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第6話 ヴァイオレント・プリンセス(後編)

 肌着姿の女が、賊どもを睨む。


 いかに高貴で気高き騎士と言えど、鎧をはがされればひとりの女でしかない。そしてそれは、淫靡で下世話な暗喩の領域には決して留まらなかった。アリアスフィリーゼがしっかりとした気位を保ち、義憤に満ちた魂を表明してみせたところで、それは男たちとって据え膳状態で呑む食前酒に過ぎない。怒りを顕にし、それでなお屈辱的な要求に唯々諾々と従わざるを得ない彼女の状況こそが、彼らにとっては極上の美酒であったのだ。事実彼女は、自らの意思で鎧を脱ぎ、その優雅な肉体のラインを衆目に晒している。


 正々堂々、正面からのぶつかり合いでは、決して勝てない相手を、服従させる快感。


 それを今、彼らはオスメスという、根源的かつ野性的なツールで味わおうとしていた。


 伯爵とてそれは同じであったことだろう。一皮剥けば、ただの獣。それは何も、姫騎士アリアスフィリーゼに限ったことではない。いかに財力と権力で身を着飾ったところで、ロード・アール・イャミル・フラクターゼは、一匹の獣であった。


 さて、アリアスフィリーゼの肢体である。

 鎧を脱ぎ、やや汗ばんだ彼女の身体は艶かしい。大きく開いた襟元が、鎖骨を外気へとあらわにする。顎から喉笛、そして首筋に至るまでのラインが、研ぎ澄まされたナイフのような抜き身の美しさを持つ。だが、脱ぎ捨てられた装甲が、その中に隠し持っていたのは、それだけではない。

 胸元に大きく、こんもりと描かれた山なりの曲線が、呼吸とともに緩やかに上下する。薄布一枚を隔てた確かな二つの重量感こそ、男たちが最も注視するものだった。賊どもは呼吸をするのも忘れ、彼らの淫猥な視線がアリアスフィリーゼの胸元にむしゃぶりつく。


 無駄な贅肉の一切つかない、つるりとした腹周りも、大腿伸筋に支えられた、コンパクトにまとまった臀部も、そして磨き上げた玉石のように、すらりと描かれたふたつの脚線も、まるで日の光を思わせるような健康的な〝陽〟の美しさであり、淫らに思わせる要素は何一つないはずだ。

 しかし、その陽の存在であるべきアリアスフィリーゼの神秘性が、今ここで粗野で下賤な者たちにとって、視線で犯す対象にしかなりえないという事実自体が、この場においてはどうしようもないほどに淫らであった。


「貴公は、こちらへ来ないのですね。フラクターゼ」


 静かに呟くアリアスフィリーゼの言葉だ。彼女の肢体に夢中になっていた伯爵は、はっと我に返る。


「なっ、なに……!?」

「屈強な男どもに囲まれた、丸腰、裸の女がひとり。何を恐れることがありましょうか。しかし貴公は、こちらに一歩も踏み出さない。女を手篭めにするにも、自分ひとりの力ではできないと、そうおっしゃるのですね? フラクターゼ」

「き、貴様っ……言わせておけばっ……!」


 フラクターゼ伯爵は、顔を真っ赤にして怒りをあらわにした。身体を隠すでもなく、胸を張り毅然と立つアリアスフィリーゼに、食ってかからんとした伯爵だが、すんでのところで思いとどまる。怒りを押さえ込み、無理やり笑みを浮かべ用とした結果、表情筋が凄まじい動きを見せていた。


「やれ」


 フラクターゼは、震える声でかろうじてそう言った。女騎士の胸元を注視していた賊どもは、はっと我に返る。


「地下牢に連れて行って、そこで可愛がってやろうかとも思ったが、まずはここで存分に辱めてやる。賊の手で散々に醜態を晒すがいい。泣き喚こうが、よがろうが、どちらでも構わんがね」


 その言葉の意味を、男たちは理解する。目の前に立つ、裸の女騎士を好きにしてよいと、スポンサー直々のお達しが下ったのだ。喜色満面。彼らは色欲を滾らせた顔つきで、ぞろぞろとアリアスフィリーゼの周囲を取り囲んだ。

