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騎士王国のぽんこつ姫  作者: 鰤/牙
第一部 勇ましきあの歌声
87/91

   第85話 姫騎士殿下、海へ行く

 東京スカイツリーの威容が近づくにつれ、タンデムシートのアリアスフィリーゼが息を飲むのがわかった。二人を乗せたバイクは墨田区に入り、下町情緒あふれる碁盤の目のような小道を走り抜けていく。

 このあたりは人が多い。少し前まで近くに冥獣コボルトがいたと考えると冷や汗ものだが。杵屋通りを行きかう人々は、ややボロいバイクに2人乗りした男女のことなど気に留める様子もなかった。外国人観光客が多いので、アリアスフィリーゼのナチュラルな金髪だって珍しいものではない。ただ、ショウタがノーヘルなのを気にかける人間はそれなりにいたようだった。若干気まずい。


「ショウタ、あれはなんでしょう!」


 吾妻橋を目指すショウタ達の前に、一際目立つ大きな門が飛び出した。


「雷門です! その奥が浅草寺! もう少し行くと花やしきがあります!」

「な、なんですか……?」

「口では説明しにくいですね。まあ明日また来ましょう」


 今はコボルトだ。ショウタは雷門通りを一気に通り抜け、吾妻橋に差し掛かる。その下を流れるのが、東京を代表する一級河川、隅田川だ。


「よし……!」


 ショウタは、川の端に寄せられたいくらかの小舟に目をつけ、頷いた。


「アリアさん、跳びます!」

「と、跳ぶって!? ……ひゃあっ!」


 浅草駅から水上バス乗り場へと歩いていく人々が、橋から川へと身を躍らせるバイクを見て目を見張っている。ショウタはそのままオフロードバイクを乗り捨て、アリアスフィリーゼと共に一隻のモーターボートへ乗り換えた。当然、バイクは大きな水音をたてて沈んでいく。ああ、あれは廃車だ。当初の持ち主に無傷のまま返すという目的は、どこへ行ってしまったのやら。内閣特殊異能対策室の弁済能力に期待するしかない。

 持ち主のいないモーターボート。アリアスフィリーゼが目を白くさせる中、ショウタは水上バスの係員が咎めにくるのも無視して、エンジンをかけた。


「あ、ちょっとこら、きみ!」

「ごめんなさい! 弁償はしますから!」


 謝ればいいというものではない。が、とりあえず謝る。しかも弁償するのはショウタではなくメガネだ。


「アリアさん、このまま川を下って海を目指します!」

「あ、はい!」


 ボートは徐々に加速し、水上を滑るように走り出していく。


 浅草を抜け、両国、日本橋。途中すれ違ういくらかの船が、こちらを訝しげに見ていた。めちゃくちゃ悪いことをしてめちゃくちゃ目立っている自覚はあるが、今更止められるものではない。アリアスフィリーゼはまず、このエンジンがついたボートのスピードに驚いていた。


「しょ、ショウタ! よく迷わず操縦できますね!?」

「ハワイで親父に習ったんです」

「えっ!?」

「冗談です」


 首都高速9号、そして京葉線の橋を潜り抜けると、左右に大きく川が分かれている。風に混じって流れてくる不思議な香りに、アリアスフィリーゼがすんすんと鼻を動かした。


「潮の匂いですよ」

「しお、ですか?」

「海が近いんです」


 ショウタは舵を大きく右に切る。隅田川の上に白い航跡を残しながら、モーターボートが大きく揺れた。


「ひゃあっ!」


 アリアスフィリーゼは、またもショウタにしがみつく。だが、感触を堪能しているだけの時間はない。


 ショウタはスマートフォンで、最後の一体の位置情報を確認した。晴海通りを直進、勝どきへ。さらに晴海埠頭の方を目指している。奴が今いるのは、まだ人通りの多い場所だ。ここで暴れられたら大多数の被害が出る。ショウタは小さく歯噛みをし、さらに舵を左に切った。


「アリアさん、頭を下げて!」

「はい!」


 小さな橋をくぐる。

 築地と埋立地を繋ぐ勝どき橋を前にして、モーターボードは狭い水路へと突入した。湾岸エリアの夜景が、左右を溶けるように流れて行く。潮の匂いがますます濃くなっていく。ここはもう海なのだ。

