【CHAPTER:05】 第77話 姫騎士殿下の東京見聞録
「さて、どこから話したもんスかね」
師匠は椅子に座り、頭の後ろの手をまわして天井を睨んだ。
対面にはショウタとアリアスフィリーゼが横並びに座る。アリアスフィリーゼは、こうした部屋の構造が珍しいのか、周囲をきょろきょろと見回していた。
ここは日本国東京都北区。ショウタの世界だ。ショウタは帰ってきたのである。
「とりあえず、僕が転移した直後の話を聞かせてください」
まずはアリアスフィリーゼに詳しく情報を説明するべきかとも思ったが、まずはそのように尋ねる。コーラのペットボトルをラッパ飲みしていた師匠は、空になったそれをクシャリと握りつぶして『ふむ』と答えた。
ショウタは異世界へと転移する前、師匠らと共にある〝作戦〟に参加していた。
ショウタは超能力者だ。この世界において、そう普遍的な存在ではない。表沙汰には秘匿されるべき能力なのだ。超能力者には天然モノと養殖モノがあって、政府の諜報機関が、養殖超能力者を生み出すための実験施設を突き止めた。
師匠はそうした実験施設と因縁があって、政府に協力している。弟子であるショウタは付き合いで連れまわされることが多く、しかし作戦自体に加担することはほとんどなかった。
師匠とショウタ、それに政府に雇われた何人かのフリーエージェントが施設内へ踏み込んだ時、そこは既に廃棄されていた。ここもハズレか、と一同は舌打ちし、それでも何か手がかりがないかと捜索を開始した。
ショウタが異世界トリップに巻き込まれたのは、その直後だ。
突如として空中に出現した巨大な歪が、ショウタを飲み込んでいった。悲鳴をあげる暇すらほとんどなかったのだ。気がつけば、ショウタはグランデルドオ騎士王国の南方部にある、広大な草原地帯にいた。持ち前の超能力を駆使し、なんとかサバイバルを続けている内、姫騎士殿下と出会って宮殿へと招かれた。そこが異世界だと気づいたのはそのあたりだ。
では、ショウタがいなくなった後、師匠たちはどうしたのか。
「多少は、慌てましたよ」
言葉とは裏腹に、飄々とした口調で師匠は言った。
「ショウ年達を捜索したんですが、まぁ見つかんなくて。ただ、わたしには心当たりがあったんで」
「なんです?」
「あそこ、突入前に空間平面に凄い揺らぎがあるって言ったでしょ。わたし」
「言いましたっけ?」
「言った。言いました」
きょとんとした顔のままのアリアスフィリーゼを置いて、師匠とショウタは会話を続ける。
「思考領域から空間平面の揺らぎを強引に引き起こして違う場所へ移動するのがテレポートッスから。違う場所に飛ばされた可能性が十分にありました」
そう言って、師匠は巨大な紙の束を叩きつけるようにしてテーブルの上へと置いた。
「な、なんですか、これ……。論文みたいですけど……」
「論文ッスよ。エノモト・レポートっつってね。去年の秋ぐらいに急死した、榎本霧子っていう量子物理学の権威が遺した最後の研究論文です。まぁ、未完成なんスけど」
一番上には『フラクタル理論のうんたらかんたら』と書かれている。ぴら、と1枚めくって中を見てみるが、のっけから何を書いているのかまったく理解できなかった。知恵熱で頭から煙が昇る前に、閉じて師匠へと突き返す。
「まぁ、カンタンに説明すると、」
と、師匠は前置きをする。
「同次元の時空境界面に仮定構築される相似疑界領域は、それを経由して隣接する領域を複数の観測線で結ぶと言われています。隣接する情報が多ければ多いほど、観測線の数は多くなりその領域を観測しやすくなるわけッスが、あの時施設に発生していた空間平面の揺らぎが時空境界面に到達していたとすれば、相似疑界領域に大きな穴が空き、観測線によって結ばれた別の領域に事象反転を起こしてしまうことが理論上起こり得ます。いわゆる小規模なフラクタライズ・エラーッス。わたしは以前この論文を読んでいたので、あるいはショウ年は、この小規模なエラーに巻き込まれた可能性があるのではないかと推察したっつーわけッス。わかりました?」