 事ここに至ってなお、姫騎士アリアスフィリーゼには一切の動揺が見られない。まるで、こうなることが予想の範疇であるかのように、彼女は静かに立ち尽くし、目を閉じ、深呼吸を繰り返している。肩の力を抜き、その佇まいは自然体だ。


「おいおい、なんだ騎士様、ビビってんのかァ?」


 賊のひとりがそう言うと、げらげらという下品な笑いが全体に伝播する。


「散々暴れてくれたじゃねぇか、えぇ?」

「鎧の下に隠しとくにゃあ、えらいもったいねぇカラダだなぁ」

「男に触らせたことはあんのかよぉ? オイ」

「俺ァ、騎士様の脱いだこの鎧ペロペロしてるだけでもう満足だわ」

「おめーそりゃねぇよ、どんだけマニアックだよ」


 『すごく強い!』と書かれたのぼり旗の男が、やや興奮した面持ちで床に転がった胸当てキュイラスに手を伸ばすのを、ほかの賊が指をさして笑う。それすらも、シェリーやショウタからすれば滑稽さよりも醜悪さの方が際立って見えたことだろう。いささか、理解の範疇を超える。すえた臭いの漂う淫靡な欲望には、吐き気さえ覚えた。


 据え膳の男たちは、とうとうアリアスフィリーゼの腰や肩などに手を伸ばし始める。それを見てショウタが暴れるが、無駄な抵抗であった。無数の指先は身体を這い、頬や唇を撫で、やがてそれが、胸元や臀部にとどこうとした、まさにその時、


「がふっ……!」


 奇妙なうめき声が、一瞬、彼らの思考を中断させる。見れば、アリアスフィリーゼの胸当てキュイラスを舐めまわすと宣言していた男が、それを腕の中に抱いてひっくり返っているところだった。一瞬、何かと思った男たちの顔が、すぐに緊張感のない笑い顔に戻る。


「おいおい遊んでんなよ……」

「順番通りでいくと、今日の一番乗りは俺でいいか?」

「おう、とんだじゃじゃ馬だからな。後ろ足で蹴られんなよ?」

「まかしとけ、乗りこなすのは得意なんだよ」


 男たちの興味が、視線が、再びアリアスフィリーゼに戻る。だが、その時既に、彼女はそこに〝立って〟はいなかった。


 床を蹴り、姫騎士アリアスフィリーゼの身体が宙に踊る。鎧をまとってなお、自身の身長ほどの跳躍を見せる彼女が生身にて見せる滞空は、短く、素早く、鋭く、しかしそれでいて美麗だった。極限まで引き伸ばした時間の中で、アリアスフィリーゼは身体を胎児のように丸め込む。あらゆる運動エネルギーを凝縮する動作の後、彼女は全身の筋肉バネを、勢いよく引き伸ばした。


 ぱっかーん、と、


 乗りこなすのが得意だと言った男の顔面に、槍のように伸びたじゃじゃ馬殿下の後ろ足が炸裂する。空中で身体をひねっての、器用なきりもみ半転が、その威力をはるかに増大させていた。

 それはまさしく、至近距離から大砲を打ち込んだかのような衝撃であった。空中で綺麗に揃えられた姫騎士殿下のおみ足は、それ自体が、高級魔法士の行使する隕石メテオのような破壊力を持つ。屈託のない笑みを浮かべた男は、眼前に迫りつつあったそれが何であるのか、最後まで理解することなく、ただ運動エネルギーの導きに従って、大きく大きく吹き飛んだ。それは直線上に立っていた盗賊団首魁ノイジー・ブラウンの身体を直撃し、その衝撃波によってショウタの髪を掠めた後、吹き抜けの手すりを粉々に粉砕して、シャンデリアへと激突した。


 アリアスフィリーゼ・レ・グランデルドオ姫騎士殿下の御身体が、うつ伏せのまま床に着地する。

 一同は唖然とした顔で、その顛末を見守っていた。理解の範疇をはるかに逸脱した現象であるかのように思えた。ありったけの経験知識を総動員し、今、自分たちが陵辱せんとした女騎士が、渾身のドロップキックを放ったのだとようやく悟った頃には、彼女は立ち上がり、まるで音のような速度で床を駆けていた。