 さらに舵を左に切り、黎明橋を眼前に拝む。ショウタは叫んだ。


「見えた!」


 ちょうどその橋の上。銃を肩にかけた冥獣コボルトが立っている。周囲の人々は、不気味な笑いを浮かべたその冥獣魔を、避けるように歩いていた。


「確認しました。ショウタ」


 アリアスフィリーゼが、凛とした声に戻り、剣を構えて立ち上がる。


 コボルトは、黎明橋の欄干に足をかけ、周囲に視線を回しながら、銃口を向けている。多くの人々はふざけていると思っているのか、関わり合いを避けるように足早に去っていった。表だった混乱は起きていないが、この分ではあるいは、目につかないところで何人か殺されているかもしれない。

 肩にかけているのはアサルトカービンだ。通りの人々に銃を向け、引き金をかけるか、かけないかのところで遊んでいる。猶予はないようなものだった。


「行きます!」

「はいッ!」


 アリアスフィリーゼが叫び、そのままボートの外へと躍り出た。水面を蹴りたて、水飛沫を散らしながら疾走する。右足が沈む前に左足で水面を蹴りたてるという、アレだ。漫画の中でしか見たことはないが、もうアリアスフィリーゼならできるだろうと、ショウタは驚くことなど一切なかった。

 黎明橋を前に、アリアスフィリーゼはひときわ高く水面を蹴る。大きく飛び上がった彼女の身体は、欄干に足をかけ、獲物を物色していた冥獣コボルト最後の一体の、隙をついた。


「いィやァァッ!!」


 威嚇も込めて、まずは一振り。コボルトは驚愕したようにアサルトカービンの銃口を彼女に向けるが、それより早く、横に薙ぐようにして刃が頭蓋を叩いた。アリアスフィリーゼは更に欄干に手をかけ、身体ごと橋へと乗りあげながら、コボルトの首筋をめがけてキックを見舞った。


「………!!」


 冥獣コボルトの身体は放物線を描き、車道へと転がる。行き来する車が急停止し、しかし先頭を行く一台が接触し、そう多くない通行人たちから悲鳴があがった。

 ショウタはモーターボートの速度をいくらか落とし、黎明橋へと近づいていく。


 橋の上では車から出てきた男が、アリアスフィリーゼに掴みかかろうとし、しかしそのまま片手で制されていた。自動車の下敷きになったと思しきコボルトが、車体を持ち上げて姿を見せた時、もう一度悲鳴が響く。腰を抜かした男を庇うようにしてアリアスフィリーゼは立ち、コボルトに斬りかかっていく。

 このあたりは、ホテルや集合住宅が多い。せめて晴海から豊洲、有明の方に出られれば、もう少し落ち着いて戦えるのだが。

 突如はじまった得体のしれない戦闘を前にして、通行人たちは走り去っていく。少し離れた場所では、車から降りた若者たちが、スマートフォンを向けていた。


「あー、ごめんなさいねぇ。撮影は禁止ですよぉ」


 ショウタは聞こえないようにぽつりとつぶやいて、若者たちのスマホを念力で握りつぶした。


 アリアスフィリーゼの猛攻を正面から受けるのは不利と判断したのか、コボルトはやはり、アサルトカービンを肩にかけたまま逃げ出した。逃走経路にいた若者たちが、慌てて逃げ出す。アリアスフィリーゼは追いすがり、やはりその若者たちの盾になるように、コボルトの行く手を阻んだ。

 容赦のない剣撃が、欄干へと追い詰めて行く。コボルトは、そのまま欄干を飛び越えて、海へとダイブした。


「……しまった!」


 ショウタは舌打ちする。


 黎明橋の近くにある、区立黎明橋公園。そこには水路に向けて飛び出すような船着き場がある。案の定、いくらかの小型ボートがつなげられていた。ショウタが隅田川でそうしたように、コボルトもボートに飛び乗る。ショウタはモーターボートの速度をあげ、黎明橋を潜り抜けた。

