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騎士王国のぽんこつ姫  作者: 鰤/牙
第一部 勇ましきあの歌声
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   第88話 渾戦激化(後編)

「よく来たなぁ、少年! 元気だったかー!?」


 そう言ってにこやかな笑顔で出てくるルカ・ファイアロードは、ショウタの記憶の中にある彼女のイメージと若干違っていたので、少しばかり面喰った。

 ルカはやや乱暴に切りそろえた短髪が印象的な、マニッシュな女性騎士だ。軽装鎧の上から、バンギランド特有の紅蓮のサーコートを纏っている。ショウタとはアメパ堰堤要塞の突入戦に際してコンビを組み、その際、瀕死の重傷を負った。瀕死の割には数時間もしないうちに意識を取り戻して、ピンピンした様子で戦闘に参加していたのだが。


 いずれにせよ、ルカにはクールでキザなイメージがあったから、こんな彼女の姿はちょっぴり珍しく感じる。


「ああ、ええと……。お元気そうで、何よりです」

「まあね。顎の骨折も治ったし。でも聞いてくれよ。おかげで下顎の方の歯並びが悪くなってさ。せっかくの美人が台無しだ。そう思うだろ? ま、これはこれで、ボクの新しい魅力のひとつになるかもしれないけど」

「はあ、まあ……」


 ビッグマウスで自信家なところは、あまり変わってはいないか。ショウタは肩をすくめて、後ろにいるマグナム、メロディに振り返った。2人とも、キョトンとした顔になってしまっている。


「ああ、紹介しますね。伝統騎士トラディションのルカさんです。ルカさん、こちら、勇者メロディと獅子王マグナムさん」


 丁寧に説明してやると、ルカは『フッ』と笑ってその前髪を掻き上げた。


「お初にお目にかかります、勇者殿。わたくし、英霊アロンの子、伝統騎士ルカ・ファイアロード。以後お見知りおきを」


 普段の一人称は“ボク”なのに、こうしたところではキチンと“わたくし”という。TPOを弁えているというよりは、単純に気取り屋をこじらせているだけなのだと、ショウタは分析していた。とにかく、この女性はカッコつけたがる傾向にある。


「メロディです! お兄ちゃんがお世話になってます!」

「ああ、元冥獣七王の獅子王だ。よろしくな」


 ルカは、またも『フッ』と笑って、座るよう促した。


 ショウタ達が今いるのは、超絶無敵大要塞バンギランドに設けられた、謁見の間だ。バンギランドは火山帯を越えたところに住まう“火の民”との交流において、“代表者としての領主”をたてる必要があったため、一部宮殿に近い作りをしているという。バンギランドの威容は、火の民にとっては権威の象徴でもあるわけだ。

 だが、その領主たる騎士剣聖マイスターゼンガー・クレセドランの姿が見当たらない。アリアスフィリーゼの剣技の師匠であり、騎士王国随一の剣の使い手であるというゼンガーは、どうやら今、バンギランドを空けているらしかった。


 そこで、ゼンガーの代わりにショウタ達を迎えているのが、ファイアロード家のルカ、ということになるわけだ。

 ところでルカの後ろには、静かなたたずまいの美女がもう一人立っている。長く伸ばした髪を、うなじのあたりで一房にまとめていた。騎士というよりは、女武芸者といった趣がある。