「はあああああッ!」


 肌着姿の女騎士は、伯爵の真横をすり抜けて、人質に剣を突きつけた用心棒へと肉薄する。銀髪の女剣士は、無言のうちに僅かに瞠目していた。だが、腕の立つはずの彼女に一切の反撃、反応を許すことなく、騎士の掌底が神槍の如くその鳩尾を撃ち貫く。


神掌牙しんしょうがッ!」

「………!」


 女剣士は、やはり壁に叩きつけられ、ぐったりとしながらも片膝を付き、剣を杖として立ち上がる。だが、どうやら壁に後頭部を強打したようで、目の焦点が定まっていない。


「ば、バカな……! なんだあの速さは……!」


 驚愕に打ち震えた声で、賊どもが呟いた。

 当然の反応と言えよう。姫騎士殿下の戦い方といえば、鞘のついた剣で強引に相手を叩き、吹き飛ばすのがメインの、極めて鈍重なパワーファイトである。いかに鎧を脱ぎ捨て、身軽になったところで、あれほど素早く動けるものか。


「それに、騎士様がゲンコツで戦うのか!?」

「戦います」

「ドロップキックを撃つのか!?」

「撃ちます」


 シェリーをそっと庇うように立ちながら、アリアスフィリーゼが言う。


月鋼式戦術騎士道タクティカルナイトアームズは、剣のみで戦うものに非ず。刃が折れ、拳が裂けようと、心で悪を挫くのです。あなた方が剥いだのは、鎧ではなく、鞘であると御覚悟いただきます!」


 剥いだのは鎧ではなく、鞘。


 その言葉に賊どもは、同時に思い当たることがあったらしい。彼らが恐る恐る視線をずらすと、そこには相変わらず姫騎士殿下の胸当てキュイラスを抱えてひっくり返った男が、『かひゅう、かひゅう』と、何やら危険な呼吸を繰り返している。それだけではない。姫騎士殿下が放り投げた、篭手ガントレットも、前垂れスカートアーマーも、脛当てグリーヴも、そして鞘についた騎士剣すらも、よくよく見れば、木製の床に深く深くめり込んでいる。ただの具足ならば、こうはならない。


「まさか、こいつ、今までこんなに重い鎧をつけて戦っていたというのか!?」


 かつて、剣聖マイスターゼンガー・クレセドランは、当時10歳となるアリアスフィリーゼ姫殿下に対してこのような教えをさずけたという。


『姫殿下、鍛錬とは、鍛錬の時だけ行って意味のあるものではありません。常日頃、自らを鍛えると思う気持ちこそが、強い戦士の肉体を築き上げるのです。真の修行とは、日々の暮らしにこそあるのだということを、お忘れなくいただきたい』


 幼き日の姫殿下は、師匠の真剣な眼差しに対して、やはり真剣な眼差しで応じた。いずれは自身も王族騎士ロイヤルとして、悪しき者の手から民草を守らねばならない。そう信じるからこそ、彼女は師の言葉を忠実に実行した。月日が流れ、月鋼式剣術の免許皆伝を授かり、やがて皇帝から叙任を受け姫騎士の称号を賜ってからもなお、アリアスフィリーゼは暮らしの中に修行を求めたのである。

 その最たるものこそが、彼女が王国随一の鍛冶師に作られた、特注の鎧であった。篭手ガントレットひとつにしても、大の大人がまともに持ち上げることすらままならない、凄まじい重さの具足。その超重量の鎧を自らの枷とし、日々を過ごすことで、姫騎士殿下は何でもない日々を、地獄のような修行の場に作り変えることに成功したのである。


 はじめは歩くことすらできなかったという姫騎士殿下も、次第に日常生活を支障なく送れるようになり、いずれは鎧をまとった状態で賊の10人や20人を、軽々と成敗できるほどにまで成長した。

 しかしそれでも、鎧をつけた直後はバランスを崩しやすいし、木製の椅子などに座れば自重で椅子を壊してしまうので、足に負担のかかる空気椅子を続けざるを得ない。馬などに乗ろうものならば、よほどタフな馬でもない限り、10分乗り回すだけで潰してしまう。