 アリアスフィリーゼも欄干から飛び降り、ショウタのモーターボートへと着地する。


「このまま水上レースになりそうです!」

「海に出るのですか!?」

「湾内で済ませたいところですけど!」


 アリアスフィリーゼが目を輝かせたのは、彼女のイメージする海を思い浮かべたからだろう。だが、それは要するに沖の光景であって、そこまで逃がすと収拾がつかない。

 埋立地が乱立する東京湾は、まるで水上迷路だ。このあたり、すなわち隅田川を抜けたあたりの光景は特にである。湾内にいる限りは、まだ追い込める。


 コボルトの乗ったボートは、そのまままっすぐに朝潮運河を突きぬけて行く。

 夜の東京、まるで物言わぬ巨人のように立ちはだかるビル群は生活の灯りを宿し、それが海面に照りかえる様はどこか幻想的で、現実離れしている。夜の海はロマンチックだ。こんな状況でさえなければ。


「夕方だと、もっと綺麗なんですけどねぇ……」


 朝潮運河を抜け、二隻のモーターボートや湾内のやや広いエリアへと躍り出た。なんとか横につけようとショウタは舵を切るが、同時にコボルトは、アサルトカービンをこちらへ向け、引き金を引いた。


「やあああぁぁぁッ!」


 こちらに迫る銃弾は、アリアスフィリーゼが全て剣で叩き落とす。

 アサルトカービンを、片手でぶっ放せるのか。やはり、冥獣コボルトの腕力ならではといったところか。


「ショウタ、目の前に大きな橋が!」


 ボートの上に直立したアリアスフィリーゼが指したのは、東京湾を東西に走る、全長800メートル近くにも及ぶ巨大なつり橋だった。人工の光が照らしだす威容の中に、首都高速11号を行きかう車のヘッドライトが見える。東京港連絡橋。いわゆるレインボーブリッジだ。

 となると右が芝浦、左が台場。直進して行けば、大井がある。


「よし……!」


 ショウタはスマホを取り出し、師匠へと連絡をかけた。





 逃げ回るので多少手こずりはしたものの、大井埠頭に出現した個体も、なんとか討伐が完了する。これで残るは、ショウタが追っている一体だけだ。


「っあー……! しんどッ!」


 直輝ただち・ひかるは大きく伸びをして、おんぼろ車のボンネットにお尻を乗っけた。運転席に座る顔なじみのエージェントが、思い切り顔をしかめる。

 輝の他に、3人ばかりのエージェントがこの大井に集まっていた。ハゲとネクラと魔女だ。終わってみると、4人も要らなかったのではないかと思う。特にハゲは明らかなオーバースペックだった。高野山で修業した陰陽寮のエージェントが異界の魔物と戦うというのは、三流のヤングアダルト小説のようで、見ている分にはなかなか面白かったのだが。


 ちなみにこの車もハゲのものである。


 ネクラは黙って愛用の銃器を自らのケースへ仕舞っていた。結局、輝とハゲの二人で片づけたようなものなので、こいつの出番はほとんどなかったと言って良い。夜だというのに日傘をさした魔女も同様ではあるのだが、二人とも、あまり気にした様子を見せていなかった。


「とりあえず、帰るか」


 ハゲが呟く。


「いや、ショウ年が交戦中だったか? どうする、加勢に行くか?」

「いやあ、二人っきりを邪魔しちゃ悪いと思うんスよねぇ……」


 そう軽口を叩く輝だが、ちょうどスマホに着信が来たのに気づく。


「おっと、そのショウ年からッスね」


 通話ボタンを押して、スマホを耳にあてがう。ネクラも魔女もこちらを見た。


「もしもしー。わたしの方は片付きました。そっちはどうッスか?」

『デッドヒートなうです』


 ショウタの言葉にかぶさるように、銃声と水音が聞こえる。水上を移動しているのか?


