第3話 奇跡にはそう簡単にはお目にかかれない(号泣)
村を出発してからすでに三日が経った。
あの村を出発する際には村長はもちろん村長の奥さんや息子も見送りに来てくれていた。さらには村を救ってくれてありがとうということで午前中に仕事のない村人達までもがやって来てくれたのだ。
俺が実際に救ったのは村長の息子だけだが、村人にとって原因不明の病だろうと呪いだろうと関係ないのだろう。それが自分達の身に降りかかるかもしれないという意味においては。
ともかく、あの村を出てから三日が経ち、俺は当初の目的地であったイゼルの街に到着していた。
すでに宿を取って馬車も預けてあるので、あとは夕飯を食べて寝るだけだ。明日に備えて英気を養い、さっさと商品を売りさばいて至高のお茶を堪能するんだ!
仕事終えて『神茶の雫』を飲んでいる自分を想像した俺は、食堂の端っこの席で思わずグッとガッツポーズをしていた。
思い起こせばこの三日間、俺がどれほど辛かったことか……。事あるごとに『神茶の雫』の存在が頭の中をちらつき、その度に強大な誘惑を断ち切ってきたのだ。夜は夜で盗まれたらどうしようなんて思いからほとんど眠れなかったしな。
だが、今夜ばかりはそうは言ってられない。いくらご褒美がすでに手の中にあるからと言っても、仕事に手を抜くわけにはいかない。そんなことをすれば信用はガタ落ちだ。それなりに贔屓の客がいるこの街でそんなことになったら、あっという間に噂が広まってこの街で商売なんてできなくなる。
それは困るのである。現在の俺からすれば、この時期のこの街での収入は立派に俺の食い扶持の支柱の一つとなっているわけなので、今後ここでの商売ができなくなると下手をすれば餓死する可能性だって否定できない。
最悪な想像を頭を振って追い出し、明日のことを考える。
「明日一日で……いや、せめて二日くらいで捌き切れればいいなぁ」
明日のことに想いを馳せ、俺はいつの間にか来ていた夕食に手を伸ばす。
……今日の夕食はあの村の食事ほどじゃなかった。仕方のないことだが。
* * *
翌日、持ってきた商品は飛ぶように売れた。
朝、街の人間が動き出す時間から露店を広げていたからというのもあるだろうが、持ってきた分の商品はあっという間に売れてしまったのだ。
というわけで午後。
俺は宿屋の部屋で机と――正確には机の上に置いた小瓶と睨み合っていた。
ついにこの時が来た! どれほどこの瞬間を待ったことか!
机の上に置かれた『神茶の雫』が陽光を反射してきらりと光る。その傍らにはコップとお湯の入った小さな薬缶が置かれていた。
ごくり、と俺の喉が鳴る。
もう我慢しなくてもいいんですよねっ。
そう思った瞬間、俺は動いていた。
コップになみなみとお湯を注ぎ、そこへ慎重な手つきで小瓶から一滴の雫を垂らした。
その瞬間、コップの中に注がれていた何の変哲もなかったはずのただのお湯は、その色を鮮やかな紅へと変えた。
「おぉっ」
思わず漏れた感動の声。今俺の目は新しい玩具をもらった子供のように輝いていることだと思う。それほど感動的でならないのだ。
そもそも俺などただのしがない行商人なのだ。天下の大商人というわけでも歴戦の豪商というわけでもない。今日だって異世界からの来訪者が発明した『マスク』という画期的な商品をなるべく多く仕入れて運んで売っただけだ。何の自慢にもなりゃしない。
イゼルの街は昔からとある時期になるとある病が続出する。目のかゆみや止まらないくしゃみ、体がかゆくなるなどの症状が主で、それが出始めるとひどい時などは仕事をしていられなくなるのである。
しかし、異世界人たちがこれを解決した。……と言っても、症状の一部を緩和した程度のものだが。
それでも多少なりともよくなるということなら買わない手はない。実際、『マスク』が開発されてここ何年かはこの街でも仕事が手につかなくなるほど苦しむ人はいなくなった。
「……まったく異世界人様々だよ、ほんと」
理屈はよくわからないけどな。
と内心で呟きながら、以前出会った異界の勇者たちのことを思い出す。
なんでもさっき言ったような症状が出る街の側には異世界人たちが言う所の『スギ』という木がたくさん生えているらしく、そこから出る『カフン』という物のせいで目のかゆみやらくしゃみやらがうんぬんかんぬんということらしい。何を言っているかはさっぱりだったが。
「だが! 今はそんなことは関係ない! っていうかどうでもいいっ!」
大声で言った俺は、コップの中で波立つ『神茶』を見つめた。再び喉が鳴り、喜びが込み上げてくる。
「よし」
と意を決してコップを手に取る。
陽の光を受けて鮮やかな紅を返す水面は、ゆらゆらと波うち、そのかぐわしい香りが俺の鼻孔をくすぐっ……。
「……うん?」
すんすん。鼻をひくひくさせながら、辺りに漂う匂いを嗅ぐ。
「なんだ、これは?」
甘いような辛いような、それでいて酸っぱいような、生臭いようなカビのような匂いが俺の鼻を突き刺していた。
「くそっ、外で生ゴミでもぶちまけたのかっ?」
こんな大事な時にどこの馬鹿だっ!