 事情を知るものはやりすぎだとも言った。だが姫騎士殿下は、師の教えを守り続けた。それはまさしく、このような瞬間のためでは、なかっただろうか。

 アリアスフィリーゼ姫騎士殿下は、いついかなる時も、真面目で、実直で、素直なのである。


 超重量の拘束を解かれた今の彼女は、まさしく抜き身の刃そのものだ。剥いだのは、鎧ではなく、鞘。その言葉は確かな実感と恐怖を伴って伝播する。


「ミンストレル!」


 フラクターゼ伯爵が叫ぶ。朦朧とした様子の女剣士が、ぴくりと動いた。


「何をやっている! 何の為に高いカネを払って……」


 傭兵への罵声はそこで中断した。肌着姿の姫騎士殿下は音を抜き去らんとするほどの勢いで、伯爵のもとへ駆ける。しゃがみ込んでから、先ほどの強蹴で見せたばかりの全身のバネを使って、殿下の身体が跳ねる。贅肉のついた伯爵の顎を、二度目の掌底が打ち据えた。

 追撃は膝だった。脳を揺らされ、立ちながら昏倒する伯爵の腹に、杭を打ち付けるような一撃がめり込む。研ぎ澄まされた、しなやかな脚線はそのまま一気に虚空を駆け上がり、アリアスフィリーゼ姫騎士殿下の、はしたなくも魅せる上下の大開脚。右脚と左脚が、直線上に繋がった。


砦崩天鎚さいほうてんつい!」


 伯爵が、魅惑的な大腿部の開帳を注視することは、なかった。裁きの鉄槌を思わせるカカトの急速落下は、既に始まっていた。

 降り注いだカカトが、フラクターゼの脳天を直撃する。絨毯を引き千切り、大理石の床を粉砕し、伯爵の顔が埋まった。


 姫騎士殿下は、混乱するシェリーの腰に手を回すと、彼女を抱き抱えたまま跳躍し、そのまま壁を蹴って三角飛びで階段の方へ着地する。

 そこでは、ちょうどショウタが、自身に巻き付いた鞭蛇を解き、ようやく自由を手にしたところであった。彼を捉えていたはずのノイジーは、殿下のドロップキックによって打ち出された部下が直撃して階段下まで転がっていた。まるでビリヤードである。


「坊や、アタシのトウビョウちゃんよ! 返しなさい!」

「なるほど。この子、トウビョウって言うんですね」


 ショウタは鞭蛇を手にし、ちろちろと舌を出す蛇の頭を撫でると、ビュンと振る。トウビョウは、まさしくショウタにとって使い慣れた武器であるかのようにしなると、階段下のノイジーに巻き付いた。


「んあァン!」

「啼くなら啼くでもっと男らしく啼きなさいよ! 気色悪い!」


 ショウタは空いた片手を開いてノイジーに向ける。意識を集中させ、痛みを堪え、思考領域から捻り出した力で、怪しげな風体のオカマを更に強く拘束する。


「す、凄いわ! こんなの初めて! 知性武器インテリジェンスアームを一瞬で使いこなすなんて、さすがは魔法士ね! トウビョウちゃんを寝取られて、こんな年端もイかない坊やに緊縛されて、アタシもう……トンじゃいそう!」


 恍惚じみた声を出すノイジーを完全にスルーして、ショウタは後ろを振り向く。シェリーをそっと降ろし、今まさに助走をつけて走り出したアリアスフィリーゼ姫騎士殿下と、目があった。どちらからともなく両者は頷き、意思の疎通が完了する。


 ショウタはトウビョウを引いた。まるで一本釣りのように、縛られたノイジーの身体が宙を舞う。こちらに向けて飛んでくるオカマの身体を、姫騎士殿下は駆けながら見据えている。

 殿下おみ足がひときわ強く床を蹴り、身体が軽やかに宙を舞う。アリアスフィリーゼ姫騎士殿下は、その両足を折りたたんだ後、まるで引き絞られた弦から矢を放つかのように、そのつま先を弾き出した。


 本日通算二度目となる、姫騎士殿下のドロップキック。


 威力を増すためのきりもみ半転。美しい金髪が、黄金色の旋を描く。トウビョウに絡め取られ、飛んできたノイジーの顔面に、殿下の脚部が衝突した。果たして衝撃は、崩壊点に導く。双方向からの威力の激突が、凄まじい破壊力を生む。