『確認なんですが、師匠はまだ大井ですか?』

「そーッスね。大井埠頭。ショウ年は?」

『朝潮運河を抜けて東京湾を南下中。もうすぐレインボーブリッジをくぐります』

「なるほど」


 そこまで聞けば、輝もショウタの言わんとしていることをある程度察する。付き合いは5年にも満たないが、それでもまぁ、可愛い弟子なのだ。そのまま、ハゲとネクラに、一回ずつ視線を送った。


「では、おまえの望む通り、なんとかしましょう。その後どうするかはお任せします」

『わかりました。ありがとうございます』


 そう言って、電話が切れる。輝は小さく笑った。


「ありがとうございます、ねぇ」

「おいおっぱいエスパー、ショウ年が、なんだと?」

「ああ、いや。なんと言いますか」


 ハゲの言葉に、輝は肩をすくめる。


「それはさておき、せっかくだしみんなでお台場いきません?」





 こちらのボートを狙うアサルトカービンの弾丸を、アリアスフィリーゼが軽々と叩き落としていく。だが、相変わらず思うようには近づけない。先ほどまではほぼ競り合うように並んでいた二隻だが、徐々に引き離されていった。レインボーブリッジを潜り抜ける頃には、ボート2隻分ほどの差が開く。

 左手にはお台場海浜公園が見えつつあった。球形の意匠が目立つ建物に、しばし気を取られるようにアリアスフィリーゼが眺める。


「アリアさん……」

「あっ、いや、えっと。すみません!」

「まぁ、大丈夫ですけど! レースも終盤です!」


 このまままっすぐに行けば、コボルトは湾内を抜ける。だが、そうなる前に、師匠には手を打ってもらう。


 湾外へと脱する前に、あとくぐる橋は一つ。たった今、天王洲アイルから東京テレポートを繋ぐりんかい線の海橋を抜けた。橋の上を抜ける緑の車体を眺め、アリアスフィリーゼがぽつりと『サイキョウセン……』と呟いていた。訂正している暇はない。

 そこを過ぎれば、東京湾に映し出される夜景を越え、あとは太平洋へと向かうばかりだ。


 ショウタはちらり、と左右に視線を向けた。首都高速湾岸線が、ちょうどこの海中を走っている。

 やがて湾岸線の上までも抜け、先ほどまで師匠たちがいた大井に近づく。このあたりだ。付近で高い建物となると、やはりあそこか。ショウタが左側に視線をやると、東京港湾合同庁舎の屋上に、きらりと光る影を見つけた。視線を凝らすと、人影が4つ。うち手を振っている1人は師匠だ。そして別の1人が、スコープを覗き込みながら銃を構えている。


 直後、


 ぱちゅんっ、という音がして、目の前を航行するボートのエンジンがはじけ飛んだ。更にもう1発、ボートを操っていたコボルトの頭にぱっと紅い花が咲く。


「えっ」


 アリアスフィリーゼが驚いたように目を見張った。


「しょ、ショウタ! な、何が!?」

「狙撃ですね。師匠、傭兵のネクラさんと一緒だったみたい」


 機関部を破壊されたボートは勢い余ってひっくり返り、冥獣コボルトの身体は東京湾の海面へと投げ出される。水柱をあげて、コボルトの身体が水面へと沈んだ。ショウタは合同庁舎上の師匠たちに手を振って礼をする。


 直後、ばしゃん、と海面を割るようにして、毛むくじゃらの腕がボートの縁へと伸びた。


「うわっ!?」

「くっ……」


 コボルトだ。まだ息がある。まぁ、その可能性も織り込み済みだ。ショウタは大きく揺れるボートをなんとか立て直しながら、舵を左に切った。暁埠頭の鼻先を突っ切り、再び左右を埋立地に囲まれた狭い水路へ突入する。

 コボルトは、水に濡らした身体で完全にボートの上にあがりこんだ。アリアスフィリーゼと組み合い、ボートの船体が大きく揺れる。ショウタは、ありったけの念力を総動員してボートを固定し、そのまま陸地へ一気に乗り上げた。


「おおりゃっ!!」


 船底をコンクリートがガリガリと削り取る。有明の一区画。ひと気の少ない場所まで、なんとかコボルトを運び込むことに成功した。アリアスフィリーゼは、組み合った冥獣コボルトの身体を、大きく投げ飛ばす。