「ああ」


 視線がそちらの方に行くと、ルカは同じ方を見て頷いた。


「紹介しよう。ボクの弟のリオだ」

「あっ、弟さんだったんですね」


 思わず、そんな声をあげてしまう。美女、ではなかった。美青年である。


 以前、ルカには弟がいるという話を聞いた気がする。ショウタを見ていると彼を思い出すという話だが、見たところリオがショウタと似ているようには思えない。

 リオ・ファイアロードは、小さな会釈を返した。


「ショウタさん、姉を助けていただいたということで」

「いやあ、助けてもらったのはどっちかというと僕の方ですよ」


 ショウタも苦笑いして頬を掻く。


「お姉ちゃん達、お風呂から上がってくるの遅いねー」


 退屈をもてあまし始めたのか、落ち着きなく周囲を見回してメロディが言う。


「まあ、その内来られますよ勇者殿。御飲物でも入れさせましょう。リオ、火薬草のハーブティーを淹れてきたまえ。人数分だ」

「姉さん……。今のファイアロードの当主は、私なんですけど……」

「ボクよりキミの方がお茶を淹れるのが上手い。キミが出した方がお客人は喜ぶ。実に合理的だ」


 ルカの言葉に、リオは唇を尖らせ、しかし最終的には小さな一礼と共に奥に引っ込んだ。2人の関係性がよく見てとれる会話である。


「ショウタ、メロディ、お待たせしました!」


 リオが茶を淹れに行ってしばらくもしない内に、後ろからアリアスフィリーゼの元気な声が聞こえてくる。

 一人の騎士に連れて来られるようにして、3人の女性が到着した。アリアスフィリーゼ、マスター・ジャロリーはわかる。その後ろについて来ている、修道服姿の女性が、すなわち聖女シャリオなのだろう。首から太陽を模したような首飾りをかけているが、これがおそらく十字架ロザリオのような、“神のシンボル”なのだと思われる。


 シャリオはおおよそ、聖女のふたつ名にふさわしくないような、目つきの悪い女性だった。目鼻たちはしっかりとした美女で、決して吊り目というわけではなくむしろ垂れ目気味なのだが、眠そうな目元には修羅場を潜り抜けた者特有の妙な凄みが宿っている。


「特に待ってないですよ、姫騎士殿下」

「ジャロリー、温泉よかったよねー!」

「相変わらず聖女っていうか娼婦みてぇな顔してんな、シャリオ」


 三者三様の態度で、仲間たちを出迎える。


「お久しぶりです、アリアスフィリーゼ姫騎士殿下。まずはその御無事をお慶び申し上げます」


 ルカ・ファイアロードも一歩前に出て、恭しく挨拶をする。そう言えば、アメパ堰堤要塞では、アリアスフィリーゼは“女騎士アイカ”を名乗っていた。ルカ達はその正体が姫騎士殿下であることに気付いていたようだが、こうして挨拶をするのは初めてになるのか。


「お久しぶりです、ルカ。貴女も息災のようで何よりです」

「ひとまず殿下、あちらの席におかけになってください」


 にこり、と笑って頷くアリアスフィリーゼを、ルカは玉座へと案内する。この場合、領主よりも上の立場である彼女があの席に座るのは、まぁ正しいことになるのか。ショウタにはそのあたりのしきたりがよくわからない。続いて、メロディやショウタ達も、アリアスフィリーゼに比較的近い席へと案内される。

 その後、リオが淹れた茶を全員分、使用人と共に運んでくる。使用人もみな、メイド服の上からポイントアーマーを着て、更には剣を携えていた。この雰囲気は少しマーリヴァーナ要塞線に似ている。


「さて、」


 茶が全員に行きわたったところで、ルカは妙に胸を反らして言った。


「おおよその事情は既に聞き及んでおります。勇者殿は、平原に蔓延っていた咬蛇王配下の軍勢を蹴散らしながら南進されたということで、その途中、姫騎士殿下にお会いになったと」

「姉さん、当主は私」

「異世界、というものはその概念も含めてにわかに納得しづらいものはありますが、この3週間、姫騎士殿下の所在がつかめなかったのは事実です。これから、この3週間で何があったのかを軽くお話ししましょう」

「姉さん……」


 リオの静かな自己主張は、どうやらルカにはなかなか聞き入れてもらえないらしい。


 彼には可哀想だが、今は事情を知る方が先だ。ショウタとアリアスフィリーゼは、ルカの始めた話に耳を傾けた。





 ショウタ達が日本へと転移した後、アメパ堰堤要塞の奪還は無事に完遂された。ダムの決壊は起こらず、王都の無事はひとまず守られたと言ってよい。だが、それで一件落着とは言えぬ状態にあった。