「ブッ飛びいぃぃ~ッ!!」


 謎の断末魔を残して、盗賊団首魁ノイジー・ブラウンの身体は吹き飛んだ。屋敷の天井に大穴を開け、昇る朝日の彼方へと消えていく。姫騎士殿下は、うつぶせに階段へ落下しそうになったところを、両手で着地し、そのまま腕と背筋のバネを使ってくるりと2階に舞い戻る。


「お見事です」

「はい」


 仏頂面のショウタに対し、笑顔で答える姫騎士殿下。ふたりのやりとりはそれだけだった。

 しかし殿下はすぐに表情を引き締めると、伯爵の方へ足を向けた。


「これが最後の慈悲です。ロード・アール・イャミル・フラクターゼ」


 姫騎士殿下の肌着姿に、淫靡な視線を向ける者などもはや存在しない。彼女は今や、拘束を外し、解き放たれた修羅にも等しい。


「貴公がこれまでの振る舞いを省み、己が罪を認めるのであれば、これ以上手出しは致しません。王立騎士団の介入まで、私も静かに待ちましょう」


 だが、なんとか床から頭を引っこ抜いたフラクターゼ伯爵の回答とは、拒絶であった。


「だ、黙れ……っ! ここで貴様らを全員始末すれば、それで済むことよ!」


 客観的に見て、状況は再度逆転している。人質は既に手中になく、鎧から解き放たれた神速の怪物がひとり。だが、伯爵はその状況を理解し、従おうとはしなかった。フラクターゼの背後には、殿下の掌底を食らってなお立ち上がる、無言の女剣士がひとり立っている。

 フラクターゼ伯爵は、しっかりと2本足で立つ女剣士を一瞥し、いささか安堵した表情を見せると、彼女にこう命じた。


「ミンストレル、報酬はいくらでも出す! 奴らを討ち取れい!」


 女剣士ミンストレルは、そういった伯爵の腕を無言で掴み、無遠慮にねじり上げることで返答とした。


「うがっ!?」

「………!」


 そのまま膝の裏を蹴り、バランスを崩したところを床に組み伏せ、後頭部を抑えて額を打ち付ける。


「みっ、ミンストレル、何を……!」

「ここに至ってまだ気づかぬとは、呆れ果てたな。フラクターゼ伯」


 そこで初めて発したミンストレルの声は、低く、ドスの効いたものである。彼女は伯爵の髪を掴んで顔をあげさせると、呆気に取られるショウタや、毅然とした態度でこちらを睨みつける女騎士の姿を、再度確認させる。

 その声を聞き、ショウタは質問があるかのように片手をあげた。


「あの、ひょっとして、密偵みっちゃんですか?」


 ミンストレルは顔をあげて頷く。


「はい、みっちゃんであります。ショウタ殿」

「えっ、みっちゃん!? 本当にですか!? 本当にみっちゃんですか!?」


 それまできりりと伯爵を睨みつけていた姫騎士殿下も、ここでようやく狼狽する。

 密偵のみっちゃん。宰相ウッスア・タマゲッタラの子飼いである。姫騎士殿下もまた、個人的なお願いをすることの多い相手だが、ここで彼女が姿を見せること自体、想像だにしていなかったらしい。基本、みっちゃんは、ウッスア宰相の指示を受けて動く。となれば、ウッスア宰相もまた、フラクターゼ伯爵の悪事を知って彼女を潜入させていたのであり、ともなれば、王宮をこっそり抜け出した姫騎士殿下が、今までどんなトンチキな真似をやらかしてきたかも、宰相に筒抜けなわけであって、


 さっ、と姫騎士殿下の顔が青ざめるのがわかった。当然、殿下の胸中を知るよしもなく、伯爵は喚き散らした。


「えぇいっ、クソ! わかったぞ、貴様タマゲッタラ公爵のイヌか! あのハゲ頭め、よくも!」

「フラクターゼ伯は、宰相閣下と同じ髪型になりたいと見える」


 みっちゃんが髪の毛をぐいと引っ張ると、伯爵は情けない悲鳴をあげる。


「なんだ、なんだ、なんなんだ! なんなんだ貴様ら! タマゲッタラのイヌに、騎士王国にひとりしかいないはずの魔法士だと!? そいつらが何故そんな貧乏貴族の娘に肩入れする!? ちっぽけな村を救うことしか考えないような、そんな……」