怒りに振るえながら窓の外に身を乗り出す。辺りをじろりじろりと睨むように注視し、宿のすぐ近くには何もないことを確認した。
……とすればこの異臭はなんだ?
頭を悩ませても一向に思い付かない。
「まぁ、いい。今はとにかくこれを飲む」
そう決意して、もう一度椅子に座り直した。
今度こそ飲む、どんな邪魔が入ろうともまずは飲む。
「いくぞっ」
その声はどうにも虚しく響いたが、そんなことはこの際いいのだ。
俺は飲んだ。
かの有名な伝説のお茶を。神々が愛した神話のお茶を。一口飲むだけでこの世のありとあらゆる幸福を感じられるというお茶を。飲んだのだ。
たった一口のことだったが、驚愕するにはそれだけで充分だった。たまらず嚥下する。喉の奥を温かい液体がぬるりと流れていく。……そう、ぬるりと、だ。
「……奇跡的にマズイ」
端的すぎるかも知れないが、それが、それこそがこのお茶の全てを語るのに一番ふさわしい言葉であったことは疑いようがなかった。
そして、一番最初の場面に戻るのである。
* * *
「マジかよぉ~~~~っ」
柄にもなく泣き言が漏れた。情けない声だと自分でも思う。
だが、それほど期待値が高かったのだ。裏切られた時の失望感と言ったらそれはもうないのである。
これを渡してくれたあの村の村長に憎悪の念さえわいてくる。今ならこの遠方からでもあの村長を呪い殺せそうだ。
それでなくとも恩を仇で返されたようなものである。一発や二発殴るくらいのことは許されるんじゃないかと思う。
「あの野郎……息子は命よりも大事だったんじゃなかったのかよ……!」
その息子を助けた俺にこれだけの仕打ちをしたのだ。くそぅ、地獄に落ちろこんちくしょう。
恨み言は尽きない、が。そんなことに頭を割いている場合ではないだろう。
少なくともこの異臭激臭を放つくそマズイ液体を処分しなければ。
「……これだけ刺激臭がすごいと兵器として使えそうだな」
何だったら要人の料理に混ぜて不味さで殺す毒としても使えるんじゃないだろうか。俺みたいに不味い料理に耐性が無かったらまず死ぬだろう。それでなくともしばらくは意識を失って悪夢にうなされ生死の境をさまよい続けるだろう。いっそ暗殺ギルドにでも売ってやろうか。
「……って、アホらし」
自分の考えを一蹴して小さくため息をつく。そんなことを考えている間にさっさと処理してしまおう。
* * *
というわけで無事に処理してきました。と言っても宿屋のごみ箱にポイしてきただけだが。
「はぁ……、どっと疲れた」
ため息混じりに呟いて、やるせない気分になる。
今までの自分の頑張りはなんだったのかと頭を抱えてしまいたいくらいだ。この三日間|『神茶の雫(偽)』(あんなもの)のために襲い来る欲求を振り切り、あくせく働いていたのかと思うともう……。
「だーっ。もうナシだナシ! あんなパチモンのことなんかさっさと忘れるに限る!」
頭を振って落ち込んだ気持ちを振り払い、次の商売のためにこの街で仕入れられる物をリストアップしていく。
「んー、次の街はメジーネか……」
確認のためにそう呟いた俺は、普段から使っているメモ帳を取り出す。
このメモ帳は14×10cmほどの紙の隅に穴をあけて紐で束ねた物で、そこそこ高級品である紙を何枚も使ってあるので俺の私物の中でも結構高価な物の一つだ。その中に書いているのは、大量の『情報』である。
商人にとって情報は命綱と言ってもいい。どこそこの国は何が足りなくなっている、とか。誰それという貴族が○○を欲しがっている、とか。どこそこで戦争をしているからあの国では武器や鎧、食料がよく売れる、とか。
あとはどの道は魔物が出て危ないとか、あの冒険者は高い金を要求する割に実力がないから護衛にはしない方がいいとか。とにかく様々な情報がこの手帳には記されている。日常で見聞きして気になったことや重要そうなことは片っ端から書き込んでいるから、あとで見たときになんでこんなことを書き残したのか首をかしげてしまうこともあるが。