「全然わかりません!!」
「そッスか」
師匠はいつになく満足そうにそう言った。
「まー要するに、ショウ年が異世界に飛んだかもしれないな、と、思ったわけッス。メガネにこのことは報告したんスけど、メガネの方でも、いろいろと行方不明者と異世界転移を結びつけた案件をいくつか抱えてるみたいで、すんなり聞いてもらえましたよ」
「意外と多いんですか?」
「多いんじゃないスか? まぁ、異世界にいっちゃったらこっちからは確認できないんで、憶測の域を出ないんスけど。今回は現地人付きで帰ってきましたからねぇ」
ショウタがそこで思い出すのは、アメパ堰堤要塞で聞かされたコンチェルト提督の養父、トオンの話だ。総合して、トオン・ノグドラの正体が、ショウタと同じ日本人であるのは間違いない。わざわざ改名しているということは、その名前こそが本名なのだ。このあたりは憶測の域を出ないが、遠野信虎とか、そういった名前だったのだろう。
そんなことを考えていたショウタの袖を、くいくい、と、アリアスフィリーゼが引っ張った。ちょっと恥ずかしそうに顔を伏せっているのが珍しかった。
「あのう、ショウタ、私、ヒカルが何言ってるのかさっぱりわからないんです……」
「大丈夫です、殿下。僕も割とよくわかっていません」
アリアスフィリーゼ姫騎士殿下は聡明だ。向こうの世界では、彼女の口からいろんなことを教わった。わからない、ということは、結構恥ずかしいものなのかもしれない。
「まぁ、帰ってきてくれたなら良いんスよ。おまえがいなかったせいで、ここ1ヶ月は作戦が進まなかったんスよね」
「えっ……。……あ」
一瞬、師匠の言ってることがよくわからなかったショウタだが、すぐに『しまった』と思う。
「わたしのスマホ、どこです?」
そう、師匠のスマートフォンを、確かその時預かっていたのだ。それを持ったまま異世界へ飛んでしまい、充電は超能力でできたので、最初はいろんなものを写メして遊んでいたのだが、次第に飽きてきてしまった。3ヶ月も向こうにいたのだから、慣れてくる。
そのスマホには、作戦進行に関わる重要情報が記録されていたのだ。
「お、王宮の……僕の部屋に……」
「………」
師匠の目が冷たい。
「しょうがないじゃないですか! このタイミングで帰って来るなんて思わなかったんだから! そもそもバックアップとか取ってなかったんですか!?」
「情報漏洩が怖かったんだから、そりゃ取ってないッスよ。データ消えても戻せるし、失くしても探せるし、壊れても修復できるんだから。でも異世界に行くとは思ってなかったんで」
「ショウタ、何の話ですか?」
「王宮に忘れ物しちゃったって話ですよ。あの魔法の手鏡」
ショウタが告げると、アリアスフィリーゼが『ああ』と頷く。
とは言え、参った。せっかく元の世界に帰ってきたと言うのに、あのスマホを忘れてしまってはほとんど意味がない。まったくとまでは言わないが、こちらへ帰らねばならなかった理由の一部は、師匠への義理立てなのだ。作戦が進まなければ、師匠の宿願だって果たせない。
話の流れが止まったところで、アリアスフィリーゼがおずおずと片手をあげた。
「私からも、良いですか?」
「どうぞ、プリンセス」
師匠はキッチンの冷蔵庫を念力で開け、その中に大量に貯蔵されたペットボトルのジュースを一本取り出して、手元まで飛ばす。相変わらずの超甘党だな、とショウタは思った。得意料理の過剰に甘い卵焼きも師匠の好みに合わせたものなのだ。
「私、帰れるんでしょうか」
その言葉に、ショウタと師匠は同時に黙り込む。
当然の疑問だ。ショウタもまた、異世界へ飛ばされた時同じことを考えた。しかし、実際のところなんとも言えないのだ。行きも帰りも、ショウタにとっては偶発的な事故だった。口ごもるショウタとは対照的に、しかし師匠ははっきりとこう言った。
「なんとかしましょう」
「できるんですか!?」
思わず立ち上がるのはショウタの方である。師匠は面倒くさそうに頭を掻く。
「理屈はわかっていますから、条件を整えれば送ることは可能ッスよ。ぶっちゃけ、ショウ年にも忘れ物を