「まだ気づかないか、フラクターゼ伯!」


 とうとうみっちゃんが、伯爵を一喝した。ボロボロになった屋敷を揺るがすほどの声量は、普段の彼女の平坦な声音からはとうてい想像し難い。伯爵だけではなく、シェリーも、賊たちも、ショウタに加えてなぜか姫騎士殿下までもが、びくりと肩を震わせていた。


「みっちゃん、ちょっと待ってください。私はその、しがない貧乏貴族の三女でして……」

「フラクターゼ伯、貴公も何度か執務のため、王宮に足を踏み入れたことがあったであろう!」

「その、王宮とは何の関係もないノクターン家のアイカと……」

「賊どもも控えよ! こちらの方こそ、セプテトール騎士王陛下の嫡女にして、恐れ多くも皇帝聖下より叙任をお受けになりし姫騎士プリンセスアリアスフィリーゼ・レ・グランデルドオ殿下である!」


 その言葉は、まさしく稲妻の如き威光を伴ってその場の一同に伝播した。視線が一様に、姫騎士殿下へと突き刺さる。当然、それは半裸の女騎士を辱める淫靡な視線でなければ、解き放たれた怪物を見るような畏怖の視線でもない。ただ、眩しきもの、直視してはならぬものを目の当たりにし、呆然と立ち尽くす哀れな道化たちの視線であった。


 果たしてその言葉が信頼に足るものであるか。次なる注目は、ロード・アール・フラクターゼに注がれる。真偽は彼の反応を見て占うより他はないのだ。だが、フラクターゼは姫騎士殿下のご尊顔を眺め、徐々に目を見開き、脂汗を流し始めた。


「は、ははぁぁ――――ッ!!」


 とうとう、フラクターゼ伯爵は床に手をつき、自らその額を床にこすりつける。賊どももそれに倣った。焦るのはなぜか姫騎士殿下だ。


「ち、違います! 私は! 貧乏貴族の三女の! アイカ! ノクター……」

「そんな、騎士様が……姫騎士殿下……?」

「違います、違いますよ! シェリー!」

「やべぇ、やべぇよ。姫騎士殿下だってよ……」

「俺ちょっと触っちゃったよ。不敬罪で打ち首かな……」

「アンガルウィッシュなんか鎧舐めてたぜ……」


 飛び出した言葉が引っ込むことは、もうない。姫騎士殿下がどれだけ言葉を尽くし、否定しようとしたところで、真実は覆らない。もともと殿下の方が虚偽の申告をしているのだから、当然といえば当然である。殿下は、それまでの勇ましさをかなぐり捨てて、泣きそうな声で言った。


「うう、ショウタぁ……」

「諦めましょう、殿下。どうせ宰相さんには怒られるんです」


 ショウタは、両手をついて額を床にこすりつける一同をちらりとみやって、こうも言った。


「ていうか、この国にもドゲザの文化があるんですね……」

「ドゲザがなんなのかはわかりませんが、これは最敬服礼と言って、相手の正当性を完全に認め、如何なる処遇にも従う意を示す騎士の習わしです……。フラクターゼはもとより、盗賊団も、従騎士エスクワイア崩れが多いようですから……」


 殿下は元気のない声で解説してくれた。

 往生際の悪い伯爵であれば、ここで「殿下がこのような場所にいらっしゃるはずがない!」「殿下がドロップキックなどなさるはずがない!」などと喚いて、「ここで死ねばただのアイカ・ノクターンよ!」と叫びながら斬りかかってきてもおかしくはなかったが、今やフラクターゼは完全に縮こまってしまっている。

 当然、おののいているのはシェリーも同じだった。決して無礼な振る舞いはしていなかったつもりだろうが、まさか貴族騎士ノブレスと思っていた相手が王族騎士ロイヤルだったのだから、顔色だって青くなる。騎士でない彼女は最敬服礼を知らなかったが、それでも、床の上に膝をついていた。


「いいんですか? みっちゃん、殿下が姫騎士殿下だってバラして……」

「殿下が屋敷に乗り込んできた時点で、このように事を運ぶ予定でありました」


 伯爵から手を離して、みっちゃんは立ち上がる。


「宰相閣下のご指示であります。伯爵の悪事を見抜いた姫騎士殿下のご指示で王立騎士団を手配し、邸宅に囚われた哀れな村娘を救出するため、魔法士と共に先行潜入。これは騎士王陛下と宰相閣下、それに騎士将軍の認可を得た立派な作戦計画であります」

