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11.「ねえ、あたしの人生なんだったの?」

「あんのクソガキ、どこまで走ってったんだよ!」

 前回自分が部屋を飛び出したことを棚に上げ、魔法使いは誰にというわけでもなく怒鳴る。

 息が上がる。肩を大きく上下させながら、顎の先まで滑り落ちてきた汗を乱暴に拭った。


 彼女なら、どこに逃げるか。どう逃げるか。

 ……そんな仮説はなんの意味も持たなかった。魔法使いは死に姫のことを知らない。彼女がどんなことを考えているのかなんて、わからない。

 王子と義姉に一言訊けば良かったかとも思ったが、すぐさま却下した。それは、嫌だ。

 これまで死に姫に会ったことがある場所や、見掛けた場所を片っ端から探す。

 ああ、自分はなんだって、こんなに必死になっているんだか。

 あんな生意気なチビ相手に。


 ……けれど。


 気になってしまう。つい、目が奪われる。

 子供っぽくすぐ怒鳴るクセに、時々やけに大人びた表情を浮かべ、そのまま空気に溶け出てしまいそうな雰囲気を纏う。

 まるで幽霊のようだ。

 まるで、も何も、自分たちは紛れもなく幽霊とやらに当てはまるのだろうが。しかし、幽霊って汗を掻くんだったか? 魔法使いは、首を捻る。

 ふ、と自分の手を見る。いつか、彼女に触れた手。

 彼女の身体は、自分とは対照的にひどく冷たかった。


「そーいや」あそこにもいたな、と思い出したのは、屋敷を出て正面の道を進んだ先にある、大木の下だ。

 あの時、魔法使いは木の上に登っていた。特別な意味があったわけではない。木があったから登ってみた。それくらいの理由だ。


 ……邪魔をされたくなかった、というのもあったのかもしれない。他の三人は、木登りなんて真似をするようには見えなかったから。もっとも一人になったところで、考えるべきことなどあるわけではない。大概はぼんやりしていた。

 だから、死に姫に話し掛けたのは、ただの気まぐれだ。

 ――本当に?

 自身の言葉を疑う声が、心の底から届く。

 本当だ、と頷く。頷いてから、いや違う、と否定した。

 あの時、彼女は今にも溶け出して、搔き消えそうな気配をしていた。景色の一部として静止画の中に入り込んでしまうのではないかと思った。だから咄嗟に引き止めた。

 その感情の揺れを果たして『気まぐれ』という言葉で一括りにして良いのか。魔法使いには判断が付かない。


 足は自然と、そちらを向いていた。

 そこにもし彼女がいなければ、自分にはもう、どこを探せば良いのかわからない。




◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇




 風に吹かれて稲穂が傾き、木の枝はしなっている。その状態のまま、全てが時を止めていた。

 彼女だけが唯一、動く存在だった。一本の枝に座り、ゆっくりと足をぶらつかせている。


「……おい」

「何よ、笑いにでも来た?」


 彼女に驚いた様子は無かった。おそらく木の上から、近寄ってくる魔法使いの姿を見つけていたのだろう。


「良いわよ、笑いたきゃ笑えば。さぞ滑稽だったでしょ。いつも散々文句言っときながら、これだもんね?」

「お前な、誰もんなこた言っちゃいねぇだろ」



 まるで無理やり自分を傷付けようとしているようだ。他人に傷付けられる前に、自分の手でズタズタに引き裂く気でいるのか。

 不恰好に引き攣った口角に、何かに対する恐怖で揺れる瞳。


 魔法使いは、困り果てた。彼女が何故、そんな顔をするのか、さっぱり見当が付かない。そもそも触れれば面倒だとわかりきっているのに、どうして自分は今、わざわざ関わろうとしているのか。

 むっつりとして口を閉ざしてしまった死に姫を見上げ、ため息をひとつ。魔法使いは枝に手を掛けた。


「来ないでよ」

「俺がどうするかは俺の勝手だろ」

 死に姫の座る位置から程近い場所に腰を下ろす。

「定員オーバーだから!」

 臨戦態勢の猫のように牙を剥く死に姫を、「全然ヨユー。この件に関しちゃお前より断然上」と軽くあしらう。尚も言い募ろうとした死に姫であったが、自分の劣勢を察したのか、ふんと顔を背けた。


 喋らなくなると、途端に無音が訪れる。風が奏でる音も、葉と葉が擦れ合う音も、どこかで鳴く鳥の囀りも、ここには何もない。魔法使いは、自分がここにいることに対して猛烈な皮肉を感じ取った。

