終わってしまう。そうしたら、死に姫は魔女と一対一で会わなくてはならない。

 少し冷静になってみると、あれは自分もどうかしていた、と後悔する。なんだってあんな男に、自分の弱い部分を曝け出してしまったのか。


「……あんただって、義姉らしい意地悪、してないでしょ」

 それもそうね、と義姉はあっけらかんと認めた。あまりにも自然に肯定され、面食らう。もっとしょげ返ると思っていたのに。



「私、貴方に意地悪はしないって決めたの」



 正規の物語を真っ向から否定する発言に、唖然とする。王子は何をしているんだ。逆方向に振り切れているじゃないか、これ。

 ぽかんと口を開けて呆けている死に姫から離れた義姉は、地面に転がっている箒を手に取った。場面転換は発生しない。このシーンのスイッチは、あくまで死に姫が箒を手にすること、らしい。

 まさか無理やり持たせるつもりか。警戒心を強める死に姫の前で、「ね、見てみて」と義姉は呑気に楽しげだ。なによ、とむっつりしながら手元を覗けば、義姉の手から離れた箒が、宙に浮いていた。手品だ。


「すごいでしょ!」

「……ねえ、これ、糸が……」ネタが丸見え過ぎて、指摘することが躊躇われるレベルだった。「普通に見えてるんだけど」


 背景色ガン無視の、真っ赤な糸。他にやりようがなかったのか。せめて黒い糸にするとか。

 しかしあろうことか義姉は、不思議そうな顔をして、小首を傾げた。


「無いわよ、糸なんて」

「は!? ちょ、ちょっと、そんなバレバレの嘘ってあり!? 見えてるのに! 見えてるでしょ!?」

「どこに?」

「ここに!」


 思わず、がっちりと糸を掴む。義姉が腕を上げた。自然と、赤い糸に繋がれた箒が死に姫の手の中に収まる。


「手品、大成功ね!」

「なっ、手品は失敗して――」


 文句を言い終わる前に、視界がぐにょりと歪んだ。場面転換のスイッチは、無理やり箒を握らされてもオンになるらしい。

 見送りシーンに現れた義姉は、いい笑顔だった。非常に腹立たしい。継母と、義姉二人で並んでぞろぞろ歩いていく。

 その足取りに迷いはなくて、――それが、ほんの少し、羨ましいと思った。

 ばたん、と扉が閉まる。視界がまた揺れる。



 昼が、夜に。

 屋内から、屋外に。



 目の前に、魔女らしからぬ魔女が立つ。

「よぉ」さっきぶり、と彼は手をひらひらと振った。




ある意味これは、意地悪では。

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