「―――――――――――――ッ!!」


 コボルトは咆哮をあげると、その両手に2本のドスを構えた。カービン銃は海の中に落としたのか、近接戦闘に切り替えるつもりだ。

 アリアスフィリーゼも、改めて三日月宗近クレセント・デルタを構え直し、両者は国際展示場の奇抜なシルエットを背景に睨み合った。


「はああああああああああああッ!!」

「―――――――――――――ッ!!」


 アリアスフィリーゼの振り下ろした剣を、コボルトは片手のドスで受け止める。もう片方のドスは、隙の出来たアリアスフィリーゼの首筋を狙うようにして振るわれた。


「くッ」


 触れるか触れないか、ギリギリの瞬間に飛びのくアリアスフィリーゼ。ぷしっ、と肩が裂けて血が散った。


 ショウタは懐に突っ込んでいたサブマシンガンを取り出す。弾倉の確認。弾はまだある。

 とは言え、銃など昨日まで触ったことすらないショウタだ。取っ組み合いの乱戦の中、コボルトだけを正確に狙って撃ちぬくなど、器用な真似はできない。


 冥獣化による能力の強化は、やはり近接戦闘でこそ発揮される。2本のドスという、決して珍しいわけでもない武器だが、アリアスフィリーゼは銃を手にした個体を相手取った時よりも、明らかに苦戦をしていた。ドス自体は決して頑丈な得物ではなく、剣がぶつかり合うたびに刃こぼれしていくが、対象の肉を確実にそぎ落とすコボルトの技量の前では、些細なことだ。


 ショウタはコボルトの背面に回り込むと、トウビョウを振るい、叩きつけた。腕をからめ捕り、噛み付くが、それもさして効果を出さない。その隙に、アリアスフィリーゼが斬りかかる。が、やはり受けられる。


「―――――――――――――ッ!!」


 コボルトは、トウビョウを振り払い、両手に構えたドスでアリアスフィリーゼの愛剣を再度打ち据えた。かきぃん、という金属音が夜の有明に響き、彼女の手から剣が飛んでいく。


 アリアさん、と名を呼びかけて、ショウタはそれを飲み込んだ。アリアスフィリーゼのエメラルド色の瞳は、闘志を燃やしていまだにコボルトを正面から睨んでいる。

 月鋼式戦術騎士道タクティカルナイトアームズは武器を選ばず。そう言ったのは彼女本人だ。ショウタは、自らのできることをする。


 アリアスフィリーゼは拳を握り、冥獣コボルトの顎を強く打ち据えた。さらに左の拳で、喉笛を強打。鳩尾には膝を叩き込む。コボルトは一瞬怯むが、やはり身体は頑丈だ。すぐさま反撃の体勢に移る。


「―――――――――――――ッ!!」


 両手に握った2本のドスを、同時にアリアスフィリーゼの頭上に振り下ろす。彼女は、その瞬間を待っていたかのように、顔をあげ、両腕を掲げた。

 ぶしっ、と血がしぶき、ドスはアリアスフィリーゼの手のひらにめり込む。素手で刃を受け止めた彼女は、そのまま傷口が広がるのもいとわずに両手を滑らせ、コボルトの両手をがっちりとホールドした。


 アリアスフィリーゼが、ショウタを見る。ショウタは頷いた。銃を握り、一気に距離を詰める。


 高速集中思考コンセントレイト・ドライブ。残りわずか1メートルの距離で、それを発動した。毛むくじゃらの皮に覆われた背中から、肋骨の位置を割り出し、そこに向けて銃口をあてがう。脱臼覚悟で、再びの念力固定。引き金を引くと同時に、ショウタは高速集中思考を解除する。

 どぱぱぱぱぱぱ、と、銃弾が断続的に肉へ吸い込まれていく音がした。冥獣コボルトは音に合わせるように身体を震わせ、そのまま下手くそなダンスを踊るように、有明の地に転がった。


 これで、7体目。


 東京に出現した冥獣コボルトは、これで全てだ。アリアスフィリーゼが近寄ってきて、そのままショウタの外れた両腕を力ずくで治してくれた。とても痛かった。


「アリアさん、手の傷は大丈夫です?」

「ああ、美味しい物を食べて寝ればすぐ治ります。背中の傷も塞がってきましたし……」

「さすが王族騎士ロイヤル……」


 アリアスフィリーゼがくるりと回って背中を見せる。確かに、あれほど痛々しかった銃創は既になく、血のこびりついたクマさんパジャマに、焦げ目のついた穴が3つ、空いているだけだった。アリアスフィリーゼ姫騎士殿下の綺麗な背中が覗いているので、ショウタはすぐに視線をそらす。