取りに行ってもらわなきゃいけないんで」
「学校の宿題じゃないんですよ……?」
「知ってます」
すぐにジュースを飲み干して、きっぱりと言う師匠。
「ま、向こうから帰って来る方法は知らないんで、ショウ年が嫌と言うなら、無理に送ったりはしませんが。プリンセスに関しては方法を探しましょう。メガネにも聞いてみます」
「ありがとうございます、ヒカル」
アリアスフィリーゼが、深々と頭を下げる。ただ、その表情は晴れない。今すぐに帰れる、と決まったわけではないからだ。心地がようやく落ち着いて、冷静になって、ようやくこれからについて考え始めると、途方もない不安が襲ってくるに違いない。ショウタには、その気持ちがよくわかる。
帰ってこれたことに対する素直な喜びがあるだけに、ショウタは複雑だった。
「とりあえず、プリンセスにはしばらくこちらへ滞在してもらうことになるんで。ここはわたしの家ですから、自由に使ってください。もうすぐ夜ですしね」
師匠はそう言って、話を打ち切りに入った。空になったペットボトルを、またもくしゃりと潰して、アリアスフィリーゼへと視線を向ける。
「明日は、服を買いに行った方が良さそうッスね。わたしの服だと、丈が足りないみたいなんで」
へそ出しセーラー服の姫騎士殿下は、きょとんとした表情を作って首を傾げた。
ところでこれは重要な話なのだが、ショウタの師匠である直輝の家は、2LDKである。ダイニングと師匠とショウタの部屋しか存在しない。てっきり、アリアスフィリーゼは師匠の部屋で寝ると思っていたのだが、夜中寝る時分になって、セーラー服の殿下がショウタの部屋のふすまを開けてきたのだから、かなりびっくりした。
曰く、
「ヒカルの部屋はものがたくさんあって寝るスペースが……」
「ああ、そうでしたっけ……」
ショウタはぽりぽりと頭を掻く。
165センチのショウタより背の高い姫騎士殿下が、150センチ超の師匠の服を着ているのだから、それは丈が合うはずがない。それ以外のサイズがぴったり合っているのがむしろ奇跡なのだ。過剰に丈の短いセーラー服を着た殿下は、微妙に淫靡な雰囲気を漂わせているので、正直正視しがたい。
特に、へそが、良くない。
師匠は人の心を平気で読む。だから、ショウタは身長の割に過剰に自己主張する胸から目をそらすため、なるべく視線を上か下に保つように努めていた。だから、視線を下にさげたところで、むき出しのへそが置いてあったりすると、それが非常に、よくない。
「とりあえず、布団敷きますよ」
ダイニングで寝たりすると、夜中にジュースを飲みに起きてきた師匠に踏まれるから、あんまり外に出たくはない。押入れから客人用の布団を引っ張り出すと、アリアスフィリーゼは不思議そうな声を出した。
「ベッドとは違うんですね」
「ベッドで寝る人もいるんですけどねぇ。僕はお布団の方が好きです」
ばさっ、と広げ床の上に敷き、シーツのしわを伸ばしていく。
「王宮のベッドは柔らかかったですから、それに比べれば大したことないですけどねー」
「メイルオやマーリヴァーナの時は、ベッドも硬かったですが安眠できましたから、問題ないですよ」
くすり、と笑うアリアスフィリーゼ。夏場なので毛布は必要ないだろう。タオルケット1枚で十分だ。ベランダの窓を網戸にし、扇風機をつけて布団の上に寝っころがる。そうだ。電気蚊取りもつけておかないと。
その所作のひとつひとつを、姫騎士殿下は興味深そうに見つめていた。
「……そんなに気になります?」
「ええ、珍しいですから」
アリアスフィリーゼは微笑んで言った。
「ショウタが王宮に来たばかりの時も、ひとつひとつ、色んなものをじっと見ていましたよ」
たった3ヶ月前のことを懐かしむような台詞だ。文化が違えば、普段当たり前だと思っていることも珍しくなる。いわゆるカルチャーショックという奴で、外国に行けば誰しも味わうものだというが、ショウタは一足とびで異世界でそれを経験してしまった。
そういえば、とショウタは思った。
「殿下はいつ目を覚ましたんですか?」