 理由はいくつかある。


 ひとつは、アリアスフィリーゼの行方不明。これは公には伏せられたが、かなり大きな問題として扱われた。姫騎士アリアスフィリーゼが、アイカ・ノクターンとして堰堤要塞の奪還作戦に参加したことを知る者は少ないが、事実として、彼女は滝壺に飲まれ生死不明となった。すぐさま大捜索が開始されたが、当然、見つかることはなかった。

 すぐさまアリアスフィリーゼには影武者が立てられた。騎士王セプテトールは決して取り乱すことなく、姫騎士アリアスフィリーゼは健在であり、ダムから落下して生死不明となった女騎士はあくまでアイカ・ノクターンであるという方針を貫いた。これにはおそらく、奪還作戦を指揮したキャロルや、堰堤要塞を奪われたコンチェルトへの配慮が兼ねられていたと思われる。


「とは言え、大変は大変でした。キャロルは責任を感じていましたし、コンチェルト提督に関してもそうです。ウッスア宰相も、もう少ししっかり殿下の行動を諌めておけば良かったと」


 淡々と語るルカに対し、アリアスフィリーゼは沈痛な表情で黙り込む。

 当然と言えば当然だ。彼女は、グランデルドオ騎士王家に残る唯一の嫡子である。彼女が死ねば、家が断絶する可能性だってある。今までその危険性を認知しておきながら、アリアスフィリーゼのヤンチャを許してきた。その代償が一気に回ってきたという思いがあったに違いない。


「騎士王陛下は気丈に振る舞っておられますが、体調を崩すことが増えられたようです」

「………」

「責任を感じておられるのですね、姫騎士殿下」


 ルカの声は、取り立てて責めるようなものではなかったが、決してアリアスフィリーゼを慰めるようなものでもなかった。


「……コンチェルトは、」


 アリアスフィリーゼは顔をあげて尋ねる。


「彼女は、どのような処分を?」

「謹慎です。堰堤要塞が陥落した責を負うのは当然ですからね。ただ、降格や士位の剥奪、投獄という処分を受ける可能性もありましたから、かなり温情がかかっているでしょう。貴族騎士ノブレスの方からはかなり不満が出ています」


 だが、クーデター自体が貴族騎士、それもゴンドワナ侯爵を筆頭にした魔法推進派の一人によって引き起こされたということもあり、彼らの批判の声も大きく抑えられた。そもそも騎士王国自体が、現在咬蛇王の脅威に晒されているため、実力のある戦略級騎士の動きを過剰に封じる真似は、したくないのだろう。


 咬蛇王の軍勢は、ゼルガ山脈を超えて北側からやってきているという。

 ゼルガ山脈はほぼ人跡未踏の極圏だ。こちらから打って出ることは不可能に近い。また、これまで山脈を天然の要塞線としてきた騎士王国にとって、連中の侵攻を防ぐ防波堤はないようなものだ。完全に侵攻を許した状態にある。

 騎士王国は現在、咬蛇王との戦争状態にある。ゼルガ山脈を超えた北東にあるアイジェルガ北騎士公国

、ヴァンガーブ火山連峰を超えた南東にあるフィルナンド竜騎士王国にも援軍を要請しているが、冥獣七王の生き残りがまだ3体、その動きを見せていない以上、先方も戦力を動かすことには慎重になっているらしい。


「北方部の村や街からは疎開が始まっています。北方部は農村も少ないから、農業への打撃はあまりないですね」

「アメパの守りはどうなっているのです?」

「とりあえず、うちの騎士剣聖マイスターが、提督に変わって一時的にアメパ堰堤要塞の守護を務めることになりました」


 騎士剣聖ゼンガー・クレセドランのことである。アリアスフィリーゼの剣の師匠であると聞いていた。


「近いうちに、騎士将軍ジェネラル騎士参謀オフィサーもアメパ入りする話があがっています。が、まぁ、提督の謹慎が解ける方が先でしょうね」


 実際のところ、かなり苦戦を強いられているようだ。北から攻め込んできた咬蛇王の軍勢が、王国南部の平原に出没していたことからも、それは伺える。ショウタとアリアスフィリーゼが真剣な顔で話を聞いてると、彼の真横で、少女がぴょこんと跳ねた。