さて、それはともかく、俺が今この手帳を取り出したのにはわけがある。
次の街であるメジーネは、街……というより都市だ。
今俺がいる国の首都でもある。つまりメジーネ王国の首都メジーネ、ということだ。
実は、このメジーネ王国という国は、現在戦争の準備をしている。そのために武具を集めたり、食料を集めたりしているのである。
だがまぁ、この二つに限ってはメジーネという国はかなり恵まれている。肥沃な土地が多く農業が盛んで、森林が多いから森の恵みや動物たちの肉も多いから食料には困らない。その上、それなりに鉱石資源にも恵まれており、特に鉄鉱石が多く採掘されているので武器なんかは自分たちで作れる。
そのためメジーネ王国は食料や武具には困らないのである。
しかし、その豊かさに比べて人口は少ない。
より正確に言うならば、戦争に出せる人間の数が少ないのだ。
農業や鉱石資源の採掘・加工で仕事にあぶれるものは殆どおらず、万が一あぶれたところで才能が有れば俺のように行商人にでもなればいいし、それでなくとも料理の腕を鍛えて店を構えるとかすればいい。
戦争に出て稼がなければならないような連中がいないのである。
故に、この国は戦争のための人員が不足しているのだ。
もちろん職業として戦争をやらざるを得ない人間はいる。城に勤める兵士や騎士達は言わずもがなってやつだろう、戦争になれば国や他身を守るために戦わなければならない。それ以外なら傭兵や冒険者ギルドに登録した冒険者とかだ。彼らは報酬さえきちっともらえれば何でもしてくれるのである。俺も冒険者には主に護衛の依頼とかで何度もお世話になっている。……傭兵は、あまりいいイメージが無い。冒険者と違って彼らを統括するための組織とかが無いから基本的に好き放題で、行商の仲間の中には高い金を払ったのに当日ドタキャンされたなんて喚いていたやつも知ってる。
そのせいであんまり好きになれないのだ。その点冒険者達はしっかりルールがあるようだし、マナーもある、仕事を頼むなら断然冒険者だ。
って、それはいいんだ。
とにかくこの国では戦争できる連中が少ないから今躍起になって募集をかけているらしい、国の内外を問わず、腕に覚えのある者は来たれと。
「……戦争か」
気のめいることばかり考えていたせいで再び心の中に暗雲が立ち込める。いつもなら商売のことを考えていると心がウズウズしてくるんだが……あのクソマズイ飲み物と戦争の話で鬱のダブルパンチだ。
戦争は稼ぎ時だなんていうやつがいるし、そういうやつらの理屈も商人としては分かる。
国で作れると言っても性能のいい武具があればいい値段で売れるし、酒なんかは戦う者の士気を高められるからあればあっただけいい。薬や包帯も戦争前は飛ぶように売れる。
「けどなぁ……」
溜息と共にそう言って、頭を抱えて机に突っ伏した。
戦争は人の命を奪うのだ。必ず誰かが死ぬ。
別に俺自身が戦争で大切な人や大切な物を失ったことがあるわけじゃない。だから戦争が嫌いなことに特別な理由があるわけではない。
……けど。
「なんかヤダ」
子供のような理屈だというのは分かっているのだ。だけど、嫌なもんは嫌なのだ。
「もう寝よう……」
これ以上考えててもしょうがない。
暗い気持ちを引きずるようにベッドへ移動した俺は、今までの考えを振り払うように二、三度首を振ってからベッドへダイブした。
ふぅ、なんとか休みの間にあげられましたね……。
お待たせして申し訳ないです。
さて、今回で主人公が振り回されまくったとっても美味しくない逸品とはおさらばです。今後拾うことも会うこともないでしょう(……フラグか?いやそんなバカなだってあれは確かに捨て(ry
えー、今後新キャラたちも増えていく予定ですので相方ともどもよろしくお願いいたします。