「それじゃあ、行きますかねえ」


 国際展示場のシルエットを眺めながら、ショウタはぽつりと呟いた。アリアスフィリーゼは首をかしげた。


「行く? どこにです?」

「そりゃあ、あれですよ。東京スカイツリー」





「た、高いですね。ショウタ……!」

「まぁ、この国で一番高い人工建造物ですからね……」


 こんな会話、前にしたな、と思いながら、ショウタは足をぶらぶらさせた。


 二人がいるのは、東京スカイツリーの展望回廊、ではない。その外だ。スカイツリーは冥獣コボルトに関連した一連の騒ぎ(浅草でひと暴れしたショウタ達を含む)の影響で普段より早く営業時間を切りあげてしまったので、展望フロアには入れなかったんである。

 なので、ショウタとアリアスフィリーゼは、その展望フロアの屋根に腰かけて、足をぶらぶらさせていた。上空634メートルともなれば吹き付ける風も強いのだが、特に気にすることもない。


 東京の夜景が眼下に広がる。きらびやかな生活の光だ。


「まるで星が大地に堕ちてきたようですね」


 アリアスフィリーゼがぽつりと呟く。


「あー、詩的で良いですねぇ……」


 ショウタも頷いた。


 かつてショウタは、アリアスフィリーゼに、騎士王国で一番高い建物から、夕暮れの街並みを見せてもらったことがある。姫騎士殿下の宝物であり、彼女が王族騎士として守りたいものの象徴だ。この東京に夜景がショウタにとって同じような意味を持つかというと、そんなことはない。ただ、アリアスフィリーゼがショウタに王都の夕焼けを見せてくれたように、ショウタもアリアスフィリーゼに東京の夜景を見せてみたかった。


「ショウタ、あそこにも、赤くて高い塔がありますね」

「あれは東京タワーです。スカイツリーができるまでは、あれが一番高かったんですよ」


 そう言って、人差し指を向け、ひとつずつ説明していく。


「そこからちょっと左に行くと、東京湾。あれがさっき通ってきたレインボーブリッジ。東京ビッグサイトはもう少し奥です」


 ショウタの言葉に、アリアスフィリーゼが興味深そうに頷く。


「で、上野があのへん。新宿はあっちですねー。僕達が住んでる赤羽は、もっと向こうの方です」

「広いのですね。トウキョウは」

「まー、広いですねぇ。ひとつの区で王都と同じくらいですし……」


 そこまで言いかけて、ショウタは指を折って何かを数えはじめた。


 こちらに来てからの日数だ。メガネは、1週間以内に帰る手段を見つけると言っていた。今日で4日目。こちらでのんびりしていられるのは、あと1日か2日くらいしかない。


「アリアさん、明日、どこか行きたい場所はありますか?」

「行きたい、場所ですか……。うーん……」


 アリアスフィリーゼは、整った顎に手を当てて、考え込む。


「私は、勉強をしたいです」

「べ、勉強ですか……?」

「いえ、ショウタの学校に行きたいという意味ではありませんよ?」


 ちょっぴり苦笑して、彼女は続けた。


「こちらの世界でしか学べないこと、ショウタの知識でもまだカバーしきれていない範囲、帰る前に身につけておきたいのです。図書館で、本も借りてきましたし」

「あー、そうですねぇ……」


 政治や経済、あるいは哲学や倫理の概念。その一部は、あるいは既に異世界でも実用化されているものかもしれないが、それでも彼女自身が学んで持ち帰ることに意味がある。


「お手伝いしてくれますか?」


 宵闇の中に、夜景の光を照り返してアリアスフィリーゼの瞳がエメラルドに輝く。ショウタは彼女の手を取って、頷いた。


「もちろん、当然ですよ」


 明日から2日、まだまだ忙しそうだ。

次回で東京編はおしまいですよー。

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