「大丈夫だよ、お兄ちゃん、お姉ちゃん」


 わずか10歳の勇者メロディアスは、満面の笑みで言う。


「あたしがみんなを守るから。咬蛇王はあたしが倒すから、大丈夫」

「メロディ……」

「まぁ、実際のところ、勇者殿には遊撃部隊として動いてもらっています」


 ルカが、メロディの言葉に補足を加えた。


「南方部の敵はおおよそ掃討が済んだので、数日後には、勇者パーティにはまた王都に戻ってもらうことになりますね。その時に姫騎士殿下も、ご一緒に戻られるといいでしょう」

「……はい。そうします」


 アリアスフィリーゼの表情は、少し硬い。


「ま、ボクからの状況説明はこんなもんです。リオ、補足はある?」

「……ないよ」

「ないそうです」


 ルカの弟、衆目麗しいリオ・ファイアロードは、不満げに唇を尖らせていた。


 アリアスフィリーゼの方からも、特に質問はないらしかった。ただ、彼女はどこか思いつめているように見受けられる。彼女は生真面目すぎるところがあるから、何か思いつめていやしないか、ショウタは少し心配になった。

 ルカによる事情説明は、ひとまずそこで終わりとなる。メロディ達はこのバンギランドで数泊した後、王都へ戻るということだった。それまでの間、バンギランドの騎士は、こちらを歓迎してくれるという。


「姫騎士殿下」


 お開きのあと、ショウタはアリアスフィリーゼにまっさきに近寄って、声をかける。

 メロディをはじめとした勇者パーティも、なにやら相談ごとがあるようで、4人で顔を突き合わせていた。


「陛下たちのことを考えているんですか?」

「……私、そんなにわかりやすい顔をしていますか?」

「さすがにわかりますよ」


 驚いたような顔をあげるアリアスフィリーゼ。彼女はやはり、自分が行方知れずになったことで、どれだけの人々に迷惑をかけてしまったのかを、気に病んでいる様子だった。

 ショウタとしても、少し心苦しいところはある。このまま王都に帰れば、彼女は生還を歓迎されるだろうが、同時に外出に関しては、今までよりも厳重に制限されるようになるはずだ。二度と、以前のような無茶をしでかしたりしないように。


 ときおり王宮を抜け出すアリアスフィリーゼの振る舞いが今まで許されていたのは、ほかならぬ彼女の父親が、同じような青春を送っていたからだ。だが、騎士王の若き日と今現在では、状況が大きく異なる。

 それに騎士王セプテトールは、既に19歳の頃には、準戦略級と言って差し支えない戦闘能力を有していたのだ。既に咬蛇王の配下が跋扈するようになったこの王国において、今までどおりに振舞うには、アリアスフィリーゼはあまりにも非力すぎる。