 この美しい光景を、彼は生きている間、何度も見た。何度も、何度も、――慣れ親しんだ山が崩れ自分たちに襲い掛かってきた、その瞬間でさえも。


 静かに目を瞑る。


 あれは、仕方のないことだった。そうとしか魔法使いには言えない。言い様がない。それ以外にいったい、どう言えばいい。



「お前さ、ゲームクリアしたいんだよな?」

 四人の中で、彼女はゲームに対して最も積極的だった。だから魔法使いは当初、彼女は遣り残したことがあるのだろうと思っていた。そこには非常に強い願いがあるのだ、と。だが共に過ごす時間の中で、それは違うのではないかと思い始めた。

 彼女からは熱が見えない。彼女の行動はどことなく捨て鉢だった。自らの死すら厭わない程に。そのクセ、他人の死にはあんなにも過剰に反応をした。……ああ、だから心配だったのだ。危ういバランスを保っているように見えた彼女が、今にも崩れていきそうで。


「したいわ」彼女の声は冷め切っていた。「でなきゃあたしは、いつまで経っても終われない」

「終わる?」

 どういう意味なのか。踏み込むことを躊躇っていると、彼女はくすりと笑った。


「あたしはね、物心ついた頃から、生活拠点は病室だったの。木登りなんて以ての外! だからこんなこと、したことないわ」


 感触を確かめるように木の肌を指先でなぞってから、小首を傾げる。「これが本物の木の感触なのかどうかすら、あたしはわからないけど」

 本物だ、少なくとも本物に近い。そう伝えることは憚られた。この世界は夢に近い。現実ではない。それなら、魔法使いが感じているものと死に姫が感じているものが同じだという保証はどこにもなかった。中途半端な発言は、おそらく彼女を傷付ける。


「きっと今ならここから落ちたって平気なの。変よねぇ、死んでからの方が元気なんて」

 くすくす、くすくすと静かに壊れたように笑いながら、それなのにひどく泣きそうな顔で死に姫は問う。むしろそれは、問い掛けの意図さえ無かったかもしれない。



「ねえ、あたしの人生なんだったの?」



 いったい誰がそれを、答えられるというのだろう。

 固まる魔法使いの前で、死に姫は徐々に言葉を紡ぐスピードを速めていく。蛇口をくるくる回していくように。勢いを強める水流に押し流され、飾る余裕すらない言葉たちが落ちてくる。死への恐怖、遣る瀬無さ、どこにぶつければ良いのかわからない怒り――それらの集合体だ。


「生まれてから、大事な人をただ悲しませて、泣かせて、何もできずに、何もあげられずに、そうやって死ぬことがあたしの人生だっていうの? 生まれ変わるって、要はもう一回死ぬってことでしょ? あたしは、そんなの嫌。なんで死ぬために生まれなきゃならないのよ!」


 投げ捨てられていく言葉から、魔法使いは先程の死に姫が発した言葉の意図を知った。『終わらせる』。彼女の人生を、完全に。それは、彼女の消滅と言い換えても良いかもしれない。



「じゃあどうして、クリア目指してたんだよ」

 ゲームクリアによる転生は、彼女が口にした望みとは真逆に位置する気がした。


「じゃあどうして、これ以上、あたし、死に続けなきゃならないの?」

 質問を質問で返される。おそらくそれが彼女が辛うじて口にできた言葉だった。


 繰り返される劇。その中で何度彼女は死んだだろう。なんでもないように怒鳴り散らし――だが決して、これまで平気なわけではなかったのだと理解する。痛くないから、なんだ。全てリセットされるから、なんだ。



 事実の羅列によって死の恐怖が耐え切れるものに変換できるのなら、感情になんの意味があるのだろう。理性に沿って全てを割り切るなら、喧嘩だってできない。

 人間の心はいつだって、合理的な道だけを選び取ることはできない。

 そんなことくらい、知っていたのに。



 彼女は泣いていなかった。彼女の瞳からは、涙は溢れたりしなかった。それでも魔法使いには、彼女が大粒の涙をぼろぼろと落としているように見えた。

 頰に触れる。抵抗する気力すらないのか、平素であれば即座に振り払われるであろうその手は、すんなりと受け入れられた。指先が捕らえたのは、冷んやりとした感触だった。おおよそ生きている者のそれではない。


 ――ああ、死んでいるのだ。

 今もずっと泣いているこの子は、その子の目の前にいる自分は、もう二度とこの身に温もりを宿すことはないのだ。


 ようやく、どうしようもなく、それを自覚する。

 自分の指先から、熱が失われた気がした。


 初めてそれを、理不尽だと思った。理不尽だ。そう怒鳴っても、許されると思った。怒鳴る自分たちを、いったい誰が責められるというのか。



 だって、自分たちはもう死んでいるのに。

 もう生きられなくなってしまったのに。

 死にたかったわけじゃなかったのに。

 まだ、生きてみたかったのに。


 それなのに何かを恨むことすらできない。



 悲しみか、それとも全く別の感情か。

 魔法使いの頰を、つ、と涙が伝った。




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