「こちらに来てから割とすぐです。目を覚ましたのはアラカワという川の河川敷でした。犬を連れた御婦人が心配そうにこちらを見ていて、少し離れた場所にショウタが」
「驚いたでしょ?」
「でも、ショウタと同じ黒い髪をした人や、似たような服を着ている人がいましたから、ある程度察しはつけられました」
アリアスフィリーゼはその時点で、鎧を着ていた。
彼女の見た目は、ショウタの世界で言うコーカソイド系人種によく似た顔立ちをしている。いわゆる白人だ。美形でスタイルもよく、しかしそんなアリアスフィリーゼが、剣呑な鎧甲冑に身を包んでいるというのだから、衆目をよく集めた。
とは言え、明確な武装ではない。コスプレの一種とすら判断できるものであり、そこで警察を呼ばなかったりするあたりが、実に日本人らしい呑気さであると言えた。アリアスフィリーゼはショウタを背負い、しばしの躊躇の後に、犬の散歩をしていた婦人にこう尋ねたという。
『ここは、どこでしょうか』
『荒川ですよ』
意外なことに、言葉はあっさりと通じた。
『こっちが赤羽で、あっちが川口。お嬢さんどこのホテル泊まってるの? それとも日本語上手いから、結構長いこと住んでるのかしら。お連れの子は、大丈夫?』
育ちの良さそうな老婦人が、矢継ぎ早にそう尋ねてきたので、返答には困った。ここがショウタの故郷の世界であると言うのなら、彼の生活していた家があるはずだ。しかし、そこが近い場所にあるのかはわからない。
『彼の家を探しているのですが』
『場所はわかる?』
『いえ……』
『身分証とかは? ないの?』
何のことだろう。アリアスフィリーゼは首を傾げる。家紋のことか? しかし、ショウタは自分の家の紋章を知らないと言っていた。あるいは、帝国の東側にあるゼルシア自治領で発明されたという、冒険者登録証に類似したものなのだろうか。
迷っていると、ご婦人は『ごめんなさいね』と言いながら、ショウタの上着のポケットに手を突っ込んだ。
『ほら、あるじゃない。お財布。お金は……あら、見たことないコインばっかり』
それはグランデルドオ王国で流通している金貨や銀貨だ。宮廷魔法士であるショウタにはきちんと騎士王から給与が支払われ、しかし、街に繰り出して買い物をすることなどほとんどなかったから、あまり使う機会はなかった。
『これよこれ。学生証。この学校に電話をかければ、すぐわかると思うわ。お嬢さん携帯はお持ち?』
『いえ……』
『そう。じゃあ、私がかけてあげるわ』
とまぁ、こうした流れで学校に連絡が行き、学校から保護者代理である政府のメガネ氏に連絡が行き、師匠に連絡が行き、ものの数十分で、彼女の家へと招待されたわけだ。
「それは、お手数おかけしました」
ショウタが深々と頭を下げると、アリアスフィリーゼは『良いんですよ』と笑う。
「私も、ショウタが滝壺に落ちた私を追いかけてきてくれたときは、嬉しかったですから」
それを聞き、ショウタはさらにばつが悪くなる。あの時彼は、アリアスフィリーゼの手を掴むことができなかったのだ。ほんのわずかな躊躇ゆえに。こうして、一緒に元の世界へとんできたから良かったようなものだが、ともすればそれは永遠の別れになっていたかもしれない。
「と、とりあえず寝ましょう。灯り消しますよ」
「あ、はい」
蛍光灯の紐を何度か引っ張る。カチ、カチ、という音がして、部屋の中には暗がりが訪れた。カーテン越しに東京都北区の夜景が入り込み、室内をうっすらと照らしている。定期的に聞こえる車やバイクのエンジン音が、やかましくも懐かしい。
ショウタは布団に寝っころがり、天井を睨んだ。アリアスフィリーゼも、少し離れた場所に敷かれた布団の上で、それに倣う。
「私はここに来て、初めて、ショウタの気持ちがわかりました」
ショウタの耳に、アリアスフィリーゼのそんな声が聞こえる。
「自分の知らない世界に飛ばされるということ。思っていた以上に、心細いものだったのですね」
彼女の言葉を、黙って聞いている。