「せっかくですから、ショウタ。王都に向かうまでの数日、このバンギランドを、自由に歩き回ってみてはどうでしょうか」


 露骨な話題転換をしてくる。ショウタは少し面を食らった。


「あ、はい……。殿下が案内してくれるんですか?」

「いえ、私は修行します」

「修行!?」

「はい」


 ショウタが素っ頓狂な声をあげるが、アリアスフィリーぜは至極真剣な顔で頷いた。


「これまでの戦いで、私は己の未熟さをよく知りました。このバンギランドに再び訪れることができたのも、良い切っ掛けです。腕を磨くには、絶好の場でしょう」

「でも、殿下は……」


 言いかけて、しかし口を紡ぐ。


「確かに、王都に戻れば私は自由ではいられないでしょう。今までのように、目こぼしをされることもなくなります。だからこそ、強くなるチャンスは今しかないのです」


 そうまでして強くなる必要があるのだろうか、とは、ショウタには言えない。強さが必要になるときは、人それぞれだ。自分自身が、それを一番よく知っている。


「ただ、」


 アリアスフィリーゼは少し目を伏せて、困ったような微笑みを浮かべる。


「もしかしたら最後になるかもしれない自由な時間を、ショウタと一緒に過ごせないのが、申し訳なくて……」

「お、おお……」


 割と、直球だ。ショウタは一瞬頭の中が真っ白になり、気の利いた言葉をぐるぐると探す羽目になる。

 が、最終的には、彼も笑みを浮かべて、ガントレットに包まれたアリスフィリーゼの手を取った。


 温度の伝わらない、冷たい感触。味気なく重たい手応えに、指を絡ませる。


「アリアさんの好きなようにしてください。寂しくなる分は、平和になったら穴埋めしましょう」

「平和になったら、ショウタは元の世界に帰るのではないですか?」

「えっ? ええ、まあ……。でもまだ方法もわかんないですしねぇ」


 ショウタの笑みも苦笑いに変わってしまった。ただ、これでようやく、アリアスフィリーゼも安堵したらしい。若草色の瞳をわずかに細め、白磁の籠手でぎゅっとショウタの手を握ってきた。体温も脈拍も伝わらない、ただ硬いだけの手を、ショウタも握り返す。


「お姉ちゃん、修行するの?」


 どうやら勇者パーティも話し合いが終わっていたらしい。後ろから覗き込むようにして、メロディが尋ねてきた。

 ショウタとアリアスフィリーゼは少し視線を落として、彼女に振り返る。


「はい。鍛錬自身は怠っていなかったつもりですが、せっかく修行に適した環境が整っていますので」

「なるほど、レベルアップだね! あたしも付き合う!」


 どん、と薄い胸を叩いて、小さな勇者が身体を反らす。


「マグナムも手伝ってよ。いいでしょ?」

「あ、んー? 俺か? まぁ、構わないっちゃ構わねぇが……」


 急に話を振られた獅子頭の獣人が、腕を組んで首をかしげる。その視線は、白い甲冑に身を包んだ姫騎士へと向けられていた。


「元冥獣七王の手ほどきを受けられるとなれば重畳です」


 アリアスフィリーゼはまっすぐな視線でマグナムを見つめ、わずかに頭を下げる。


「ま、そう言うなら付き合うか。加減が効くかはわかんねぇから、危なかったらメロディが止めろよ」

「うんうん、おっけー! 任せといてよ!」


 〝勇者〟メロディアスと、〝獅子王〟マグナムのコンビによる修行か。いったいどのような修行になるのかはわからないが、かなりハードなスケジュールになるのではないか。ショウタは少し心配になったが、アリアスフィリーゼの表情は真剣そのものだ。

 彼らの後ろでは、〝大賢者〟マスター・ジャロリーが興味なさげに視線を彷徨わせ、〝聖女〟シャリオが懐に忍ばせていたらしい酒瓶を呷っていた。


 それにしても、明日から数日、暇になるか。


 ショウタは天井を見上げた。バンギランドの観光、というのも、まあ悪くはないが。ルカあたりに頼めば喜んで案内してくれそうではあるのだが、彼女のキザで馴れ馴れしいテンションはちょっと扱いに困るから、あんまりお願いしたくない感じでもある。

 また温泉に入ってから考えるか。ショウタは天井を見上げながらそんなことを思った。





 超絶無敵大要塞バンギランド。


 ヴァンガーブ火山連峰をくり抜くようにして建造された、天然の要塞だ。ゼルガ山脈に建つアメパ堰堤要塞とは、また違った意味で過酷な土地である。地下深くまで降れば煮えたぎる溶岩を目の当たりにすることができ、時としてそれすらも修行に利用されるという。

 さらに“火の民”に対する最終防衛線として建造されたバンギランドは、“火の民”の信仰対象である火山竜ヴァンガーブとも密接な関係を持つ。火山竜ヴァンガーブは、かつてこの大陸を支配した神の一柱“竜の王”の直系であり、火山連峰の地下深くで眠りについているが、夏季にはその活動を活発化させる。火山連峰のそこかしこでは噴火が始まり、マグマの川と吹き出す有毒ガスが、このバンギランドを陸の孤島に変えるのだ。