「アンセムにもバレてるんですか!?」


 アリアスフィリーゼは悲痛な声をあげていた。


 まぁ、落としどころとしては妥当なところなのだろうか。各方面、主に貴族派からの不満は噴出するだろうが、姫騎士殿下が独断で伯爵をぶん殴りにいったとするよりは、はるかに言い訳が立つ。悪事を働いていたのは伯爵であり、それを王国が処罰せんとするのは当然のことだ。

 騎士王陛下の認可が降りているという事実と、王立騎士団が直接動いているという事実。このふたつは、騎士王国の内政において言葉以上に重要な意味合いを持つ。この二つを掲げ、さらにそれに値する正当性さえ存在すれば、貴族騎士ノブレス伝統騎士トラディションも口出しができず、角が立たない。


「姫騎士殿下!!」


 一階の扉がばたんと開いて、威勢のいい声が、アリアスフィリーゼを呼ぶ。見れば、騎士王直認の紋章を掲げた重装騎士たちが、邸宅になだれ込んでくるところであった。ショウタは、慌てて這いつくばる伯爵からガウンを引っペがして、肌着姿の姫騎士殿下に引っ掛けた。呆然としていた殿下も、その意味を遅れて悟り、きっちりとガウンの前をしめる。

 階段を駆け上り、先頭に立つ騎士隊長と思しき男が、片手をピッと額にこすり合わせた。


「王立騎士団、参上いたしました! プリンセス・アリアスフィリーゼの命により、これより盗賊団の一味と、ロード・アール・イャミル・フラクターゼを王都へと連行いたします!」

「ご、ご苦労様です!」


 姫騎士殿下はかろうじて威厳を取り繕うことに成功する。それでもがっくりとうなだれ、ぞろぞろと連れていかれる賊どもを眺めながら、死んだ魚のような目をしていた。


「姫騎士殿下、」


 そんな彼女に、みっちゃんが声をかける。


「宰相閣下からの伝言をお伝えするであります」

「いいです……」

「お伝えするであります」

「はい……」


 みっちゃんは、懐からごそごそと書簡を取り出し、ばっと広げた。


「『殿下、今回の件、まことにお疲れ様でございました。まずはメイルオの街に宿をとってありますので、ごゆっくりとおやすみになり、疲れをお取りくださいませ。帰りは馬車を手配しております。魔法士殿に負担をかけることもなく、帰路へつけることでしょう』」

「ウッスア……」


 密偵の口を通して語られる鬼宰相の言葉に、アリアスフィリーゼはその顔をわずかに綻ばせる。

 だが、みっちゃんの声のトーンがわずかに変わるのはここからだ。


「『まことに恐れ多くはございますが、お戻りになられ次第、不肖わたくしめより、殿下に御忠言したき儀がございます。長旅と此度のご活躍でお疲れになられている殿下のお耳を煩わせることとは思いますが、これもアリアスフィリーゼ殿下の未来、ひいては、グランデルドオ騎士王国の未来を想ってのことでございますれば、どうか、どうか、どうか、ご辛抱いただきたい。それでは、王宮の者共一同、殿下と魔法士殿のお帰りを、心よりお待ち申し上げております。騎士王国宰相ウッスア・タマゲッタラ』

 ―――以上であります」


 みっちゃんが書簡を畳み、片膝をついて殿下に手渡す。姫騎士殿下は震える手でそれをお受け取りになると、また開き、そこに書かれている文字を食い入るように見つめた。


 天井にぽっかりと空いた穴から、朝日が差し込む。柔らかな日差しが、フラクターゼ邸の惨状を暖かく照らし出す。陽光を浴びるのは当然ながら、ショウタも、みっちゃんも、シェリーも、そしてアリアスフィリーゼ姫騎士殿下も同様だ。

 悪徳貴族から小さな村を救った、若く美しい英雄は、書簡を眺めながら引きつった笑みを浮かべていた。



Episode 6 『暴れん坊殿下ヴァイオレント・プリンセス(後編)』 <完>

FATAL PRINCESS of the KNIGHT KINGDOM


次回以降は朝8時(目安)の1日1回更新になります。

ストックが切れたらやや不定期化する模様。

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