そう、心細い。それだけではない。いつか帰らなければならないという気持ちがあるから、その世界に必要以上に入れ込むことを恐れるようになる。アリアスフィリーゼは知らないが、少なくともショウタはそうだった。どんなに親しくなっても、別れの時は訪れる。
だが、今はどうだろう。
ショウタは帰ってきた。何の偶然か、アリアスフィリーゼも一緒だ。
本当は自分は、彼女とずっと一緒にいたいのではないか。天井の木目を視線でなぞりながら、そんなことを考える。
「ショウタ、手を握ってもらっても良いですか?」
ぽつりと、姫騎士殿下がそんなことを言う。
「独りではない、という確証が欲しいのです。この世界には、あなたがいる」
自分でも驚くほどに、その手の動きには迷いがなかった。ショウタの手は畳の上を這って、アリアスフィリーゼのそれを掴む。彼女の指先はひんやりとして柔らかく、それでいてしっとりと濡れていた。躊躇のないショウタの手に驚いたように、しかしアリアスフィリーゼは、すぐにその手を強く握り返してくる。
自分自身の気持ちなど、わかっているようなものだ。そこから目をそらしてきたのは、ただの臆病である。元の世界に帰ってきてしまった以上、そこにはもう、あらゆる言い訳は通用しない。
「殿下、僕はこちらの世界の人間です」
「はい」
「いつか、離ればなれになるかもしれません」
「……はい」
でも、とショウタは言葉を続ける。
「しばらくの間は、あなたを独りにはさせません。どんな時も、一緒にいます」
「でも、ショウタ……」
「あっちの世界には忘れ物もありますし、それに、状況が気になります」
ショウタが行方不明になっていた期間は、一ヶ月。だが、グランデルドオ騎士王国の滞在していたのは、三ヶ月だ。時の流れが明らかに異なっている。ショウタとアリアスフィリーゼが、こちらの世界で一日を過ごしている間にも、あちらではすでに三日が経過しているのだ。
アメパ堰堤要塞が受けた、壊滅的な人的被害。加えて、冥獣七王が一人、咬蛇王によるグランデルドオ騎士王国への侵攻。あまり、こちら側でうかうかしている暇は、ないと考えて良い。
何のことはない。
あれだけ、異世界のことにはかかわらない方が良いと自分を戒めていたにも関わらず、結局のところずいぶんと深入りをしてしまったものだ。ショウタは自然と苦笑いを浮かべていた。
「そうですね……」
殿下の声も、緊張にぴんと強張っている。
「僕と殿下は死んだことになっているんでしょうか」
「なんとも言えません。王位継承者の私が死ねば、色んな派閥が一気に動き出します。レイシアルやフラクターゼのような、腹に一物を抱えた者たちが火花を散らし、少なくとも冥獣王に抗することはできなくなるでしょう」
「つまり伏せられてるってことですか?」
「アメパ堰堤要塞の一件で行方不明になったのは、あくまでもノクターン子爵家の三女アイカです。お父様ならば隠すでしょう。幸いお城には、みっちゃんがいます」
そういえばそうだ。密偵のみっちゃん。彼女の変装技術なら、アリアスフィリーゼ姫騎士殿下の影武者となることは容易だろう。しかしそれでも、長く持つとは限らない。
「長居はできないですね」
「はい。必ず帰ります。ついて来てくれますか?」
「もちろん」
二人は、互いに手を強く握りながら、そのように言葉を交わし合う。
わかっているのだ。それでもいつか、別れは来る。ショウタはこちらの世界でやらなければならないことがあるし、アリアスフィリーゼは王位継承者として、あちらの世界を離れるわけにはいかない。二人とも、それだけははっきりと自覚していた。
ただ、そうであったとしても、今の二人にとっては、これで十分だった。
東京の夜が、徐々に更けていく。静まり返った部屋の中に、二つの寝息が聞こえてくるのは、それからしばらくもしない内のことであった。
Episode 77 『姫騎士殿下の東京見聞録』
FATAL PRINCESS of the KNIGHT KINGDOM
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