 そんな状況になっても、バンギランド騎士はこの大要塞を離れないのだから、その精神性の異常さというのも伺える話である。


 そんなバンギランドは、現在は島流しの地としても有名であったりする。

 1年の大半は王都の他の都市と地続きなのだから、島流しも何もあったもんではないのだが、とにかく過酷であるこの土地は、特に貴族騎士ノブレスにやたらと恐れられている。悪行の暴かれた貴族騎士は、その騎士位と財産を没収され、バンギランド送りになることを、死よりも拒むというのがもっぱらの噂だ。

 送られてきた貴族騎士は、もともと肉体派の伝統騎士トラディションの中でも、特にぶっ飛んだ連中の暮らすこのバンギランドで、火の民の思想も若干入り混じった矯正教育を施される。


「ですが、それは決して恐ろしいものではありませんよ」


 ショウタを案内しながら、その騎士は言った。


 このバンギランドにたどり着いたのは昨日のことだ。アリアスフィリーゼは修行に出た。さっそく暇になったショウタは、その辺を歩いていた騎士を捕まえて、ちょっと案内を頼んでみたのだ。そして、この板木ランドについての恐ろしい話を、いろいろと聞かされてしまった。


「私は先祖代々、このバンギランドで経理などを任されている貴族騎士ですが、伝統騎士のやり方を恐ろしいと思ったことも、野蛮だと思ったことも、一度もありませんね」


 そう語る男は、全身がむくつけき筋肉に包まれた大男である。それまでショウタが貴族騎士に抱いていたインテリジェンスなイメージを根底からくつがえすようなパワーに満ち溢れていた。顔だけは妙に爽やかな優男で、知性を象徴するかのようなメガネをかけているのが、ちょっと小憎たらしい。


「そういえば、王都の貴族騎士の中には、魔法推進派と呼ばれる方々がいると聞きました。あまり、褒められた話ではありませんね。やはり騎士とは自らの肉体で戦うべきなのでは?」

「え、あ、はぁ。そうかもしれません」


 一応、王室付きの宮廷魔法士として扱われているショウタは、なんと答えればいいのかわからない。


「ショウタ殿もそのようなモヤシではこれからの戦い、厳しくなるでしょう。修行しませんか? 昨晩の夕飯に出たマグマサーモンを食べたでしょう? 火山連峰の上質な溶岩の中で育ったマグマサーモンは必須アミノ酸を多く備え、あなたの筋トレライフをより豊かにします。この上には広大な修行施設がありますよ。姫騎士殿下も今はそちらにいらっしゃいます」

「考えときます。ありがとうございました」

「いえいえ、では、失礼いたします。イヤァーッ!!」


 謎の気迫とともに、貴族騎士は跳躍し、そのまま壁を走りながら通路の奥へと消えていった。

 あれが貴族騎士か。このバンギランドの貴族騎士とはこういうものなのか。だいぶイメージが違う。


 これから他の騎士を捕まえて改めて案内をたのもうかと思ったが、彼らにも仕事がありそうだし、今回の貴族騎士のようにやたらと筋トレを勧められても困る。ショウタはしばし途方に暮れたが、すぐに視線を天井に向けた。

 この上に修行施設か。どうせ暇なら、アリアスフィリーゼのそれを見てくるのもいいかもしれない。


 ショウタはとりあえず、上にのぼる階段を探し始めた。





獅子王爆裂掌バァァァーニングゥッ・レオオオオォォウッ!!」

「うああッ!!」


 修行施設に出たショウタがまず目の当たりにしたのは、マグナムの放つ獅子型の闘気に吹き飛ばされる、アリアスフィリーゼの姿だった。だが、燃え盛るような炎の一撃は、昨日平原で蛇頭の人間たちを吹き飛ばしたものより、だいぶ小さい。

 死火山の噴火口を利用して作られた巨大なカルデラ型修行施設。吹き飛んだアリアスフィリーゼは、壁に叩きつけられ、そのままドサリと地面に落ちた。思わず、息を飲んでしまう。


 そこから少し離れた場所には、メロディが立っている。彼女は静かにこの戦いを見守っていた。


 アリアスフィリーゼは、愛剣を杖代わりにして立ち上がり、獅子王マグナムを睨みつける。


「おい姫様、大丈夫か? 始まったばかりだってのに、ずいぶんボロボロだぞ」

「まだまだ……。戦えます……!」

「そう言うんなら、良いんだが」


 マグナムは頭を掻き、改めて拳を握る。


「うおらっ! 獅子王爆裂掌!!」


 再度放たれる、獅子王の拳。獅子をかたどった闘気は炎を纏い、アリアスフィリーゼに向けて一直線に迸った。彼女はその一撃を見極め、避けようと身体を動かすが、着弾の方が早い。重厚な鎧に覆われた姫騎士の身体は、再度吹き飛び、壁に叩きつけられた。


「そういうのは、戦えてるって言わねぇと思うんだが……」


 そう言いつつ、マグナムは追撃の手を緩めない。その巨体から想像できないほどの瞬足で、倒れたアリアスフィリーゼに駆け寄り、彼女の背中を思い切り踏みつけた。


「っ……!」


 思わず身体が動きそうになったのは、ショウタの方だ。一瞬、これが修行であるということも忘れて、念動波をマグナムへ叩きつけようとしてしまった。


「やめておけ」


 不意に横からそんな声が聞こえて、ショウタははっとした。


 椅子に腰掛けた、銀髪の少女が、退屈そうな表情で“修行”の様子を見守っている。マスター・ジャロリーだ。その横では、シャリオが腹を出したまま寝ていた。大いびきを掻いてへそを掻くあたり、ほとんどオッサンである。


「姫様が望んだことなんじゃから、好きにさせればよかろう」

「でも、これ……修行っていうか、リンチじゃないですか……?」

「かもしれんな」


 ジャロリーはあっさりと認める。その間にも、マグナムによる一方的な攻撃は続いていた。『加減が利かない』と言っていた彼は、明らかに力を抑えているように見えたが、それでもアリアスフィリーゼは、反撃のひとつも行うことができていない。

 やがて、指先ひとつも動かせなくなったあたりで、ようやくメロディが動いた。2人の間に神速で割り込み、片手でマグナムの攻め手を制する。その後、そっと倒れたアリアスフィリーゼに手をかざすと、淡い光が彼女の身体を包み込んだ。


 生傷がみるみるうちに塞がっていく。がばっと顔をあげたアリアスフィリーゼに、メロディが何かを語りかける。だが、姫騎士は気丈な顔でかぶりを振ると、立ち上がって剣を構えなおす。


「これ、なんの意味があるんです」


 ショウタは、わずかな憤りを込めた口調で呟いた。


「少なくとも力の差ははっきりとする。儂はアレで良いと思うぞ。ま、メロディとマグナムがどんなつもりかは知らんが」


 ジャロリーは続ける。


「圧倒的な力の差を前にすれば、姫様も自らの非力さを認めるかもしれん。そうすればおとなしくもなろう。ひと皮剥けて半端に強くなる方が、実は厄介だと思うんじゃが」

「………」


 ショウタは無言のまま、ジャロリーの言葉を聞いていた。


 アリアスフィリーゼは再度、攻撃の雨に晒されている。彼女は決して弱いわけではない。ショウタは、それを知っている。だが、そのアリアスフィリーゼは、元冥獣七王のひとりである獅子王マグナムを相手に、まるで手も足も出ずに蹂躙されていた。

 力の差は歴然だ。ショウタはその光景を目の当たりに、焦燥感を覚える。


 ここで何もできない自分が、やたらともどかしい。

 そして、ここで何もしようとしない自分が、やたらと腹立たしい。


 ちらりと、横に座るジャロリーに視線を移した。

 大陸三大賢者のひとり、マスター・ジャロリー。魔法の使い手だ。同時にショウタは、アメパ堰堤要塞で戦った、レイシアル伯爵のことを思い出す。ショウタが戦った時点で、彼は既に冥獣化していたが、実際目の当たりにした“魔法”は、メカニズムや対処法がまったくわからない、完全に未知の存在だった。

 だが、隣にいる少女は、それらについて世界でもっとも精通した一人であるという。


「ジャロリーさん」

「なんじゃ」


 退屈そうにした彼女に、ショウタは尋ねる。


「僕に魔法を教えてくれませんか」

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